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奈良から加茂へ大仏鉄道の遺構を辿る

朝から奈良公園を散歩し
友人とカフェ巡りした4/13
解散は昼過ぎやったので
そのまま帰宅でもよかったが…

歩き足りなさを感じてしまい
以前から気になってた
大仏鉄道遺構を辿ってみることに🙌

午前中の奈良公園散策と
カフェ巡りはこちらの記事で☕


大仏鉄道の遺構を辿る

大仏鉄道とは、当時の鉄道会社、関西かんせい鉄道の加茂と奈良を結ぶ、わずか9.9kmの路線の愛称。1898年開業し1907年廃止となるわずか9年という営業期間の短さから幻の大仏鉄道と呼ばれる。路線の跡には、隧道や橋台などの遺構が所々に残され、1世紀前の姿を今に伝える。

現地の看板より

現地の説明を読み歩いてみて
知ることは多くあったけど
気になったのは建設と廃止の経緯…

完全に余談なので興味ない方は
サクッと飛ばしてください💨
以下Wikipediaにあった内容を
地図を交え書いてみます

1890年|大阪鉄道(緑線)が湊町~奈良間を開業
 現在のJR関西本線にあたる路線
1896年|奈良鉄道(青線)が京都~奈良間を開業
 現在のJR奈良線にあたる路線
1897年|関西鉄道(赤線)が伊賀上野~加茂間を開業
 浪花鉄道(現在のJR片町線の一部)を併合

1898年4月|関西鉄道が加茂~大仏間を開業
 ※ここが大仏鉄道となる一部
 同年11月|関西鉄道が加茂~新木津間を開業
 名阪間の直通列車を走らせるようになる

1898年の路線配置

関西鉄道は奈良駅を目指したが
既に大阪鉄道、奈良鉄道が乗入れ
運行上錯綜した状態だったことと
所認可手続きなど諸々の事情により
暫定的に設置されたのが大仏駅でした

1900年の路線配置

1899年5月|関西鉄道が奈良駅に延伸
1900年|関西鉄道が大阪鉄道を合併
1905年|関西鉄道が奈良鉄道を合併

1905年の路線配置

これまで別会社の路線だったが
合併し自社路線が並行する状態に…

木津経由の旧奈良鉄道線よりも
大仏鉄道の方が距離は短かったが
急勾配があり運転障害もあったため
1907年、加茂~大仏~奈良が廃止に…

1907年の路線配置

加茂から木津への線を新設
新木津への接続を廃止させて
現在の路線配置が完成🙌

多くの鉄道会社が陣取り合戦のように
路線を伸ばし合併を繰り返す
十数年の変遷が激しすぎてびっくり😆
そんな時代の流れにもまれて
開通後わずか9年で役目を終えた
大仏鉄道の遺構を巡ってみました🍃

大仏鉄道記念公園

大仏鉄道の起点は奈良駅ですが
午前中の散策終わりだった
近鉄奈良駅から歩き始める🙌

おそらく線路跡の道

遺構を巡ると書いてみたが
廃止されたのが100年以上前なので
分かりやすい痕跡はほぼ無く
遺構巡り案内図に従って歩きました

大宮通から北向きの道に入り
しばらく歩くと大きな桜の木🌸
今では公園となってるここが
大仏駅跡でもある大仏鉄道記念公園

奈良駅方面を振り返る

すぐ近くに流れる佐保川の川底には
レンガ製橋脚の基底部が残るそう

大仏鉄道記念公園

公園は平成4年に市と自治体の協力で
大仏駅を記念して作られたそうです

中心部を抜け山手方面へ…
緩やかな登りが続く💦
天気が良く汗ばんだけど
当時のSLも辛かったやろな🛤️

4/13はまだ🌸咲いてた

緩やかな坂を登りきると
切通しにかかる高い橋をくぐる

現在は一切面影はないが
ここには大仏鉄道唯一の
黒髪山トンネルがあったそう

現地の案内より

トンネルは昭和41年頃まで
現存していたが道路拡張に伴い
撤去され現在の形になったそう
(立派なトンネル見たかったな🙄)

大仏駅跡から約2.5km歩いたが
遺構はなく案内板を辿るだけに😑
市街地化してるので仕方ないか…

鹿川隧道、松谷川隧道

ひとつ前の写真も線路跡ですが
道路になってるので面影なし…
けど線路跡の下に目を向けると
当時のままの遺構が見れる✨

左右に抜ける土手が線路跡
鹿川隧道しかがわずいどう

奈良市内で唯一、当時の姿を今に伝える遺構。農業用水路のために造られた細いトンネルで、現在も水路として使われてます。

現地の案内

水路なので中には入れないが
細いので跨いで見上げると
美しい石組みが残ってる🤩

線路跡の道路に戻り進むと
京都府木津川市に入る🙌
予定外の府県跨ぎ旅に😆

タツタタワー木津川市

道路脇に聳える歪な塔
正式名は木津南配水池といい
特産品の筍をイメージしたとか…

線路を模したような歩道

黒髪山トンネルにも設置されてた
関西鉄道社章の模型横の階段から
再び土手下に向かう🍃

松谷川隧道

迫石は花崗岩で造られ、石の長辺と短辺を交互に組み合わせた算木積み、レンガの積み方はイギリス積みです。赤レンガと高温で焼いた黒っぽいレンガとを交互に配置されているのが特徴です。

