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1983年6月4日, フランス・パリの映画館で観た FURYO 〜 Merry Christmas, Mr. Lawrence 要するに「戦メリ」

なんてタイトル付けながら, 「戦場のメリークリスマス」は好きな映画だけど, 映画そのもののことは今日それほどたくさん書かないと思う(たぶん!)。ただ, 帰国後も何度か観た「戦メリ」の封切り時期にパリにいて, 初めてあの映画を観たのはパリの映画館だったということは流石にいつまでも記憶しているので, つい!

1983年4月26日に日本を発って, 同年6月3日の朝, パリ着

前日1983年6月2日ドイツ(当時は西ドイツ!)のケルンで乗った夜行列車で, フランス・パリにやって来たのだった。日本を発つ前と, そしていざユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ, 1983年4月26日に横浜港をフェリーで発ってからその後のソ連(今はこの国ありませんね, 現在プーチンが長らく権力の座に鎮座しているロシアは当時「ソ連」でありました), フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツに入ってからのハンブルク, ボン, トリーア, (アメリカ合州国・イギリス・フランスによる)占領下の西ベルリン, そして東ドイツの東ベルリンなどでの旅人話 notes それぞれへのリンクは全部, ケルン note の冒頭の章の中に入れてある。

初めてのパリの最初の 2日間 〜 1983年6月3日・4日

パリには 6月12日まで 10日間いた(次は 6月12日パリ発の夜行列車でスイス・ジュネーヴへ)。「初めてのパリ」と言っても, パリにその後, 何度も何度も繰り返し行ったのではないけれど, 一応, 1988年3月の新婚旅行でパリを再訪したので。筆者の「うちのカミさん」(by 刑事コロンボ, 知る人ぞ知る, 今や知らない人は知らない, 昔, ジュラ紀ぐらいの太古の昔なら「刑事コロンボ」って日本人の99%は知ってた多分)の方はパリはその時が初めてだったけれど。

話を 1983年の初夏に戻す。

ってなわけで(どういうわけかというと前章にリンクを置いたようなワケで), 1983年4月26日に横浜港からのフェリー2泊3日の旅で当時のソ連に向かった筆者, その後はざくっと割愛して, でもちょっとだけ, ベルリン辺りから振り返ると, 同年5月31日に西ベルリンを見聞, 6月1日に東ベルリンを見聞した後, ベルリンを 6月1日の夜行列車で発って, 翌6月2日の朝にケルンに着き, ケルンでは大聖堂を「拝んで」かつ街をぶらついただけで泊まらず(因みにドイツ, 西ドイツはその後も戻ってまた旅してる), 同日夜に再び夜行列車に乗ってフランス・パリを目指し, 6月3日の朝6時半頃, パリに着いた。

日記

ホテル・ヘンリーIV ってすっげ高そうな名前のホテルだけど, しっかしバックパッカーとカタカナ英語で呼ばれる日本の貧乏旅行者がそんな高いホテル泊まるはずがない。40フランス・フランというのは, 当時の為替でおおよそ 1,000円程度だったものと記憶している。中東やアジアでは 1泊日本円にして 200円とかそれ以下とかも泊まったりしたけれど, ここは一応「花の都」パリ, あの宿はおそらく当時のパリで最も安い部類ではあったと思う。

ホテル・ヘンリーIV」という大それた命名とは裏腹に, 何階建てだったかとりあえず忘れたけれどまぁ 3, 4階程度の建物だっただろうか, それはかな〜り古びた, 鄙びた(大都会パリに在りながら「鄙びた」風情の)建物で, ホテルらしくない玄関を入っていきなり狭いスペースの左側に木机のフロントがあってそこにいるスタッフ二人はアルジェリアからの移民(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが), うち一人はおっさん, もう一人は普段は気がよさそうだが短気でケンカ好きで手に包帯を巻いていてピストルも持っていて, 掃除のおばさんはモロッコ人(移民だったか二世とかだったか区別は記憶にないが)の二人で(この辺りのことはほとんど頭で記憶しているけれど後日 [6月10日] の日記にも詳しく書いてある), そして泊まった部屋では一度, ネズミが出た(笑)。

これは後日, 6月9日に撮った写真。

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パリというのは, 綺麗なところとシンプルに言ってしまうと「汚ない」ところがあって, それは心まで荒れ果てているというような..

