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邪道作家6巻 貧者の牙を食い千切れ    栞機能付き縦書きファイルは固定記事参照 こちらのみあとがき付き

テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)


簡易あらすじ

弱者とは何か? ただの「呼び名」だ。

何でも、昨今では「呟く」とかいう謎の行為によって、権力も金も女も(それも、一人だけではない筈なのに)持つ側の輩が死ぬらしい。

精神的苦痛がどうのと、非人間には分からん話だ。

もしかすると、何かしら呪的効能でもあるのだろうか? だとすれば、是非それを取材してはみたい。可能なら出身地・性別・名前・経歴の全てと何を思って下らん「呟き」とやらを出したのか見たいくらいだ••••••反抗的な呟き手には、それなりに少々、かなり、大分、衝撃的な「痛い目」に合わせると言っておく。

そのような面白い連中を取材しようと思うのは悪いことだろうか? いいや、多少悪かったところでやるべきだ。なのでやった。それが今回の物語だ。

さて、言ってしまえばそれだけだが、そうでもない。というのも、あくまでこれは「非人間」としての私の目線の物語だ。なので、人間の悪性を余すとこなく、全てを悪意で書いている。

非人間から見た人間の「弱さ」の品質──────興味があるなら読むがいい。

無論有料だ、金は貰う!!

払わん読者は、回れ右だ!!!





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 「弱さ」とは何だろうか。
 愚かさとはとは違う・・・・・・ただ考えることを放棄したり、耐えることが賢いと思い込んだり、あるいは自分のことを自分で考えなかったり、それは愚かしさであって、弱さではない。
 誰にでもある内側だ。
 「それ」を恥じることはそれこそ「愚か」だ。誰にでも弱さはある。もし、弱さが無いならば、それこそを恥じるべきだろう。
 弱さのない人間など、マネキンと同じだ。
 弱さがなければつまらない。
 弱い、ということは負けることと同義ではない・・・・・・仮初めの強さ、肩書きで強く振る舞う馬鹿はどこにでもいるが、そうではないのだ。
 弱さを知り、克服しようとするからこそ、人間は輝きを放つのだ。最初から強い奴が勝つのは当たり前のことであって、自転車に乗れたと大の大人がはしゃぐような見苦しさがある。
 強ければ勝つのは当然だ。
 弱くても勝つからこそ、面白い。
 現実にはなかなか上手く行かないがな。それに私には弱さから生まれる強さも無いかもしれないので、弱くても勝つ方法など知らない。
 だが、弱い人間の不遇は理解できる。
 強さ弱さなど、結局のところたまたま身についているものでしかない。磨き上げた「強さ」を、天性の才能だとかそういう「便利なモノ」を使わない強さの証明。己の人生を賭けて磨き上げた、魂の結晶を武器にしたもの。人に強さを誇りたいならば、まずは人生を賭けて「何か」を成せ。
 それしか道は無い。
 少なくとも弱い人間には・・・・・・弱ければ、時間と手間と労力を費やすしか、道は無い。私自身、馬鹿みたいに長い年月を掛けて作家になった。
 なったところで、金になるかは別問題だが。
 つまり夢を叶えるのは簡単だ。夢を売るのが難しい。だから弱者は環境の整っている強者に敗北しやすいのだ。認められないし、認めさせることが異様に難しい。
 それが原因で不遇を嘆く。
 当然だ。生きていれば上を見る。無論私のように平地でも金があれば満足な人間はいるだろうがしかし、金が無くても良いわけではない。
 誰だって己の道を歩いていたいモノだ。自分の満足する結果を得て、満足する結果を作り、順風満帆に生きたい。
 才能、だとか幸運だとか、そういう「下らなくてどうでも良いもの」によって、遮られるのでは不平不満が募って当然だろう。だが、この考えは半分正解で、半分間違っている。
 環境が怪物を育てることもある。
 無論、そうでなくても、平和な環境下で傑作を作り上げる人間も、無論いる。ただ、抑圧された環境下では、何故かアイデアが出やすいらしい。 私は何時でもアイデアに困らないが。
 私の場合今までの生き方と先を見据えて思想を固めるからだろうが・・・・・・絶望する環境が、悪魔のような地獄が、悪辣な思考回路が、傑作を生むことがあるのだろうか? だとしても、当人からすれば迷惑極まりないだろうが。
 生き方は選べないと言うことか。
 だとしたら、本当に迷惑な噺だ。
 心の底からその人間のことを「どうでもいい」と思っておきながら、「道徳」とか「正義」とか「普通」とかを説いて、物事を要求する奴が居たら、そいつは「強者」だ・・・・・・自信の身勝手な都合を押し付けられる存在こそが邪悪だ。
 だから強者とは「邪悪」のことなのだ・・・・・・そもそもが、強いからといって何かを押し付けて良い理由はどこにもない。「社会」における強者であれば、この世界は何人死んでも、どんな汚い手を使おうと、どれだけ理不尽でも、許される。
 それが邪悪でなくて、何なのだ?
 道義的正しさとは、とどのつまりそういうことなのだ。道義を押し付けられる側の都合でしかない。ただの言い訳だ。
 人を踏み台にしている事への。
 踏み台にして、尚、彼らは「良い人間」でありたいのだろう。きっと「人を殺して」でさえも。 良い人間だと、認められたい。
 気持ち悪い、生理的嫌悪感をむき出しにせざるを得ない醜悪さだ。強い人間とは、所詮そういうものだ。
 なら、弱者とは何なのか?
 これはそういう「物語」だ。
 弱さを武器にすること、一概に「悪」だと断言は出来まい。それを武器に誰彼構わず踏み台にし利用するなら紛れもない「悪」だが、弱さを克服し、あるいは受け止めて前に進むことが出来るのならば、どうだろう。
 無論、弱さというのは個性のようなもので、完全に克服し「己の内から消し去る」などと言うことはできっこない。だが、受け止めることは、できなくもない。
 なんて、ただの綺麗事だが。
 弱さを武器に戦うことは簡単だ。だが弱者が勝てるように、この世界の社会構造は出来てはいない。戦えば応戦され、悪意を以て挑めば悪意を以て返される。
 それが世の中だ。
 弱者が勝つ方法は、一片たりとも無い。
 最初から勝てないことが義務づけられている・・・・・・極々一部の「勝者」の為、花壇に入れられる肥料のように。
 ならば勝てない弱者が挑むことに「意味」は無く、「価値」は伴わないのか? この物語はその答えを探す物語だ。
 さあ始めよう。とはいえ勝てない側は勝てないで終わるかもしれない・・・・・・何を学ぶことになるかは重要だが、勝つことだけが全てではないが、願わくば「希望」を持てる結末があるように、この場を借りて祈るとしよう。
 

