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#野口健
連載第9話 スポンサー活動への同行
18歳の時だった。
静岡の港町から上京し、私は武蔵野にある大学に通っていた。はじめは自分でアパートを借りていたが、すぐに山岳部が共同生活をする古い木造一軒家に引っ越しをした。野口健、田附秀起、長尾憲明という先輩方がそこに住み、マネージャーの宮上邦子が、そこに入り浸っていた。
1998年当時、「七大陸世界最年少記録」を目指していた25歳の野口健は、その夏、七つ目のエベレストに登頂するという目
連載第8話 97年、野口健のエベレスト挑戦の映像
超人サイクリスト長尾のシェアハウス入りで情熱を取り戻した野口健は、1997年5月、田附や宮上ともにエベレストに挑むことになる。
直前に行われたネパールでの高所トレーングには、エベレストには行かない長尾も参加することになった。
このエベレスト遠征は、家電メーカーがスポンサーについていたこともあり、野口たちはそのメーカーのビデオカメラをよく回していた。
私がシェアハウスに引っ越してきたのは
連載第7話 光り輝くエベレスト登山計画
そんなわけで(前回参照)、突如として野口健の家に現れた長尾は、そのままそこで住み始めることになった。
長尾は、2階の4畳半の部屋を割り当てられたが、その部屋にはほとんど行かず、1階のリビングで黙々とテレビを見続けていた。
深夜までずっと見つづけ、そのまま寝落ちしてしまうことがほとんどだった。
飽きれた野口が
「そんな見ててよく飽きないな」
というと、
「これまで家にテレビがなかったんで
連載第4話 タルチョたなびく武蔵野の一軒家
入試で初めて訪れた武蔵野市は、地元の静岡よりも樹木が多く、東京とは思えないような緑に囲まれていた。
駅から大学までの道には「スタジオジブリ」があった。
それは木々に囲まれ、小さな森のようだった。
そして亜細亜大学は、より大きな樹木に囲まれ、受験会場の教室の窓からも木々の梢が何本も見えた。
高校の教室で感じていた無機質感はなかった。
付け焼刃での受験だったが、ここから何かが始まる良い予感しかしな