高層ビルから降りておいでよ / 創作
不特定多数の人間を前にして、暗夜の中で彼女が呟く「誰か私を抱きしめて」 という叫びの宛先が自分自身に向けたものであるなら、と思いつつ、温くなった湯船に顔を浸ける。狭いアパートの狭いバスタブの中で耳を澄ませると、近隣の部屋の生活音が振るえて伝わるのが聴こえて、この頃は湯船に浸かる度、しばらくはこうしているようになった。昔から水泳が苦手だ。というのも、顔を水に沈めるということが極端に苦手だったことに起因する。
湯船にすっぽりと頭をはめ込みながら、湯の中で他人が発する生活音を聞く生活を始めたら、やがて息苦しさよりも音の方に意識が向くようになった。中学生まで3秒間すら水の中に住まえなかった、そんな記憶も嘘のように、今では一種の娯楽になっている。どんな潜り方を指導されようとも解決できなかった古くからの悩みも、行動様式に対する意識ではなく単なる聴覚に対する意識で払拭された。外が果てしなく寒いのを判断すると、プールに入ろうなんて毛頭思わない。
しかし風呂に浸かっている時に限って 「水泳をする人間は皆、水の中で鳴る音を聴いているのかもしれない」 という仮説が頭を過ぎり、同時多発的にプールに行きたくなるのだった。当然、脱衣をするよりもずっと前に、最寄りの市民プールは閉まっている。昨夏から爆発的に殖えたフィットネスジムは大型施設になるとプールも完備しており、尚且つ終日営業であるということは風の噂で聞いたが、打ち解けたとしてもプールだけに月額費数千円を払うのも何だか馬鹿らしいような気もするから辞めた。
ソープラックに置いてある置き時計が23時を告げた頃、左隣の部屋の住人が弾き語りを開始する。大雑把なコードしか聞こえないが、恐らく今流行りのJPOPを弾き語り調子で歌っているらしい。原曲のことを思うと、彼の声色はほど遠いもので、お世辞にも上手だとは言い難かった。このままいつも通りに彼が弾き続ければ終了予定は1時間先のことになる。ひと月ほど前から、正確に言えば26日前から隣人は夜な夜なアコースティックライブを敢行するようになった。
この習慣が開始された当初、その隣人とごみ出しのタイミングが偶然一緒になったことがあり、互いに可燃ゴミを抱えながら話をしたことがある。選曲やジャンル、歌声から想像するよりも数倍恰幅のいい中年男性で、勝手に膨らませていた想像が大きく裏切られたようでこの時、酷く落胆した。自身の失恋に対する苛立ちをぶつけるかの如く、こちらは終始捲し立てるような状況になった。当たり前のように話が続く訳もなかった上に、翌々日から壁の向こうから聞こえる曲がどれもバラード調になってしまった。アコースティックギターにも何やら施しをしたのだろうか、ほぼアカペラのような状態で歌を聞かされる夜が続く。正直な話、JPOPよりもキツかった。
数日後、資源ゴミを出しながら仕事に向かうらしい隣人の背中を見届けつつ、間を空けて自宅のゴミを出しに出掛けた。カラス避けのネットを捲りあげてみると袋の中に満ち満ちと缶ビールの空き缶が詰め込まれており、銀色一色に染まっている。アルミ缶なんて大した重さがあるものでもないが、彼が移動する音がいつもより大きく聞こえたのはそういう事だったのかと、少しばかり申し訳なさを感じた。
そのままの足でスーパーへ向かうなり、先程目にしたものと同じ銘柄のビールを6缶パックで購入した。有料化になってから一度も買ったことの無かったレジ袋でそれを包み、財布から出したメモ紙を外包装に貼り付けた。「応援しています。ありのままの貴方で居てください」 と書かれた紙と共に囁かな土産物をドアノブにかけて家に戻ると、その日の夜からまた、隣人はJPOPを声高らかに歌い始めた。それに倣って、自分自身も毎晩、意識的に聴き続けている。昨今は女性アーティストの曲を歌うことに徹しているようで、これまでとはまた違う、聴き馴染みのない声が静かな部屋に響き渡る。
風呂のお湯に顔を浸して、口から息を吐くとゴポゴポと音が鳴る。あぶくが潰れる音の隙間で歌声が響いているくらいが心地好いことに気が付いた。時折、近隣の音を遮るようにして数分の間隔を空けて総武線の車両が表を走る音が聞こえる。かつて2階に住んでいた頃でもそれなりによく聞こえた列車の音も当然、1階の方が大きく響く。埼玉のはずれに住んでいた当時より、列車も光も時の流れでさえも早く進んでいく。この部屋に居て、色々なことがあったな、と考えている間は、結構冷静で居られた。
