クソみたいな過去が宝物に変わった
前回の記事では、私がセラビィセラピストの資格を取得したこと、セラビィセラピストの「セラビィ」とはフランス語で、関西弁の「しゃーないやん」という前向きなニュアンスが含まれていることなどを書きました!
で、今回は、私が自分の過去を「しゃーないやん」って思えるようになった経緯を書いてみたいと思います。
単刀直入に、今の言葉で簡単に言い表すと、私の祖母は毒祖母でした。
毒になる祖母。(怖い怖い)
どんな毒かと言うと、「支配」「罪悪感」「禁止」「不安」「恐怖」といったところですかね。
子供の頃から、祖母の機嫌を損ねることのないよう顔色を伺いながらの生活。
祖母がダメと言えば絶対ダメ。
その当時、流行っていた服を母に買ってもらいウキウキで家に帰ったら、祖母に「そんな服はダメ。返してきなさい」と言われ返却。
「高層ビルに行って地震が来たらどうするんや!?」とか、雷が鳴ったら「あんたがゴンタ(悪い子)やからや」と、不安や恐怖を煽ってくる。
そしてある時、祖母が何回も「出ていけ」って言うから、両親も耐えかねて本気で家探しをすると、「あんたらは薄情やな!」と。
「はよ、お迎えきて欲しいわ」と泣き出す。
お迎えというのは、死んだおじいちゃんのお迎えのことで、要するに死にたいってこと。
「あんたらのせいで私はこんな思いしてる」と言わんばかりに罪悪感を植え付けてくる。
私がまだ小学生の頃は、どこか息苦しさを感じながらも「家ってこんなもんか」と思っていた気がします。
それがやはり思春期になる中学生あたりから「ウチの家は変」だと気づくようになるんです。
「そんなんおかしいやんか!!」という思いが増していき、そこからは喧嘩の日々。
でも、ねじ伏せられる。
くそーーーー!!くそーーーー!!くそーーーー!!
そんな思いがついに爆発した高校時代。
私はそんな思いを「反抗する」ことで表現した。
高校にはろくに通わず、留年。
単位制の高校へ編入。
そこからあとも紆余曲折あって、若くして結婚。
ついに心の病気になり離婚、シングルマザーとなる。
めっちゃハードですやん。。。私の人生。。。
今、書いてて改めて思いました(笑)
でも大丈夫!
その後、再婚して今は海外で暮らしていますよ!(え!何があったん!?劇的人生ビフォーアフターやん!)
山あり谷あり(谷の時期が長いわ!)
そんな私は今からもう17年くらい前になるかなぁ。
心理学に出会ったこと、そして後に私の師匠となるカウンセラーさんに出会ったことが人生の転機となりました。
長い時間をかけて心について学んだこと。
自分に合うカウンセラーさんに出会え、カウンセリングをしてもらったこと。
ここから私の中で何かが少しづづ変化していったように思います。
誰も知り合いのいない海外に移住した時。
その時も、元気になっていた心がまた病んでしまい、そのカウンセラーさんにはお世話になりました。
そして少しづつ心が回復し、心理学を再勉強し始め、今度は私が誰かを支えながら伴走する!という思いに至り、自己成長プラットフォーム「ココオル」を見つけ、仲間に入れてもらうことが出来ました!
そんな中で、いつのまにかこんな言葉が出るようになっていました。
「クソみたいな過去が宝物に変わった」
私の場合、ここで言う宝物とは「人生経験・スキル」です。
この人生経験・スキルこそがココオルでの活動に活きています。
辛い経験をしていなければ、相談に来る人の気持ちに寄り添えなかったかもしれない。
いっぱい涙を流したから、悔しい思いも、怒りも、絶望感も味わったから、人の痛み、苦しみに寄り添えるのかもしれない。
「過去は変えられない」
たしかにそう。
でも、過去の出来事の解釈・意味付けは変えられる。
ある時、祖母の事を「可哀想」だと思った。
それまでは「おばあちゃんさえいなければ!」「私がこうなったのは全部おばあちゃんのせい!」と思ってきたのに。
可哀想・・・。
そんな言葉が私の口から出てくるとは!
今では、祖母も不安が強い人だったんだと理解しています。
そう感じた時、「おばあちゃんも可哀想な人だったのかも」と思えたんです。
そう思えるまでには長い時間がかかりましたけどね。
それから、「自分の人生いろいろあったけど、しゃーないやん!」って思えるように。
この家に産まれて、このおばあちゃんが私のおばあちゃん。
今でも思い出したら腹が立つけど、それが現実。
私にはこういう過去がある。
そこを認めた上で、これからどう生きるか。
それを決めるのは自分。
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