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■絶景の果てにある孤独を―安土城探訪記③

さて、安土城探訪記の3回目です。

私あるあるで、2回目の記事を書いてから時間が空いたので、もう書かないかと思いましたが(笑)、何とか書く時間を取れました。
今日こそ天主閣跡まで辿り着きます(笑)

この記事は、今月4日に安土城址へ旅したときの記録です。

大河ドラマでは、先週長篠の戦いが終わったので、もうすぐ築城が始まると思います。本能寺の変の2週間後に燃え落ちた安土城の現在、あるいは、そこから見える過去の姿をお届けします。

安土城址に行ったときのことを思い出すと、大河ドラマ『どうする家康』で描かれる織田信長公の姿がよりはっきりした輪郭を見せるんです。

■前回までのお話

ようやく安土山頂上近くの黒金門(くろがねもん)まで辿り着いたのが、前回の記事でした。

なかなかに体力を消耗する道程でしたが、「石段があるだけマシ」「人が作った道があるだけマシ」と呪文のように唱えながら、歩き続け辿り着いたのでした。

■そして、信長公本廟に

その後も這這の体ではありましたが、何とか自分を励ましながら、一歩ずつ歩を進めました。そうして、幾許も行かないうちに見えてきたのが、「信長公本廟」です。

リーフレットによると

重臣、羽柴秀吉は天正十一年一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌二月信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺品を埋葬して本廟とした。

とのこと。
廟の前で、頭を垂れ、祈りました。

考えてみれば、本能寺の変は起こったものの、信長公の亡骸は見つかっていません。だからこそ、大陸に渡った説があったり、何度時を繰り返しても燃えてしまったりするのですが(え)

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