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 誰だって加害者だ。
 問題は被害者ぶって「正しさ」を押し売りする輩が多いと言うことだ。そういう連中は決まって社会的には「正しい」から厄介だ。
 正しいと言うよりも、ただ都合を押し売りできるだけなのだが、それを「自分は成功者だ」とか「自分の考えが間違っているとは思わない」だとか「ついてこれない奴こそが悪」だとか、要は自分以外の「正しさ」を一切許容しないのだ。そのくせ相手には許容しろと強要するのだから、かなりタチが悪い。
 「自惚れ」ほど厄介なモノは無い・・・・・・その自惚れが社会的地位に基づいている場合は、特に。 社会の構造的に、自惚れた成功者の尻拭いは、成功できていない人間たちが補うことになる。その上、成功者は失敗しても、その責任を負うことは絶対にない。
 下に押し付けられる。誰か自分よりも弱い人間に「おっかぶせれば」いい。誰だってそうだ。少なくとも、社会という歯車にいる場合は。
 ともすれば社会構造は実質的な「奴隷」を作り上げることに特化している。社会構造全体が進めば進むほど、成長すればするほど「奴隷」の数は非常に多い。
 そして社会的強者の言い分が「正しく」なるのだから、私から言わせればただ我が儘なだけだ。奴隷を増やして喜んでいる奴というのは、自分が奴隷商人だと言う自覚は無いし、むしろ「彼らの望むモノを用意している」だとか「それが社会では当然」だと思い込む。
 思い込まれても迷惑だが。
 正しさなどというモノが実質、存在すらしないことと同じく、「権威」や「権力」といった「偉さの基準」など、無理矢理それを暴力や金で押し付けているだけだ。子供が小さい奴を虐めておもちゃを巻き上げているのと、何も変わらない。
 金を払っても「奴隷になれ」などそうそう言えることではないのに、金すら払わない奴が多いというのだから、人間社会における「社会的正しさの基準」というのは、「殺人許可証」であり、その上「奴隷所有証明書」でもあるのだ。これは事実であり、目を背けられても困る。
 背ける奴は多いが。
 奴隷に金と権力をちらつかせて「自分たちは望んでこの環境にいます」と言わせることで、何というかそう「良い事」をしていると思うのだ。信じられない神経だが、奴隷を保有することは、彼らにとってステータスであり、誇りなのだ。
 薄っぺらい誇りだが。
 皆が言っているから合わせた誇りなど、子供が多数決で決めていることと変わるまい。ま、どうでもいいがな・・・・・・。
 とはいえ、弱いことはマイナスだけではないのだ、と言う人間は多い。少なくとも弱くなければ、創意工夫を凝らそうとはしない。そういう試行錯誤こそが勝つ為に必要だと、そう言うのだ。 実際は試行錯誤したところで、圧倒的な才能や権力の前では無力だが・・・・・・弱ければ何をしたところで「無駄」でしかないが、人間という奴は、いや読者共は「弱くても創意工夫で勝つ」物語を好んで読むのだ。きっと、自分にも出来そうな気がするからだろう。
 実際には無理だが。
 少なくとも私は出来た試しがない・・・・・・創意工夫を凝らしたところで「負けるべくして」負けてしまう。どれだけ計画を立てようとも、その通りに事が運ばないのでは意味がない。想定外に対応しようにも、そもそも想定外の事態に対応できるだけの力があればこんな苦労はしていない。
 乱暴に纏めてしまえば、やはり「強い」方がどう足掻いたって勝つものだ。少なくとも社会という奴は「勝つべくして勝つ側が勝つ」ように出来上がっている。負ける側が、奪われる側が、搾取される側が居なければ、社会は成り立たない。
 一部の人間が美味しい思いをする、社会は。
 社会という存在が、そもそも一部の人間の為にあるものだ。その中で全員が幸福になることはありえない。最初からそう作られているからだ。
 ならば「弱い」存在は奪われて搾取されていいように食い物にされるしかないのか? そうかもしれない。少なくともサボりがちな「神様」とやらが助けてくれるなんてことは無いだろう。
 ならばどうするか。
 強さではなく強かさを手に入れるのだ。それも想像を絶する強かさでなくてはならない。強いだけの人間では考えもしないだろう事を考えると、やはり弱い人間というのはハンデを負いながら生きているのだろう。そう思える。
 実際問題生きているだけ無駄だ。
 いったい何の意味があるというのか・・・・・・勝つ側に搾取されるための人生など、ない方が遙かにいいだろう。実際にはそういう人間の方が多く、無駄だが、自分を騙して「頑張れば良いことが」とか騙し騙し生きるしかないのだが。
 そんなものは無い。
 良いことは、持つ側のモノだ。
 金を持つ人間にしか「良いこと」は無い。
 生まれついての問題だ。持つ側か? 持たざる側か? それだけで人間は幸せになれるか決まってしまうのだ。これは事実だ。
 金があれば男も女も言いなりなのも事実だし、金で殺人の罪は消せる。何人地獄へ送ろうが、地獄の沙汰は金次第。金で買えないモノは、真実どこにもないのだ。
 持たざる人間の言い訳でしかない。愛や友情などまさにそうだ。結局金で全てが解決するこの世界に、言い返せなかっただけだ。
 それが事実だから。
 金が全て。
 大切なモノは金だけだ。
 大切なモノが無いのではなく、金が唯一世界で大切なモノなのだ。他に大切なモノがあるなど、ただの逃避だ。押しつけがましい。
 作家も同じだ。本物か偽物かはどうでもいい。問題は「金になるか」だ。だが、金になる物語というのは、中身がなくて何の役にも立たず、犬が書いた方がマシみたいな内容だが、しかし具体的にどうすればそこまでレベルの低い、カスみたいな作品を書き上げ、薄っぺらい感動を起こせるのか・・・・・・私は内容が無くても売れればいいので、その方が気楽なのだが。意識的にカスを書く、捨てたことを忘れたゴミみたいな、中身のない物語で儲けた方が嬉しいのだが、しかし、意識して、そういう物語を書くのは難しい。
 どうすればそこまで底の浅い物語を書けるものなのか・・・・・・底が浅すぎて真似が難しい。
 まぁ、底が浅いだけでは駄目だろう。問題はそんなゴミを一流の傑作だと「騙しきる」ことなのだから。騙して儲ければ勝利なのだ。
 少なくとも、中身が無くても読者は買う。
 これは事実だ。
 「流行」とかいう頭の悪い病気にかかっている人間は、簡単に金を払う。頭が無かろうが金を払えば客は客だ。私としては、ただ人を騙して道ばたに落ちた犬の糞以下の物語を売り払っても、何の罪悪感もないのだが・・・・・・神様って奴がいるとすれば、何故私にその役割をくれないのか。
 あちらの方がいいではないか。
 言っても仕方がないが・・・・・・しかし、何時だって考える。中身が無くても、人間性が薄っぺらくとも、ただの幸運の産物だとしても、「金」になればそれが勝利だ。
 綺麗事は空しいだけだ。
 現実にはカスが勝利する。金の力、権力の力、権威の力、幸運の力、暴力の力で、勝利する。人間性がゴミ以下でも、その方が美味しい思いを出来るなら、私はそちら側を目指していきたい。
 嘘くさい道徳はこりごりだ。
 何の役にも立ちはしない。
 金があれば何でも買えるのだから。
 男も女も金で買える。そも労働は人を奴隷として買うものだ。人の心は金で買われている。結婚するのも金のためだ。友情を育むのも、そこに金が絡むからだ。あるいは、金に余裕があり、趣味として楽しんでいるだけだ。
 人間関係など、金次第でどうとでも転ぶ。
 金で動かないモノは何一つ無い。
 希望も絶望も金で買える。
 国の指導者の地位も、道徳を決める権利も、幸福になれる人生も、皆、口に出して言う勇気もないだけで、金で買えることは誰にとっても明白なことでしかない。
 無論、金を持つことの出来る「持つ側」はあらかじめ決められている。だから「持たざる側」は頑張って奴隷になるしかない。誰の奴隷になるかは自由だが、比較的マシな奴隷になるしかない。 金のない人間はただの奴隷だ。
 金がある人間は奴隷の支配者だ。
 殺しても、奪っても、犯しても、誰もそれを認めないだけで、事実そうだ。持つ側は何をやっても許される。金があるからだ。
 金があれば殺人も「不幸な事故」だ。警察機構ほど金で動かし易い存在はあるまい。そもそも組織である以上、金が絡む。金が絡む以上、金で動かせない道理は無い。
 無駄、ということだ。
 持たざる側に産まれた時点で、何をどう足掻こうが無駄だ。それは事実。確固たる事実だ。
 生きることに意味はない。強いて言えばたまたま持つ側に産まれるかどうかのギャンブルだ。ギャンブルに勝てば、一生美味しい思いが出来る。負ければ、一生奴隷になる。
 人生とは、ただそれだけのことだ。
 サイコロを振っているだけ
 後は消化試合でしかないのだ。
 それでも諦めきれずにあらゆる手段を用いて、あらゆる方向から敗北し続けて来た私が言うんだ間違いない。
 全く、何の結果も残さない、無駄な作業だった・・・・・・実利が伴わないならただの浪費だ。
 努力だとか、そういう「崇高みたいなモノ」の噺はするつもりもない。大体が本当にその道を志しているのなら、「気がついたら作品を執筆していた」くらいの感覚に陥るものだ。非常に迷惑な呪いだが、作家である以上外せないのか?
 書きたくもないのだが。
 いつのまにか何万文字と書き連ねているのだから、少なくとも私の場合は執念だとか信念だとかそれこそ誇りがあるからだとか、そんな綺麗事で納められてたまるか。ただの呪いだ。非常に性質が悪いし、はっきり言って金にもならないのに迷惑至極、面倒なことこの上ない。
 ああ、書きたくない。
 大体が何故、背負った業だろうが何であろうが私は、そんな呪いに付き合わねばならないのか? 私は適当に読者を騙して、カスみたいな作品を売りつけるだけでも良いというのに・・・・・・迷惑な噺だ。読者のことなどどうでもいい。どれだけ内容がカス以下でも、売れればそれでいいのに。
 実利があれば真実など価値もない。
 言っても仕方ないが、だからといって不満が消えるわけでもない。実に嫌な気分だ。
 何かを押し付けられるというのは。
 作家としての業など、誰か代わりが居なかったものか。
「いませんよ」
 そんな奇特な性格をしているのは、地球上でただ一人、貴方だけです。そんな失礼な台詞を、依頼人の女は掃き掃除をしながら言うのだった。
 私は境内にいた。
 無論地球の、である。いちいちここに来るのは非常に面倒だが、しかし「寿命」がかかっているのだ、仕方がない。テクノロジーで「寿命」そのものは幾らでも延ばせるのだが、「運命による結末」を延ばすには、流石に神の力でも借りるしかない。まぁ、この女が神かどうかは知らないが。 どうでもいいが。
 神であろうと悪魔であろうと、この「私」の利益にならなければ、同じ事だ。何かを成し遂げたからと言って、それが金になるわけでもない・・・・・・私は長い長い回り道を経て、作家として物語を書けるようになったが、意味はなかった。
 嬉しくもない。
 神も仏もいるかは知らないが、いたところで、少なくとも作家の労力は見る気があまり、ないらしい。迷惑な噺だ。何事につけそうだが、因果が応報しないならば、誰がやる気を出すというのか・・・・・・少なくとも魂を賭けた物語の数々は、私に富を運んでくれた試しが無い。
 まごうことなき「本物」である自信はある。
 だが、金が付随しなければ、空しいだけだ。
 自己満足とは金があって初めて成り立つのだ。「本当にそう思うのですか? 幸福とは欲から手に入るものではないでしょう」
「だが、欲がなければ空しいだけだ。私は、立派さなんてものは欲しくもない。立派さに酔って己自身を犠牲にするよりは、その方がいいだけだ」 思うのだが、私は「幸福」を追い求めて旅をしてきたが、やはり私には「幸福」など最初から手に入りっこない「運命」なのではないか? そうとしか思えない。だとすれば「何をどう足掻いても」無駄ということなのか・・・・・・。
 だとしたら、本当に無駄な頑張りだった。
 私の人生に、始めから意味などなかったのか。どれだけ手を尽くしたところで「無駄」ならそういうことになるのだろう。
 事実だ
 それが事実なら、下らない結末もあったものだ・・・・・・幸福になれるかは「運不運」だというのだから。人間の意志など、ない方がいい。あったところで苦しみ、見せ物として偉そうな連中に、勝手に楽しまれるだけだ。
 大抵の人間は、現実、事実として生きることは辛いことしかないし、苦しいことしかないと悟ると、酒や煙草に逃げることで現実から完全に逃避し、苦しさを麻痺させながらこなして、死ぬ間際辺りに後悔しながら死ぬ。
 何も成し得ないまま。
 なんて楽そうな人生なんだ。羨ましい。
 成し得るかどうかなど楽かどうか、金になるかどうかに比べればどうでもいいしな・・・・・・生きるということをまじめに考えず、他人の道徳に従って、悪いことがあれば解決しようともせずに酒や煙草で忘れ、無かったことにする。
 思考を放棄するから苦しみもない。
 そんな人間の人生など、考えることの無い人間の人生など、あっという間だ。
 何一つ成長しないかもしれないが、しかし実際成長したから何なのだ? あの世で誉められるのだとして、それが何だ。
 作家をしていて思うのは、無意識下で「そこ」へアクセスできれば、誰にでも物語は書けると言うことだ。同人作品とかあるだろう? 本家との違いは深さでしかない。誰にでも、生涯を賭ければ出来ることでしかない。
 特別ではない。
 それに憧れるなどどうかしている・・・・・・何事も眺めるのが楽しいのであって、実際に物語なんて書くものでは無い。執筆が如何に面倒か、読者は知らないのか?
 無論、私はそれを生き甲斐にしているが。私の場合最近は無意識に近い。気がついたら終わっている。無論、嬉しくもないが。
 金にならなければ。
 金になれば喜んでやってもいい。
 完全に自動書記というわけでもない。ただ単純に「書くべき事」が私の今まで歩いた道のりから決まっているだけだ。ただのそれだけ。才能だとかそういう便利なものでもない。大体が才能があろうが無かろうが、金にならなければ一人で遊んでいるのと変わるまい。
 所謂「本当に大切なこと」とやらは、少なくとも私の人生には「存在しない」のだ。そんなありきたりな幸福が存在しない、というのにそれを求めることこそが「幸せ」などと・・・・・・迷惑だ。
 少なくとも、この「私」にとっては。
 何事に付け「持っている人間」なら何とでも言える噺だ。「余裕」があれば綺麗事を言える。だからこそ、本来は余裕の無い人間が「それ」を口にして、前を向いて生きる姿が「希望」に成るべきなのだろうが・・・・・・最近の人類には、期待すべくも無い噺だ。
 まったくな。
 まぁ私は説得力が欲しいとは思ったことはないし、説得力がない人間でも、豊かなら構わない。 他者の感じる説得力など、どうでもいい噺だ。「貴方は、変われると思わないのですか?」
「変わる・・・・・・」
「ええ。どのような人間でも、時が経つにつれ成長し、変わるものです。変わることから逃げているのではないですか?」
「変わる、か。少なくとも私からすれば、あるのか無いのかはっきりしない変化を望むなど、有りもしない空想を見ることと変わらない。「変われるかもしれない」と思うのは勝手だが、変われないかもしれないし、別に、何か変われるという保証をくれるわけでもあるまい?」
「ええ。ですが、良い方向へ変わろうとすること・・・・・・それもまた「生きる」ということですよ」「思うのは自由だ。しかし今のところ、そのとっかかりもないのでな。まぁ、他でもないこの私の歩く道に、そんな「希望」みたいな便利なモノ、それが偶々手に入るなどと、楽観的になれないだけだ」
「そうですか」
 掃き掃除をしながら、女は答えた。
 女の意見というのは、どうも根拠のない希望に満ちている気がしてならない。脳の形の違いなのだろうが、根拠もないのに希望を押し売りされても、困る。
 根拠が全くないと動かないのでは、見たくても希望を見れないのだろうが・・・・・・この「私」には今のところ、根拠どころかそんな可能性は元から無いのではないかと、感じているところだ。
 むしろ、だからこそなのか?
 こんな希望のない時だからこそ、信じる。
 馬鹿馬鹿しい。私はそういう試みは既に試し終えている。何をどうしようが、失敗するときは失敗するし、負けるときは負ける。
 個人の策など、なんの力も持たない。
 これはただの実体験だ。
 ただの「事実」でしかない。
 成すべきを成せば後は天命を信じるのみと良く言うが、しかし並の作家5年分位の作品量を、ここ最近書き上げたばかりだ。まぁ、並の作家と比べるべくもない出来映えであるのも確か。
 私からすれば当然だが。
 だとすれば私にはやるべき事、成すべき事などとうに済んでいる。作家なのだから書くべきなのだろうが、しかし書いても書いても金にならないのでは、噺になるまい。
 作家に出来ることは書くことだけだ。
 それ以外をそもそも期待するなという噺だ。これ以上何をすればいいんだ? 宣伝か? それを個人で出来ていれば、苦労しないと思うが。
 ここで言いたいのは、このように「それ」に人生を賭けて生き、「それ」を成し遂げたところで世の中は所詮「運不運」だと言うことだ。全く以てやる気の失せる現実だ。
 この世界は、この様で「信念には力がある」などとほざくのだろうか・・・・・・どうでもいいがな。 この世界に「絶対的な尺度」が存在し得ないように、生きることに対して「納得」などという言葉は幻想でしかない。「自己満足」なのだ。全ては・・・・・・その自己満足を金の力で「肯定できるか否か」いや、「無理矢理肯定させる」と言うべきか・・・・・・それが「正義」と呼ばれるモノだ。
 世界は事実に沿って出来ている。
 だからこれらは全て「事実」だ。変えようのない事実。それを「道徳」で計るのか、「客観的事実」で計るのか、ただそれだけの違い。道徳で計れば「崇高そうな」雰囲気がでるだけだ。
 ただのそれだけ。
 意味はない。
 そこに人間の美しさなど、有り得ない。
 人間、少し物足りないくらいの方が「満足」出来ると言われているが、生憎私にはそれすら無い・・・・・・だから金だ。何を置いても、金。
 幸運とは金を手にすることだ。
 幸福は金ではないかもしれないが、幸運は金そのものだ。まずはそちらを手に入れなければな。 金、金、金だ。
 私は金の力で「幸福」に生きてみせるぞ。
 私の人生にはそんな便利なモノは無かったが、大抵の人間は「自分の思う理想の英雄」や「その英雄が唱える夢」などに、すがることで夢を見ることが出来る。
 他人の夢だ。
 他人の信念だ。
 他人の意志だ。
 しかしそれにすがることの出来る卑怯さを持つのも人間だ。私からすれば楽そうで羨ましいが、しかし彼らはそれで「幸福」になれるらしい。
 すがる対象が倒れたとたん「こんなはずは」だとか言って現実逃避する辺り、底が知れている気もするが・・・・・・そういう人間、弱いことを省みず堕落した人間が多いのは、事実だ。
 弱いと言うより、狡いと言うべきか。
 狡くて、強か。そのくせ自分を立派だと「思いこんで」いる。そういう人間は多い。
 楽そうで羨ましい。
 誰かに思考を預けるのは、さぞ楽なのだろう。 後を絶たず、そういう人間は出てくるものだ。 いずれにせよ人の都合で動く「労働」も似たようなものかもしれないが・・・・・・だが、「作家」としての金の供給が安定しない限り、労働、去れかの都合で動くこともやらざるを得まい。そして人の都合で動くことに対して「満足感」だとか「やりがい」だとか「充実」など望むべくも無い。
 人の都合で動く時点でそこに「納得」など有り得ない。そういう意味では私は「作家」として金を荒稼ぎしない限りは「幸福」には決してなれないのだろう。精々「マシな奴隷」として少しでもマシな奴隷労働者として動くだけだ。
 いい加減解放されたいモノだ。
 人の都合で動くことは。
 皆、己の都合以外は考えていない。労働などその最たるモノだ。自分の都合で動くことを正しいと思えと、強制されるだけだ。
 押しつけがましい宗教みたいなものだ。
 幸福も同じだ・・・・・・家庭だとか愛情だとか友情だとか言われたところで、私にはそんなゴミを幸福だとは全く思えないし、できない。
 無理なモノは無理だ。
 私はそういうモノで幸福になることは、未来永劫有り得ない。そう出来上がっている。
 最初からそうだった。
 所謂「普遍的な幸せ」は、私にとって相容れないモノでしかない。だからこそ、幸福が充実感だというならば、仕事を「生き甲斐」にすることで幸福になれるのならば、やはり作品を書き続けるしかないのだろう。
 私は作家だからな。
 書くことでしか、幸せになれないのかもしれない・・・・・・元来、作家とはそういう「生き物」だ。 それを考えれば不自然でも何でもない。
 思うのだが、「成るべくして成る」というのが「運命」ならば、私のこの生き様すらあらかじめ「決定」されているのだろうか? だとすれば、我々の行動に、意味はあるのか?
 断言する、無い。
 だからこそ私は「宿命」や「運命」といった存在を克服することに血道を上げているのだが、しかしなかなか上手く行かない。いや、どう足掻いたところでやはり、変えられないのかもしれない・・・・・・運命とはそういうものだ。
 美しくはあっても、運命にあらがうことそのものは、何の結果も得られない。
 全て、無駄。
 弱者の運命ならば、苦しむしか無く、勝者に産まれれば楽しむしかない。それが真理なのか?  その答えを探すために、私は物語を書くことを続けている。いつもだ。いつも、考える・・・・・・だが、最近はそれも疲れてきた。私が作家として、いや人間として呪われていても知ったことではない。ならばそれに見合う幸福をと、長い長い道のりを歩いてきたが・・・・・・答えは見つかる気配も無いままだ。
 努力すればいつか幸せになれるなどと、苦労も知らない「持つ側」は言うが、ならばいつだ。
 百年後の未来か?
 馬鹿馬鹿しい。
 今、この瞬間にでも報われなければならないのだ。「いつか訪れる」など、ただの言い訳だ。いつかと言わず今、寄越せ。
 宿命から取り立てられようとする人間は多いが私は逆だ。今までの因果に見合う、あるいはそれ以上のモノを求めている。だが、どうも宿命というのは取り立てられる側になると、払う気がないらしい。
 迷惑な噺だ。
 身勝手な噺だ。
 嫌な、噺だ。
 もういっそ真面目に「生きる」と言うことと向き合うのを辞めてしまおうかとさえ思う。何も考えずに人から聞いた「道徳」みたいな聞こえの良い言葉を何も考えていない脳味噌で話し、何一つ実行せず、何一つ知らず、何も成し遂げていないのに社会的な立場だけは媚びを売ることで一人前になり、奴隷の素晴らしさを説き、金を見栄と恥のために浪費し、金がないと叫びながら浪費し、その社会的立場も当人の脳内で立派なだけで、自分たちが人を貶めていることに気づかず、口にする綺麗事だけを支えに、豚のように生きる。
 ああなれたら楽だろうな。
 私には無理だが。
 そこまで頭が悪くなれる方法を、知らないし知りたくもない。私は曲がりなりにも人間だ。失敗作かもしれないが人間だ。豚ではない。
 あれは生きているとは呼ばないしな。
 彼らは生きていまい。
 自分達の一生が、ここに一度しかないかもしれないことを、思わずに「あの世」などという妄言を信じている。あの世があったとして、そんなロクデナシのクズ共に、行き先があるのか?
 今、この瞬間を生きてすらいない豚に。
 恐らく死んでも治るまい。彼らには現実を認識する能力がないのだ。ゲーム感覚、とでも言うべきなのか。個性の薄い人間というのは、大体そういうものだ。
 自分が無い。
 それすらも唯一の個性だと、思い込んでいる。 型にはまっていると言うのか、それも駄目な方向にばかり、だ。
 馬鹿じゃないだろうか。
 駄目な部分を受け継いで、どうするのだ。
 人間の意志は受け継がれるべきだ。親から子へ子から孫へ、それが「生きる」ことの目的の一つのはずなのに、皆が皆「立派さ」みたいなモノに執着して、結果誰よりも薄っぺらいクズ以下に成り下がる。
 「立派さ」とは、クズだけが手に入れる。
 大体が立派な人間など、立派さを押し付ける奴など人間性がしれている。何故そんなモノを求めるのか。それはきっと「自分が無い」ことに起因するのだろう。
 彼らは自分に自信がないのだ。
 当然だ。何も積み上げてこなかったのだから。 そのくせ立派さだけは欲しがるとは・・・・・・厚かましい上迷惑な奴らだ。しかし、そんな馬鹿そのもの、つまりクズでも、「幸運」があれば幸福かどうかはともかく、富は手に出来るというのだから、ああいう豚以下の存在の方が儲かるのか?  本当に、嫌な噺だ。
 生きることが、馬鹿馬鹿しくなるほどに。
 別に立派だと言われれば当人の人間性が肯定されるわけでもないのだが、そう思う人間は多い。 そんなどうでも良い部分だけ進化してどうするつもりなのだ・・・・・・まぁどうでもいいか。
 どうでも良くないのはそんな連中と金がなければ同じ扱いを受けることだ。真正面から同じ道のりを歩き続け、作家としてやり遂げてきたが、どうもそれには「結果」が伴わない。
 書くことを辞めてしまいたい。が今更書くこと以外を求められても困る。だから私はこうして、「始末」の依頼を受けに神社の境内に来ている。 当人の意志と関係なく。
 ここに来ている。
 まぁ良い女の姿が見れて目の保養になることもあるのだが、だからといってこれ以上便利に使われるのは御免被りたかった。私は作家業で財を成したいのだ。断じて副業で満足したいわけではない・・・・・・最近は口にするだけ空しく感じるが。
 そうかと思えば良くわからない「幸運」で豚みたいな人間が大きな財を成したりする。金が手に入れば何でも良いが、「仕事」を「生き甲斐」とするためにも、物語を金に換えたいモノだ。
 しういう疑問のあれこれを、私は境内で神に語りかけることにした。いや、神かどうかは知らないが、人間でない視点、というのも面白そうだったからだ。
「なぁ、何故こうも「弱さ」を助長した社会に、人間社会は成ったのだろうな」
 テレビ越しに表面的なモノを眺め、薄っぺらいモノを賞賛し、祭り上げる社会。そして社会とは人間の世界そのものだ。
 思えば、最近「深い作品」というのを映画でも小説でも見ていない。昔の作品ならあるのだが、決まって馬鹿売れはしていないし、取り上げられてもてはやされるのは、決まって見た目だけやたら派手派手しいものだ。
 中身は無い。
 それでも売れる。
「それは簡単ですよ。人間とは感情で生きる生き物ですから、感じ入れればそれでいいのです。だから中身だとか、真実だとか、「生きる上でどう考察するべきか」なんて考える貴方のような人間の方がかなり稀ですよ」
「そうなのか?」
 間髪入れず彼女は首肯した。
「はい。そも、そこまで精神が成長する人間は稀です・・・・・・大抵の人間は成長しなくても生きていけますから」
「確かに」
 金があれば成長は必要ない。
 何でも買える。
 例え無能でも、金があれば勝利者だ。
「そうとは限りません」
 などと納得しかけた私の思考を中断するのだった。この女、私と逆のことを言っているだけじゃないのか?
「いいえ、違います。現世、とでも言えばいいのでしょうか。貴方達が生きている世界を終えれば終わり、ではないのですよ。貴方達の言う死後の世界のその先ですら、貴方達は貴方達として、続く世界を生きていかねばならないのです」
「ふん。要はこれで終わりではないと?」
「ええ」
 あの世、なんて知ったことではないが。しかし精神を成長させて、何の意味があるのだ? 確かにあの世に金は持って行けそうもないが、しかしそれは精神が成長したところで同じだろう。
 何が変わるわけでもない。
「そんなことはありません。貴方達は今、物質的な豊かさに支配されていますが、その先の世界ではその観念はありません。精神のみが介在する世界では、金など無意味です」
「だとすれば、同じじゃないのか?」
 どちらにせよ結末は変わらない。
 そうじゃないか?
「ですから、己の精神だけで生きることになります・・・・・・そこには金や名誉、地位や肩書きで己を誤魔化す余地はありません。精神が未熟なままであれば、物質的に完全に満たされる精神の世界でも、心が満たされることなどありませんよ」
「私には心など無いがな」
 つまり何かで己を誤魔化したところで、あの世ではそれらを持って行くことは出来ない、とそういう噺らしかった。
 精神の成長、か。
 嬉しくもない。
 私は精神を成長させて「凄いね」と言われたいわけではないのだ。金によって己の成長が阻害されたところで、必要とあらば無理矢理にでも成長するだけだ。
 金、金、金だ。
 この主張は譲らないぞ。
 譲ってなるものか。
 綺麗事で納得することが、私は嫌いだ。
 まぁ綺麗事の方が強い力を持つので、負け犬の戯れ言かもしれないが・・・・・・思えば、我ながら呆れるくらい、平坦な道を歩けなかった。
 平坦な道を歩いていれば作家業、物語を書くことも無かっただろうが・・・・・・何度も言うように、私は成長などどうでもいい。仮に作家を志さない私がいたとして(それを私と呼ぶかは不明だが)私は案外、金とか人並みの人間関係で、適当で安っぽい幸せで、妥協ではあっても「幸福」に成れていたのではないだろうか?
 私は生まれついて人として間違っていたかもしれないが、そう聞かれれば首を縦に振る人間だとしても、それで何故、私はこのような道を歩かなければならないのか。良い迷惑だ。どれだけ手を尽くしたところで妥協による幸福、平穏なる生活すらも邪魔され、上手く行かず、結局勝利するには「作家として」勝利するしかないのではと、思い知らされる日々だ。
 うんざりだ。
 だが、もう歩きすぎた。
 今更、引き返す場所もない。
 元より、そんな場所はなかったが。
 私も、平坦ではあるがそれなりの輝きを持つ、取り立てて苦悩などという苦しみのない人生を、などと、失笑だ。笑えない。そもそも私にはそんなモノを楽しむ感覚は存在し得ない。
 それがあればもう「私」ではあるまい。
 本当に失笑モノだ。
 私は、私である限り、邪道作家である限り、人並みの幸福は有り得ない。そのくせ、試練だけは一流だ。
 要領、などがあれば変わったのだろうか・・・・・・・・・・・・考えるだけ馬鹿馬鹿しいが、しかし考えざるを得ない。もし私が「世渡り上手」だったり、あるいは「天性の才能」とかでもいい。何かわかりやすい「強さ」の一つでも持っていれば、あっさり作家としても成功して、「幸福」になれたのだろうかと。
 成れないと思う。
 成功と幸福は、また別物だしな。
 だが、それでも何もないよりはマシだろう。マシなだけだが、しかしその方がいい。例え中身のない偽物、犬のクソにも劣る「駄作」でも、売れるのはあちらの方だ。「魂を賭けた傑作」が笑い話にもならないならば、道義的正しさなどただの世迷い言にすぎない。
 私は御免だ。
 数多の作家達がそうであったように、散々適当にあしらわれてから、手遅れになってから手の平を返され、あるいは死後数百年後に認められたりと、ロクな扱いを作家は受けない。
 そんなのは御免だ。
 尊さよりも、金が欲しい。
 小綺麗に「立派な作家」として誰だかも知らない奴らに祭り上げられることなどどうでもいい。生きているうちに金に換え、世を楽しみたい。
 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活・・・・・・私はそれを、送りたい。
 金の力でな。
 金の力で可能と言うよりも、余計なストレスを排除できるというのが、正しい。金そのものは持ちすぎれば、ストレスを抱え込む厄介者でしかないからだ。
 無論、あるに越したことはないがな。
 両方、手に入れてみせるぞ・・・・・・しかし、実際問題それを実現するには、作家としての成功が、金儲けが、やはり不可欠だ。
 私は良くも悪くも作家だ。物語には「傑作」であるという自負がある。客観視すれば人によって作品の良さなど変わるものだが、己の作品の出来を完全に信じる。これは何かを制作した奴ならわかるだろうが、並大抵ではない。
 己の成果を「確信」することは。
 魂を賭けなければ、思えまい。
 だが、翻って作家業以外には何の興味も無いしほとんど「持てない」というのが正しい。実際、私が熱中できることがあるとすれば、それは物語を、傑作を書くときと、観る時だけだ。
 私はそういう人間なのだ。
 他の分野では使えまい。
 こなすだけなら自信はあるが、何事もこなすだけでは身は入るまい。本当にやるべき事を別に見据えている人間が、他の分野で成功することは、幾ら何でも出来ない。
 前を向きながら後ろは向けない。
 私は一点を見据えすぎた。
 今も。
 この瞬間でさえ、だ。
 それに何より、他でもない「私自身」が、満足できないだろう。こなすだけだ。どれだけ他の分野で金を稼ごうが、金そのものを大きく稼ぐだけその分野に力を入れることそのものがまず不可能に近い上、嫌々やることが「生き甲斐」にはならないだろう。
 だから金にならない作家業は「生き甲斐」にはなり得ない。辞めたいところだが、辞めようと思って辞めるには、歩きすぎている。
 歩みを止めるつもりもない。
 そもそもが、ここまで心血を注ぎ力を費やし、魂を描き「やり遂げた」と「確信」できることが「結果」に報われないならば、もう何をやったところで無駄ではないか。
 無駄なのかもしれないが。
 見る目のない読者と編集部だ。
「考えすぎですよ。まったく・・・・・・どんな人間であれ、己の行動の結果はついて回ります。それが運命と言うものです。貴方がそこまで作家として真摯に振る舞っているのならば、おのずと結果はついて回るでしょう」
「根拠のない綺麗事をありがとう」
「いえいえ、例には及びませんよ」
 ただの事実ですから、と普段の私のお株を奪うかのような台詞を、彼女は言うのだった。
 そうなのだろうか。
 私は自分で勝手に右往左往しているだけで、それこそ私自身がどう悲観しようが関係なく、「成るべくして成る」かのように、あっさり勝利し、作家業を金に換えたりするのか?
 信じられない。
 だが、もしそうならば、そんな私自身の気持ちさえも関係なく、事は進むのだろう。無論、現時点では信じるに値する根拠は、何一つ無いが。
 作品に何の後悔もない。
 傑作だという確信がある。
 私はやり遂げている。
 なら、後は待つだけなのか? もしそうならばこうして作品を売ろうとする試みそのものが、完全に無駄だが・・・・・・だが、錯覚ではないか?
 信念ある人間が「運命」に導かれたかのように成功する体験談は、偉人の過去を掘り起こせば多々あるものだ。だが、それと同じ、いやそれ以上に「運命に敗北した」人間の姿も、誰も観ようとしないだけで、あるはずではないか。
 わからない。
 未来が見えるわけではないのだ。私は人間かどうかは知らないが、人並み外れているモノがあるおすれば、それは精々「心の闇を暴くこと」と、「心が存在せず、感動しない」ことくらいだ。
 作家業以外は、それほど非凡でもない。
 はずだ。
 多分な。
 違っても責任は取らない。
 金も払わないぞ。
 まぁ何事も無駄かもしれない可能性はあるものだ。愛は報われないかもしれないし、恋は幻滅するかもしれない。仕事を成し遂げたところで誰の目にも留まらないなどと言うのは、ありふれた噺でしかない。
 だから良い、ということでもないが。
 良くはない。
 「生きる」という事へ真摯に取り組む意味も、そもそも不明なのだ。あの世での待遇が良くなるのか知らないが、あの世があるのか、あるいはそこでどう裁かれるかを知らない今ここに生きている人間からすれば、真摯に生きることはほとんどの場合徒労だろう。
 能力とか才能とか。
 金とか幸運とか。
 どうなのだろう・・・・・・そういう「利便性」を持っている人間は、何か損をしているのか? 生きるということと、向き合う必要性のない彼ら持つ側の人間は、「能力を持って楽した」分の帳尻を合わせられたりするのだろうか?
 とてもそうは見えないし、思わないが。
 案外神様って奴の「手抜き」かもしれない。実際神が居るとしても、人間を可愛がっているとは思えない。経営者がそうであるように、数字で、大局的に全体を見て、いらない部分は切り捨てているのだろう。
 その方が現実的だ。
 大体が神がいたとして、人間を助ける義理など無いではないか。世の中の不条理は案外、至極どうでもいい理由で発生しているのかもしれない。 なんて、戯れ言だがな。
 私としたことが苛立っているのだろうか・・・・・・電子世界の並は「なんでも」と言って良いほどに情報を伝達できるようになった。だが、なんでも伝えることが出来るというのは素晴らしくなく、むしろ「どうでもいいこと」を伝えられるようになり、そのどうでもいいことを金に換える方法が主流になった。
 だから物語も同じだ。薄っぺらいほど伝達はしやすい。内容が浅ければ浅いほど、儲かる。
 弱さを助長する社会とは、何とも嫌な世界になったものだ。真面目に物語を綴るのは、確かにこれでは馬鹿馬鹿しい。
「どうして人間には差が出来る? 同じ生き物である以上、少なくとも他生物は、性能にそれほど差がないと言うのに」
「それは簡単です。単純に人間というのは別々の生物だからですよ。生物は本来「群れ」ですが、人間はそれぞれが種類の違う「群れ」なのです。人間には種類があり、ただ自分たちで分類せず 同じだと思っているだけ・・・・・・違う生き物なのですから、能力に差があるのは当然です。複数種類の「人種」があり、それは皮膚の色などではなく人格に起因するものなのですよ。クラスに一人はいる人気者然り、一人はいるいじめっ子然り、一人はいる面白い奴然り、全てパターン化されています。似たような、ではなく根底は同じ種族の人間が、他のクラスにもいる。ただそれだけです。雛形は「人間」という「枠」で作られてこそいますが、少なくとも心理傾向はある程度似通った存在になり、「同じような人格の人間」が出来上がりますが、環境と目的が違うので「違う人間」に見えるだけです」
 つまり、人間はそれぞれ全く別の生き物であると同時に、思考回路はある程度似通った、いや全く同じ生き物だと、そう言うのか?
 人気者は「人気者」という雛形で作られただけ・・・・・・根底が同じ人間は、数多くいる、と。
 アリの役割分担みたいなものか。
 人間はそれが複雑化しただけ。
 その複雑さの極地が「個性」なのか。
「それに、本来そういう「弱い生物」は淘汰され居なくなりますが、人間社会は平和で天敵のいない状態が続いたため、生き残ったのですよ」
 つまり有能な「成功例」からすれば、「私」のような存在は邪魔だという事か。
「そうなりますね。少なくとも社会に置いては・・・・・・社会を維持する上では、個性は邪魔でしかありません」
 女はそこまで言って、話を区切った。
 お前なんて必要ない。
 真正面からそう言われる機会が私ほど多い人間も、そうそういないとは思う。だが、ただで消える気は無いし、「どちらが淘汰される側」か問いただしてやるのも「面白い」かもしれない。
「ですが」
 そう区切って、彼女は話を続けた。
「そういうつまはじきでしか、創造的なモノを作れないのも、また事実です」
「本当か? 私から言わせれば、別に豊かな生活の中で面白い話を書けない、というのはハッキリ言って意味不明だ」
「そうでしょうか? そもそも芸術性というのは際だっていなければなりませんから。そして、その他大勢の中ではその他大勢の知るモノでしか、作り上げることは出来ません。貴方のように・・・・・・失礼。離れた視点からしか、わからない事は多い、というだけのことです。それに芸術性は、その経験からくるもの。感性だけでは限界があります」
「そうか?」
 とりあえず反論する私だった。別に芸術性がどこから来ようと勝手だが、しかし「才能」という便利なオプションで生きている人間達を、多数目撃した私からすれば、何とも嘘くさい。
 天性の感性だけで、芸術は作れるのでは無いだろうか・・・・・・苦悩とか苦痛とか、そんな些末なことで作品に影響が出るものなのか? 
 苦悩がなければ傑作は書けないのか?
 その理屈で行くと私は永遠にネタ切れにならないと断言できる。だが傑作かどうかよりも、実際に売れるかどうか、評価されるかどうかだ。
 ミケランジェロは素晴らしいのか知らないが、別に芸術家でもない人間が、その素晴らしさを等しく全員、理解できているとは思えない。ミロのビーナスもモナリザも、大抵の人間は「何が良いのか」すら分からないはずだ。
 だが、全体で「それこそは素晴らしい」と言われれば「それ」が素晴らしいことになる。それが社会と言うものだ。誰か上から「傑作」だと評すれば、そうなる。実態などどうでもいい。
「仮に感性だけでは駄目だとしても、売れれば関係あるまい・・・・・・世の中「結果」だ」
「そうですね、しかし・・・・・・感性だけの芸術家には、信念がありません」
「・・・・・・それが?」
 信念ほど役に立たないモノはない。私は作家として生きてきて、これほど痛感した事実も無かったと思う。実際、あったから何なのだ?
「信念がなければ、人の心には響かないものです・・・・・・それでは芸術とは呼べませんよ」
「よく、わからないな」
 悪いが綺麗事にしか聞こえなかった。目に見えない「信念」よりも「金」の方がわかりやすい。 ただでさえ私には「心」が無いのだから。
 無いモノを説かれたところで、分からない。
 信念か・・・・・・「読者が吐き気を催す物語を」いやこれは違うな。これは私のただの趣味だ。
 作家としての信条か。
 少なくとも「書くべき事」と「書きたい事」を両立できる希有な作家としての私は、一つのテーマに対して醜い部分を穿つように心がけている。 醜い部分。
 皆が、見たくもないと背ける部分だ。
 そこをついてやるわけだ・・・・・・面白くてたまらない。無論、本がもっと売れればさらに面白いのだが。
 後は「金」だ、これは言うまでもないが。当然ながら「物語」など「金を稼ぐ手段」に過ぎないし、そこに尊さなど求めるべきではないと、私は考えている。余裕ある人間の戯れ言でしかない。 百年先まで、あるいは人類が終演を迎えてですら、読み続けられる物語。どんな時代でも読める物語を、私は書き上げているが・・・・・・傑作かどうかなど作家であるのならば「自身の作品が世界で最高の傑作である」という自負を抱くのは当然であり、そんなのはパスポートみたいなもので、無いなら成ろうとするなという話だ。だからそんな前提条件よりも「金」が欲しい。
 そうでなくては嘘ではないか。
 世の中金だ。
 少なくとも「平穏」は金で買える。
「何かを得れば何かを失う。この世界はそういう風に出来ています。金は必要かもしれませんが、過ぎれば破滅を招くだけです」
「それは分かっている。それなりに手に入れば、それでいい」
「なら、分を弁えることです。神も人間も一個人であることには変わりありません。過ぎたモノを求めると、結果何かを失いますよ」
「・・・・・・私が求めているのは「ささやかなストレスすら許さない平穏なる日常」だ。それが分不相応だと言うのか?」
「完全にストレスのない生活など有り得ませんよ・・・・・・ですが、貴方は「作家としては」正しい道を歩いている。それはいずれ報われるでしょう。ただ大切なのは「報われた後」なのですよ。そこから何を成したいのか。それが肝要です」
 絵に描いたような綺麗事をありがとう。そう皮肉を覚える反面、そうなのだろうかと疑問を覚える自分があった。
 そうなのか?
 仮にそうだとして・・・・・・しかし、こう言っては何だが私に「欲しい物」など無い。「平穏」位なのだ。金があれば少なくとも「余計な」ストレスを感じることは減るだろう。だが、あれが欲しいこれが欲しいと、思うモノは私には無い。
 一切無い。
 無欲だとかではなく、単純に分からないからだ・・・・・・「幸福」を感じる為の「心」が無い以上、当たり前のことだが。
 ブランド品で「見栄」を幸福には出来ないし、女を侍らせて「権威」で楽しむことも出来ない。金の力で「権力」を使う相手など、作家である私にはそもそもいない。
 酒も煙草も駄目だ。その上女どころか人嫌いであり、これといった趣味など、物語を読むことくらいのモノだろう。まぁ、私からすれば、だが・・・・・・物語を書くために必要な「仕事」という感覚で読んでいるので、遊びではないが。
 執筆しかない。
 コーヒーを楽しむ「フリ」をしているが、しかし本当に楽しめるわけでも無い。だから私が金を求めるのは、そんな人間が「無難に」生きるためと言っても差し支えないだろう。
 欲しいモノは何もない。
 一見すると聖者かと思うくらい崇高そうに見えるが、何のことはない。この世の何にも興味を持てないだけの話だ。少なくとも、物語以外は。
 物語、物語、物語だ。
 私にはそれしか無い。
 いっそ適当な金儲けの才能を持ち、意味の分からないブランド品と酒と女とで「満足」してしまえる底の浅い人間であれば、楽だったのだが。
 浅い人間が羨ましい。
 楽なのだろうな、と思う。
 素直に羨ましく、そう思う。
 内実を何とも思わない世界では、彼らのような「人間のゴミ」こそが本当に勝者なのではないかと、そう思えるくらいだ。実際、彼らは苦悩という苦悩を人生で経験していまい。
 生きることに。
 違和感を感じないのだろう。
 とはいえ、そんな私でも「金」は「基準」だ。金はあるに越したことはない。というのも違うのか・・・・・・私の傑作が、魂を賭けた物語が、金にすらならないなど屈辱ではないか。
 誇りを傷つけること。
 それは死刑に値する。
 少なくとも当人にとっては・・・・・・だから私は金を求める作家になったのだろうか? 案外そんな理由だったのかもしれない。
 だからといって、金を求めること自体は、やめるつもりは毛頭無い。私は作家だ。物語を対価にして、金を貰うのは当然だ。
 金にならない物語など、書いてられるか。
「そこまで分かっていながら・・・・・・何故貴方は、そんな生き方をしているのですか?」
 呆れ混じり、というか、ため息混じりに、彼女はそんなことを言うのだった。
 私は当然のようにこう答えた。
「面白いからだろうな」
 金があれば色々な「面白い何か」を手に出来る・・・・・・それが悪いことだとは、どうしても思えないのだ。私は、金で人生を楽しみたい。
 ただの、それだけかもしれない。
「はぁ・・・・・・まぁいいです。仕事の話に移りましょうか」
 男も女も口だけの奴は嫌われるが、女の場合それを咎める人間がいない。いずれにせよ綺麗事を言うだけならば坊主で十分だ。
 実際にやっている人間は、間違っても綺麗事を言わないものだしな・・・・・・眺めているだけか、実際に苦痛を伴うか、それでここまで感想が違うものか・・・・・・やれやれ、参った。それでも綺麗事の言い分が通るならば、私の労力など、真実無駄かもしれないのだった。
 誰かの幸福は誰かを踏みにじった「傲慢」の上で存在しうるものだ・・・・・・根底から考えが間違っていたのか? 「誰か」を地獄の底へたたき落とすことでしか「幸福」にはなれない。あながち鼻で笑えない話だ・・・・・・現実問題として、富もそうだが「誰かの絶望こそが誰かの至福」というのはただの事実だ。現実には、そうなる。
 私は幸福を求めて躍起になっていたが「自分の代わりに生け贄になる誰か」がいないから、成功できなかった、ということだろうか。
 先ほどの綺麗事よりは、説得力がある。
 そのうちいいことあるなんて、誰にでも言える価値のない台詞だ。言うだけなら自分で言えばいい・・・・・・だから価値のない台詞は聞かない。
 生け贄か。
 ぱっと思いつくのは「搾取」だ。誰かを口車で動かして、自分は責任を負わず、安すぎる賃金でこき使えばいい。何、それで人が死のうが資本主義経済は、何一つ関知しない。
 誰が何人死のうが。
 金の前では無力だ。
 これは事実で現実だ。信じなくても別に構わないが、私は現実の利益を取る。
 考えておくか・・・・・・会社を興すとなると、それなりの資本が必要だが・・・・・・「何人死んでも構わない」という姿勢であれば、私は無事だろう。
 無事なのか?
 そういう人間がまるで「天罰」にでもあったかのように凋落するケースは多い。無論、そうでない人間も多いが・・・・・・どうしたものか。
 やはり能力差や運不運なのか?
 本を売るだけで、何故ここまで悩まなければならないのか・・・・・・出版業界がまともなら、私は作品を書くだけで良かったのだが。はっきり言って私の作品は一流、それくらいの価値は当然だ。はったりでなくそう思う。いや、思うのではなく、それもまた事実か。
 売るのには傑作具合が関係ないことも含めて。 あれこれ策を弄して成功した試しがない。運不運の理不尽さを身を以て知っている私だ。こういう努力ほど無駄なモノはないと、分かっている。 屈辱だ。
 金がないということは「理不尽な屈辱を受け入れる」ことと同義だ。だから嫌なのだ。金がなければ幸福など有り得ない。
 勝ちたい。
 だが、勝てる人間は決まっている。
 つまるところ私が何をどうしようが「敗北する運命」ならば、何をしようが「無駄」だ。私という存在そのものが、苦しむためだけに存在していることになる。
 少なくとも現時点では「事実として持たざる者は何をどう足掻こうともその行動自体が無駄」というのが現実のようだ。
 だとすれば。
 私が、作家として志したモノも無駄だったのだろうか・・・・・・今更敗北の一万や二万で何かを感じるほど、私は人間をやっていない。だが。
 負けることが、良いわけでは、決してない。
 この思考も、また無駄なのか。
 だとすれば、本当に下らないモノに力を割いてきたものだ。いつぞやのアンドロイドには悪いが・・・・・・「心」に価値は無い。
 愛。
 友情。
 信念。
 誇り。
 徳。
 そういったあれこれは所詮綺麗事、クソの役にも立たない戯れ言ということなのか。もし、私のこの行動に何の意味もないならば、さっさと私をこの世から消し去って欲しいものだ・・・・・・・・・・・・綺麗事ではなく現実にやり遂げられないならば、あるいはそのやり遂げた対価を手に出来ないならば、作品など、書きたくもない。
 物語など。
 眺めるだけでいい。
 金にならないならば。
 生きていないも同じなのだから。
「それで、依頼内容は何だ? 金になるなら誰を始末しようが罪悪感など無いが、出来れば簡単な仕事を依頼して欲しいものだ」
「・・・・・・投げやりですね。信じられませんか」
「信じるかどうかはともかく、ありもしない夢物語を現実に持ち込んでも仕方がない。お前の綺麗事を信じてもいいが、あくまで子供の戯れ言レベルであって「親戚の子供が将来パイロットになれると思っている」ことを信じるくらいには、信じているさ」
 心外そうに「随分と小馬鹿にしてくれますね」と女は憤慨するのだった。当然か。私がこんな綺麗事を言うときは大抵自棄になっているだけだが・・・・・・この女の場合、本気らしいからな。
 信じられない話だ。
 綺麗事を信じるなんて。
「貴方の言う「事実」ですよ」
「その場合、何故私の作品は売れていないんだ」「時が満ちていないからでしょう」
 どうとでも取れる解釈だった。そしてどうとでも取れる解釈ほど、役に立たないモノはない。
「そうかい・・・・・・精々待たせて貰うさ」
 期待せずにな。
 期待できるほど、この世界は綺麗じゃない。
 汚らしい。
「・・・・・・・・・・・・」
 随分と不満があるらしかった。しかし事実だ。綺麗事で世の中を信じられるほど、私は恵まれた人生を送っていない。
 送っていれば作家には成っていまい。
 少なくとも、本は書かない。
 

