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■お城をめぐる旅③―姫路城(3)合理的だからこそうつくしい

えりたです。

6月に姫路城へ行ってきました。梅雨真っ只中の移動でしたので、小雨が降ったりやんだりしていたです。でも、そのおかげで、日曜日でも観光客さんが少なくて、のんびり巡ることができました。

このときの旅については、すでに二つ記事を書いています。

一つ目は、JR姫路駅から姫路城への道程のお話です。

二つ目が、姫路城入城口から大天守への道程@全滅編のお話です。

つまり、二つ記事を書いたにも拘らず、ワタクシったら未だに大天守に辿り着いていないのですね(号泣)……というわけで、今回こそは!大天守に入ってみたいと思います。

ではでは、レッツゴー。




■これって、紛うことなく軍事要塞だよね?

姫路城は、たいへん見目麗しいお城です。「白鷺城」の名のごとく、白くうつくしく華麗な姿を堂々と見せています。

外から眺めると5階建てに見えますが、内部の造りは、地上6階・地下1階の7階構成です。

偏見かもしれませんが、大きな天守のあるお城では、各階に歴史的な変遷を示したパネルや、関わりのある武具などを展示していることが多いように思います。

たとえば、今は耐震の関係で入ることのできない名古屋城の大天守もそうでし、大阪城のなかもそのようなつくりだったように思います。

ですが、ここ姫路城では「城とはそもそもどういう機能を持つのか」をがっつりと体感できる展示になっていたのです。


■天守=戦のための倉庫

天守は、通常は住居スペースではありません

「天守に住む」という、当時で言えばかなり奇抜な行動を初めてなさったのは、織田信長公です。信長公は、安土城の大天守の最上階に住居スペースを持ち、寝起きもなさっていたとのこと。信長公ならするだろうなぁ…と何となく納得してしまうのがおもしろいところです(笑)

では、天守は何をするところか。それは、戦の際、最後の最期に籠城する場所であり、また、有事に必要なものを備えておく場所でした。

もっと言えば、天守に籠城するまで追いつめられるほど攻め込まれたら、それはもう「終わり」を示しているようなものです。ですから、お城によっては、主君が静かに切腹するためのスペースを設けているところもあります。そこへ足を踏み入れたときは、ほんとうに背中がぞくっとしました……

閑話休題。

さて、その「戦のときに必要なものを蓄えておく場所」である天守。姫路城もそれは例外ではありません。そして、知識では知っていたそのことをありありと見せつけてくれるような展示ががっつりなされていたのです。

たとえば。

これは「武具掛け」です。槍や鉄砲を掛けておきます。が、その数が尋常じゃない。

しかも、これ、ここ一箇所ではないんですよね。そもそもものっそい数を掛けられるのに加えて、各階にあるくらいの勢いで武具掛けがつくられているのです。

この数を見ただけで、思わず「えげつない…」と声が出たのはここだけの話(笑)しかも、パッと見ただけで、これだけの数をそろえられるという経済的な優位も理解できて、戦争ってのはお金がないとできないものなのだなと、リアルに体感したのでした。


■天守=最後まで戦う場所

上にも書いたように、天守は文字通り「最後の砦」です。攻め込まれたら終わりを意味していますが、それでも最大限抵抗できるような造りをもっています。

たとえば、こちら。

これは「石落し」です。下の扉をパカッと開いて、下に向かって石などを投げつけるための仕掛けです。この日は雨でしたので、外からこれを見ることは叶いませんでしたので、代わりに名古屋城のお写真を。

こちらは名古屋城の西南隅櫓です。真ん中の窓の下に飛び出ているところがあるのが分かるでしょうか。

ここから下に向けて、石垣を上る敵に「石など」を投げつけます。「など」と書きましたが、とある武将さまは煮えたぎった油を流したとの逸話もあり、存外生死にかかわる攻撃が可能であったことが伺えます。

また、こちらは「石打棚」です。

姫路城には「東西に大千鳥があり、窓の位置が高くなっているため、窓が使えるように」設けられたものだそうです。要は、ここに上がって石を投げつけるための場所ですよね。

・ ・ ・

姫路城では各階をくまなく巡れるように工夫されています。歩いてみると、くまなく攻撃のための仕掛けが施されていることが理解できるのです。

そして、その仕掛けは今見てきたような石落しや石打棚のように外へ向けての攻撃用だけではあません。もちろん、天守内に入りこんだ敵に対する備えも万全です。

たとえば。

灯り部分から人がわらわら出てくる
2枚目の写真の中を写したものです

「武者隠し」です。伏兵を潜ませるための場所。侵入した敵方にしてみれば、一部の人以外は初めて訪れる場所です。そこで、自分の命を守りつつ、死に物狂いで防御する相手を攻めながら上へ進んでいくことになります。まさにリアルダンジョンです。

今、さらりと書きましたが、右も左も分からないような場所で、突然敵方の伏兵が出てきたら。私なら、一発で召される自信があります(その前に、ここまで辿り着ける気がしませんが💦)。

こんなふうに、姫路城の天守のなかを歩いていると、味方ならどうか/敵ならどうかという想像をリアルに組み立てることができます。それはこのレベルの城だからこそできるものでもありますし、何より展示の力の強さによるものでしょう。


■歴史もリアルに感じさせる

さて、姫路城では「城」というものがどのような使途を持つかを、リアルに伝える展示を施されています。その広さや、空気感などを実際に体感できるので、ある意味、城に対する認識が変わったり深まったり。とても楽しいです。

しかし、それだけではありません。この「姫路城」自体の歩んだ歴史も感じることができるようになっているのです。

たとえば。

こちらは「西大柱」です。説明には「東西2本の大柱の最頂部で、地階から5階の梁まで通柱となっています。柱が梁を受ける接合部分は、昭和の大修理の際に鉄板で補強しています」とあります。これもリアルに見てこそ、理解できるものです。

というか、地階から5階まで通柱って……どんだけ大きく丈夫な樹木を用いているのだろうとか、あの時代にそれが可能だった技術の高さがハンパない…とか、見ながらさまざまに想像し、もう感嘆しかありませんでした。

また、こちらの「釘隠し」も。

とてもうつくしい意匠が施されています。「六葉釘隠し」と言うそうで、「6枚の葉をデザインしていて、葉と葉の間に猪目と呼ばれるハート型の隙間が」できるのだとか。

小さなところにあるこだわりこそが、作り手の思いの強さをずっと伝えてくれことをじんわり如実に感じていたのでした。


■まとめ

姫路城の記事3回目でようやく天守内に入りました♪ ぐるりと見回って思うのは、何度も書きますが「城」というのは本質的に軍事要塞であるということ。ですが、それだけではないことも、今回の旅で実感しました。

城は、もちろん有事の際には血腥い場所に変貌します。ですが、それでも、姫路城の天守には、あちこちにうつくしさが最大限に盛り込まれていました。

破風の間の格子窓
武具掛けを真横から見ると

現代のように、実用的な部分だけを取り出して追究することも、効率の面から言えば、確かに大切です。でも、その実用的な部分をさらに突き詰めれば、美しさを同居させることができると、姫路城が自らの姿で伝えてくれているように思うのです。もっと言えば、実用的、合理的だからこそ美しさが発揮されるのだ、と。

そう考えると。装飾的なものを「ムダ」の一言で切り捨てるのは、実は浅薄なのかもなと……もちろん、時と場合には寄りますが。そんなことを思ったりもしたのでした。

・ ・ ・

姫路城の記事、(おそらく)もう一つ続きます。よろしければ、お付き合いくださいませ。


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