現地の案内

100年以上前に造られた壁
普通の生活道路の下にこんなに
美しい壁があるとはな…

井関川橋梁跡

痕跡は全く残ってないですが
左へ登る道が加茂方面への線路跡で
高低差を和らげるため築堤設けられ
この付近に橋が架かっていたらしい

現地の案内より
橋跡から山に入る

赤橋、梶ヶ谷隧道

ここまで見てきた遺構は
通ることができなかったが
次の2つは通り抜けができる🙌

分かりやすい案内標識
この道が線路跡

この線路跡の道は拡張計画があり
遺構が取り壊しの危機にあったが
有志により保存されたそうです

壊すのは簡単やけど造るのは大変…
保存してくれたことに感謝です🙏

赤橋

幅2.4mで狭めな道ですが
通行可能な遺構の一つ

100年以上経過しても
ビクともしない丁寧な造り

梶ヶ谷隧道

笠石や帯石といった装飾がなく他の遺構に比べシンプルな隧道。坑門正面はイギリス積み、アーチは長手積み、下部は花崗岩の切り石積みです。

現地の案内
通り抜けができる

隧道を抜けるとそこは…🍃
アーチで切り取られた景色は
なんとなく特別な感じがする

遺構めぐりは距離や高低差も
ちょうどよく案内も多いので
人気の散策コースなようです
(YAMAP投稿は多かった🍃)

橋台の遺構

遺構めぐりの終盤では
橋台と呼ばれる橋を支えた
基礎部分の遺構が続く

鹿背山かせやま橋台

花崗岩の石積みの橋台。その堅固な構えや、水路の湿気で艶やかに光る姿に魅了される人も多く、遺構の中でも人気の高いスポット。

線路跡の築堤上は木々に覆われ
登ることが出来ないけど
遺跡感漂う雰囲気も良い💪

竹林の横を通る

おそらく線路跡ではないが
遺構めぐりコースではあるので
沿って歩いてると思われる道

急に表れた森の中の祠
よく分らんけどひとまず🙏

木漏れ日の竹林
観音寺小橋台

遺構の無い山道歩いてると
いつもの歩き旅みたいになるが
不意に遺構が現れるのは面白い😙

左の壁っぽいのが
線路跡の築堤と思われる

観音寺橋台

現在も利用される関西本線の橋台(奥)と並ぶ。どちらもほぼ同時期に造られたが、100年以上経過した今も現役の関西本線と、わずか9年で廃止された大仏鉄道とのコントラストが、郷愁を誘うスポット。

現地の案内

大仏鉄道はここから加茂駅まで
約2km関西本線(木津への線路)と
並走してたため遺構は線路沿いですが
線路沿いに道がないため大回りする

普通の農道
関西本線の電車が通る

この電車が走るのは加茂から
木津、奈良を通り大阪市内まで…

1890年開通の大阪鉄道の線路や
1896年開通の奈良鉄道の線路も走る🚃
その傍らに佇む100年前の遺構🤩
走り去る電車眺めてロマンを感じた

ランプ小屋

ランプ小屋とは…、電気照明が普及する以前、鉄道の灯火は主に石油ランプが使用されており、その照明や燃料となる油を保管する小屋です。
1897年、関西鉄道加茂駅の開業当時から残る建物です。赤レンガ造り、切妻屋根で大仏鉄道の遺構で唯一、オランダ積みとなっている。

現地の案内

ランプ小屋は加茂駅近くにあり
ここで遺構巡りは終了🙌

思えば昼前のカフェから食事せず
歩き続けで腹ペコ状態でした💦
ただ駅近くに店が見つからず…
電車もすぐ出るようなので
余韻に浸る暇もなく帰阪😂

今回の記事で巡った場所

緑線が辿って歩いた道のり
黄点線が大仏鉄道の線路跡
遺構は目立たない場所にあるが
標識や案内板が整備されてるので
探しながら歩くのも楽しかった🙌

多少のアップダウンはあるけど
基本は市街地の中を歩くので
山登りではなく散歩に近いかな♪
ただ距離はそこそこありました(^_^;)

近鉄奈良駅からJR加茂駅まで…
●時間:約3時間●距離:12.2km
●高低差:約30m、累積:約150m

両市の案内を添付しておくので
興味ある方は歩いてみてください🌱

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1985年に廃止された国鉄倉吉線跡も
歩いてみたかった道の一つでした🙌
今回とは違い線路も当時のまま残るが
木々の成長で時の流れを感じる道のり🍃

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