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偶然性に帰責したくなるような寂しいお別れ
大学生になってから、ほんの一度だけ話したことのある人の数の多さに驚く。
友達の紹介や授業でのディスカッション、なんとなく参加してみたよくわからない会合。
こういう場で出会った、多分もう会わない人たち。話すと結構盛り上がったりして、仲良くなれそうだと思った人も多かったかもしれない。だけど特に仲の深まることはなかった人たち。
人との出会いって、ちょっとした選択や思い付き、幸運や不運の産物だと思う。
有り得た世界に唇を噛まないこと
お気に入りのフレーズを二つ。
“The proof of the pudding is in the eating.”
(プディングの味は食べてみないと分からない。)
“Life was like a box of chocolates. You never know what you're gonna eat.”
(人生はチョコレート箱のようなもの。開けてみないと分からない。)
このフレー
どこかの誰かの人生に思いを馳せてしまう
人の痕跡に、心を奪われることがある。
古本に書かれたメモ書き、「今〇〇人がチェックしています」と表示された予約画面、電車の座席に置いて行かれた忘れ物
姿かたちは見えないけれど、確実に存在している/していたという生々しさ。その生々しさを無視できず、つい想像を膨らませてしまう。
-きっとこの本の前の持ち主は、知的な女性に違いない。大事な描写には線を引いている。丁寧な字で、書き込みまで。
-今は夜中
note、はじめました
冷やし中華はじめました、みたいな。
自分の感じたことを文章にしたことって殆どないかも知れない。
SNSは嘘か虚構だし、卒業文集もお茶を濁したし、頑張ってつけた旅行日記だって事実の陳列になっていた。
思えば、何かにつけて自分を開示できない弱さがある。
生活感をさらすのを嫌って、飄々さに憧れてきた。頑張ってる姿は見せられなくて、万能で多才な自分を夢想する。人前でも、感情を吐露するより、「一定の機嫌