「このアパートの1階に住みたいです」という言葉に、大家は目を丸くした。築30年ほど経っていて、表の戸板を初めとした何もかもが薄いボロアパートはとりわけ壁が薄い。辛うじて四方を包んでいるからここが中と呼べるだけで、ひと場所を破壊すれば外壁もろとも崩れてしまいそうな建物だ。たとえ階数を変えたとしても、状況も何も変わる訳ではなかった。
転居していく人間はいくらも見たが、入居してきた者はここ数年くらい全く見ていない。このご時世、同じ家賃を払っても快適に住める物件なんていくらでもある。では何故ここに住み続けるのかと言われれば、賃貸物件には珍しく、内装を弄ることを許されているからだった。定期的に大家が部屋に顔を出しに来ていたが、壁に穴を開けても、勝手に壁紙を貼り替えても、特に何も言わなかった。唯一注意を受けたのは扉を閉める強さくらいで、本当に自由な場所として存在している。
長くじとっとした沈黙の中で、大家が飼育しているコザクラインコだけが視界の隅で動いていた。「沈黙は嫌だよ〜」 と言って笑う彼女の顔を思い出す。そういう人だから、別れ話の時を除いて、一度として真剣な話が真剣に出来たことなんてなかった。もっと順序立てて転宅に至る理由を話そうと努力はするものの、口から漏れ出てくるのは一方的に女性に捨てられた男の、未練がましい台詞ばかりだった。家賃も変わらないし、間取りもまるで変わらない。賃貸物件の嫌なところだとは思うが、この場所を離れるだけの覚悟はまだ出来ていない。30分ほど自分勝手に喋り続ける間、大家は何も言わなかったけれど、話がひと通り終わった直後に首を縦に振ってもらった。
「さっさと運んじゃおうか」 と大家が呟く間、空っぽになった部屋をじいっと見続けていた。家具らしい家具を全て運び出せたとしても、張り替えたフローリングやウッド調の壁紙、そしてこの部屋の匂いも何も運び出せる訳がない。下駄箱の扉に付いたキズは、彼女と中古テレビを買ってきた日に、角をぶつけて付けてしまった傷だ。木製扉の抉れた部分から張り合わせ2枚目の板が飛び出して、不自然にならないようにエポキシパテを捏ねて穴埋めをした。出来栄えにかなり自信があったものの、こうして日に当たるとよく目立つ。二人で出掛ける時は決まって夜のことだったから、気が付かなかったのだろうと思う。
思いに耽ける間、防護柵に傾いた本棚に寄りかかって、大家が煙草を吸い始めた。今度は入れ替わりで、大家の吸い終わりを待ちながら靴紐を結び直す。1DKで4万円。住み続けてから早くも6年くらいは経っていたが、意識していないうちに払ってきた家賃に手が届きそうなほど、内装に手をかけていた。ウッド調の壁紙で全体を包み、フローリングは従来のものよりトーンダウンしたような落ち着いたものに張り替えた。便座の冷たい様式便器も、当時最新型だった温水便座に変更した。あれもこれも、全て彼女と選んだものだった。契約書にサインをしたかと思えば、家財道具を揃えるより前に全てを探しに出かけた。最寄りのコンビニすら知らないようなふたりの、囁かなる探検。互いに実家からはそれほど遠くないけれど、親と会うために、気軽に帰れるような間柄でも無かった。それも互いに。高校の頃からバイト漬けの日々を送りながらコツコツ貯めてきた貯金だって、そうこうしていれば、あっという間に底をついた。今時分、持ち家より賃貸を借りている方が圧倒的に良い時代であると聞くし、何より自分自身が思い慕う人と思い描いていたような生活を創り出せるなら、お金なんてまずはどうでもいい。本気でそう思っていた。
値引きされた惣菜、プライベートブランドのビール。互いの誕生日になると、安いスポンジを買ってきてケーキを作った。クリスマスになればイルミネーションの名所へと出かけて、チェーン店の料理を食べるだけして帰る生活。テレビで特集されているコース料理を見ながら、その量の少なさに悪態をつくだとか、深夜ドラマに映る、" 高層ホテルにて、バラ100本のプロポーズ " を見ながら、わかんないね〜と笑っていた。寝食には決して困らないし、温もりも十分の生活を送っているにしても、これが自分たちの最低限度の生活だった。