 いままで多くの存在を「始末」してきたが、死して何か、彼らには後悔とかあるのだろうか?
 私には無い。
 何も。
 無い。
 そんな上等なモノがあれば作家にはなるまい。私には失えるほど大層なモノは、無い。私という自我が消えるのは何だか嫌ではあるが、しかし消えてしまえばそんな感覚もあるまい。仮にあの世で極楽な余生を送れたとしても、私は「ささやかなストレスすら許さない平穏なる日常」を手に入れたなら、こなすだけだ。
 欲しいモノは、何も無いのだから。
「それは嘘ですね」
 と、間髪入れずに女は言った。
「貴方は愛情が欲しくて友情が欲しくて理想が欲しくて人間らしく生きたいだけですよ」
「だとしても、手に入らなければ、それは存在しないことと「結果的に事実として」変わるまい」「それは・・・・・・ですが」
「聞きたくない。どうせ綺麗事だろう? 聞いたところで意味のない話だ」
 私には関係ない。
 おまえ達はどこかで手に入れるのかもしれないが、それは私とは関係のない出来事だ。
 精々楽しくやっていろ。
 私には、存在しないも同然だ。
「・・・・・・いいえ、やはり違います。貴方にはそれらが見えているではありませんか」
「だから、何だ? 見えるだけならゲームでもしていればいいではないか」
「ですが」
「見ていて痛々しいか? だが仕方あるまい。私は昔からこうだからな。見えているから、何だというのだ・・・・・・それは痛々しいだけだ」
「・・・・・・・・・・・・決めました」
 何だろう。依頼に対する金額だろうか?
 だが、それは想定外の言葉だった。
「貴方は私が婿に貰います」
 神にプロポーズされるという極めて珍しい体験をするのだった。
 だが。
「断る」
 むべもなく断るのが「私」だった。
「それを断ります」
「何だそれは」
「貴方のような人間を作り上げてしまったことに対し、一人の化粧の者として責任を感じざるをえません。私は貴方を婿に貰います」
「何だそりゃ」
 意味不明も良いところだ。ギャグなのか?
 笑えないが。
 仮に家庭を持ったところで、私は幸福にな成り得ない人間だ。それは私が一番良く知っている。 愛が分からない以上、本来愛すべき家族でも、私は惨殺して何も感じないでいることができる。 出来てしまう。
 それを人間とは呼べまい。
 なので、私は色々と考えつかれていたことも重なって、適当に返事をすることにした。
「ああ、そうか。そりゃありがたいな。嫁に貰ってやるから金を払え」
「いいですよ」
 言って、札束を差し出すのだった。
 どうやって稼いでいるのだろう?
 掃き掃除をしているだけで、ここまで稼げるものなのか・・・・・・賽銭でも集めているのだろうか。 どうでもいいがな。
「では、契約は成立ですね。ああそうそう、依頼内容をお話ししますが」
 言って、資料らしき書類を取り出して、私に手渡すのだった。仮にこの女が本気だったとしても私の人生は、何一つとして「幸福」を掴めるようには成らないので、どうでもよかったが。
「ではこの小金でとりあえず契約を受けてやろう・・・・・・もっとも、お前が居たところで、私は何一つ「幸福」には感じないがな」
「なら、幸福に感じるまで側にいますよ」
 私は情にほだされたくてもほだされることの出来ない人間、人間かどうかはともかく、そういう存在なので、正直かなり時間の無駄だと思ったがしかし、とりあえず目の前の依頼を考えることにした。
「それで」
 資料を懐に入れ直し、私は聞いた。
 聞かなければ良かったが。
「誰を「始末」すればいい。大統領か? 億万長者か? 有名人か? 誰であろうと、この世界から消し去ってやるぜ」
 何ならついでに、数少ない読者も消し去って、作家なんて辞めてしまおうか。
 そんな投げやりな気分だった。
「空気です」
 だから意味不明な回答を得てからというもの、私の調子は狂いっぱなしなのだった。狂っている方が、結果が出せるのかもしれなかったが。

