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定時で帰れて、週休二日制の職場に転職した話

私は学生の頃、様々なバイトをしたのだが
どのバイトにも共通点があった。

それは、早番や遅番というシフト制でなく
早朝や深夜に働く必要もないというものだ。

 
私が選ぶバイトはいつも決まった時間に働く。

家庭教師や塾講師は夕方以降の勤務で日付をまたがずに帰れた。
試食販売のバイトは10時~18時の勤務だった。

平行してちょこちょこと行っていた短期のバイトにしても
同様に決まった時間に働いた。
深夜や早朝に働くことはなかった。

 
私はお金をたくさん稼ぎたいという希望はなく
自分に体力がないことやメンタルが強くないことを知っていた。

学生時代、私は家から大学まで片道二時間かけて通っていた。
だからバイトに限りがあったというのもあるが
基本的には週一から週三回程度
講義や心身やサークルに負担がいかない程度に働いていた。
公私共に充実した生活を送りたかった。

時期によってはバイトをしていない。

私は実家暮らしであったし
学生時代までは二十歳を越えても親からお小遣いをもらえていた。
無理をし過ぎることはなかった。

 
周りの友達を見ると
飲食店等接客業で働く人は
シフト制で様々な時間に働き
長期休暇の時もガッツリ稼ぎ
私以上にバイト代を稼いでいた。

友達からバイト仲間と遊んだという話を聞き
私は改めてすごいなぁと感心したものだ。

私にはバイト仲間はいなかった。

正確に言うと
バイト仲間をあえて作らなかった。

 
私は人間関係が楽な職場を選んでバイトしていた。

私は人が好きだし、友達や家族と過ごす時間は好きだったが
バイト先では学校のクラスのように
関わる人が自分で選べない不自由さがある。

関わる人間がたくさんいるほどに
関係が複雑化することはよく知っていた。

 
仕事というお金が派生し、責任が伴うバイト先では
人間関係で悩みたくなかった。

家庭教師や塾講師は、先生と生徒という関係で一定の距離があったし
試食販売のバイトは派遣であり
日替わりで様々な場所で様々な物を販売した。
派遣会社の方とのやり取りは淡白なものだったし
お店では基本的にその日限りの人間関係だったのだ。

実際、バイト時代は人間関係は本当に楽で
私はこの働き方が合っていたと思う。

 
 
学生時代が終わり、いよいよ社会人になるというところで
私は就職活動をした。

私は障害者と関わる福祉職希望だった。

自分自身でも面白いと思うが
私は中学時代から福祉職希望だったが
福祉施設で学生時代にバイトをしなかった。
バイトしたいとも思わなかった。

あくまで、福祉施設はボランティア先であり、社会人になってから働く場所でもあった。

 
学生時代、バイト先では淡白な人間関係を望んだ。
それは、そのバイト先で長く勤めることはできないし
学校やプライベートの時間を抜かした隙間の時間にやることがバイトであるという意識があったからだ。

 
だが、学校を卒業したら
会社と家が世界の中心となる。
そうなると、求めるものが変わってくる。

私はアットホームな職場で働きたかった。
バイトとは異なり、人間関係を重視したのだ。

 
福祉職はとにかく利用者やご家族と関わるし
職員同士の連携が要だ。
人間関係を軽視することはできない。

 
実際、親からは口酸っぱく「職場で大切なことは人間関係。」と言われていた。

 
「人間関係さえよければ、仕事はなんとかなる。
だけど仕事のストレスや退職理由は大抵人間関係なんだ。」

 
既に働いていた社会人の先輩であり
信頼している家族からの言葉には重みがあった。

更に、既に就職していた友達のほとんどは
パワハラや人間関係に悩み
心身疲れていた。

そういった姿を見ていて
尚更私はアットホームな職場に的を絞っていた。

 
 
福祉施設は万年人手不足であり
求人はたくさんあった。

お金を稼ぎたいなら
夜勤や宿直、シフト制がある施設だが
私は学生時代と変わらず
日勤を希望した。

月~金曜日まで日中働き
土日は休みであることが望ましかった。

 
学生時代に様々な福祉施設にボランティアや実習に行き
私はそれらの施設ほぼ全てから「ここで働きませんか?」と言われたが
私の心はぶれなかった。

私の第一志望の障害者施設は職員も利用者も朗らかで優しく
とてもアットホームだった。

たくさん施設を見てきたが
アットホームさは断トツだった。

 
私はそこで学生時代に三週間実習をし
実習の後は毎週ボランティアに行き
就職前から施設の一員となっていた。

働く前から、利用者と職員の名前を全て覚えている状態での就職だった。

 
働いてからも人間関係のあたたかさは変わらなかった。

パワハラもあったし、気が合わない人もいたし、私を嫌う人もいたし
人間関係で多少の悩みはあった。

だか、就職した施設はとても大きな場所だったし
大半の職員とは関係良好だったので
私は仕事の悩みを分かち合うことができたし
連携して仕事を取り組むことができていた。

