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辛かった中学生活(ToT)母に「HELP」が出せなかった過去に、私自身も気づかないでいた話

お母さんに迷惑をかけてはいけない!

私の実家の母は、
「苦労という苦労を味わって、早く亡くなってしまった」人かもしれません。

ものごころが付いた頃から、
「お母さんは忙しくて大変だから、迷惑をかけてはいけない!」という意識が、私の中にありました。

舅姑と同居、近所の意地の悪い小姑(私の父の姉たち)との付き合い、子ども3人を育てながら家業の手伝いと、母は毎日忙しい日々を過ごしていました。

実家は、親戚や家業のお客さんがしょっちゅう来る家でした。
店舗は別にあったのですが、なぜか(休みの日でも)家のほうに来られるお客さんが少なくありませんでした。

母は心も体も休まることがなかったと思います。

母にとっての小姑(2人)は、私には優しかったのですが、今、大人になって色々思い出すとわかります。
「母にはかなり意地悪だったなぁ!」と。

いつも歯をくいしばった感じの気合の入った表情の母に対し、
ただただ私は「迷惑をかけたり、困らせることはしない!」と、子どもなりに心に誓っていました。

辛かった中学生活

中学生の頃、クラスや部活の友達と合わなくて、毎日「つらい!」と思っていました。アラカンになったつい最近でも、嫌いだった同級生が夢に出たりすることもあって、自分でもビックリしました。

10代前半の判断力がなくて傷つきやすい時期は、大人にとっては本当に小さな何でもない出来事でも、非常に深刻なものになります。

部活のメンバーがイヤならば、辞めれば済むというのに、「1度入部したら、何が何でも最後まで頑張る!」というような思考があたりまえで、まかり通っている時代でした。

「辞めたい」と、部活の先生やメンバーに伝えたところ、「最後までやるべき!」とみんなに寄ってたかって責められ、結局ずるずると在籍してしまいました。(アホやな~)

暴力を受けることはありませんでしたが、陰口はいっぱい言われているのは感じました。「生意気や!」と先輩10数人に囲まれることも度々ありました。

1か月間学校に行けなかった時の母の対応

「お母さんに心配かけたくない!」そう強く思っていましたので、母には学校が嫌だとは一言も言えませんでした。

しかし、私にとって中学に行くことがあまりにも辛過ぎて、とうとう家から外に出られなくなりました。

中学に行くの無理!

母には「学校に行けない」とだけしか言えませんでした。特に母には本音を言えない私になっていたのです。

母は相変わらずの忙しさでした。私に特に何も聞いてきません。

私が学校に行けなくなってから1か月経ったころ、突然、母と担任の先生の家に行くことになりました。気が進みませんでしたが、母の言うことを断れませんでした。

母も母なりに私のことを心配はしていたのだと思います。が、どう接していいのかわからなかったのでしょう。
今まで何の問題もなく「いい子」だった娘から、突然「学校に行けない!」と言われたのですから…

困った母は「担任に丸投げ」しようという結論に至ったのでした(๑˃̵ᴗ˂̵)

担任の先生の言葉

私は、勇気を出して先生(定年前の女性)に正直に言いました。
「学校の友達と合いません。特に部活の先輩や友達といるのは苦痛なんです」

先生は言いました。
「学校を休むのは良くないよ〜、とにかく行きなさい!」
「私と約束してほしい!」
(母は私の横で黙って聞いていました)

今から思い出せば、「なんじゃそりゃあ!?」です。何の解決にもなっていませんから(泣)

判断力のない、それでいて変に律儀な14歳の私は(^_^;)、結局、
「行きたくない!でも先生と約束して『はい』と返事をしてしまった」
それだけの理由で、メチャクチャ勇気を出して久しぶりに学校へ行きました。

登校したその後

授業は友達と話すことがないので、なんとか受けました。ちょっとは話せる友達もクラスにいたのが救いでした。

全校集会の時は保健室や図書室に逃げました。

「避難させてください(ToT)」


幸い、保健室の先生は黙って受け入れてくださいました。

担任の先生が部活担当の先生に話をされたみたいでした。
部活の先輩からは、逆に前にも増して酷い仕打ちに遭いました(泣)

生徒会の執行部に比較的話しやすい友達がいたので、私も生徒会の役員になりました。部活に行かなくて済むというだけの理由で…

時々ずる休みをしながら、なんとか大嫌いだった中学を卒業しました。
お陰様で高校進学後は、友達や環境がスッカリ変わり、何とか「通える」ようになりました。

無理やり「いい子」でいたことが大人になっても影響

母には本心が言い出せなかった私でした。
夫の前でも「いい妻」でなければ!息子の前でも「いい母」でなければ!
そんな傾向があります。最近気づきました。

そして亡くなった舅の前では「いい長男の嫁」でなければ!認知症であろうと何であろうと、親のめんどうは私がしっかり看る!と自分に言い聞かせて必死で介護をした結果、心身共にバランスを失ってしまいました。

どんな時も「HELP!」を言わなかった私

経験を通して今、何を思うか?

生身の体と心なので、私に限らず、人は色々な心と体の状態になるのが「あたりまえ」だと思います。

辛い時、苦しい時も、自分の本音、本心が出せる人が一人でもいてくれると、大きな支えになります。
しかし、「エエかっこ抜き」の付き合いは、家族でも難しいことがあります。

「自分に無理しない」
「正直な気持ちと向き合う」
最近、この年になって、ようやくそんな気持ちが芽生え始めました。

悩んでいる人に伝えたいこと

今回の記事で、私は母や担任の先生を悪く言いたいのではありません!

幼い時の環境から、無意識に作り上げられた「固定観念」は、なかなか根深いものだとお伝えしたかったのです。

「〇〇でなければならない!」
という思考で凝り固まっていた私は、いつも心が疲れていました(泣)

げんなり…

その発想が消えれば消えるほど、楽になりました。

辛いものは辛い!
嫌なことは嫌!
この自然な感情は「悪」ではないのだということが、長い間わかりませんでした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。


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