   2

 空気感というモノがある。
 それは人を殺す空気だったり、誰かに謝る空気だったり、傷の舐め合いをする空気だったり、あるいは人を貶める空気だったりする。
 今まで散々、様々な存在を「始末」してきた。正直私にかかれば誰であろうと、この世からおさらばさせるのに、一瞬もかからない。
 大統領であろうと。
 持つ側であろうと。
 金持ちであろうと。
 「始末」できる。
 だが流石に「空気」を始末しろなどというのは初めてだった。当然だ。そんな依頼が沢山あっては私は既に参っているだろう。
 そんな依頼を受けた。
 宇宙船のファーストクラスで、考える。
 そういえば、だが・・・・・・家庭を持つことによる幸福か。考えなかったわけではない。考えるまでもなく無意味だというだけだ。家庭があろうが無かろうが、喜びを「感じ取れない」私にとっては意味のない話だ。
 家庭があろうが。
 死体があろうが。
 同じ事だ。
 私には。
 だからそんな分かり切ったことよりも、意味のない方策よりも、考えるべきは労働、なのか?
 仮にこの労働をこなしたところで・・・・・・意味があるのだろうか。寿命を延ばし、また次の労働、始末の依頼で呼ばれるだけだ。
 同じ事を延々と繰り返すだけだ。
 それでは意味がない。
 だが、だからといって家庭を持つことであっさり幸福になる。などというのはただ単にそうであったらいいなと言う話であって、それが出来るならば苦労はしていない。
 そういう「幸福」が理解は出来ても感じ取れないからこそ、こうも回りくどい方法をとり続けているのだ。それもいい加減食傷気味だが。
 仮にあの女と家庭を持ったとして、それが何だというのか・・・・・・どうでもいい。人の都合で動く労働が、何種類か増えるだけだ。
 私個人の幸福は、そこにはあるまい。
 無論分かち合うことも無い・・・・・・家族を作り、目から涙を流して「この子は俺が守る」とか、そんな言葉を言う人間ではない。人間かどうかも怪しいと言えば怪しいのだ。人間から離れていっている「私」は、もう人間とは呼べないかもな。
 構わないが。
 実利があれば、どうでもいい。
 「幸福」という「概念」が私には無い。
 だからどう足掻いても「幸福」には成れない。 だが、それでも「幸福」に成りたい。
 妥協して「幸福」だと、そういうことにしておくしか、やはり方法は無さそうだ。仮に偽物だと罵られたところで、私はやはり、金が欲しい。
 安い同情は金にならないしな。
 妥協で満足できる人間だ。だから本物だろうが偽物だろうが、私個人が自己満足できれば、別に内容はどうでもいいのだ。結果が全て。
 結果的に「幸福」だということにできれば。
 横着した考えではあるが、元より存在せず、絶対に手に入らないモノを手にしようというのだ。 これくらいは当然だろう。
 そうでなくても、持たざる者である私には、持たないが故に引きつけられざるを得ないのだ。金を持たない人間が金を求めるように、引力のように私は「幸福」を求める。
 半ば本能だ。
 本能なのかもしれない。
 作家としても私個人としても、金を手に入れて勝たなければなるまい。負けっぱなしは御免だ。 まぁ、私が「敗北する運命」ならば、こうして自身を奮い立たせることそのものが無意味だが、仕方あるまい。諦めようと思って諦められるモノでもない。私が戦う理由はいつだって「屈辱」に対する憤慨が多い。心が無くても屈辱は感じる、いや感じてはいないのかもしれないが、少なくとも自身に屈辱を与えるモノを取り除かんとするのは、生物の本能だろう。
 いずれにせよ私は神ではないのだ。勝てるかどうかなど知るか・・・・・・勝てると思った戦いで負けることなど、私にとっては日常だ。
 恐らくは、私に意志に関係なく、どうにもならないのだろう。足掻いてもきっと無駄だろう。ただ諦めが悪すぎるだけだ。
 往生際が悪いとも取れるが。
 私はそういう悪だからな。
 邪道の作家なんて、そんなものだ。
 人間が追い求めるのは結局のところ「豊かで充実した時間」なのだろう。ともすると私は、ただそういう時間を手にするために動いているとも取れる。それが意味することは、時間は金で買えるという事実だ。こうして優雅でリッチなひとときこそを、金で買い続けるべきなのだろう。
 そもそも前提として私は「生きている」とは言い難い事実があるのだ。生きている人間の幸せを「死者」が望むべくもないということか。
 「思い出」が「生きている実感」だとすれば、私にはそれは一切無い。何も、だ。本当に無いのだ・・・・・・嫌な思い出すらも風化して、「楽しいことは何もなかった」という事実だけ「記録」されていく。
 実際、何もなかった。
 思い出して楽しむ記憶など、あるはずがない・・・・・・何度も言うが、そんな人間なら作家などというモノを目指したりしない。
 私には。
 何も。
 無かったのだ。
 それは事実。
 現実に何も無い。
 私は「死人」だ。目的だけが先行している死者・・・・・・だから失敗する。
 だがどうしろというのだ? 好きでこうなったわけではない。いや、こうでなかったら私は、私という人間は居なかっただろう。
 それが罪なのか?
 存在自体が害悪か?
 別にそれでも構わないが、だからといって金にならないのは御免だ。悲劇が金になるというならば、私の悲劇とて「金に換えられる」はずだ。
 いや、換えなければなるまい。
 何が何でも、だ。
 「生まれついての悪」だと言うだけで、体よく切り捨てられてたまるか・・・・・・まぁ、実状はどう足掻いても「持つ側」には勝てないのだが。
 どうすればあのクソカス共に勝てるのか。
 私はいつも「それ」を考えている。
 答えはない。
 どう足掻いても、やはり勝てない。
 だから私のように勝てないことは承知で、ひたすら試行錯誤するしかない。無論、試行錯誤したところで勝てないが、他に出来ることは無い。
 敗北を承知で挑むくらいしか。
 「持たざる者」には出来ないのか。
 長い長い旅路の中でたどり着いたのは「勝てない」という最初から分かっていた答えだった。負ける側にいれば、何をどう足掻いても、無駄だ。「・・・・・・嫌な噺だな」
 物語のようには、いや物語こそ「勝つべくして勝つ」と言うべきか。主人公は勝てるから勝つのだ。正しいからではない。
 悪役は思想が間違っているのではなく、「負けるように」作られているのだ。だから、どう策を弄しようが、勝てない。
 負けるべくして負ける。
 私はその運命を覆す為、あれこれやったが、どうやらそれも無駄だったらしい。
 我ながら、無駄な足掻きをしたものだ。
 まぁ私は魂の分身と言える己の作品ですら、豊かさと充実がある生活の為ならば、捨てても良いと思える作家なのだ。だから、これから先、何かに打ち勝つために、捨てることが「持つ側」の存在に勝てる方法ならば、私は「作家業」も、己の書き上げた物語も、捨てて構わない。
 人間性など必要ない。
 勝てればそれが正義だ。
 これ以上捨てるモノがあるのか、という気もするがな。そもそも、物語や作家業に、捨てるほどの価値があるものか。
 私はソファに座り直して考える・・・・・・「真摯に一つのことに取り組めば成功する」訳ではない。結果というモノは大抵が、運がいいだけの奴が手にするモノだ。後付けのような理由で「自分はこうしていた」だの抜かす奴がいるが、どうしていたところで、ただのそれだけで「結果」が伴うことはあるまい。
 私が証明だ。
 刀鍛冶にでも成った方が良かったんじゃないかというくらい、作家業を長く続けているが・・・・・・・・・・・・信念があろうがなりふり構わず続けていようが真剣にやろうが、同じ事だ。
 私が心血を注いだ作品よりも、有名人が薦める本の方が、売れる。内容がゴミでも、下らなくても、思いつきでも、売れる。
 この差はなんだろうか。
 だから運不運だ。
 しかしそれで全てが決まるのか?
 だとすれば、やはり無意味だ・・・・・・今回の依頼にしたってそうだが「こなす」しかない。努力が足りないなど言い訳だ。そもそもが、己の道を歩いている人間は「努力」などという下らない免罪符など使いはしない。
 当たり前なのだ。
 少なくとも、私にとっては。
 だが、その当たり前が否定されるようならば、どうしろというのか・・・・・・私という存在が否定されているようなものだ。どうしようもない。
 綺麗事はいらない。「結果」が、「金」が欲しい。だが、それを手に入れるのはおよそ、今まで何一つしなかった人間、だが「持つ側」だというだけで実利を得る人間だ。
 成功するかどうかが「運命」ならば、その過程に意味はない。どれだけ小綺麗に取り繕おうが、「信念」や「誇り」や「道徳」などという綺麗事など、何の価値もない戯れ言だ。
 仮にそれが「人間らしさ」ならば、私は「人間でなくても」いい。勝利が欲しい。
 金が欲しい。
 そうでなくては嘘ではないか。
 人に嘘をつくのは良いが、己に嘘を押し付けられるのだけは御免だ。私は他人の都合、嘘の為に人生を捧げるほど、愚かになるつもりはない。
 金だ。
 何をどう言おうとも、結局は金。
 資本主義経済が自分達の利益のために共産主義や社会主義を「悪」とするように、綺麗事の裏側には当人達の都合「しか」ない。
 そんなモノに翻弄されるのは、御免だ。
 何をするにも金がいる。だが、立ち位置は重要だ・・・・・・作家もそうだが、「搾取される側」即ち「持たざる側」では永遠に幸せになどなれない。 奪わなければ。
 搾取しなければ。
 独占しなければ。
 勝てない。
 作家も同じだ。読者の喜びなどどうでもいい。重要なのは金だ、数字だ。仮に私の作品で読者共が喜んだり人生の糧にしたとして、だから何だ? 私には関係あるまい。
 少なくとも読者が都合良く儲け話を持ってくることは、今のところ無い。今後もないだろう。読者からすれば金を払わないで読みたいだろうし、作品のことを知っていても、作者がどれくらい儲けているか、生活は大丈夫かを心配する奴は、いないだろう。
 そういうことだ。
 読者も作者も、己の都合で生きている。
 だから、互いの都合がかみ合うだけだ。
 ただのそれだけ。
 感動や信念を演出し、金を儲ける。それが作家本来のあり方なのだが、しかし電子世界の発達に伴って「サービスは無料で使うもの」という意識が、顧客に芽生え始めてきた。物語など金を払うものではなく、無料で楽しむものだと。
 笑えない。
 何が悲しくて金も貰わず顔も知らない奴らに、物語を魅せなければならないのか・・・・・・金だ。
 金を儲けるために決まっているだろう。
 読者共のことなどどうでも良い。
 私の生活が豊かになると信じて、書くのだ。
 無論、売るためにな・・・・・・だが「モノを売る」というのは「良いモノが売れる」訳ではなく、むしろ「ゴミを良いものだと思わせて」売るのが、モノを売ることの基本だ。現に周りを見れば、ただのゴミにしか見えないサービスに金を払う奴は多く、いるだろう。ブランドだとか口コミだとか評判だとか「中身の無い情報」を、信じることに疑いを覚えない。
 テレビで見たから何なのだ?
 むしろ、テレビなど「見て貰う」ことで儲けるメディアなのだから、真実の方が不必要だろう。「皆が見たそう」な「虚実」を売る。それを信じてどうするのだ?
 未来のことまで、最近の人間達は「そういう噺を聞いたから」などと言う理由や、酷い場合は、ただの思いつきにもっともらしい理由を付けて、「自分ではない人間の体験談」を持ち出して、それを押し付けようとしたりする。自分では何一つやったことのない人間が増えてきているのだ。決まって、「持つ側」なだけの、偶々運が良かっただけの「中身の無い人間」が言うのだから、かなり始末の悪い噺だ。
 だが、社会的にはただのクズでも、持つ側なら正義だと言うから驚きだ。結局は「クズ」でも、やはり「持つ側」であればもうなんでもいいと、そういう「事実」なのだろう。
 だから人間はますます薄っぺらくなっていく。 中身の無い世界が広がっていく。
 そんな世界で、人間に問いかける物語など、書いているから売れないのだとすれば、私に居場所は、恐らくは最初からあるまい。
 底の浅い物語など、私には書けない。
 書かない。
 これは大きな違いだ。彼らの場合恐らく真逆であるという点を鑑みると、中身の薄い人間は、何というか「世界に愛されている」のだろう。
 そういう人間こそを、活かす。
 世界も社会も、そういう流れなのだ。
 馬鹿馬鹿しいくらいに。
 能力を磨くだけなら簡単だ、年月を掛ければいい。10年やればマシになり15年で一人前になるだろう。だが、それを売るとなると噺が別だ。 むしろ能力を特化させることは簡単なのだ。それを金に換えるのが難しい。だから偉人変人の類は大抵、いらない苦労を強いられるのだ。
 全く冗談じゃない。
 不要な労力を使わせてくれる。
 人間社会に置いても同じだ・・・・・・楽しておいしい思いをした奴の方が得をするという事実。そしてその反動は、後の世代に押し付ける。本来後の世代を支えるための行動が、この様だ。
 何故社会においてこんな事が起こるのかというと、「子供のままでも大人になれる」からだ。
 中身の薄い人間というのは大抵、そういう環境に愛されているからなのか苦労をしない。少ないではなくしないのだ。
 自分達が環境に恵まれたことに自覚がないとも言える。要は何一つ苦労を知らないけれど、自分達は己の力でやりきったと「勘違い」しているので、「努力すれば出来る」とか、言い出すわけだ・・・・・・本当に楽そうで羨ましい。
 そして大した苦労もしないまま大人になり、子供に対して「如何に自分達が苦労したか」だとかを訴える。苦労した人間が己の苦労を吹聴することなど本来有り得ないが、彼らは「自分達は凄く苦労をして頑張ったから今ここにいる」と、思い込んでいるからだ。
 駄目なモノを引き継ぐ典型例だ。
 子供はそんな大人を見て絶望する・・・・・・結局は運不運だと悟るのだ。それが、今の世の中だ。
 要領のよさだとか。
 天性の才能だとか。
 幸運と金だとか。
 そういう「中身のないモノ」こそ力を持つのだと自覚する。そして誰も「中身」などという役に立たないゴミは、もう見もしない。
 世の中そんな程度だと、しっているからだ。
 私にはそれが我慢ならない、のだろう。だから物語なんて書いているのかもしれない。書いたところで、実利がなければ意味はないのだが。
 まったくな。
 だが・・・・・・そういう子供のまま、あるいは成長しないまま大人になった人間を見て思うのは、結局のところただの幸運であれ、「実利」がどれだけ人間性がクズでも出るならば、「成長」することにはいったい何の意味があるのだ?
 結局、勝つのは持つ側だ。
 人間のクズだ。
 ならああいう風に生きることの方が、結局のところ「実利」が得られるのか? 何一つ成し遂げず動物のような醜い欲望で、誰かその辺の人間の思想を鵜呑みにし、苦労を語る人間のクズ。
 そちらが得をするならば、意味など無いではないか・・・・・・綺麗事よりも実利なのだから。
「そうでもないぜ」
 口を挟んだのはジャックだった。私はファーストクラスを頼んでいるので、他の乗客に迷惑をかけることもない。完全な個室だ。
 こいつは綺麗事云々と言うより抽象的な噺だから、あまり役には立たないかもしれないが。
「成長しなければ、小さな事すら克服できないままさ。冷蔵庫に指ぶつけてヒステリー起こす人間と、社会構造に不満を持ち、富裕層に怒りを感じる人間とでは、違うだろう?」
「私は指をぶつけたら普通に苛立つと思うがな」「はは、まぁ聞けよ先生。人間ってのはあの女の言うとおり、全く同じ運命を辿っている、てこともないだろう。だがな、先生。見渡す限りの小さな出来事で一々神経を荒立たせている人間よりもそれなりの幸福を享受する人間の方が、幸せに生きられると思うぜ」
「なら、豊かな持つ側でそうするさ」
「それがそうも行かないんだな・・・・・・一定以上の富を持つ存在なんて、先生の言うとおり搾取の頂点に立つ「自覚無き極悪人」か「芸術家」くらいのもんさ。だが金を多く稼ぐって事は、人間の欲望の渦に長く、深く触れるって事だ。それは先生の思う「平穏な生活」とは、真逆のモノになるだろうぜ」
「適当に稼いで隠居すればいい。私は別に有名になりたいわけでも作品を認められたいわけでも無いのだからな・・・・・・金が欲しいだけだ」
「そうかもな。案外それはありかもしれない。先生は芸術家であると同時に俗物でもあるからな」「大きなお世話だ」
「そう怒るなよ、軽い冗談さ。だが、先生の言うところの「中身のない人間」って奴らは、永遠に幸せには成れやしないぜ」
「どうしてだ。金はある。豊かさもある。幸運もある。他に何がいる?」
「それを感じ取ることが出来ない、からさ。どれだけ恵まれているか理解できないんだから、先生みたいに「これだけ欲しい」とか、上限がないんだよ。だからいつでも不満を感じている。どれだけ金があっても、どれだけ才能があっても、それに満足することが出来ない・・・・・・常に不満を内側に抱えて、生きる。先生には理解できないだろうが、これは事実だぜ。思うんだが先生は随分と希有な才能を持っていると思うよ。何せ自分を弁えることと、自分の幸福を知ることと、豊かさの招待を暴くことは、出来る人間は少ない。きっと先生みたいに数奇な人生は、そうそう送りはしなってことなんだろうが・・・・・・先生、先生は理解し難いかもしれないが、他の人間が一生を賭けてようやくたどり着ける答えを、最初から手にしているんだぜ。ある意味、人生をクリアしているようなもんだよ」
「嬉しくもないな」
 精神面でどうかなど、どうでも良い噺だ。現実に金がなければ、満たすことは出来まい。
 人間関係で悩んだり。
 認められずに悩んだり。
 人の意見で悩んだり。
 する方がどうかしているだけだ。
 未来に対する物理的な、つまり金の多寡のみで悩めばいいモノを、余裕のある人間はどうでもいい理由で悩んで死んだりする。
 羨ましい噺だ。
 楽そうで。
 女とか男とか、人類の半分はそうだというのに振られたとか意中の相手を取られたとか、そんなどうでもいいことで「人生終わり」みたいな顔をする。意味が分からない。
 金で悩め。
 金を求めろ。
 悩んで良いのは金だけだ。
 その金を無駄遣いして「金がない」と悩んだりと、「持つ側」の悩みなど、下らない。
「そうか? 人間は大抵そういうことで悩むんだぜ。金で悩むのは序盤だけだ」
「そうは思えないが」
「そのうち事実になるさ」
「金で悩まないなど、ありえないな。年を取ろうが取るまいが、金がなければ生きていけない」
「確かにな、失言だった。だが、実際稼ぎ始めることが出来れば、後はそれだけだぜ。そして、芸術家でもなければ大抵はその後、金を何に使うべきか、金を使う道がなくて悩むべきか、安定し始めた己の未来に悩むのさ」
「私もそうなると? 私の場合そもそもが安定していない以上、爆発的に売れない限り、有り得ない噺だ」
 それに、金の使い道で悩んだりはすまい。
 余裕のある状態で悩みなど、私は持たない。
「それがその他大勢は持つんだな、これが。それなりに満たされているくせに、「結婚しないと駄目だ」とか「趣味を持つべきだ」とか「仕事に誇りを持たないと」とか、電子世界に散らばる他人の意見で、人生の選択をあっさり誤り、どうでもいい女と結ばれて、満たされているはずなのに、不要な人間関係で悩むのさ」
「私にはそれは無い。必要なのは金だけだ」
「確かにな。なら、むしろ先生は売れた後の事だけ考えてりゃ良いじゃないか」
「売れればな」
「売れてからじゃ遅いさ。何かあるのかい?」
「そうだな、まず木造の家を建て、温泉を併設する。欲望のままに生き、本を書いて充実しつつ、それなりに楽しんで終わりだ」
「先生には欲望がないんだろう?」
「真似するだけでも結構楽しめるものだ。楽しければいいのさ。いずれにせよ不要な人間関係からは解放されるだろう。他は今と、確かに変わらないかもしれないが」
「なら、金は不要じゃないか」
「そうでもない。金の有る無しは「保身」私の安全を確認できるかどうかに関わる」
「でも、紙幣なんて絶対のようで国が傾けばただの紙切れだぜ。それは先生が言ったことだろう」「確かにな。だが無いよりはマシだ」
 後は本の宣伝にでも使うか。
 全人類に私の本を読ませて、人間性を破壊してやるのも、面白いかもしれない。
「まぁ当面は作品の宣伝だろうな。有名かどうかはどうでもいいが、売れ行きと、影響は気になる噺だ」
「影響?」
「ああ。人間に私の作品はどんな影響を与えるのか? それほど興味があるわけではないのだが、まぁこれは見せ物としては楽しめる、位のモノだから、気にする必要もないだろう」
「趣味、悪いぜ」
「五月蠅い」
 宇宙船のエンジン音は無い。静かに、ただ静かに銀河の大海原を駆けるだけだ。景色としてはいいのだが、音がないと迫力に欠けるな。
「なぁ先生。先生は本当は、何も欲しいモノなんてないんだろう? なら、どうして金が必要なんだ?」
「そうでもないさ。「作家業」で金を稼ぎ、それを「生き甲斐」とすることで「幸せ」に成りたいとは、思っているさ」
「それしか方法が無いだけだろ?」
「まぁな」
 だが、別に構わない。
 明確な目的意識は人生を充実させるために必要であるし、何より嘘も突き通せば、それもこうも長い年月を掛ければ、真贋など無意味だ。
 どちらでも同じ事だ。
 私からすれば、だが。
「あえて言えば、作家として充実した生活を送り続けること、が私の望みなのかもしれないな」
 そういう意味では、私はそもそも「女」という生き物とは相容れない気がする。
 彼女らは「子供」を至上の幸福と、本能的に感じる生き物だ。よくあるのが「子供を産めなくなる」事に対して「絶望」する人間だ。
 私は「産めるようにすればいい」か「誰かに代わりに産ませればいい」と「結果」を重んずる人間なのだが、女という生き物は「気持ち」だとか「過程」こそを重要視する。
 過程。
 過程が良くても結果が伴わねば意味がないと、そう思う私からすれば真逆の発送だ。だからきっとあの女とも相容れないのだろう。
 元より気持ちで動く女と理屈で動く男という生物は根本から違う生き物だ。生物として協調性を必要とした女と狩ることを主軸においた男の違いは、どちらが正しいとも言えまい。
 だが、私は過程などどうでもいい。
 どんな「手」を使おうが、何人死のうが、惑星が滅ぼうが「己が良ければそれで良し」となる私には、「実利」という「結果」こそ全てだ。
 少なくとも女の思考は現実には即していない。感情に生きるとはそういうことだ。現実ばかり見ていれば私のような人間になるのかと思うと、やはりバランスって気もするが。
 それでも欲しい。
 金が欲しい。
 なければ嘘だ。
 それが、本物であるならば、だが。
 誰に押し付けられたわけでもない、己で選んだ道・・・・・・だが、あくまでもその道を選んだのは、その先にある「豊かさ」「成功」「勝利」が欲しかったからに他ならない。それがなければ意味があるまい。
 これは個人だけでなく、社会も同じだ。何か一つを突き詰めると言うことは、その他を捨てることになる。
 人間性は最初から無かった。
 人並みの幸福すらも。
 だから金を求めた。
 それは悪いことなのか? いや、悪かろうが何だろうが、金の力で「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を手にしてみせるぞ。
 とはいえ・・・・・・私は既に作家としてやり遂げるべき事を、既に終えている。傑作は幾度と無く書き上げてきたし、後は待つだけだ。
 いや、売り上げを上げるためにもここは作品を広めるべきなのだろうが、それが出来ていれば、苦労はしていない。広めることそのものはとにかくとして、「売り上げ」につながる宣伝など、何をすればいいのかさえ定まるまい。
 結局は口コミが必要なのだから、見る目のある読者が広めてくれることを祈るしかない。まぁ、無料サービスが普及する世の中で「モノの良さ」を喧伝する奴は少ないが。皆、無料のサービスが貰えて当たり前、という意識がある。
 そういう意識で本を読む奴が読者ならば、私に出来ることはない。金も払わずに本を読んでいく奴らなど、私からすればただの泥棒だ。読者ではあるまい。だからある意味、私の作品には読者、と呼べるほどの人間が集まっていないと言える。 読むだけなら猿でも出来る。
 広めてくれなければ噺にならない。作家の仕事は噺を書くことで、広めることではない。
 さて、ここで問題だ。
 ここで考えるべきは何だろうか?
 答えは簡単・・・・・・信じるならば疑いも持たなければならない、ということだ。

