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【看板建築】バブル時代に10億円の値がついた「岡昌裏地ボタン店」で、江戸っ子に話を聞く

東京の下町を歩いていると、時おり「看板建築」に出会う。

「看板建築」とは何か? というと、その定義はちょっと曖昧だ。というのも、この言葉の生みの親である建築家・藤森昭信氏は、著書『看板建築』で、「(看板建築とは)この本にいっぱい登場してくる建物をさしている」と書いていて、本を読まないことにはイメージがわかないからだ。

そこで、自分なりの解釈で説明すると、「パッと見は洋風の建物に見えなくもないが、裏側はふつうの民家になっている古い商店」ということになる。商店部分にタイルが貼られていたり、モルタル造りになっていたりするのも特徴だろう。

今回は、そんな看板建築の一つ、東京・神田にある『岡昌(おかしょう)裏地ボタン店』を訪ねた。秋葉原駅の近くに柳森神社という猫のいる神社があるのだが、そこに猫を見に行くたび気になっていた店だ。味わい深い建物も気になるが、扱っている商品が気になって仕方がない。店主の岡武夫さん(72歳)に、話を聞いた。

「生まれてからほとんど山手線の外に出ていない」

——素朴な疑問なんですが、「裏地ボタン店」って何を扱っているんですか?

裏地ボタンだよ」

——ですよね。でも、裏地とボタンで商売が成り立つものなんですか? 正直これまでの人生で、裏地のことなんて考えたことがないんですけど。

「君はスーツを着なさそうだからなぁ……。こう言っちゃなんだけど、量販店で売っているスーツと、テーラー(仕立て屋)で仕立てるスーツの値段の違いは、裏地によるところが大きいんだ」

——ほほう。

「うちはテーラー相手の商売で、ここに買いにくるテーラーは、おもに医者弁護士財界人政治家のスーツを仕立てているんだよ」

——どうりで縁がないわけだ。裏地とボタンなんて、目の付けどころがすごいなあ。

「昔は、就職したら初任給で一張羅(いっちょうら)を仕立てるのがステータスだったからね。このあたり(秋葉原の神田川沿い)にも、ラシャ屋さんがいっぱいあって……」

——ごめんなさい。「ラシャ」って何ですか?

「なんだ、そんなことも知らないのか。ラシャ(羅紗)ってのはスーツなんかの表地だよ。じいさんの代は古着屋をやってたんだけど、戦後、周りにラシャ屋さんが増えたんで、親父が裏地屋を始めたんだ。ここで商売するのは、俺で3代目ってことになる」

——完全に江戸っ子ですね。

「そうだよ。この家で生まれてから1年365日、ほぼ山手線の環から外に出ずに暮らしてるんだ」

——「ほぼ」というのは?

日本ダービーのときだけは、府中(競馬場)まで行くから」

——笑った。

終戦直後に「壁板が盗まれた」

——この建物は、いつ頃のものですか?

「1928年(昭和3年)だね」

——岡さん自身よりも古いのか……。

「そう。『看板建築』ってのは、関東大震災(1923年)で東京が崩壊したあとに、東北あたりから出稼ぎにきた大工さんが建てたものが多いんだ。これは木造3階建てで総ヒノキだから、煙草は吸わない

——愛していますね。この建物を。

「3、40年前に、建物ごと持ち上げる工事をやって土台を綺麗にしたけど、建物は建てられたときのまま。表を見てみな。銅板がはがれてるところがあるだろ? 終戦直後に盗まれたんだ。いい値段で売れたんだろうね」

——『はだしのゲン』で、そういうエピソードがあったな……。

「この土地にもいい値段が付いて、バブルの全盛期は『10億円で売ってくれ』って話もあった。だけど、親父は売らなかった

——頑固で江戸っ子っぽい。

「親父が10億で売ってたら、俺もモテただろうなって思うことはあるけどね」

——バブルっていうと「地上げ屋」のイメージがあるんですが、そういう怖い人たちは来なかったんですか?

「いかにもヤクザってのは来なかったけど、ガラが悪くて怪しい連中はいたよ。当時は、銀行員からして目つきが違ったね。いつも目が血走ってて。何もかもおかしかった。テーラーにも『30万円の服を作れ』、『俺は50万円』って注文がばんばん入った。つまり客が先に値段を付けて、それに合う裏地やボタンを探しにきたんだ」

——すごい時代だなぁ。

「それからバブルが崩壊して、土地は1億円になったよ。2020年の東京オリンピックが決まって、また少し値上がりしてるようだけどね」

——でも、岡さんも売らないですよね?

「銀行からは『値上がりは2018年までです!』って言われてるけど、まあ、なんとか食べていけるからね」

——この店で「よく売れるもの」ってなんですか?

「やっぱり裏地とボタンで、裏地は1mあたり1500円くらいのものが多いかな。ボタンは1つ100円から600円くらいのものまであるよ」

——逆に「全然売れないもの」は?

「うーん……何かな。あ、裁ちばさみがあったな。いいハサミだから、1度買うと何年でも使えちゃうんだよ。だから売れない

——童話みたいで面白い。

「あとはスーツにアイロンをかけるときに使う台で、1万円ちょっとするんだけど、これはほんと売れない。どうすんだよ、これ……」

——こっちは需要が限られそうだ。

「この業界も、もう先が見えていると思っているんだ。お客さんも年を取ってきたしね。すぐそこに崖があって、その向こうに落とし穴、奈落の底があるのがわかっているという状態。だからせめて、続けられるだけ続けてみようと思っているよ」

——まともなスーツを持っていない俺が言うのもなんですけど、切ない話だなぁ。

※この記事は、(株)たちこぎライダー「聞いたろ。」の記事を再構成したものです。

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