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いきづらさを考えるときに起こっている、非常に大きな矛盾。
いきづらさ。
「いきづらさ」は繊細な問題だと思う。いろんな工夫によって解消したり、今より楽にできたり、寄り添うことはできるのだけれど、ぼくは「いきづらさ」に対する社会の捉え方に違和感を感じている。
それは、問題を解決すればいいという視点で、対処方法を突き詰めても、結局は「一般的な社会が正しく」て、それにあてはまらない者を支援している、ということを暗に言っているように思うから。
そもそも、僕たち
何年たっても「じぶんのリーダーは、じぶんです」だよねという話
「毎年、3月11日になると『あのとき、何してた?』って話になるじゃないですか」
数年前の3月11日、喫茶店である女の子がそう話しだした。
「すごくたくさんの人が亡くなったし、大変な状況すぎて情報も心も追いつかないけど、わたしもショックをうけてはいたんですよ」
チラリとこちらを見て、フッと小さく息を吐いて彼女は続けた。
「当時はひとに言えなかったんですけど、わたしがあの時いちばんショックだっ
諦めの呪いを、許可でとく話
シングルマザーがクッキー屋を営んでいるという現在の状況になって、過去をふりかえると、よくここまでやってきたなと自分を褒めたい気にもなるのだけれど、こうなろうとしてなったわけではないし、こどものときに「大きくなったらシングルマザーになってクッキー屋さんをやりたい」と思ったことは、もちろんない。自分でもときどき「わたしはいったいなにをやっているんだろう」と、思うことがある。
「目標」をたてる人と、た
『カルテット』から見るドーナツの穴の話
今話題のドラマ『カルテット』のなかでこんな台詞がある。
音楽っていうのはドーナツの穴のようなものだ。
何かが欠けているやつが奏でるから、音楽になるんだよね。
(『カルテット』1話より)
このドラマの登場人物にはそれぞれに穴がある。
真紀(松たか子)は結婚3年目にして夫が失踪してしまった。すずめ(満島ひかり)は実父を許すことができない。別府(松田龍平)は世界的指揮者の孫という音楽一族のなか
もちろん自分の幸せも願うのだけども。
こないだ上野公園で、中学生男女6人のスタバデビューを目撃した。修学旅行生か課外授業の自由時間で、このあと上野駅に集合して新幹線で帰るらしい。
「ぜんぶ400円ぐらいする…」「オシャレだから中学生が入ったら嫌がられない?」なんて言い合った後、「せっかく東京来たんだし!」「食べ歩きはダメだからお店の中の席ね!」と入店していく彼らの後ろに、ハラハラ、だけど少しだけワクワクしながら並ぶ。
男女
たくさんの仕事をどう管理する?(Q&A)
質問結城先生のたくさんの活動をいつも注目しています。
多くの活動をどのように管理しているか興味があります。
私は大学院生で研究のための論文を読んだりゼミの準備をしたり
新しいニュースを追ったりしていますがいつも不十分です。
多くの活動をどのように統合して成果に結びつけているかご教示ください。
回答ご質問ありがとうございます。
たくさんの活動をどのように管理しているか、ということですが、私自
つかれて泣きたい夕方のこどもとおとな
先日、夕方に、自転車の後ろにのった子供が泣いているのを3連続でみかけた。原因がなにかはわからないけど「こうしたかったー」「思ったのとちがうー」「なんかやだー」というパッションを聞いて、わかる、わかるよと思い出した。
あーちんが保育園に通っていたとき、お迎え時のこどもたちは機嫌が悪かった。お母さんが迎えにきてくれたうれしさと、緊張のほぐれと、1日の疲れがいっぺんにでると、不機嫌さや、泣くという甘え
いちょうの記憶(14歳の誕生日に)
すでに出産予定日を3日すぎていたので、外出せずに自宅でひたすら陣痛を待っていた。あんなになにもしないでおなかだけに意識を集中してすごした時間は、後にも先にもない。
午後になって、なんとなくおなかがチクチクと疼く感じがした。しかし、おなかに集中しすぎて想像陣痛かもしれないし、痛みの間隔をはかるほど痛みのはじまりをキャッチできない。気のせいかな?という程度の痛みだった。夕方になって念のため病院に
「クリエイティブ素直」実験の中間報告
いわゆる「たくさん愛されて育ったひと特有の素直さ」を持ち合わせていないわたしは、目下「クリエイティブ素直」と称して、あとから作り上げる「素直」を手に入れるべく実験中だ。
実験の姿勢を見せたからなのか、それはまあ次々とあらゆる方向から問題がわたしの目の前にあらわれる。さあ解いてみろと練習問題を出されているようだ。こうやってQ&A人生はつづくのかよ、とやさぐれもするが、せっかくなので真面目に練習問題
タイムマシンでひねくれた正直さをとりもどした話。
そういえば、小学校に入ったくらいから毎日日記をつけていた。「きょうは、スイミングスクールに行きました。たのしかったです。」などというなんでもない日記で、誰かが読むわけでもないので、思ったとおりに「なにもなくてつまらない日だった」とか「◯◯ちゃんはなんであんなにいじわるなんだろう」などと書いていた。
小学校5年生で転校したとき、あたらしい学校で担任が国語の先生だったので、日記を書いて先生に提出して
漏らして、溢れて、カプチーノ
「ブログ、読んでます」と言われて、はて、と思った。
noteに書きはじめるときに、ブログってなに?コラムってなに?エッセイってなに?日記と雑記のちがいってなに?とわからないことだらけだったけど、ま、いっか と、とりあえず書き出した。そして、今でもわたしの書いてるのってなに?とわからないままだ。
ただ自分の中にある思いや考えを、文字という形にして外に出しているだけで、わたしの「書きたい」は「出し