 人間の可能性を信じるならば、それより更に、人間の可能性を疑わねばならない。

 未来の希望を信じるならば、それ以上に未来の絶望を感じなければならないのだ。

 可能性を信じるのは簡単だ。だが、信じるだけなら猿でも出来る。人間には可能性があるが、それは裏側を見れば原始的で動物的で欲望のままに生きる、人間の醜さ、「見たくもない部分」を、良く知らねばならない。
 それを知らない奴に語る資格はない。
 語ったところで、薄っぺらいだろう。
 読者も同じだ、奇跡を起こして物語を広めてくれるかもしれないが、それ以上にクソの役にも立たないで立ち読みだけする身勝手な姿も、考えておかねば嘘だろう。そういう読者は必ずいるからだ・・・・・・良い読者だけがいるなど、有り得ない。 私がこれから向かう惑星には「難民」が多いらしいが・・・・・・難民を本気で助けたいと思う人間など一人もいないだろう。
 どこか遠くの噺でしかないのだ。
 勝手に取り上げて話題にして「悲劇」を金に換えるだけだ。「可哀想に」と言う自分自身に、なんて自分は道徳的で素晴らしいのだろうと、自分自身を「肯定」する為だけに、利用する。
 現地に行って救うわけでもあるまいに、馬鹿な奴らだ。素直に「どうでも良いし、自分達の国が迷惑するだけだからジャンジャン死ね」というのが「本音」の癖に、「文明人」であろうとする。 皆に合わせていないと怖いのだ。
 自分達が本当は「己のことしか考えていない自分勝手な生物」だと認めることが出来ないのだ。 馬鹿馬鹿しいことに。
 事実から目を背けて「良い人間」であろうとする。幼い、どころではない。醜悪だ。
 自分が悪だと気づいていない、のではない・・・・・・・・・・・・認める気が無いのだ。恐ろしいことに、「自分達は絶対に正しい」と思い、かつ「邪魔をする奴は悪」だと断定できる。
 しかもそういう人間に限って、「社会的な発信力」は高い。馬鹿ほど物騒な武器を持つ。
 何も考えない奴に、破壊力すら不明な兵器を使わせるのが世の常だ。人類は科学の力で技術は進歩したが、進化はしなかった。
 精神は大昔から変わらない。
 資本が絡めば戦争をするし、感情が絡めば突発的に人を殺す。気に入らなければ阻害するし、自分こそが特別でキチンとした人間であると認められなければ、腹が立って仕方がない。
 理想のみで現実を語る。
 「皆で」決めようとする。
 自分の立派さが分からない人間は、どうかしていると断定する。己の過ちは見もしない。
 訳の分からん生き物だ。
 人間なんて、滅んだ方が世のために成ると思うが・・・・・・「環境と共存」も何も、人間が居なければ戦争も環境破壊も無いだろうに。
 それでも、「自分達の正しさ」を信じようとするのだ。自分達が「悪」だと自認しようと、意地でもしない。
 目の前を見もしなくても「持つ側」なら生きていけるし美味しい思いも出来る、というのだからやるせない噺だ。
 自分の考えこそが世界全てで通じると思っているのだ。通じない相手には「難しくてわからないです」を繰り返す。理解を放棄する。
 人間は、醜い。
 まずはその事実を認めなければ始まらないと言うのに・・・・・・所詮この世界は個々人で出来ている・・・・・・有能な個人が牽引することで、この世界は動かされてきた。正しいかどうかなどどうでもいいが、現実的であることは「事実」だ。
 無論それによる弊害、一部が持つ世界というのはあるが、それにしたって「話し合い」で解決するような問題ではない。
 それは流されているだけだ。

