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よそじの台所から【休みの食事 と 休みのこと】

夫なし。子は独立。
アレルギー対策に 油をやめ、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖を減らした食生活。
「家族のためのご飯」を卒業した40代。主に自炊の記録 と 自分を観察する日記。

土曜日は朝、図書館で予約していた本を受け取り、その足でパン屋のモーニングへ出かけた。(画像撮り忘れ)
今回まわってきた本は3冊。
わたしの読む本にはこれといった決まったジャンルはないけれど、小説は一切読まない。と、いうよりも「読めない」。

「物語」というものにあまり興味がないし、読み始めてもやっぱり途中でやめてしまう。だからそいうものを読むことは諦めた。
ではどんなものを読んでいるかと言えば
今手元にあるのはこの3冊。

ホスピス医として3,800人以上と向き合ってきた小澤竹俊さんの本。


東京の巨大新刊書店店員から那覇の狭小古書店店主になった宇田智子さんの本。


料理教室や雑誌で活躍する渡辺康啓さんのレシピ本。


我ながらまったくもって一貫性はない。
何かで本や人の存在を知って好奇心が刺激されると、図書館のサイトで検索をして予約する。
数週間待って本が手元にやってきて、その時点で興味が持てなければ読まずに返却することもある。

図書館への予約はいつも限度いっぱい。
でも実は本が好きか、と聞かれても確信を持って「はい」とは言えない。

「読書とは」と聞かれれば「食事のようなもの」と答える。
わたしが本を読む目的はひとつで・・それは「言葉を覚えるため」です。
わたしの記憶の機能はあまり高性能ではなく、読んだ内容はそばから忘れます。
それもまた食事のように、です。
一昨日の朝ごはん、先週の夕食なんて覚えていないけれど、食べ物は知らぬ間に身体の栄養になって細胞を作ったり血になったり肉になったり。そして不要なものは自動的に排泄されます。

そういうことが、わたしの知らぬ間に、寝ているあいだにも行われているわけです。
本も同じように思うのです。
思考は覚えた(知っている)言葉だけでできています。
だから、いろいろな言葉を覚えたいと思っています。
言葉は、自分にしか見えない感じられないものを誰かに伝える手段でもあります。
コミュニケーションに使える道具は、いくつあっても良いと思うのです。

言葉は食事と同じように、いつ何に書いてあったか・・は忘れてしまっても

いつの間にかわたしの思考を作り、やっぱり不要なものは自動的に排泄(忘れられます)されると思うのです。
だから読んだものを忘れるということが「悪」とか「無駄」だ、とは思っていないのです。

と、わざわざ書いているのは
覚えられない、小説が読めない ということについて、かつてのわたしは「読書なんて無駄だ」と思っていたから、なんですね。

だから今もしも同じように思っている人がいるなら
読書は食事と同じ
という考え方もあるよ。と、知ってもらえたら良いな、と思います。
それから、本は
「興味のあるうちに読むと即身につく」という「生ものの側面」もあり、やっぱり食事のようだな、と思うのです。

そうは言っても好きな本、あるでしょ?と聞かれたら

北尾トロさんの「キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか」
です。

モーニングから帰宅したあとは、以前買って全く手付かずピンクのペンキを出してきて、これまた以前木工ワークショップで作ったお家に色を塗りました。
コンビニエンスストアでもらって、色を塗ろうと思いためていた木のスプーンにも。

以前 水色 白 グレー で塗った家を食器棚の上に並べてピアスのお家にしました。
やっぱりピンクが並ぶと雰囲気が大きく変わります。
でも・・白地に置いた方が映えそうだなぁ。
棚の上に敷く布を、またいつか作ろうと思います。(いつになるやら)

そんなひとり暮らしの週末。



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