(上はスタジオ・ヴァージョン, 下のライヴ・ヴァージョンの方がずっといい ♫) 

話を戻すと(笑),

パリというのは, 綺麗なところとシンプルに言ってしまうと「汚ない」ところがあって, それは心まで荒れ果てているというような意味では全くないけれど(心が荒れてしまっている, 捨て鉢になってしまっているような心持ちの人も確かに住んでいるだろうけれど)とにかく単に「汚ない」, 優しく言うと「綺麗ではない」ところとがあって, 筆者が泊まった宿は汚なく, 部屋も汚なく, そしてそのホテルの周辺も大雑把に言ってしまえば要するに「汚ない」ところだった。

「綺麗なパリ」の方は, こんな感じ(上のホテルの部屋の写真と同じ, 1983年6月9日撮影)。

お~シャンゼリゼ ♫ https://youtu.be/oamRCeLNAWA

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アレクサンドル3世橋 ♫(なんてタイトルの歌はないかな, 笑)

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さてさて,

パリで泊まった「汚ない」安宿の話の続きが, ちょっと長かった(笑)。

旅日記の続き。

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というわけで, パリで観たのだった 〜 「戦場のメリークリスマス」

前章の最後の方で載せた当時の旅日記殴り書きのとおりで, つまり, "Merry Christmas, Mr. Lawrence", ヨーロッパの多くの国々では FURYO というタイトルだった(FURYO はもちろん「俘虜」のことで, 映画の舞台となった時代の戦前日本では「捕虜」よりも「俘虜」という言葉が使われることの方が多かったらしい), 大島渚が監督し, David Bowie, Tom Conti, 坂本龍一, 北野武(あの頃は日本では「ビートたけし」だったかな), Jack Thompson, 内田裕也三上寛ジョニー大倉室田日出男, 内藤剛志, 三上博史などが出演した, 1983年の日本・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド合作映画「戦場のメリークリスマス」(日本ではこのタイトルだけど, 後年になってからだったと思うけれどけっこう略して「戦メリ」と呼ばれたりする)を, 封切り早々のパリで観たのだった。 

(これは38年前のじゃなくて, 今ネットから取りこんだもの)

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ウィキによると, 日本では 1983年5月28日に公開されたこの映画, フランスではそれに先駆けて同年5月11日に第36回カンヌ国際映画祭において上映され, その後, 6月1日にフランス国内の一般映画館で公開されている。筆者が観たのは 6月4日だから, ということは, おお, あれはまだ封切りしてから 4日目のタイミングだったのか, いま改めて認識した。

英語版 Wikipedia は, 

確か, 大島組, それは他称だか自称もあってだか忘れたけれど, グランプリ(パルム・ドール)獲るぞ獲るぞという勢いで監督や出演者大挙してカンヌに乗り込んだんだけど(実際, メディア的にも「最有力」候補の一作と目されていたようだけど), 結果は受賞ならず, パルム・ドールを獲ったのは同じ日本映画(「戦メリ」は諸外国との合作だけど), 今村昌平監督の「楢山節考」だった(このことは当時パリにいて知った, 前章に載せた「旅日記」写真の2枚目最後に記載のとおり)。

前章に載せた日記に,

かなりの人気。

と記しているけれど, 実際, 映画館前に並ぶ列は相当に長く, 映画館の中も満員で, 映画を観る側の雰囲気も熱気に溢れていたと思う。8日後の 6月12日の旅日記にも「今日 シャンゼリゼ通りで FURYO の前の長蛇の列を見た。すごい人気だ」なんてメモが残されている。

まぁ実際, 日本映画はけっこう古くからフランスを始めとした欧米諸国でその質がなかなかの評価を得ていたし, 大島渚もフランスの映画好き, かなりの映画ファンには知られていたかもしれないし、それに何より, なんと言っても, 主演の一人がデヴィッド・ボウイ だったのだ。注目され, 映画ファン・音楽ファンの期待が集まったのも頷けるところではある。

肝心の映画の内容に関しては, 日記にはざくっとメモを残しただけで, 

英語が多く, 完全にわかったわけでないが, あまりにハラキリ etc. のイメージが強調されてたように思う。

と書いているけれど(日本人が日本語で喋るシーンも勿論かなりあるのだが, 残りは英語, その日本語・英語の両方にフランス語字幕が付いていた, まぁフランスだから当然と言えば当然!), しかし 1984年2月に帰国して以降これまで複数回あらためてこの映画「戦場のメリークリスマス」を観る機会があって, その後, パリで観た時よりもだいぶ映画の印象はよくなった。というか, パリで観た時も決して悪いというほどの印象ではなかったのだが, しかし映画全体の理解があの時は不十分だったと思う。

ただ, 残念ながらというか何というか, 日記には特に書き残されてないのだが, 映画館での上映が始まって, 戦場の密林みたいな光景が映し出され, やや遅れてだったか流れてきた 坂本龍一作曲のテーマ音楽, あれは最初から実にあのシーンに嵌っている感じがして, かつクールな, 優れた曲だなぁと感じた, それは今もはっきり記憶している。ウィキによると, 「英国アカデミー賞作曲賞」を受賞したらしい。