 本当に世界を「変える」ということは、今ある世界全てから「戦い」を挑まれるという事だ。

 戦いを挑まなければならない状況というのは、当人の意志から発生した「誇り」から産まれる。己自身から産まれない「流された」考えで世の中は変わらない。それを理解する時代も、来ることはないのだろうが。
 人間は個体の奴もいるが、群体の方が多い・・・・・・考えない方が楽だからだ。考えもしない癖に、それらしい「結果」いや「理想」と言うべきモノを求め、それでいて行動はしない。
 実に楽そうで羨ましい。
 考えない人間というのは。
 選びたくも無いのに「困難な道」を歩かされている私からすれば、本当に羨ましい。楽な道を、困難を避け無難を行く、というのは。
 自分の間違いを認めないでいるのは。
 私のような最初から「お前は間違っている」と言われ続けた人間からすれば理解し難いが、だだをこねているだけで何かが変わると信じる。
 空気に流される。
 何も考えずに。
 怖い意見は認めない。
 それが現実だから。
 現実は怖いから。
 認めない。
 認めないで、綺麗事で納めようとする。
 それが人間の習性なのかもしれない。
 中身が無くても形が整えば、それでいいと。
 頑張っているからとか、素晴らしいからとか、一生懸命だからとか、馬鹿か。
 だから何なのだ。
 結果のない綺麗事など、醜悪なだけだ。
 具体的なことを考えずに生きてきた奴ほど、それが「道徳的な答え」だからと言って、押し進める馬鹿は多い。迷惑な噺だ。具体的な方策のない言葉など、妄言と変わるまい。
 自分の歩く道は自分で決める。それが生きると言うことだ。だが、物質的に満たされていれば、人間は「自分で何一つ選ばなくても」生きていけるようになった。科学の発展は、それを加速させるばかりだ。
 そもそも人を踏み台にすることの何に罪悪感を抱いているのやら・・・・・・「踏み台になれて感謝しろクソカス共」位の考えで行けばいい。何人死のうが星が滅ぼうが、罪悪感など抱く必要はない。 それこそ幻想だ。
 当人の勝手な自己満足でしかない。
 だが、その一方で人間の信念が「結果」に結びつかないのも「事実」だ。そして信念が報われるのに「時期」だの「いつか」だの、そんなのは言い訳でしかない。
 報われないのだ。
 本当に尊いなら報われてしかるべきだ。だが現実には「歩く道」を決めようが決めまいが、運不運で勝者が決まる。
 だから案外、何をしようが同じならば、自分で自分の道すら決められない人間でも、どうでもいい理由で、運不運で、幸せになるということか。 尚更意義のない噺だ。
 サイコロを振るのと変わらない。
 だから案外こうして作品の執筆のため、あれこれ考えることそのものが、壮大な無駄なのかもしれなかった。それを自覚しつつ、こうして作品について検討している辺り、手遅れな職業病って気もするが。
 とりあえずは休める内に休んでおくか。後は情報の整理と、確認だ。事実だけを揃えておこう。 客観的な事実と己の休息。
 何かをする前に、必須の作業だ。
 これから向かう惑星を支配する「空気」は貧困と戦争だ。金を信じると言うことは「人を信じない」と言うことであり、人を信じると言うことは「流れを信じる」ということだ。だが、形のあるモノしか信じない今の世界では、金と武器と食料のみが、少なくともその惑星では信じられているらしい。
 私にとって「始末屋」は労働でしかない。無理に彼らを助ける必要すら無い以上、適当にこなして行きたい。「労働」は無難にこなすに限る。どうでも良い事柄だからだ。逆に「仕事」は無難どころか、息を吸って吐くよりも自然に、いつのまにか終わらせているものだ。
 問題なのは誰にでもあり得る「職業病」というモノ、充実感があり「苦労を認識すらしない」からこその「仕事」だが、しかし職業病による仕事への没頭のしすぎ、というのはやはり治すべきなのだろうか・・・・・・きっと、治らないのだろうが。 治す気が起こらないから「仕事」と呼べるのかもしれない。個人的には、良いところだけを取りたいものだが。
 今回の事柄も、すべからく私は「物語にするにはどうするか?」を考えてしまう。結構な頻度でうんざりするが、だが同時に「自身は作家足り得ている」という奇妙な確信もある。因果な商売だ・・・・・全てを仕事に変えるというのは、つまりそういうことなのだろうが。
 何をやろうが仕事なのだ。
 全てを仕事に活かす。
 出来ればその手間が、金になって欲しいが。
 そうでなくては、こちらとしてもやりがいがないというものだ、それでは本末転倒だしな。
 私は情報サイトを開いた。
 「立派さ」を追求すればするほど、中身はボロボロになるものだ。この惑星の政治形態も、どうやら同じ様だった。
 口に出す内容だけは一人前だ。
 表向きは、だが・・・・・非営利団体の活躍によりめざましい発展を遂げ、貧困と戦争による爪痕は徐々に回復しつつある、「ということに」なっているようだ。こういうのはどこでも同じだ。内実より、大声でそれらしい言葉を叫ぶ方が、優先されるモノなのだ。
 だから実状は散々だった。
 口に出してそれらしいことを述べる人間というのは、どうやら法則でもあるのか、実利や結果を出すことは出来ないらしい。まぁ、綺麗事や自分が出したわけでも無い「誰かの手柄」をさも自分自身が体験したかのように語る馬鹿の言葉など、この程度であるのは当然か。
 所詮、そういう人間は口だけだ。聞く方からすれば、五月蠅くてかなわないが。まるで蠅だ。
 そういう人間は決して消えない・・・・・・集団であれば必ず、馬鹿や怠け者はいる。落ちこぼれの出来損ないだ。
 数だけは多いが、何の役にも立つまい。
 だが、社会というのは実質役に立つか、何かを成し遂げているか、自分で考えているかよりも、立場とか要領とか搾取とか、およそ生物として似つかわしくないくらい汚らしい生き物の方が、美味しい思いをするものだ。
 世の中そんなものだ、豚の方が楽を出来る。
 生きていれば、誰にでも分かることだが。
 社会を変えようがそういう意味では無駄なのだろう。何も考えず声だけが大きい豚が、立場だの権力だのそういう見えないモノで偉ぶる以上、何をどう変えようが無駄だ。
 物事の根底にあるのは当人達の意志だ。意志が腐っているゴミの多い社会など、変えられるはずもない。
 人間のゴミは多い。いや、もう「人間」と呼べるほど「自分で考え」て「自分の目で判断」することができ、「未来を考える」ことの出来る人間など、いるのだろうか?
 少なくとも、数は少なそうだ。
 崇高だろうが尊かろうが、数が少なければ正しくなることは断じて無い。ただ流されるだけで何一つ考えない人間というのは、私からすれば気持ち悪くて仕方がないが、しかし「楽をする」のは間違いなく彼らなのだろう。
 正しいかどうかは知らない。
 楽なことだけは、確かだ。
 何せ、値に一つせず成し遂げもせず、目指すことすらしないのだから。
 それを生きていると呼ぶのかは、やはり知らないがな。死ぬ寸前に後悔するのか、あるいは後悔する思考すらないのか。豚の幸福というのは、案外彼ら自身では考えることが出来ないわけだからその「畜産としての幸せ」を認識できないからこそ、何にでも苛ついて不満があるまま終わるのかもしれなかった。いずれにせよ私にはあまり縁のない噺だ。考察する程度しか、そんな豚の人生など価値はない。
 しかし、考えてみれば経済など流されている人間達の不安そのものだ。株の下落の原因は、大抵が誰が言い出したのかもしれない下らない理由から始まる。ともすると、やはり豚を上手く活用することが「金持ち」に成る方法なのかもしれない・・・・・・面倒だが、やってみるとしよう。
 それらしい「大義名分」があれば何人殺しても許される。いや「正しい」ことになるのだ。国を守るためだとか戦争を早く終わらせるためだとか一体、誰に言い訳しているのか、あるいは自分自身に言い訳しているのか知らないが、とにかく、 人殺しの理由には十分だ。
 テロがあれば大量虐殺しても「良い」。
 資源があれば軍事介入して現地人が何人死のうが「どうでもいい」のだ。「紛争を終わらせる」とか、もっともらしい理由があれば、どうせ国民はすぐ忘れてくれる。
 現地の兵隊が女をレイプしようが、殺そうが、死体を焼こうが虐殺しようが「正義」だ。情報が漏れたところで、どうせそんなのは一部だと、そう言い聞かせればいいし、止められる存在も、国家暴力には存在しない。
 だから「殺人は正義」なのだ。
 驚くべき事ではない、昔から良くあることだ。国家であれば何人殺しても「正しく」できるし、間違っていたところで適当に謝罪すれば、これからは反省して良くしていく姿勢を出していれば、一回二回の虐殺など、罪にはなりはしない。
 事実だ。
 現実だ。
 見ない奴の方が多いが、生憎事実というのは見る人間の数では決まらない。誰も見なかろうが、ただの事実。どう自分達に言い訳しようと自由でしかないが、別にそれで事実は変わらないぞ。
 言ったところで、どうせ一生、見たくないモノは見ないままなのだろうが。見たいモノだけを見る人間というのは、相容れそうにないな。
 事実を暴く作家からすれば、楽そうで羨ましい噺だ。
 どうなのだろう・・・・・・私には計りかねることだがしかし、世の中は「バランス」というモノが存在するのだろうか? 能力にかまけて楽を、あるいはそれは幸運かもしれない・・・・・・が、落ちぶれるというのは珍しくないらしい。無論、成功し続ける人間もいるのだろうが、「成功」するのは、誰にでも出来る噺だ。運や才能があれば、だが。しかし「し続ける」となると難しいのは確かだ。タイ・カップのようには行くまい。行ったところで、敵を作るのは明らかだ。
 今まで苦労したから報われるのか?
 今まで楽をしたから落ちぶれるのか?
 分からない。
 一概にそうだ、とも言えまい。人生は、生きるということは単純ではない。努力したところで、結果が実らないのは当たり前だ。一方で、何もしなくても成功し続ける人間が居るのも、この世界の常ではある。
 ただ、私が断言できるのは「油断」しなくなるのは確かだ。最初から成功し続け「油断」しない人間も多いが、「敗北」ばかりこうも続けて味わい続けると、「全てを疑うこと」を嫌でも覚えるようになる。
 それが良いのかは知らないが・・・・・・それで金になってないところを見ると、最初から成功し続けることが一番良いのでは、とも思う。
 だが私は思うのだ。
 成功しか知らない人間など、面白くはない。人間としての深みは絶対に出ないだろう。まぁそんなモノが出たから何だって気もするが、少なくとも作家には向いていなさそうだ。
 成功しか知らない人間か。
 人に何かを教えることは出来ないだろう。無論成功するに越したことはないし、個人としては、最高の待遇だ。私ならそちらがいい。
 ただ、成功しか知らない人間には「高いところからの景色」しか見えないのだ。強さも弱さも、全く持てない私が言うのもお門違いな気はするがしかし、「強さ」だけある人間というのは、成功しか知らない人間というのは、何を言っても説得力を持つことはない。
 それは成功しているからであって、能力があるからであって、幸運があるからだ。当人達がどう「努力した」とか説明しようが、真似するだけで凡人がそうなることは有り得まい。
 つまり参考にならないのだ。
 成功者の言葉など、ただの戯れ言だ。
 無論、私個人としてはそういう楽な道を歩きたいのだが・・・・・・先述した「バランス」のことを考えると、それが良いのか? 判断できまい。
 少なくとも私は「今までの失敗のおかげで」何かに成功したことなどない。失敗は失敗だ。敗北は敗北だ。それを上手く活かし、勝利できるなら苦労はしない。
 その程度で勝利できれば。
 苦労しない。
 今更過去などどうでもいいが、しかし考える。因果応報、というのはあるのだろうか? だとすれば、今までの苦痛のおかげで成功したのだ、とか偉そうに言われるのか? 御免被りたい噺だ。 成功したからと言って、苦痛や苦悩、そういったあれこれが無かったことになるわけでもないしな・・・・・・それとこれとでは話が別だ。
 いずれにせよこの世界は「敗北者」よりも、成功したり勝利したりする「持つ側」を中心に、社会経済を回している。そして持つ側はいつだって「持たざる側」を本当の意味で理解はしない。
 精々、寄付だの綺麗事だのをばらまくだけだ。 持つ側に出来ることなど、それだけだ。
 変革や革命は「持たざる者」でしか成し得ないと言うことか。考えてみれば「革命」の先導者が裕福な人物であるなど、聞いたこともない。
 大抵、貧困の中から出るものだ。
 渇望する人間の強い意志、というのは。
 そう考えると「面白そう」だ。作品のネタにはなるだろう。私は「正義」や「悪」だとか、あるいは「理不尽」だとか「公平」だとか、そういうモノには興味があまりない。
 私個人の糧になるかだ。
 作品のネタになるかだ。
 つまり私の為になれば、どうでもいい。
 私が良ければ何が正しくても構わない。悪人ぶるつもりもないが、しかし事実だ。そういう人間特有の傲慢さで何人死のうが、どれだけおぞましい世界を作り上げようが、どうでもいい。
 私個人の幸福が全てだ。
 他の人間など知ったことか。
 私は邪道作家だからな・・・・・・充実や生き甲斐、そして経済的豊かさがあれば、他のことなどどうでもいい。惑星が百や二百滅ぼうが、な。
 綺麗事など溝に捨ててしまえ。
 「実利」と「結果」それが全てだ。
 それが伴わない「綺麗事」など知るか。
 何人でも死ね。綺麗事で自分を貶めるよりも、私は惑星が滅ぼうが、私個人が納得できる結末がいい。綺麗事で下らない自己満足など、御免だ。 私は私の為に生きる。
 それだけは曲げさせない。相手が何であろうがな・・・・・・邪魔する奴は「始末」する。
 無論、私は敵を作りたくはないので、そうそう人と争ったりはしないのだが。作品に描く分には誰も文句は言わないだろうしな。
 便利な職業だ。
 我ながら。
 成功や失敗に法則があるのかは分からないが、まぁ良い状態であるに越したことはないだろう。そのためにも今回の労働をさっさと終わらせたいモノだ。
 私は情報を整理する。
 私は正義の味方でも何でもない・・・・・・空気を切れ、という依頼内容についてはおいおい考えるにしても(恐らくは現地の政治に絡むものだろう)無理に人を助ける義理もない。そもそもが正義の味方など、「言い訳をして人を殺す」輩でしかないしな。
 悪人との違いは言い訳をしながら悩んで殺すか、悩まず殺すかの違いでしかない。
 正義、と言うモノは人間の欲望から生まれるものだ。「誰かに認められたい」「ちやほやされたい」そんな動機で動く連中の中身は薄っぺらいものだ。だから私は主人公、というのが嫌いだ。
 敵だけ出していればいい・・・・・・私自身、本が駆ける状況で「ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活」を送りながら、金に困らず楽しんでいけるのならば、他の全人類が地獄に堕ちても、鼻歌を歌いながらそれを眺めて楽しめる人間なのだ。うじうじ悩んで仲間の一人二人が死んだくらいで悲しむ奴など、見ていて不愉快だ。
 どうせ出会いに恵まれているのだから、別の奴に乗り換えればいいではないか、そう思う。幾らでも代わりは効くのに「かけがいのないモノ」と思い込みたがる連中は、つまらない。
 暴力で認めさせることが「正義」だしな。正義が何かは暴力の多寡で決まる。そんなモノを眺めていたところで、面白くも何ともない。
 やはり「悪」だ。
 悪でなければつまらない。
 悪こそが・・・・・・面白い。
 情報を見る限り、どうやら難民問題の本格化により、政府軍と反政府ゲリラ、PMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー)の本格参入による泥沼化で、そうとう混乱しているようだった。 現地の人々を助けるために。
 そんなお題目のようだ・・・・・・何時から人を助けることが義務になったか知らないが、こういう義務感は政治にも言えることで、投票は行けと言われて行くものではないのと同じだ。支持するカリスマがいるからこそ行動するはずが、行動そのものに「正当性」みたいなモノを張り付けて、行動していればいいや、と考えることを放棄する。
 現代社会には「価値観の義務づけ」が悪い病のように横行しすぎているのだ。
 価値観の押し付け、とも言える。
 義務づけられた価値観など、ロクな結果は産むまい。現にこの介入する軍事勢力とて、頼まれてもいないのに見えない「世論」に合わせて、道徳的に振る舞おうとしているだけだ。笑えるのは、「道徳的に人を助けるのは正しい」と思っている癖に、手段は人殺しのところだろう。
 誰も頼んでもいないのに。
 殺す。
 私たちのおかげで平和になっただろ、と。
 図々しく言うのだ。
 難民を受け入れることが道徳的に正しいからとやってはみるものの、彼らは現実を見ているわけではなく、ただ「立派だ」と認められたいだけだ・・・・・・そんな人間が、現実的な打開策を用意しているはずもなく、難民問題は完全な棚上げ、放っておけば時間が解決してくれるとでも思い込みたいらしい。
 解決しないぞ。
 根底にあるのはお前達の無責任さだからな。
 「己の道」を選ぶことこそ「生きる」ということだ。困難はある、苦難もある、苦痛もある、それでも歩き続けていく。
 それが「生きる」ということだ。
 だが、誰かが言っている言葉で、誰かが言っている新信念で、誰かが言っている生き方で、道を選ぶ人間は後を絶たない。私は全能の神でも、全てを知る人工知能でも、有能なアンドロイドでも無い、ただの作家だ。その私に言えることは、己で選んだ道ではない場所で、己の求める「幸福」は決して存在し得ない、という事実だ。
 それは事実。
 己で信じた道を歩くしかない・・・・・・なんて、私からすれば不明瞭な未来はあまり好まないのだがしかし、それ以外では「幸福」に成れないのは、確かな事実だ。
 成功しなければそれも元も子もない噺だが。私は私自身の道に自信を持っているが、人生という奴は厄介なもので、当人の誇りや意志は、あまり売り上げには関係がない。
 参る噺だ。
 それもまた「生きる」ということの一部なのだと思うと、一筋縄では行かない噺だ。
 まぁ私には心がないのだがな・・・・・・ここで改めて説明しておくと、「心が死ぬ」と「心が無い」では別物だ。その貧困地域などでは、絶望したりして心が死ぬ人間もいるのだろうが、私の場合は最初から概念として存在しない。
 そういう意味では、心が死ねる人間は羨ましい・・・・・・死んでいるだけで、心はそこにある。私の場合はどれだけ手を尽くそうが、無いモノはどこにも有りはしない。
 精々人間の物真似をするだけだ。
 悲しんだり絶望したり喜んだり勇んだりする、人間の姿を、真似るだけ。結局のところ私には、絶望することすら「したくても出来ない」のだ。 だから、最初から「幸福」に成る方法など、ないのかもしれない。いやきっと、通常の方法では有り得ないのだろう。だが、それでも止まれない・・・・・・まるで亡霊だ。
 心を求めてさまよう、亡霊だ。
 どうでもいいがな・・・・・・亡霊だというならば、亡霊のまま幸福を掴み取ってやるまでだ。金の力で「幸福」だということにするのもいい。
 いずれにせよ金、金、金だ。
 少なくとも平穏な生活は買える。
 いっそわかりやすい快楽でも楽しめればいいのだが、しかし「没頭」することが「夢中」になることだとするならば、私が時間すら感じずに、それを続けることが出来るのは「執筆」だけだ。
 だから金だ。
 まずは金だ。
 金が無くては成り立つモノすら成り立たない。無論作品に支障は一切無いが、作品を売る、となると金はかかるしな。
 私はソファに身を預けながら、考える。
 結局のところ、資本主義社会において起こる、数々の犯罪、問題、格差、そういったあれこれは全て、「貧富の差」によるものだ。善人ぶって、つまりは綺麗事を言いながらそれらを解決すると言う人間を、信用してはいけない。なぜならそう歌う人間こそが、「持つ側」に立っていて、美味しい思いをしていながら、所謂「良い行い」をして人に認められたいと願っているだけの、直視できないほど醜悪な正義だからだ。
 誰も見ようとしない。
 少なくとも「持つ側」は・・・・・・貧富の差など、最初から存在してなくて、むしろ自分達はそれらを解決するために動いている、と思い込む。
 きれいな人間でいたいからだ。
 実際には当人達のせいで、格差が広がっているとしても、だ。「持つ側」が直視しなければ、根本的に貧富の差は解決しない。そして「持つ側」に生まれついて成っている人間などに、直視する能力はない。
 現実を直視することなど、彼らには無い。
 見なくても生きていけるからだ・・・・・・金があれば道徳も社会正義も買える。逆に言えばただのカスこそが、社会を動かしているのだ。変えようがあるまい。
 この社会では持つ側が正義なのだから。
 「空気」を切るという変わった依頼、しかし一時的に空気を変えたところで、意味のない自分達の満足感を満たすためだけの支援が増えるか、あるいはチャリティーが頻繁に開かれるだけだろう・・・・・・持つ側の自己満足で終わる。
 世の中は持つ側を中心に回っている。
 だが、持つ側に「信念」や「誇り」はなくても成れる。鐘さえあれば、カスでも成れるのだ。
 そしてカスに出来ることなど知れている。自己満足に綺麗事。そして意味のない一体感。
 それで世界が変わった気になるのだ。
 楽そうで羨ましい限りだ、本当に。
 とはいえ、私はそうは行くまい・・・・・・少なくとも依頼人の女は納得すまい。そういう結末を避けるために、ごまかしの効かない人間である私に、依頼したとも取れるのだから。
 私にごまかしは効かない。
 だから作家をやっている。
 必要なのはいつも事実だ。
 つまり綺麗事をいう人間というのは、貧富の差と言う現実から、「持つ側と持たざる側の存在」から、目を背けた奴なのだ。だから私は、そういう人間が許せないのだろう。
 頂点より各々の個性を。
 個性も無い人間が叫ぶ。
 目指さなくても良いと。
 私から言わせれば、都合の良い綺麗事に飛びついているだけだが。下らない。頂点など事のついででしかない。個性など己の道を歩いていれば、勝手に周りが呼ぶものだ。問題は金だ。
 金を持つ人間こそが、個性だの、あるいは私のような「異端」に憧れるというのだから、笑えない・・・・・・いや笑えるのか?
 言っておくが、異端で良い事など無い。
 物語の主人公のような、と言えば聞こえは良いがしかし、大抵の代わりの効かない人材、芸術家の類というのは、人生で良い思いはしない。
 知らないから憧れる。
 よくある噺だ。
 アイドルの苦労も知らないでアイドルに憧れることと変わらない。「特別な何かになりたい」などと、異端である苦しみ、苦悩、苦痛、そして、その背負う「業」の禍々しさ。
 それらを味わってから言え。
 そうすれば拍手くらいはしてやるさ。手を打つだけなら金はかからないからな。
 業の一つも背負わないで、特別に成りたいなどと、ちやほやされたいだけではないか。どれだけ中身がないのやら。
 現実には金だ。
 ちやほやなど、されても鬱陶しいだけだ。
 その他大勢の意見など知るか。
 己の道を歩けば誰でもそうなる・・・・・・無論、そんな人間だけでは社会は成り立たないので、だからこそ凡俗がいるわけだ。普段楽している癖に、特別さが欲しい、などと図々しい奴らだ。
 どうでもいいがな。
 わたしにはどうでもいい。
 どうでもよくないのは金だけだ。
 ただ、それに勝るモノがあるとすれば、それは
 己の矜持。

