何年たっても「じぶんのリーダーは、じぶんです」だよねという話
「毎年、3月11日になると『あのとき、何してた?』って話になるじゃないですか」
数年前の3月11日、喫茶店である女の子がそう話しだした。
「すごくたくさんの人が亡くなったし、大変な状況すぎて情報も心も追いつかないけど、わたしもショックをうけてはいたんですよ」
チラリとこちらを見て、フッと小さく息を吐いて彼女は続けた。
「当時はひとに言えなかったんですけど、わたしがあの時いちばんショックだったのって、震災が起こった日に誰からも『大丈夫?』っていう連絡がなかったことなんですよね」
「東京にいたんですけど、電車が止まって帰宅難民になっちゃって家族のもとに歩いて帰るとか、電話が通じなくて心配だとか、そういう非常事態に誰に連絡するかっていうのって、明らかじゃないですか。いちばん大切な人から順番に連絡するじゃないですか」
「誰からも連絡がなくて、『あー、わたしって誰のいちばんでもないんだなー』って思って、それがいちばんショックだったんですよ。くだらなすぎて言えないですよね。ものすごいつらい思いしている人がたくさんいるのに」
わたしは震災のあった2011年の3月はまだ会社員で、歳下の社員のみんなから溢れる、不安や不満や決められない優先順位を受け止める日々だった。
「実家と連絡が取れなくて心配なので、今から帰っていいですか?」
「どうして家族がいる人は心配して帰ってよくて、結婚してない恋人だと帰っちゃダメなんですか?」
「今、お菓子を売ることより、現地に行ってボランティアに参加したいんですけど、いいですか?」
「家族が心配して家から出るなと言うので、明日から休んでいいですか?」
それぞれの優先順位が爆発した。それは普段から抱えていた不安や不満で、いつも「仕事」をイヤなものだとしてガマンしてやっていた人は「こんなことしてる場合じゃない」と気がついて、大事じゃないからと投げ出したくなっていた。そして残念ながら、社員の8割以上がそうだった。わたしはその数ヶ月後に退社が決まっていたので冷静に聞けたけれど、それでもだいぶ驚いたし混乱した。
当時中学生だった子が、「地震があったとき体育館にいて、揺れたときに天井から雨みたいにバトミントンのシャトルが降ってきたんだよね」と言っていた。ひっかかっていたものが、揺さぶられて全部落ちてきたのだ。
そういうふうに、大きな衝撃がないと気がつかなかったもともとあったものが、外に出るには十分な出来事だった。
わたしは彼女に「それは震災に対する気持ちがないとかじゃなくて、まったく別の話で、震災が引き金になって、自分の不満とか不安とか、本当はこうしたいとかが、表面にでてきただけだと思うよ。出来事の大きさと比べたり、他の誰かの苦しみや悲しみと比べたりする必要はないよ」と言った。
「こんなに大変なのに自分のことしか考えられない」と責めなくていい。
自分のこともわからずに「誰かのため」には動けない。自分のつらさと他人のつらさは別のもので、比べるものではない。「自分の気持ち」を「震災」という大きな枠にはめて小さく見ないで、自分で大事にしてあげるしかない。
そう話しながら、わたしもあの時「会社の判断でないことは言ってはいけない」と、自分の考えを後輩に向けて言えなかったことや(実際にはガマンできず言ったら社長に怒られた)、自分ではなにも選べないことがものすごく苦しかったことを忘れずに、それと同時に、その続きを生きられていることの感謝も忘れずにいたいと思った。
それぞれの「忘れない」でいいのだと思う。
「じぶんのリーダーは、じぶんです」だ。(2011.3.24 糸井重里さん「今日のダーリン」より)
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