ロココ

ロココ = 四角い箱が右から左に高速で移動している様子。 https://twitte…

ロココ

ロココ = 四角い箱が右から左に高速で移動している様子。 https://twitter.com/dhinnossu

マガジン

  • 清く正しい一青年の日記

    小説を書いている(書こうとしている)青年の日記、という見立ての小説。 つまり、「この日記はフィクションです」。

最近の記事

『盤上のパラダイス』は田村書店で買ったよ―日曜日のおしゃべり21週目

最近、車の調子が悪かったので、車の修理が済むまで、電車通勤してました。 電車通勤していたら、その分だけ、ちょっと余計に本が読めるのは、よきですね。 電車では、ベイトソンの『精神と自然』とか、『中国古典小説史』とか、千葉雅也さんの『センスの哲学』とか、若島正さんの『盤上のパラダイス』とか、読んでました。 『盤上のパラダイス』は、文庫で出たときから、「買わなきゃなぁ、いずれ買わなきゃなぁ」とずっと思いながら、「でも、買ってもすぐに読みそうにないしなぁ」と思って、ずるずる先延

    • ぜんぜん反省してない!―日曜日のおしゃべり20週目

      最近は、近所に桜を見に行って、桜が見えるところでおそば食べたりしました。わらび餅も食べて、コーヒーも飲んだよ。 今週の実在的エクリチュールはこれにておしまい。 今週の観念的エクリチュールでは、ぼくとしてはけっこう面白いと思ったことが、とりあえず二つはあるんです。 一つ目 理屈軸と実在・観念軸で四タイプ診断 一つは、岡田斗司夫さんのYouTubeを聞いていたときに、思ったことで……。 岡田さんが「理屈っぽい」って言ったときに、「はっ!」と思ったんでした。 岡田さんは

      • 実在に向けて―日曜日のおしゃべり19週目

        日曜じゃないけど。 観念論的傾向っていうものがあるなぁ、みたいなことを書いたときから、ぼくはものすごく反省しているんです。 その文章を書いたことを反省しているんじゃなくて、自分があまりにも実在的な文章を書かないでいるということについて、反省するようになったんです。 実在とか観念とか分かりにくいけど、要するに「事実に類するようなことを、もっと書かないといけないな!」って思った、という話なんです。 事実に類するようなことって、どんなことかって、「どこそこ行って来た!」みた

        • 「観念論的傾向」のこと―日曜日のおしゃべり18週目

          今週、「あること」に気がついたんです。 数学って、苦手な人は苦手だと思うんです。それも、すごく苦手だっていう人が、いるだろうって思うんです。 世の中の人を、数学が苦手か、べつにそうでもないかで二つに分けるとしたら、それぞれみんな「自分はどっちだろうなぁ」っていうの、あると思うんです。 で、ですね。唐突になんなんですけど。 今週、僕が思い浮かんだのは、世の中には…… 「観念論的傾向をもつ人と、そんなものもたない人」 っていうのがいるんじゃないか!? って、思ったん

        『盤上のパラダイス』は田村書店で買ったよ―日曜日のおしゃべり21週目

        マガジン

        • 清く正しい一青年の日記
          8本

        記事

          「私って何?」ってどういう問い「ではない」のか―日曜日のおしゃべり17週目

          この二週くらいにわたって考えているところの「私って何?」という問いが、どういう問い「ではない」のかっていうことについて、ちょっと書いておかなきゃいけないなって思いました。 あらかじめ誤解を解いておいた方がいいなと。 僕がこのところぼんやり考え続けている「私って何?」っていうのは、僕――そう問うている当人――の「アイデンティティの探求」みたいなものではないんです。 思春期とか青年期とかには、「私って何?」っていうのは、しばしば「アイデンティティの探求」としての問いとして浮

          「私って何?」ってどういう問い「ではない」のか―日曜日のおしゃべり17週目

          おしゃべり16の補足:もっと他愛ないハナシ(その38)

          いきなり「おしゃべり16」の続きを書いてしまうんだけど、「構え」といっても「心構え」みたいなもののことを言っているつもりでは、なかったんです。 「構え」なんて言っちゃうと、意識してコントロールできることのように思われてしまうんだけど、僕は「構え」と思いつつも、それは自分で意識してどうにかできるようなものではない、ということも同時に思っていたんでした。 記号とか出来事に対して、主体――だいたい「わたし」――がどんな風に反応できるか。その反応の仕方っていうのは、主体の構えがど

          おしゃべり16の補足:もっと他愛ないハナシ(その38)

          主体の構え―日曜日のおしゃべり16週目

          駄弁っていう語感に飽きたので、今回からおしゃべりってことにしました。 今週は、あるときふっと、「あ、『構え』だ」って、思ったんです。 なにかひらめいた! という感じで、「あ、『構え』だ」って、思ったんです。 エレベーターに乗っているちょっとの間、ベルクソンの『思想と動くもの』の「哲学的直観」のところを読んでいて、エレベーターが停まったところで、その本を鞄に入れて、ブックファーストに向かって歩いている途中で、ふっとそう思ったんでした。 このとき、僕が「ひらめいた」と思っ

          主体の構え―日曜日のおしゃべり16週目

          駄弁15の補足のようなもの:もっと他愛ないハナシ(その37)