 誰にも理解されずとも、己で定めて己で切り開き、己で進む。
 そこに求めるモノがある。
 そうでなくては、面白くないからな。
 男など、そういう生き物だ。
 女は、何だろうな・・・・・・案外、そんな男を馬鹿だと思うのかも知れないが、しかしそれを眺めて楽しむのも、また女かもしれない。
 心というモノは一度、「持って」しまえば、捨てることは叶わない。死ぬこともない。死んだところで、やはり動いてしまうものだ。
 私には分からない。
 男も女も、人間はすべからく「理解」は出来ても「共感」することは、永遠にない。それが出来るようになれば、もう「私」では無いだろう。
 矜持も誇りも、私には理解できて共感できないものだ。だが、どうやらそんな私でも、己の道を選ぶことは出来たようだ。
 作家という道を。
 私は選んだのだ。
 例え心が無くとも、私は選んでそれを歩いた。 だから後悔はない・・・・・・心がないことに対する劣等感すらも、無い。
 ただ考えてしまうのだ。私にはない景色を持つ彼らの思想を。そしてそれは「己の道」を選ぶことで輝くのかと、考えてしまう。
 それが面白い物語になるのか、とな・・・・・・これも職業病か。我ながら不自由なのか自由なのか、よく分からない話だ。
 構わないがな。
 戦争の背景も似たようなものだ。対して考えもせずに「利益になりそう」という理由で戦いは始まる。ご大層な大義名分をひっさげてな。無論、目的は大抵が資源、その次に奴隷、そして戦いそのものを金に換える手法である。
 戦争は金になる。
 軍事力を提供する側、になればだが。
 無論、「軍事力の必要性のアピール」という、見栄のような理由もある。ここで言いたいのは、起きていることが大事だからと言って、理由も同じく大層であるとは限らない、ということだ。
 この紛争惑星もそうだろう。
 どうでも良い理由で戦い、死に、革命を望む。 世の中そんなものだ。
 調べてみると、どうもこの戦場では何らかの実験が行われている節がある。と言うのも、政治力の大きい政府が介入し、戦場を激化させ、さらに横流しの品で戦わせているのだ。
 争いを激化させる基本だ。Aが強ければBに、Aに対抗できる装備を流す。そしてAがそれに感づいた頃に、更にそれに対抗できる装備を売る。 後は繰り返しだ。

 

 戦争というのは厄介なもので、「感情」で動いていることが多い。というのも、人間が合らそう理由は理屈ではなく感情だからだ。
 子供のまま育つと教師か戦争屋になるのは、何時の時代でも同じ事だ。過ぎた力を安易に手に入れられるようになり、そして安易な方法で勝利した人間は進歩しない。
 だから戦争は終わらない。 
 絶対に。
 本能のようなものだ。争いを根本的になくすならば、それこそ私のように「人間を辞める」必要があるだろう。まぁ私は邪魔なら始末するが。
 大体が私の場合先天的異常であって、後天的に人間が心を捨てることは出来ない。これは仕組みの問題だ。私が決して人間と共感できないように彼らも、決して人間性を「無くす」ことは出来ないように作られている。
 感情が死ぬことはある。
 だが、死んだところで死体は残る。死体のような心であって、心が無くなることはない。そもそも心のない人間は、感情が死んだりしない。
 端から「無い」のだ。
 だからよく分からない話だ。争い続けて、一体何が欲しいのやら。恐らくは「栄光」だとか「名誉」だとか「勲章」が欲しいのだろうが、それらは全て一貫して「見栄」と呼ぶのだ。
 認められたいという欲求か。
 私にはないものだ・・・・・・実利があればそれでいいではないか。だが、彼らからすれば誰かに認められ続けることは重要らしい。自分で自分を認めることが出来ない異常、それが正体だ。だから、その他大勢に「君は間違っていない」と言われなければ「不安」になる。
 馬鹿馬鹿しい噺だ。
 笑えないのは、大勢がそれを信じていることか・・・・・・どいつもこいつも。
 金で満足できない馬鹿共が。
 貧富の差か・・・・・・思えばそれも、人間の見栄が行うものだ。独占しようとすれば足りなくなる。そして分け合うことを、人間は絶対にしない。
 誰かが死ななければ、誰かを踏み台にしなければ、誰かが不幸でなくては生きていけない。人間の本質はそれだ。そして、そのくせ金で満足できない、金よりも尊いモノがあるはずだと、恥ずかしげも無くほざくのだ。
 どちらかにしろ。
 私は金を選ぶがね。
 お前達は選べていないだけだ。
 社会情勢に関してはこのくらいでいいだろう。問題は現地の人間の動きか。私はニュースチャンネルを電脳世界から携帯端末でアクセスさせ、開いた。今ではニュースなど、時間の概念のない電脳世界で見るのが一般的だ。私のように画面で、それも旧世代の「端末」などという、無ぶり法則に縛られるやり方で、科学の恩恵を得ようとする人間は稀だろう。
 わかりやすいというかなんと言えばいいのか、一人の少女がクローズアップされていた。どうも「悲劇のヒロイン」として広く、貧困の声を届かせるとかで、引っ張りだこらしい。
 下らない。
 だから何なのだ。
 貧困地帯の人間の写真を撮って、「意識を変えて世の中のために動こう」みたいなアピールをすることに、意味はない。
 ただ空気に流されているだけだ。
 別に当人達の意志で、何かを助けることなど、有り得ない噺だ。
 ただ「道徳的」だから合わせているだけ。
 それだけだ。
 悲劇は金になるからな・・・・・・実際、だから何だという噺だ。貧困地帯でなくても貧困はある。ただ単に「わかりやすくて同情しやすい」だけ。そんなモノから産まれる善意など、鼻クソと同じ。 汚らしいただのゴミだ。
 薄っぺらい偽善に価値は無い。
 それで世界が変わることも、無い。変わればいいなと、自己満足をするだけだ。実態としては、この惑星も「光り輝く石ころ」の為に何人も何人も死体が積み上げられているようだ。石ころを集めるために殺し合いをするなんて、暇な奴らだ。あるいは、頭が子供のままなのか。
 そういう人間に限って、権力を握るが。
 ならば成功者だとか勝利者というのは、何も考えずに生きてきた馬鹿の象徴なのか。だが、そういった人間こそが、美味しい思いをしているのもまた事実・・・・・・事実なのか?
 事実ではないか。
 美味しい思いをしようと何をしようと、精神が幼すぎて「満足」出来ないのだ。こういう手合いは何をしたところで満たされることはない。
 それを幸福とは言えまい。
 あるに越したことはないが、権力などあったところで邪魔なだけだ。面倒事が増えるだけ、とも言えるだろう。
 と、なると私は「作品の出来」とその売り上げ以外に、やはり関心を払う対象は無い。今回の件も、精々「傑作」のネタとして、利用させて貰うとしよう。
 悲劇は様になるからな。
 物語を際だたせる、いい材料だ。
 集団でデモを起こすだけで「革命」を起こせると思っている馬鹿共の姿は、見ていて忌々しいが・・・・・・プレートを掲げて叫んでいれば、政府が要求をのむとでも思っているのか?
 馬鹿馬鹿しい。
 革命に必要なのは「社会的に容認されること」即ち他の政治連合との共存だ。無論交渉材料がなければ噺にならない。誰だって利益は大事だ。善意で人を、まして金のかかる国を助けたりはしない・・・・・・それこそ意味はない。難民の保護じゃないが、善意で助けようとする場合、何の後先も考えてはいないからだ。
 「暴力」で支配し「政治」で絡め取り「契約」で成立させる。それが革命だ。実際、国民の総意などどうでもいい。そんなモノは国家の運営に関係あるまい。だから無理矢理にでも「法案」を通すなりして、「支配」する口実を作り、「政治」の実権を握ることだ。
 民意など何も動かさない。
 何も。
 大勢が騒いでいるだけだ。アイドルのコンサートと、根本は変わらない。
 国民の安全など「出来ている」と言い張り、誰にも詳しく調べさせず、暴力で弾圧できればそれでいい。実際に守る必要などどこにもない。
 政府は民衆のためになど、あるわけが無い。
 所詮、それも利益が絡んで動かしているのだ・・・・・・利益が絡めば、誰かのためには動かない。
 権力があれば責任はかかるが、責任を実際とる奴は一人もいない。誰か適当な奴にやらせれば良いだけだ。その結果、貧困に喘ぐ人間がまぁ何人かは死ぬかも知れないが、関係あるまい。
 事実そうだしな。
 権力があれば、「人殺し程度」は許される。
 資本主義の基本だ。
 貧乏な奴には人権が無いというのが、資本主義社会の意向だ。最も、一部の富裕層のための社会ではあるが、我が儘は通せれば正義だ。
 それが暴力によるものでも。
 通せば「正し」くなる。
 それは「空気」においても同じだ・・・・・・貧困による空気を変えたいのならば、その空気を支配する人間を雇えばいい。
 かくして、私は「悲劇の空気」を支配する少女の護衛任務という体で、その惑星へと向かうのだった。

   3

 結局のところイタチごっごだ。テクノロジーが幾ら進歩しようが、扱うのが人間である以上、その人間を買収してしまえば意味はない。
 だから護衛は必要なのだ。
 何時の時代でも。
 裏切りの可能性がある限り、だ。
 今回、紛争地帯の聖女様は世の中全体の空気を変える、貧困の声を聞かせるとか、そういう綺麗事を浸透させて金に換えているのだろう事を考えれば、紛争が長期化して欲しい連中からすれば、邪魔な存在でしかない。
 メディアの掲げる「聖女」など信用ならんしな・・・・・・文章で「聖女」と書かれているからと言って、実態がそうである保証など有り得まい。
 だから面倒な依頼だった。
 いっそわざと失敗して帰ろうかなと思わなくも無かったが、あの女に嘘が通じるようにも、あまり思えない。「寿命」の問題もある。ここは適当に護衛してさっさと終わらせるのが吉だろう。
 労働に身を費やしたくはない。
 あくまでも、私は作家だ。
 本で金を稼がなくては、価値は無い。
 人の都合で金を稼ぐなど奴隷ではないか・・・・・・寿命はともかく、金に関しては本で稼ぎたいモノだ。実際、私は金に困窮しているわけではなく、むしろ金持ちだが、だからといって「生き甲斐」を仕事にすることで「幸福」を得るという手段を放棄するわけにも行くまい。
 目的はあくまでもそれだ。
 ならば取材だけは済ませておくとするか、悲劇のヒロインというのも、見るだけなら面白そうではあるしな。
 空気に流されて判断し行動する、という群衆の生態も、正直興味深い・・・・・・行動しようとしても空気に合わせられない私からすれば、物珍しくさえある。だが、「空気に流された決断」に夜結果は、決して「己で望んだ結果」にはなり得まい。 そのくせ「自分の望む結末」と違うと嘆く、馬鹿な原始人の姿を見るのも、面白そうだ。見せ物としては上出来だしな。
 思うのは・・・・・・貧困地域の人間というのは、どう足掻いたところで「未来」に「絶望」しか存在しないと言うのに、へらへらと笑う奴が多い。
 それは決して「富よりも大切なモノがある」などでは無く、ただ単に「未来の絶望が分からないだけ」でしかない。現に、あらゆる紛争地域では内紛が起こり、戦わない人間は死ぬか、亡命を行って、知らない国に一方的に頼るだけ、大して未来も考えずに、へらへら生きてきた人間が、未来に勝利することなど「持つ側」以外では有り得ない噺だ。
 知らない人間の「善意」を「アテ」にする生き方が、もし尊い生き方だと言うならば、なおのこと図々しいだけの飽食の考えなど、価値は有るまい・・・・・・そんな生き方では勝てない。
 だから貧困に喘いでいるのだろうが。
 だが、あらゆる手を尽くしたところで、金を掴めるかと言えば、答えはNOだ。ならばこうしてあれこれ手を尽くしている私も、結局のところ、「持つ側」にいなければ、ああやってへらへら笑って現状を変えようとしないカスと、同じ扱いを受けるのだろうか。不愉快な噺だ。
 「運命」があらかじめ「決定」されているならば、そういう事になるだろう。忌々しいことに、私の作品は金に換わっていない。
 ならば、何もせず、何も成し遂げず、偶々運を授かったカスと、やはり「結果」としては同じなのか・・・・・・だとすれば、報われない噺だ。
 報われたくてやっている。
 金の為に書いている。
 自分の幸福のために語っている。
 読者の幸せの為などでは、断じて無い。
 当たり前ではないか、私にだって生活はあるのだ。読者が何人笑おうが、それは私個人の生活には塵一つ分すら関係があるまい。まぁ、私の持論が正しければ、動機は結果に関与せず、あまり意味のないモノだが。
 だから綺麗事で動こうが政治と利益で動こうが結果的に「人を救え」ばそれは正しいかは知らないが、とりあえず善行ではあるらしい。少なくとも国という存在は、人を殺した分だけ人を救えば「殺人」ではなく「作戦」になるからな。
 私から言わせればそもそも「人殺し」が「絶対的な悪」であると言う考えが、そもそも矛盾しているが・・・・・・散々今までそれを肯定して戦争と侵略と植民地を作り上げてきた癖に、よくまぁコロコロと教科書の内容だけで、自分達の倫理観の正しさを肯定し、「良い人間」でいられるものだ。 自分達を正しいと思い込む。
 それで大抵の罪悪は存在さえしなくなる。
 羨ましい噺だ・・・・・・人生楽そうで。真面目に生きることについて考えたところで別に、そいつらよりも上等な生物でもなく、むしろ「運不運」に左右されるのならば、考えたところで何一つ人間は変えられない。
 偶々「幸運」な「持つ側」だった猿共が羨ましい。ああであれば、私は作家などにならなかっただろうが・・・・・・やはり「幸福」には成れないだろう。空気に合わせて生きる人間など、空気に合わせて仕事を選び、相手を選び、年を取ってから後悔して、やりたいことが何なのか? それすらも分からずに、何一つ考えないまま、死ぬだけだ。 ただのそれだけだ。
 人間とは呼べまい。
 それは猿の人生だ。
 私は人間として、非人間として「仕事」を「生き甲斐」にし「充実」して「平穏」に暮らしたいのだ。今更猿の幸福など必要ない。
 空港を出て待ち合わせ場所に向かいながら考える・・・・・・私は幸福になれるのか? そのヒントくらいはあるだろう。無いかも知れないが、貧困に喘ぐ人間は、幸福への参考程度にはなる。
 歩き続けて(最近では歩く人間も少ない。大抵がハイテクの恩恵を受けて移動している)私は目的の店に着いた。
 ステーキを出すカフェレストランだ。無論、稼いで栽培された真空宇宙産のコーンに、培養されたクローンの細胞から出た肉を焼いている店だ。 正直、食欲が沸かない。
 旨いのか? いや、それ以前に何でも機械に任せ続けて、もしこのステーキの中に毒でも入ったらどうするのだろう? あるいはそれはテロリズムからくる人為的なモノかもしれない。こういうのはもう古い考えだが。
 それこそ「結果」だ。
 結果的に、ステーキが出来れば農家の苦労など必要ない。いや、おかしい。自分で言っていて私は矛盾に気づいた。私は、結果を求める人間だ。しかし農家には過程を求めそうになった。だが、「頑張っている」姿勢など、農家がどれだけそうアピールしようが、味には関係ない。
 結果が全てだというならば、過程などどうでも良いしな。結果が早く出てそれが利益になり、無駄を省ければ人間はとりあえず満たされる。
 満たされることと幸福になることは別の話だが・・・・・・しかしどうでもいい。実際問題私には幸福には成れないのだ。「仕事」を生き甲斐にすることで「充実」は出来るのだろうから、とりあえず妥協案として目指しているだけだ。
 金が有ればそれも満足できるから、どうでもいいのだがな。
 どうでもいい。
 考えたところで、「結果」猿のように生きてきた人間と結末が変わらないならば、考えることも時間の無駄だ。
 精々時間を有意義に使う道具でしかない。
 私には、そうとしか思えない。
 本当に。
 思えなかった。
 それとも、案外人間は無意識で「未来」を感じ取っていたりするのだろうか? だとすれば猿のように生きている人間はともかくとして、自分の信じる「己の定めた正しい道」を歩いている人間は、案外あっさり、当人が不安に思っているだけで、長い目で見れば「幸福」になれるのか?
 分からない。
 私は神ではない、作家だ。
 だが、作家だからこそ分かることもある。未来が見えたりはしない。幸福な道かも分からない、だが・・・・・・結局のところ「自分で信じる」しかないのだ。それはハッキリと分かる。
 誰に言われたわけでもない己で定めた己の道・・・・・・・・・・・・その先にしか、きっと幸福は無い。
 私の歩くこの道の先にあるかは、正直、分からない。分からない故に、不安もある。だが、この道が間違っていると思ったことは一度もない・・・・・・私はそんな殊勝な奴ではない。
 胸を張って言えることは、私の作品、物語は、希代の大傑作だということだ。それが認められないのであれば、時代が悪かったと思うしか無い。 無論、時代が何であれ金は手に入れるがな。
 それが、私だ。
「失礼」
 言って、目の前に座った女は酷く、堅そうなイメージを保持していた。教頭先生の様な眼鏡に、黒のスーツ。一瞬、私以外のSPの一人かと勘違いするほどに、堅苦しい女だった。
「貴方が「先生」ですね?」
 呼び方を気にして私が統一したのだ。サムライとしての、そして今回の依頼中で使われる私のコードネームでもある。
「ああ、そうだ」
 私は言って、相対するように座る女に、コーヒーを代わりに頼んでおいた。飲み物を奢ることが目的ではない。人間は、気分が良くなれば口も軽くなるモノだ。と、打算を込めて頼んだのだが、「私は旧タイプのアンドロイドなので、必要ありません」
 と断られた。
 旧タイプ、と言うと食べれはするが、栄養に変えられないタイプなのだろう。どうも堅苦しいと思ったら、単純にオツムの回転が遅いらしい。
 じろり、と凄い目で睨まれた。どうやらこちらの思考を読んだらしい。勝手に人の思考を読んでおいて八つ当たりとは、面倒な女だ。
 私は注文をキャンセルし「それで、何で旧タイプのアンドロイド様が、ここに?」と噺を促すのだった。なぜここにも何も、呼ばれたのは私なので当たり前の流れではあったが、わざと察しの悪い「フリ」をして、相手に必要以上の情報を吐かせるのも情報戦の内だ。多分な。
 ただ性格が悪いだけかもしれないが。
「我が主は人間を信じないので」
「だからアンドロイドか。だが、それなら最新型のアンドロイドを買う金は無かったのか?」
 当然ながらわざと怒らせている。
 女は人間もアンドロイドも、プライドだけは高い奴が多いからな。それが女と言う生物だ。
「・・・・・・最新型では、何事にも言えますが「利用されやすい」という欠点があるのです。市場に出てある程度立ったものでなくては、ウィルスやそれに準ずるモノに対して対策が取りにくい。対して旧型のアンドロイドならば、仕組みは簡単ですしウィルスにも対応しやすいですから」
「つまり、脳にウィルスを入れられても、馬鹿なら風邪にかかっても大丈夫、と言うことか」
「言っておきますが」
 凄み、という空気があるならば、まさにこれだろうという雰囲気を女アンドロイドは纏った。驚きだ。アンドロイドも凄みを放つようになったか・・・・・・それで怯む私でもないが。
「貴方の代わりは幾らでもいるのですよ」
「そうだな、だが一時の怒りで主の護衛を外すつもりかな」
「・・・・・・」
 長い紫の髪をしたアンドロイドは、どうやら典型的な「マニュアル人間」のようだった。アンドロイドなのにマニュアル人間とは、おかしな噺だ・・・・・・主の意向には従順。だがプライドは高く、それでいて事務的な対応だ。作業的に仕事をこなすタイプ。見た目は黒のスーツに紫の髪以外、取り立てて珍しい見た目ではないが、逆に言えば、当人の性格の堅さを、服装で表している。
 服装が堅いのは、単純に中身に触れられたくないからだ。逆に言えば、この女はプライベートではお子さまなのだろう。そう思った。
 思っただけで口には出さないが。
 この手の女は、人前での見栄に拘るのだ。
「ところで、何と呼べばいいのかな」
「スリープです、以後、お見知り置きを」
 スリープ・・・・・・だらしなさそうな名前だ。少なくとも、目の前にいる女には相応しくなかった。 変えればいいのに。
「我が主のつけて下さった名前です」
 別に聞いてはいないが、わざわざ教えてくれるのだった。まぁ、趣味は人それぞれだ。とやかく言うまい。
「それで。細かい打ち合わせと聞いていたが」
「ええ、まずはこの惑星の情勢から、話していきたいと思います・・・・・・簡単に言えば軍閥、PMCと政府軍、そして革命主義者の集団が、この惑星を囲っています」
「どう違うんだ?」
 ある程度知ってはいたが、知らないフリをすることにした。人づてに聞く情報とでは、ニュースの情報サイトは温度差がありすぎる。
「まず、軍閥というのは文字通り、「軍事力」で政治を握ろうとする軍団です。有り体に言えば、元政府軍ですね」
「元、か。政府軍の中から離反した、と」
「ええ。先頭経験が豊富な連中が多く、一言で言えばプロの軍人集団です。最も厄介と言えるでしょう」
「政府軍とPMCは、何故括ったんだ?」
「蜜月の中だからですよ。潤沢な資金がある政府軍ですが、自前の装備や疲弊した中での兵力はしれています。外注した方が安くつくんです」
「どこも同じだな」
 奴隷労働でやらされていることが、戦場でも行われているとは・・・・・・人間の本質は、どこも同じと言うことか。
「なら、革命軍は大したこと無いのか?」
 そんな訳がないのだが、当人から聞いた方が、「どの程度」かわかりやすいので、聞くことにした。
「いいえ・・・・・・自爆位なら平気でやってのけますよ。連中には強いリーダーがいますから」
「やはりか」
 言って、知っている癖に言わせたのかと避難する視線にさらされたが、無視した。
 ある程度組織が円熟すれば、リーダーは自然、出てくるものだ。だが、「死して尚叶えたい理想の世界」を歌えるようになるまでは、相当の時間と復讐心が実らなければ難しい。
 思った以上に自体は長期化しているようだ。
 どうでもいいがな。
 作家の私には関係ない。あったところで、やはり知らん。ジャーナリストなら真実を伝えたがるし、貧困支援団体なら避難するだろう。だが私はただの作家なので、作品のネタになれば、他はどうでも良い余所事だ。
 私の作品の糧に成れ、そうすれば寄付くらいしてやるさ。無論、寄付したところで寄付した食料や水を巡って争うのだろうから、それはそれで面白そうではあるがな。
「そしてその戦火の渦から「お嬢様」だけを守って欲しいと言うことか。やれやれ、参ったな。そんな厄介な状況の上に、小娘を守らなければならないとは」
 途中で見捨てようかな。
 それも面白いかもしれない。
「報酬は十分用意していますが」
 勘違いしてはいけないのは、その「報酬」あくまでも「生きていれば」払われるということだ。己の実力と戦力、情報、環境を踏まえて行かなければ、生きていくことは難しい。最も、何も考えないでもそれを成し遂げる猿がいるあたり、こうして策を弄することこそが、無駄なのかもしれなかったが。
「不服ですか?」
「不服かどうかよりも、内容をもっと詳しく教えて貰えないか? 私も、出来るのか出来ないのか分からない依頼を、受けるわけには行かないのでな」
 無論、根拠もなく「出来る」と口にすることは出来るが、口にするだけなら猿でも出来る。それなら私に依頼するなという噺だ。
「お嬢様は」
 と女は続けた。
「思想犯の疑いを受けて、健在政府軍から逃亡生活を送っています」
「思想犯?」
 初耳だった。
 まぁ、平和を歌う人間など、現実を知らないし知りもしない犯罪者に見えるのかもしれないが。「ええ。理想主義者、ではありません。確固とした理念、政治的思想をお嬢様は持っています」
「そうなのか?」
 平和を夢見るお嬢様の裏側が見えてきた。だがそれは想像以上、と言うか案外、私を楽しませることくらいは出来る「作品のネタ」かもしれない・・・・・・面白そうだ。
「ここに」
 お嬢様はいらっしゃいます、と言って一枚の名詞をスリープは取り出した。そこにはこの付近のホテルの名称が書かれていた。
 この「道」の先には何があるのだろう?
 何もないかも知れないが、少なくとも見たことのない風景くらいは見れそうだ。そう思いながら私は多少、軽い足取りで目的地へと向かうのだった。

