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出版社を辞めた僕はキャバクラで黒服をすることになった。 #4

(前回)

出版社に勤めていた頃は、毎日同じ社員と顔を合わせるだけの日々だった。
コロナ禍によって自宅でのリモートワークがメインになってからは、誰とも会わない時期が続いた。

人と話すのが好きな僕には、正直つまらなかった。

僕の世界が一変したのは、キャバクラの黒服を始めてからだ。場末のキャバクラとはいえ、いつも違った顔ぶれの客と出会える刺激に勝るものはなかったのだ。

僕が勤めていた店では、客層のメインはやはりサラリーマンだった。
ほとんどの場合は中年リーマンが部下や同僚、取引先を連れてくる。他の飲み屋でたらふく飲んだ後の二次会として利用されるケースも多い。
他にも弁護士から裕福な家のフリーターまで、多様な職種の人々が訪れる。

面白かったのは、不可解なほど羽振りのいい若者の集団だ。僕とさほど歳の変わらない連中が、キャストたちに分厚い札束を見せびらかせて楽しんでいる様子には驚かされた。
店長がいうには「オレオレ詐欺のチーム」で、たまに豪遊に来るらしい。僕は一度しか見なかったが、警察に捕まったのかどうかは不明である。

常連客の中にはヤクザのおじさんもいて、月に1~2度飲みに来ていた。僕がまだお客さんの顔を覚えられないうちは、店長がこっそり教えてくれた。
あの人、コレ(やくざ)だから。優しい人だから大丈夫だよ」
いまだに疑問だ。なぜなのだろう、”優しいヤクザ”と聞くとかえって怖く感じたのは。

ちなみにヤクザのおじさんは店に専用のジョッキを置いている。おそるおそるハイボールを入れて運ぶと、おじさんはにっこりと笑いかけてきた。
「お兄さん、見かけない人だね!新人さん?」
さすがに緊張してしまった僕は、こわばった笑顔で返事をするしかなかった。
「ハイ、まだ1ヶ月なんスよ~!よろしくっス!」

バカのふりをして笑顔をふりまく。
情けないことだが、水商売初心者の僕には唯一の処世術だったのだ。

ともかく、ホールでは飽きることのない光景を楽しむことができた。
しかしながら、楽しいことばかりではない。
一度だけ、哀愁の漂う客と出会ったことがある。

7月半ばの平日、まだ世間が夏休みに入る前のことだった。
その日は、まばらな雨が降っていて来客も少なかった。なじみの高齢男性客がふらりとやってきて、カラオケチケットを1枚購入した(店ではカラオケ注文の際、チケットを購入するシステムがあった。1枚1000円で5曲歌うことができる)。

突然の来店だったので、いつも相手をしているキャストがおらず、たまたま入ったばかりの若いキャストが相手をすることになった。

老人客はひたすら昭和の恋愛ソングを歌い、それらの曲を知らないであろうキャストは必死に盛り上げていた。会話のネタも尽きたらしく、キャストが無理に笑っているのが見てとれた。

もう帰る頃だな、と僕は会計額を計算しようとする。
しかし老人客は30分の延長を行い、新たにカラオケチケットを購入した。
そんなことが2回続き、老人客は結局2時間居座ってカラオケを続けた。

哀れにもキャストは2時間ずっと同じ女の子だった。
他のキャストは皆、別のテーブルで指名されていたため、チェンジができなかったのだ。
尿意をずっと我慢していたらしいキャストは途中でトイレに立ち、長い時間戻ってこなかった。

隣にキャストがいない間も、老人客はひたすら一人で歌い続けていた。しわがれた声が店内に反響していた。

フロアの端から彼を見ていて、ふいに泣きそうになった。おそらく70歳を越えているであろうこの老人客には、家族がいるのだろうか。帰る場所はあるのだろうか。延長を繰り返すのは何かの現実逃避だろうか。
これだけ歳をとって、こんな場末の小さなキャバクラで、独りでマイクを握って恋愛ソングを叫んでいる。その干からびた歌は誰に届くのだろうか。

人生ってこんなものなのだろうか。
雨空同様、僕の気持ちも曇ってしまった。

僕の末路も似たようなものなのかもしれない。なにせ場末のキャバクラで黒服をしながら、孤独な爺さんの歌を憂えている、そんな自分にどこか陶酔している痛々しい奴だ。50年後には飲みに付き合ってくれる家族も友達もいないかもしれない。

その日はバカのふりをして笑うことができなかった。
自分は本物のバカだと気づいてしまったから。(牛)

(残すところ2回)


牛窓:1995年生まれ。脚本家。『ルポ〇〇の世界』ゲストライター。大手出版社勤務を経て、2022年にNHK BSプレミアムよりドラマ脚本家としてデビュー。中央線沿いの安い木造アパートに住んでおり、深夜に線路の補修作業が行われるたびに自分の部屋が揺れるのを体感している。署名は(牛)。


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