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日曜日の駄弁12週目
最近やっとインスタ再開しました。 https://www.instagram.com/librairie_sunshindo/ 再開なんていっても、もともともべつにそんなにやってなかったんだけど。 再開最初…
岩野泡鳴の「現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論」をいまさら読んで
前々から気になっていた、岩野泡鳴の「現代将来の小説的発想を一新すべき僕の描写論」をやっと読んだ。読んでみたらすぐ読み終わるものを、気になりはじめてから何年か越しでやっと読んだ。僕はなんでもこういう調子なので、何をやっても亀のようにしか進まない。漱石は芥川らに「牛のように」やるようにアドバイスしていたから、僕もせめて牛のようだったらよかったんだけど、亀なんだからどうしようもない。
岩野泡鳴のこのエ
mt ex at KIITO―日曜日のおしゃべり23週目
mt博行ってきました。
mt博っていうのは、カモ井さんのマスキングテープとかそれに類するものばっかり集めて、展示販売しているイベントです。
デザイン・クリエイティブセンター神戸っていうところでやっていたんですけど、ここに来るのは、人生で二度目でした。
前もどこか行ったとき、人生で二度目とか言ってましたね。
行って、ほぼ到着するまで、前にも来たことがある場所だっていうことを、分かってませんで
モネ展と福田平八郎展―日曜日のおしゃべり22週目
モネ展と福田平八郎展に行って来ました。
モネ展を見ているときに思ったのは、「絵画っていいな」っていうことでした。
なにと比べて「いいな」かというと、文学と比べてなんですけど。
絵画の作品って、モノそのもので、モネの絵画なんかだと、150年くらい前のモノがそのまま、「いま目の前にある」わけじゃないですか。
そのモノって、モネが触っていたまさにそのソレなわけで、その即物性っていうか、なんていう
ぜんぜん反省してない!―日曜日のおしゃべり20週目
最近は、近所に桜を見に行って、桜が見えるところでおそば食べたりしました。わらび餅も食べて、コーヒーも飲んだよ。
今週の実在的エクリチュールはこれにておしまい。
今週の観念的エクリチュールでは、ぼくとしてはけっこう面白いと思ったことが、とりあえず二つはあるんです。
一つ目 理屈軸と実在・観念軸で四タイプ診断
一つは、岡田斗司夫さんのYouTubeを聞いていたときに、思ったことで……。
岡田
実在に向けて―日曜日のおしゃべり19週目
日曜じゃないけど。
観念論的傾向っていうものがあるなぁ、みたいなことを書いたときから、ぼくはものすごく反省しているんです。
その文章を書いたことを反省しているんじゃなくて、自分があまりにも実在的な文章を書かないでいるということについて、反省するようになったんです。
実在とか観念とか分かりにくいけど、要するに「事実に類するようなことを、もっと書かないといけないな!」って思った、という話なんです
「観念論的傾向」のこと―日曜日のおしゃべり18週目
今週、「あること」に気がついたんです。
数学って、苦手な人は苦手だと思うんです。それも、すごく苦手だっていう人が、いるだろうって思うんです。
世の中の人を、数学が苦手か、べつにそうでもないかで二つに分けるとしたら、それぞれみんな「自分はどっちだろうなぁ」っていうの、あると思うんです。
で、ですね。唐突になんなんですけど。
今週、僕が思い浮かんだのは、世の中には……
「観念論的傾向をもつ人
「私って何?」ってどういう問い「ではない」のか―日曜日のおしゃべり17週目
この二週くらいにわたって考えているところの「私って何?」という問いが、どういう問い「ではない」のかっていうことについて、ちょっと書いておかなきゃいけないなって思いました。
あらかじめ誤解を解いておいた方がいいなと。
僕がこのところぼんやり考え続けている「私って何?」っていうのは、僕――そう問うている当人――の「アイデンティティの探求」みたいなものではないんです。
思春期とか青年期とかには、「
おしゃべり16の補足:もっと他愛ないハナシ(その38)
いきなり「おしゃべり16」の続きを書いてしまうんだけど、「構え」といっても「心構え」みたいなもののことを言っているつもりでは、なかったんです。
「構え」なんて言っちゃうと、意識してコントロールできることのように思われてしまうんだけど、僕は「構え」と思いつつも、それは自分で意識してどうにかできるようなものではない、ということも同時に思っていたんでした。
記号とか出来事に対して、主体――だいたい「
駄弁15の補足のようなもの:もっと他愛ないハナシ(その37)
日曜日の駄弁15週目で、「〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。」という話を、始めようとして始まってない、というような文章を書いたんでした。
〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。
という問いが、僕にとって、いくらか意味があるのはナゼなのか。っていうことを、できるだけ「分かりにくく」書いてみようと思います。
どうして「分かりにくく」書くのかっていうと、誤解する(さ
日曜日の駄弁15週目
〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。
ってことを考えてるんですけどね。
それについて、最近「ある見方」が思い浮かぶようになっていて、その「見方」がわりと自分を説得してくれそうな予感があって、その「見方」を上手に説明できないものかなぁ、なんてことを考えてます。
いまここで千字や二千字くらいの文章を書いても、絶対上手に説明できないと思うんですよね。っていうか、できません。
じゃ
日曜日の駄弁14週目
『ゼロから始めるジャック・ラカン』を読了したのが先週の日曜日で、その本が面白かったから、久しぶりに、それについて何か書いてみようかなと思って書いたのが、「ラカン派精神分析から文学の話:もっと他愛ないハナシ(その36)」だったのでした。
その文章を書いて思ったんですけど、僕みたいな素人が文章を書くっていうのは、思い浮かんだことのごく一部のことを書く、ということにしかならないんだな、ということでした
日曜日の駄弁12週目
最近やっとインスタ再開しました。
https://www.instagram.com/librairie_sunshindo/
再開なんていっても、もともともべつにそんなにやってなかったんだけど。
再開最初の投稿が「田中久文『九鬼周造』(講談社学術文庫)」でした。
たんたんと書影をアップするばかりのインスタなんですけどね。
読んだ本だけアップするという方針だと、毎日アップとか絶対無理なの