日曜日の駄弁15週目

〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。

ってことを考えてるんですけどね。

それについて、最近「ある見方」が思い浮かぶようになっていて、その「見方」がわりと自分を説得してくれそうな予感があって、その「見方」を上手に説明できないものかなぁ、なんてことを考えてます。

いまここで千字や二千字くらいの文章を書いても、絶対上手に説明できないと思うんですよね。っていうか、できません。

じゃあ、一万字、二万字あったらできるのか、って言われると、それだってできるかどうかあやしいもんです。っていうか、多分それでもできないと思う。

説明できないようなことを、僕自身は理解できてるの?

っていうのは、一つの問題として考えられるとは思うんです。説明できないんだったら、本当は自分自身でも何も分かってないんじゃないか? と考えた方がいいのかもしれない。

たしかに、「よく分かってる」とはいえないと思う。とはいえ、「何も分かってない」ということでも、ないように思う。

たとえで言ってみると……。

向かっていくべき方向がどっちかは分かっていて、たしかにその方向にゴールがあるに違いない、でもまだそのゴール地点の眺望が見えているわけではない。

という感じ。うまくたとえられてるのかなぁ?

だから、ゴール地点の眺望は語れないんだけど、どういう方向に行きたいと思っているか、くらいのことなら、いま語れるのかもしれないなぁ、という感じです。

それで今からそれについて語るのかって言うと、まあ今日は語らないんですけど。語らないんかい!

もう一回言うと、

〈私〉っていうのはどこに(どのようにして)あるのか。

というのが問いでした。

それについて「ある見方」が思い浮かんでいるっていうのはつまり、「〈私〉っていうのは「こういう風な」存在なのではないかなぁ」というようなことを思っている、っていう話なんです。

そして説明できたらいいなって思っていることは、「こういう風な」の部分です。

いまの僕は〈私〉というものを「どういう風な」ものだって思っているか、っていう話です。

そんな話、誰が聞きたいねん!

おあとがよろしいようで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?