 
利用者もみんなかわいかったし
職員として働くようになり
保護者とも関係を深めていった。

 
私は本当に仕事が大好きだった。

職場は私の居場所だったし
ありのままの自分をさらけ出せたし
同僚とプライベートで連絡をとったり
遊ぶこともあった。

 
多少残業がありつつも
日勤の仕事であったし
たまに土曜日勤務があり、6連勤であっても
基本的には土日祝日が休みであったし
その働き方は私に合っていたと思う。

 
私は仕事を辞める気がなく
施設に骨を埋める気が変わらないまま
10年以上の時が流れた。

周りからも
私はまず仕事を辞めないであろうと言われていた。

 
だが、私は12年関わりがあった施設を退職することになった。

 
 
居心地がよかったはずの職場は
有能な人が次々に辞めていった。 

理由はパワハラや人間関係が多かったが
それによりパワハラがなくなったり
人間関係が良くなることはなく
むしろ人手不足により
ギスギスした空気が流れた。

 
求人を出しても人が集まらないようになり
新人が入っても定着率が低く
また人件費削減で求人さえ出されなくなり
日々争いは耐えなくなった。 

サービス残業量は増え
休日出勤も増え
責められる回数や時間が激増した。

 
職員は心身病んでいった。

 
私が働き出して9年目の頃
私は安定剤がないと眠れないようになった。

日中、パワハラ被害にあった時は頓服として薬を服用することもあったし
朝や休日になると体が動かないことや
涙が止まらないことも増えていった。

 
それは私が仲の良い職員も同様で
私が薬を飲み出した時期に
他の職員も一人、また一人と
食欲不振や不眠症等ストレスが体に出たし
やつれだした。

 
大きな組織の、ほんの一部の人間関係やパワハラにより
人手不足やストレスはいつまでも解消されず
心身病んでいった。

だが、私が退職した理由はそれが原因ではない。

 
別事業への異動を言い渡されたからだ。

 
私はそれまで関係を築き、深めた仲間と離れた場所で
今までやったことがない仕事を
パワハラ上司の下でやるように言い渡された。

私の職場は組織としては色々あったが
私の所属事業内は非常に仲が良かった。

 
心身病んでいても疲れていても
今の事業部ならば頑張れたが
その人事異動は理不尽なやり方であり、むちゃくちゃであり
それにより更に人間関係や環境は悪化した。

 
施設の未来は明るくない。
心身は更に病むだけだ。
私は人事異動先で仕事を続けることはできない。

 
私はそれを痛感し、辞表を提出した。

 

 
 
 
そして今は、別の場所に転職している。
前職と同じ、障害者と関わる福祉施設である。

求人には週休二日(土日休み)と書いてあり
実際働き出しても月八日休めている。
土曜日勤務の時は稀にあるが
振休が派生したり、お金がキチンと支払われた。

 
残業はないに等しかった。
面接時に残業はほぼないと言われたが
確かに働き出して数ヶ月経った今でも
私も同僚も残業はほとんどない。

 
前職時代、休日は月六日が普通で
退職前は六日も休めなかった。
残業はサービス残業含め、月五十時間以上であった。

 
転職をして、給料は多少下がった。

だが、それと引き換えに完全週休二日制とほぼ残業がない日々を手に入れた。

給料が下がった分、休みを手に入れたと思うと
安いくらいだと感じた。

 
 
前職時代、私は服薬量が増え
それでも眠れない日々が続いた。
退職してからは服薬量が減り
薬さえ飲めば眠れるようになった。

そして転職した今は
薬に頼らなくても眠れる日が少しずつ増えている。

 
私が転職した施設は
大手施設で私と同じような苦労をした人達が立ち上げたり、転職してきた場所で
全員が福祉屋としてレベルが高かった。

仕事中、誰かの陰口を言ったり、雑談することはなく 
仕事を嫌がることも選ぶこともなく
みんながテキパキと働いている。

 
今にして思えば
前職時代は大手施設であったが
福祉未経験や年配の職員、パートの職員の比率が高く
仕事量やモチベーションの差が激しかった。

特定の人に仕事が集まりやすい仕組みになっており
そういった人から次々に辞めていった。

 
私は仕事が好きだったが
二事業を立ち上げ、そして責任者を任されたことや
11年働いたことにより
仕事へのプライドやこだわりや思いが強くなり
組織内で力があり、また目立つ存在になっていた。

利用者や保護者や同僚から退職を惜しまれたが
人事異動を仕組んだ方からしたら
でしゃばりすぎ、目障りだったのだろう。

私は出る杭であり
出る杭だから打たれたのだろう。

 
残業をしても
尽くしても
仕事を真面目にやっても
組織からは感謝されることはなく
心身病んでも自己責任として処理されることを
私は嫌というほど思い知った。

 
それは私だけでなく
周りの方々もそういった理由で退職したり、退職を仕向けられたし
世間を見ても
ブラック企業や仕事によるストレスで亡くなる方のニュースは絶えない。

