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創作小説

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創作と書いておけば、何を書いても良いのではないかと思いまして
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#彼女

海からもっとも遠い場所 / 創作

海からもっとも遠い場所 / 創作

「あっ」目を覚ますと同時に、玄関に置かれた満ち満ちのゴミ袋が目に留まる。時刻は8時半を回っていた。夏を終え9月も暮れに入り、傾いた陽が9時前後にかけてこの部屋に侵入するような季節模様になっていて、ハンガーラックに掛けたTシャツの左肩を陽の光が濡らすのを見れば大体の時間の検討がつく。起き抜けに玄関に目が向くことは、一種の条件反射に近いものだった。
しかし収集車もとっくの昔に消えてしまったようなタイミ

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やさしくない / 創作

やさしくない / 創作

「優しいばっかりが愛じゃないと思うんだよね、俺は」

そう友人に忠告された時点でもう遅く、彼女と別れてから早くも2年の月日が経っていた。ラストオーダーの時間も過ぎたグラスの中身も、氷がそのほとんどを埋め尽くす。中に注がれるのは烏龍茶のままで、至って素面にも関わらず、裏腹に顔が紅潮しているのが分かる。人が少しづつ散り散りに消えていき、その度に友人の声が繊細に耳を擽った。隣の宅に聳えていたジョッキの塊

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高層ビルから降りておいでよ / 創作

高層ビルから降りておいでよ / 創作

不特定多数の人間を前にして、暗夜の中で彼女が呟く「誰か私を抱きしめて」 という叫びの宛先が自分自身に向けたものであるなら、と思いつつ、温くなった湯船に顔を浸ける。狭いアパートの狭いバスタブの中で耳を澄ませると、近隣の部屋の生活音が振るえて伝わるのが聴こえて、この頃は湯船に浸かる度、しばらくはこうしているようになった。昔から水泳が苦手だ。というのも、顔を水に沈めるということが極端に苦手だったことに起

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フォーマルハウトの向こう側 / 創作

フォーマルハウトの向こう側 / 創作

マスクをつける習慣が無ければ、もう少しまともな生活が送れていただろうか。そう考えれば少しは気が楽になるような気がしたから、ずっとそうしていた。冷静に考えれば、不織布一枚が私の人生に大きく作用するわけがない。表情が見えないという事実、多面に於いて察しの悪い私からすれば、それは想像を絶する辛苦に値する。だからこそ、目下の状況をそう簡単に受け入れることなどできなかった。いつしか慣れるという思いとは裏腹に

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ロマンス / 創作

ロマンス / 創作

悲しい夢を見て起きる貴女がいつか、悲しい夢を見なくなるまで私は他の人より少しだけ、傍に居なければならないね、と感じている。公園の冷えたブランコの上で「いつか離れてしまうかも」と呟いて涙を流す貴女の顔がとても寂しそうに揺れているのを見て私は、そっと頭を撫でることしかできなかった私は、「彼女が出来たらもう会えなくなってしまうね」という冷たい言葉に負けてしまって、回りくどい台詞で告白をした。

" ひと

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