小学校時代、同級生の清ちゃんと呼ばれた少年がいる。彼の家は彼が生まれながらにしての貧乏一家で、給食費だってまともに払っていなかったようだけれど、たまの給食に薄切りの食パンとチョコレートペーストが出てくるだけで喜んでいた。当時、彼の気持ちを分かろうともしなかったけれど、最低限度の生活の中にある喜びってこういうものだろうかと、その時ばかりは彼のことを考えた。
たった数段の階段の行き来でも、新たな地に来たような気分になる。コンセントの位置が多少違ったり、エアコンの取り付け位置もキッチンの位置も左右対称なことを除いても、上の部屋とまるで間取りは変わらない。貴重な週末休みを、ひたすら荷解きに捧げた。台所に電化製品を散りばめながら、電子レンジの位置はもう少し手前の方がいいか、と考えている最中すらも頭の中は別れた彼女のことでいっぱいだった。安い電気ポットの蓋は新品で購入した時からグラグラしている。ようやく今になって 「もう少し良い生活がしたいの」 という彼女の最後の台詞の意味がよく分かるような気がする。扉が開いた瞬間、屋外の蝉の声がいつもより大きく聞こえたけれど、その蝉だってもう居ない。
ポットなんて湯を沸かすだけの用途にしかならないし、これより高いものを買ったところで同じはずだ、と心で思っていても、安さばかりに気を取られて統一性のない家電を揃えることは、彼女の性に合わない事だったに違いない。包みをひとつ解く度に、あることないことを考えていたらすっかり夜になっていた。「お前みたいな若造を見ていると放っておけないんだ」 そう言いながら残り数本入った箱をあてがわれてから、既に3時間は経っている。モスグリーンとホワイトのツートンカラーで構成された箱が、屈んだ拍子にぴょこっと胸ポケットから飛び出した。
たった今彼女は新しい男と、六本木ヒルズの高層階にある会員制のレストランで食事をしている。そこに写る大きな皿に少しばかりの料理は、期待を裏切らない、想像通りのものだった。曇りのない空を見る限り、今夜は夜景も綺麗に見えていることだろう。あの日、すんなり家を出ていった割には、SNSの垣根から出ていくことを選ばず、依然彼女と繋がりを持ったままだった。またそのうちどうにかなるかもしれない、と思っていた。そう考えるうちにも、アーカイブに京都、名古屋、大阪、北海道の地名が綴られていくのを自分は淡々と見ている。いつか行こうと思っていた沖縄のガイドブックは、ここに降りてくるより前に、他のゴミとともに捨てた。その時に、ありとあらゆる雑心も捨てたつもりではいたけれど、そんなことはないらしい。「高層ホテルから見る夜景なんていかにもありがちじゃない」と言っていた彼女が、ホテルの窓にふたつ、影を宿しながら夜景の写真を上げている。この後に出てくるのは100本のバラかもしれない。
これまで集めてきた本は100冊くらいある。彼女に返していない本も、返されていない本も、もう何冊もある。彼女の近況をリアルタイムで確認しつつ、積み上げた本の上でフライパンから皿へは移さずにパスタを啜った。洗い物を減らす為の、彼女の知恵である。ある程度元の部屋と同様に物を片付けたクセに、本を片付けるだけの体力は残っていなかった。飾り気もない白い壁にもたれてからひと言だけ 「そうじゃないでしょ」 と呟いてみる。" 憧れていたなら、そう言ってくれれば良かったのに " とか思う。しかし何れにせよ今の生活のままではどうにもならなかっただろうし、六本木ヒルズであの子に飯を食わせて、高層ホテルに連れ込んで薔薇の花を100本渡すには、今から寝ずに働いたとしても暫く時間が必要だ。
1階から見る景色は2階から見るよりも数段酷いものだった。ギターのチューニング音が薄く聴こえる。23時の冬の夜はありえないほどに静かで、上で歌う元隣人すらももっと遠くにいるように感じる。彼女が最後に上げた翡翠色のカクテルを見ながら、特に意味もなく海に行きたくなった。この寒い時期にとても潜れる気はしないけれど、この時期の海水はどれほど冷たいのだろうか。
ここに浸かって温もるには十分なくらいの熱を持ったバフタブの中に腕を突き出して、一思いに栓を抜くことに勿体なさを感じると、君のために買った白桃が冷蔵庫の中でドロドロに溶けていた日のことを思い出す。
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