 
「病むくらいなら
自殺するくらいなら
仕事を辞めてしまえばいい。」

 
周りはいくらでも言えるし
自身も分かってはいるだろうが
いよいよ追いつめられた当事者は「やるか辞めるか。」の二択ではなく 
「できない。死ぬか。」の一択になってしまう。

 
私は人事異動がなければ、倒れるまで前職を辞めずに働いていただろう。 

私はバイト時代からそうだったが、自分から仕事を辞めたことはない。
任期切れや倒産、就職を機会にバイトを辞めたわけで
仕事や人間関係が嫌で辞めたことは一度もなかった。
一度始めたことを辞めることが苦手なのだ。


私は仕事や利用者や仲間が好きだった。
だけど心身は疲れていた。
限界に近づいていた。
だけど仲間と踏ん張っていた。
仲間となら、まだ頑張れる気がした。

 
 
だから人事異動は
上手く逃げられない私に与えれた退職のチャンスだったのかもしれない。

 
 
転職した頃
職員みんなが嫌がらずに仕事をやり 
悪口を言わないことに驚いた。
それどころか
職員が声を荒げたり、怒ったりさえしない。とても驚いた。

前職時代、服薬を始めた頃、施設内で誰かの怒鳴り声が聞こえない日はなかった。
毎日必ずパワハラがあった。

 
退職してから冷静に考えてみれば
怒鳴り声が聞こえない日や責められない日がない職場は
もはやアットホームとは言えず
異常でしかなかったと思う。

 
前職時代
定時で上がる人や土日出勤をしない人がいれば
サービス残業で夜遅くまで残る人や土日出勤をする人がいた。

 
定時で上がろうが
土日出勤をやらなかろうが 
それで現場が困ろうが
それで敵を作ろうが
クビにはならない。

むしろ、そういった人達は実に要領がよく
出る杭にはならず、打たれない。

 
悲しいし、寂しいが
それが社会の大半であり、会社の大半でもある。

 
 
転職した私に、周りの職員…特に正職員仲間の方は仕事を優しく教えてくれたし
よく仕事を手伝ってくれた。

それは、正職員仲間の方々が前職で同じ痛みを感じたからだろう。

 
「真咲さんだけがその仕事をやることないよ。みんなで手分けすれば早いじゃん。」

「一緒に定時で上がろう。サービス残業しなくても、この仕事は明日やれば間に合うよ。」 

 
同僚の言葉が毎日のように胸に染みて
いちいち泣きそうになる。  


 
…11年間、二事業の責任者として 
人より仕事をすることが当たり前だった。
サービス残業が当たり前だった。
怒られることが当たり前だった。

 
 
だけど転職をして

私の今までの当たり前は全て覆った。

 
サービス残業なんかしなくてもいい。
土日は休んでもいい。
周りと手分けして仕事をしてもいいのだ。

それは悪いことじゃないし
罪悪感を感じることもないのだ。

 
 
 
定時で残業なく毎日帰れる。
土日が休み。
同僚が優しい。

それが当たり前ではないことを
どんなに恵まれているかを
私はよく知っている。

だけど多分
新卒の私ならば、この転職先の素晴らしさをここまで感じなかったであろう。

 
 
アットホームで人間関係豊かな職場は
良くも悪くも仕事に私情や感情が入る。

 
転職先は、同僚同士が一線を引いている。

仕事以外で連絡をとらないし、コロナ禍前から飲み会もない。
割り切った関係は少し寂しさを感じるし
アットホームではないが
前職で私は
同僚同士で必要以上に仲良くなったり、険悪になると
あまりいい結果にならないと学んだ。

 
一線を引き、仕事外で関わり過ぎない距離感の方が
職場の人間関係は安定し
仕事で連携がとれるのかもしれない。

 
 
転職先は以前の職場より自宅から近く
土日休みであることや残業がないことで
オフの時間が圧倒的に増えた。

新人として覚えることが多いし
大変なこともあるが
前職の経験を活かせることもあるし
穏やかな人間関係により
心身のバランスを著しく崩すことはない。


 
私の今の目標は「五日間仕事を頑張る。」になっていて
毎週月曜日になると「早く金曜日夜にならないかなぁ。」と思い
金曜日夜になると開放的になり
日曜日夜になると「また一週間始まるなぁ。」と思う。

今のところ、入職してから毎日休むことなく勤務している。

 
出勤前まではウダウダしていても
通勤路から仕事モードになり
職場に着けば利用者や同僚と笑い合い
毎日新しい仕事を覚えたり、新しい刺激や
人との触れ合いに心弾ませる。

一日があっという間で
一週間があっという間である。

 
 
桜が咲く前に転職し
気がつけば梅雨が明け
蝉の鳴く声が響いている。

 
「今日も定時で上がろう。」を合い言葉に
同僚と手分けして毎日真面目に仕事を行い
プライベートの時間も大切にしている。

 
心身のバランスを崩すことなく
ほどよく働き
ほどよく休み
ほどよく遊ぶ。

仕事をする上で、私はそれがとても大切だと思っている。


 




 












  




 

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