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ニンジンを食べない余裕と、食べる気合い

中高の同級生に、絶対にニンジンを食べない友人がいた。

食べない理由は2つ。「食べたくないから」と「ニンジンからしか取れない栄養素はないから」らしい。確か高校2年の頃だったが、それを聞いた時、賢いな~と、思わず笑ってしまった。

確かに、食べたくないのなら、十分食べない理由になる。簡明な理由だ。
さらに、ニンジンは栄養たっぷりだという意見にも反駁する。ニンジンからしか取れない栄養素なんてないのだから、別の野菜で補えばいいだけだ、と。
なるほど栄養が目的なら、手段はニンジンでなくてもいいはずだ。

ニンジンを食べないための単なる言い訳にしては、筋が通っているなと感心してしまう。おそらくこれは、目的と手段を倒錯させてはならない、という極めて普遍的な話なんだろう。

例えば、ストレスの溜まる仕事ならしなくてもいい。お金を稼ぐ手段はひとつじゃない。
あるいは、価値観の合わない人とは無理に付き合わなくてもいい。視野を広げる方法は他にもある。
何事においても、達成したい目的を見誤らない、というのはすごく賢い生き方だな、と思う。

ただ、(勝手に野菜から話を広げておいてナンだが、)この考えって、手段が幾つもある人間の特権だな、とも最近思えてきた。

目的を達成する手段が、幾つもないとき、あるいは幾つも選択できないようなとき、少し辛くてもこのまま頑張ってみる、というのは大事なことなんだとも最近では思う。

逃げるのは別に悪いことじゃない。むしろ賢い選択にもなりうる。ただ、その場でがむしゃらに頑張るしかない時、がむしゃらに頑張るという気合いも現実的には必要なんだろうな、ということ。

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もう一年近く前に、東京の国立新美術館に行った。たまたま時間つぶしに寄っただけで、美術に関しては全く造詣が深くない。ただ、それでもある作品に目を奪われ、思わず立ち止まってしまった。
大きなキャンバス、カラフルな色彩、ぐねぐねとしたタッチ。

作品説明を見ると、ABEYUKAという方の作品だった。作品名は、『萬事、着留後歩』。どんな時も、逃げ道を残すこと、という台湾の諺ということだった。

なるほど。

そういえば、僕は当時、そのニンジン嫌いの同級生にこの作品を紹介していたのを思い出した。LINEの履歴を見返したところ、「なんかあんま好きな言葉じゃないな、逃げ道作れるうちはまだ余裕ある強者の理論な気がしてる」と一蹴されていた。なかなか手厳しい。
だけど、これ僕がほんの最近感じてたことだった。まさかの一年の周回遅れにされていたらしい。

賢くて気合いもある、到底及びそうにない同級生と、つい見惚れてしまった絵画の話。

この作品でした。(本人のInstagramより)

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