日曜日の駄弁11週目
最近あるアイドルグループを追っかけてるんですけど、彼らが生み出すコンテンツを鑑賞していて、ある瞬間につらつらと考えたことがありました。
最初に直感したことは、「これは古典文学を読むのと似た経験をしている気がする」ということだったんです。
最近のアイドルって、YouTubeとかやってるんですよね。
それで、YouTubeってコメント欄があって、その動画を見たファンの人たちは、自分が感じたそれらのアイドルの萌えポイントみたいなものをコメントするわけです。
そのコメントっていうのは、「私にとって」「誰それのどこそこが」「かわいい」とか「かっこいい」とか、そういうものですけど。
それで、追っかけているアイドルがまあまあ人気アイドルなので、一つの動画に、コメントは1000単位でついていたりするんですね。
さらには、生配信とか見たあとでTwitterを検索したりやなんかしても、同じような、ファンのみんなの「ここがよかった!」というようなツイートを見られるわけです。
つまりは、自分が見たものと同じものを見た人たちの、大量の感想とかコメントが見られるというわけなんです。
自分は自分でそのコンテンツを鑑賞した時に感じていることがあるわけですけど、同じコンテンツを鑑賞した他の人が感じていることを、これだけ大量に知ることができると、いろいろ面白いんです。
自分と同じポイントに反応している人がいるのを知るのもいいんですけど、他の人の感想とかコメントが大量にあるから、むしろ次のようなことの方が多いんです。
「え? そんないい場面あった? 自分は気づかなかった!」
というようなやつです。
そういうのを読んだら、同じコンテンツをもう一度見て、「なるほど、ここか!」と、一回目に見たときには気づけなかったよきポイントを再発見できてですね……。
そしてこのことは、ほとんど無限の往復運動として可能なんです。
一つの作品があって。
その作品についての解釈がたくさんある。
そうすると、その作品の楽しさが、解釈の数だけ増していく。
これって、まさに「文学の楽しみ」と同じじゃないですか?
僕が、現代小説よりしばしば古典文学の方を面白いと思ってしまうのは、古典文学の方がデキがいいからとかそういうことではなくて、古典については、いろいろな人による解釈がすでにあってそれらに触れられるから、ということがあるんだと思ってます。
ある頃に、プルーストがめちゃくちゃ面白いなってなったのは、プルーストについて熱く語っている人の書いたものってすごくいっぱいあって、そういうのを読めば読んだだけ、「そんないい場面あった?」「なるほど、ここか!」っていうことが、いっぱい起こるんですね。
それが、楽しい。
僕、文学を読むセンスがぜんぜんないので、自分ひとりでは、ある一つの作品のオモシロポイントを、そんなにたくさん発見できないんです。
だから、自分が読んだ小説について、「この小説にはなんかある気がする」と思ったら、その小説について書かれている本を読んでからまたその小説を読み直す、ということをするんです。
いずれ好きになる小説って、たいていそういう往復運動を経たあとで好きになっている気がします。
だから僕にとっては、文学作品ってその作品単体があればそれでいいというものではなくて、その作品とその作品について語られていることの総体としてある、という感じなんです。
これは、僕がセンスがないからであって、センスのある人は作品さえあったらいいのかもしれないなって思います。
ただ、僕自身はセンスがないので、そういう人の存在をうまく想像できないんですけど。
こういうようなことを、アイドルグループの動画を見ながら考えていたんでした。
そのアイドルグループがなんというグループかは秘密。
聞かれたらべつに隠さないけど。
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