          日曜日の駄弁15週目で、「〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。」という話を、始めようとして始まってない、というような文章を書いたんでした。 〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。 という問いが、僕にとって、いくらか意味があるのはナゼなのか。っていうことを、できるだけ「分かりにくく」書いてみようと思います。 どうして「分かりにくく」書くのかっていうと、誤解する(される)よりは分からない方が、いくらかマシだろうと思うからです。 プルーストの『

          駄弁15の補足のようなもの:もっと他愛ないハナシ(その37)

          日曜日の駄弁15週目

          〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。 ってことを考えてるんですけどね。 それについて、最近「ある見方」が思い浮かぶようになっていて、その「見方」がわりと自分を説得してくれそうな予感があって、その「見方」を上手に説明できないものかなぁ、なんてことを考えてます。 いまここで千字や二千字くらいの文章を書いても、絶対上手に説明できないと思うんですよね。っていうか、できません。 じゃあ、一万字、二万字あったらできるのか、って言われると、それだってできるかどうかあ

          日曜日の駄弁15週目

          日曜日の駄弁14週目

          『ゼロから始めるジャック・ラカン』を読了したのが先週の日曜日で、その本が面白かったから、久しぶりに、それについて何か書いてみようかなと思って書いたのが、「ラカン派精神分析から文学の話:もっと他愛ないハナシ(その36)」だったのでした。 その文章を書いて思ったんですけど、僕みたいな素人が文章を書くっていうのは、思い浮かんだことのごく一部のことを書く、ということにしかならないんだな、ということでした。 素人とかプロとか関係なく、思い浮かんだことがあるんだったら、それを全部書け

          日曜日の駄弁14週目

          ラカン派精神分析から文学の話:もっと他愛ないハナシ(その36)

          はじめに 『ゼロから始めるジャック・ラカン』 ちくま文庫で出ているのを見つけて、たぶんすぐに買ったんだけど、しばらく読まずに寝かせていて、最近ふと手に取って読みはじめたら、ものすごく面白かったのでした。 ある本が面白く感じられるか面白く感じられないかっていうのは、その本の問題じゃなくて、その本と私の関係の問題だっていうのが、僕の持論なんです。 だから、面白いと思った本を紹介しようと思うと、その本についての客観情報を伝えるんじゃなくて、「その本の何が私の中の何とどんな関

          ラカン派精神分析から文学の話:もっと他愛ないハナシ(その36)

          日曜日の駄弁13週目

          ツーブロの弟者さんと三浦大知さんがゲーム実況で「The Past Within」というゲームをやっていて、それをチラッと見て、「ああ、こういうゲーム好きだなぁ」と思ったのでした。 それがきっかけで、そのゲームのパブリッシャーが過去に作った「Samsara Room」をやってみました。 で、クリアまでやりました。 どうしても進まなくなったところで、公式が配信していた攻略動画をちらっと見てしまったけど、パズル要素の部分は全部ちゃんと自力で頑張りました。 このゲームをやって

          日曜日の駄弁13週目

          日曜日の駄弁12週目

          最近やっとインスタ再開しました。 https://www.instagram.com/librairie_sunshindo/ 再開なんていっても、もともともべつにそんなにやってなかったんだけど。 再開最初の投稿が「田中久文『九鬼周造』(講談社学術文庫)」でした。 たんたんと書影をアップするばかりのインスタなんですけどね。 読んだ本だけアップするという方針だと、毎日アップとか絶対無理なので、身の回りにある本、比較的最近手に入れた本を、読んだか読んでないか関係なしにア

          日曜日の駄弁12週目

          日曜日の駄弁11週目

          最近あるアイドルグループを追っかけてるんですけど、彼らが生み出すコンテンツを鑑賞していて、ある瞬間につらつらと考えたことがありました。 最初に直感したことは、「これは古典文学を読むのと似た経験をしている気がする」ということだったんです。 最近のアイドルって、YouTubeとかやってるんですよね。 それで、YouTubeってコメント欄があって、その動画を見たファンの人たちは、自分が感じたそれらのアイドルの萌えポイントみたいなものをコメントするわけです。 そのコメントって

          日曜日の駄弁11週目

          日曜日の駄弁10週目

          新型コロナが流行してから変わったことの一つが通勤手段で、以前は「基本電車、荷物を運ぶ必要がある時だけ車」だったのが、近頃は「いつでも車」というようになりました。 電車通勤と車通勤の一番の違いは、本を読めるかどうかで、車通勤だと移動中に本が読めないんですよね。 これはけっこう致命的といえば致命的で、これのせいでだいぶ読める本の量が減ったと思う。 電車に乗っていると、往復、少なく見積もっても1時間くらいは本を読めてただろうと考えると、これはもうなかなかの減り具合ではないかな

          日曜日の駄弁10週目

          日曜日の駄弁9週目

          先日、神戸阪急で古本のイベントをやってました。 神戸阪急古書ノ市とかなんとかいう。 手前味噌ですけど、なかなかいい古本イベントだったんじゃないでしょうか。 手前味噌っていうのは、自分も出店者として参加していたからなんですけど。 (寸心堂って古本屋なんです。お見知りおきください。) ワールドエンズガーデンさんのところに、ちょい古めの外国文学の翻訳がいっぱい並んでたんですよね。 最近、いまさらながらにヌーヴォー・ロマンに関心が集中してたりするので、欲しい本がいっぱいあったんで

          日曜日の駄弁9週目