というわけで, "Merry Christmas, Mr. Lawrence" という, クリスマスというからにはタイトルからは一瞬12月なんていう冬の季節をイメージしかねない, この素晴らしく美しい曲を聴くといつも, あの 1983年の初夏 パリ にいた, まだ22歳と9ヶ月弱だった(細かいな, 笑)超絶若い時の自分を思い出してしまい, 何とも言えない気分になってくるのだった。この気持ちを言葉で表現するのは実際, 難しい。

というわけで, 本章の見出しの出だしも「というわけで」だったけれど(笑)それはともかく, もう少しの間, 表現し難い今の気分に浸ってみよう, というわけで(本章3回目, いや4回目, いやこれを入れると5回目, いや直前の段落の冒頭を含めて6回目の「というわけで」!) ♫

なんとなんと ♫

さてさて。

Merry Christmas, Mr. Lawrence 〜 Original Soundtrack ♫

この映画の音楽, ほんと, 素晴らしいなぁ。

00:00 Merry Christmas, Mr. Lawrence (instrumental)
04:32 Batavia
05:51 Germination
07:40 A Hearty Breakfast
09:03 Before the War
11:19 The Seed and the Sower
16:22 A Brief Encounter
18:44 Ride, Ride, Ride (Celliers' Brother's Song)
19:47 The Fight
21:17 Father Christmas
23:25 Dismissed
23:36 Assembly
25:53 Beyond Reason
27:54 Sowing the Seed
29:49 23rd Psalm
31:52 Last Regrets
33:36 Ride, Ride, Ride (Reprise)
34:42 The Seed
35:47 Forbidden Colors
40:26 Forbidden Colors (cover)
45:19 (cover)
50:07 (cover)
55:55 (cover)

付録 〜 今日のお題は 1983年初夏のフランス絡みだけど, 今ふと去年 2020年秋のフランスの出来事を思い出し, そこから「宗教」やイスラームに思考が走り, そこからあのしょうもない, 自称「イスラム思想研究者」まで思い出してしまって 〜 いやはや吐き気(おえっ)

1) 2020年秋のフランス, パリでの出来事に関して。俺は基本的に「宗教」に対して批判者なのだ, もちろんイスラームも例外ではない。

2) 当然のように, ハマースに対しても批判者。

3) しかしだね, 日本のあの 自称「イスラム思想研究者」A.K.A. 飯山陽, あれはかなりどうしようもないシロモノだね。あまりの低レベル, 駄目さ加減にも程があるというもんだ。

(1) 似た者同士(同志かね)中山ナニガシ「日本国」防衛副大臣と共に。

(2) そもそもフォローなどしておらず, 自分のツイート等で批判したことはあっても, 飯山 のツイート等発言やその署名記事に直接コメント入れた事などない人間までブロックする, 稀代のチキン, 暇人「イスラム思想研究者」(自称)

(3) 実際には存在しない, あるいは殆ど存在していないものを逆に明確に存在するかのように見せ, その上でその幻を「論難」の対象にし、そこから自らが持っていきたい結論にひたすら突き進む(したがって最初の前提が幻だと気づかない人 [いきおいそのトピックにもともと疎い人が殆どとなる] は最後まで騙される羽目になる), 稀代の「藁人形」師, 自称「イスラム思想研究者」A.K.A. 飯山陽

(4) 自称「イスラム思想研究者」A.K.A. 飯山陽 批判 第4弾 〜 キリないから正直もう面倒くさいのだが, その露骨なテク(略してローテク)があまりに醜悪なのでね。

BGM ... BGM だよ。

Lie, Cheat, Steal 〜 Run The Jewels ♫

Close Your Eyes And Count To FUCK 〜 Run The Jewels, featuring Zack De La Rocha from Rage Against the Machine ♫

さてさて。

今日の最後は, 映画「戦メリ」テーマ作曲者でもある坂本龍一の, 「音楽図鑑」 ♫

これは 1984年10月24日リリースの作品。今日取り上げた「戦メリ」の翌年。

Tibetan Dance
Etude
Paradise Lost
Self Portrait
Tabinokyokuhoku 旅の極北
M.A.Y. In The Backyard
Hanenohayashide 羽の林で
Morinohito 森の人
A Tribute To N.J.P. (N.J.P., Nam June Paik)
Replica
Ma Male Low
君について (about you) が抜けてるんじゃね??
Tibetan Dance(Version) (Version: Riddim)

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