   4

 私のような狂人でもなければ、人間は流される生き物だ。そしてそれで問題ない。扱いやすいからな・・・・・・有り得ないくらい確固とした自我、我欲、個性、何でも良いが、「それ」がなければ私のような人間は、他者の精神に介入出来る。
 いとも簡単に。
 少なくとも「心を破壊する」だけならば、手間はかかるだろうが簡単だ。自分をごまかしている人間であれば、その事実を突きつけるだけで良い・・・・・・そうでなくても人は脆いが。
 大切な人間であったり、あるいは復習心であったり、まぁ色々ではあるが、大切な人間は絆を壊すか信じられなくすればいいし、復讐心は矛盾を押し付けてやればいい。いずれにせよ己で道を定めていない人間の心など、発泡スチロールのようなものだ。
 放っておいても瓦解する。
 それを壊すなど、簡単だ。
 それが普通だがな。もし心が壊れない存在がいたとしたら、それは人間ではない。少なくとも私のように、「幸福の概念そのもの」が存在しないような「心無い非人間」が、同じ生物だとは分類しにくいだろう。
 どうでも良くないのは分類が何であろうが、外れていようが狂っていようが構わないが、私はそれに見合ったモノを手にしていない、という事実だ。だから強い個性を持つ人間を観察して、私は私を満たすに足る「何か」を探しているのだ。
 何か。
 私を満たすことの出来る「何か」だ。
 それが何かはわからない。無いかもしれない。だが探すことを止めるわけにも行くまい。
 少なくとも、幸福になりたいならば、だが。
 無駄、かもしれないが・・・・・・そういった試行錯誤の一環でもある。だからこそ私は今回、それなりの期待を込めて「悲劇の少女」の取材に向かうのだった。
「よぉ」
 そこにいたのは5・6歳にしか見えない少女だった。だがその少女は葉巻(麻薬だろう)を口にくわえて、だらしなく座っていた。
 雑誌に載っているような優雅さは、欠片も見受けられない。まぁ、本当に上品でも困るが。
「何だよ、イメージ崩しちまったか?」
「いや、構わない。話を聞こうか」
「ふん」
 言って、葉巻をガラスの灰皿に押し付け、ぐりぐりと火元を消した。随分柄の悪い少女だ。私のような清廉潔白な人間を見習えばいいのに。
 見習ったらこうなるのかもしれないが。
「護衛だよご・え・い。見ての通り可憐でいたいけな少女だろ? ロリジジィどもに食われないようお守りを頼みたいのさ」
「・・・・・・現地では、救いの象徴のように扱われていると聞いたが、実状は違うようだな」
「おうとも。そもそも俺は元々娼婦だったんだぜ・・・・・・汚ねぇ外交官のケツしゃぶってた女が、今や悲劇のヒロインだ。なぁ、笑えるだろう?」
 実際指を指して笑ったらこいつは怒るだろうかと思ったが、やめた。猫を被るのは疲れるしな。「まぁ見せ物としてはそこそこだが。悲劇としては三流だな、どこにでもある話だ」
「そうかい、そんなことを言われたのは初めてだぜ・・・・・・同情されるよりはマシだが、正直、ムカつく野郎だ」
「苛つかせるためにわざと言ったからな」
 ジロリ、と私を睨むが、しかし見た目がお子様な為、いまいち迫力に欠けた。美醜に関しては理解は出来ても共感は出来ない、だから私にはどうでも良い話だった。小娘が凄もうが過去のしょぼいトラウマを抱えていようが、本当にどうでもいい話だ。
 そして、
「アンタは本当は幸せな人間が憎いんじゃないのか?」
 などと、唐突に取材する側の私に、そんな事を聞くのだった。
「いいや、私にはそんな感情は無いな」
「そうかい」
 けどさ、とブランデーをぐぃ、と飲み込んで、それからぷはっと息を吐いて、彼女は続けた。
「そういえば、名乗っていなかったな。俺の名前はマリア、聖母じゃない方の、マリアだ」
「そうか」
「アンタのことはなんて呼べばいいんだ?」
「先生、とよく呼ばれる。そう呼ぶと良い」
「いいぜ、「先生」くくく。でもアンタほど、人に何かを教えるのに向いてそうな人間って、実際いなさそうだよな」
「逆じゃないのか?」
「いいや、俺だからこそ分かる。勝利し続けている人間、あるいは搾取し続けている豊かな国家から学べる事なんて、ないんだよ。豊かな人間から学べるのは、豊かな人間の余裕ある戯れ言だけだ・・・・・・生きるに即したことを学ぶなら、人よりも失敗の多そうな奴に聞くのが一番さ」
「・・・・・・私は人に教えるつもりも無いので、成功だけの薄っぺらい人間でもいいから実利が欲しいがね」
「そうかい? けどさ・・・・・・先生には成れないぜ・・・・・・先生はもう、持たざる人間の道を走ってきている。だからその先に何があるかは知らないけど、先生は「普通」って道を走ることは、もう出来ないのさ」
「役に立たんアドバイスありがとうよ」
 そんなことは分かっているし、それをどうにかする方法はないものかとここまで来たのだが、とんだ肩すかしだ。言っても仕方ないが。
「そうしょげたツラすんなよ、一杯やろうぜ」
「・・・・・・酒は健康に悪いからな」
「はっ! 健康だって? 生きてりゃその内死ぬだろう。そして持たざる側は何時死んだっておかしくない。大体が長生きなんて贅沢は、金に余裕がなければするもんじゃないのさ。俺みたいに自分を売って長生きしても、いいことなんか一つもありゃしないぜ」
「確かにな」
 実際、娼婦をやってまで長生きしている貧困層が「幸福」になれる未来など想像もつかない。想像できないように「持つ側」がコントロールしているから、そんな職業が成り立つのだろうが。
「しかし・・・・・・アンタ、先生と話していると気が楽だぜ。大抵の連中は意味のない同情をするか、偉そうに見下したりするもんだが、先生の場合はあるモノをそのまま見るし、何より上にも下にも立っていない。アンタは鏡だ」
「嬉しくもない」
 どうせなら上に立って、幸運だけの人間だとしても、実利を貪って楽して生きたいものだ。私は別に、お前達が劣等感を抱かなくても良い相手であるために、この世に存在しているわけでは無いのだが・・・・・・私の都合など、誰も考えはしないだろう。実際、私の都合を考えた奴など、見たこともないし、見ることも無いだろう。
 だから私自身が考えなければ。
 誰かが都合良く助けてくれることは無い。少なくとも、目の前の少女のように、周りが押し上げてくれることは、決してないだろう。
 読者は読むだけで役に立たんしな。
 金を払わずに読むだけだ。
 少なくとも、私の読者は。
 私は私の為に、私の幸福のために手を尽くしている。断じて読者の為だとか、世の為人の為だとか、あるいは誰かに喜ばれたり、この女のように「都合の良い相手」として頑張る為では、無い。 それを理解しようとする奴も、いなかったが。 いなくても構わないが、いないならいないで、私の幸福は私が成し遂げなくてはならない。無論そんな簡単に事が運べば、苦労しないが。
 堂々巡りだ。
 幸福のために手を尽くすが、心無い故に幸福の概念そのものが感じ取れない。だから行動しても無意味である上、行動しても結果は出ない。だが私が幸福になる為に出来ることはそれしか存在しない。私自身が動くしかないのだが、だから結果が手に入らない。
 幸運、だとかそういう根拠のない妄言を信じる訳にも行かないが、そんなものでもなければ勝てない。
 だから実質不可能だ。
 私は幸福に成れない。
 このままでは。
 とはいえ、私自身が幾ら変わろうが、最早そういう段階を過ぎているのかもしれない。普通の人間ならば労力を賭けた結果、機械が巡ってきて、押し上げるように目的を果たすのだろうが・・・・・・・・・・・・私の人生にそんな都合の良い「幸運」があるとは、到底信じられない。
 信じられるか、馬鹿が。
 あったら苦労していない。
 苦労しようがしまいが「結果」の善し悪しで決まるのだがな。そういう意味ではやりがいの無い挑戦だ。もう、何回「幸福への試行錯誤」をしたのか、数えてもいない。
 数えるだけ無駄だろうが。
 多くやれば成功するわけでもあるまい。
 だからと言って上手く行かなくて良い訳では、断じてないのだが・・・・・・それも「運不運」だと言うならば、私があれこれ考えても無駄だろう。
「悲劇のヒロインって奴はさ」
 言って、葉巻を吸って吐く。
 煙を弄びながら、マリアは続けた。
「実在しないんだよ。思いこみの激しい馬鹿、自己中心的な被害者妄想野郎の中にだけ、存在するものなのさ」
「感情で考える馬鹿な人間が、そうやって「おお可哀想に」とか、言ってる姿は確かに見るな」
 可哀想、だから何だというのが私の持論だ。
 可哀想な誰かを慮っている、のではない。単にそうしている自分が「正しくて良い行いをしている」と思いこみたいだけだ。そんな自己満足に巻き込まれる方は、たまったものではないが。
 自己満足の馬鹿ほど、迷惑なモノはない。
 そういう人間こそが、要領とか幸運とかで美味しい思いをするのだから、尚更だ。
 存在自体が忌まわしい。
 気持ち悪い。
 吐き気がする。
 貴様等の気味の悪い自己満足に、私を巻き込むな・・・・・・金も払えない癖に、こちらが払った金も忘れる癖に、気持ち悪いんだよお前等。
 私の人生は私のモノだ。
 自分勝手な「誰か」の為のモノではない。
 そんな当たり前の事すら学ばないまま、子供のまま人生を生きてきた人間の方が、私よりも金を持つのだというのだから、皮肉な話だ。
 実に、生き甲斐の無い世界だ。
 これで誰かを想えなど、押しつけがましい。
 図々しい、倫理観だ。
 実にな。
 この女も価値観を押し付けられてきたのだろう・・・・・・だからって同情するほど私は道徳的な価値観などに関心はないので、哀れんだりはしない。「それで・・・・・・お前は自分が「悲劇のヒロイン」を演じていることに自覚的なようだが、何の為にそんなことをしているんだ?」
「生きる為さ。決まってんだろ? 道を選べない人間だっているのさ」
「そうでもない。お前は自分でその道を選んだのだろう? 少なくとも、「悲劇のヒロイン」を演じてでも欲しい何かがあるから、だろうが」
 実際、諦めて娼婦のまま終わるという選択肢もあるのはある。それを選ぶことを許さない誇り、なのだろうか。分からないが、聞いて損はない。「・・・・・・やっぱりただ生きる為、かな。悪いけどさ、俺にはこれしか無かったもんでね」
「同情を操作して、憐憫を金に換えることがか? 何が悪いのだ。ただの商売ではないか」
 誰でもやっていることだ。
 娼婦とか、貧困とか、それらしい肩書きに隠れているだけで、何と人間らしいことか。
 別段、珍しくもない。
「へぇー・・・・・・先生は娼婦とか、そういう肩書きに騙されないんだね」
 大抵の奴は騙されてくれるんだけどなぁ、などと小娘、マリアは言った。
「それで金になるならな。で、貴様に憐憫の情を抱いて、金になるのか?」
 純粋な疑問でもあったが、彼女からしたら珍しい回答らしかった。
 どこでもその他大勢の回答は、似たりよったりということだろう。
「俺は10歳まで娼婦として「仕事」をしていた・・・・・・笑えるだろ? 金を払う奴がいればここでは「仕事」なのさ。で、しゃぶってた訳だが、そんな状況に飽き飽きしていた、ってのが俺の本音かもしれねぇな」
「飽きる?」
「ああ。別に娼婦でもそれを生き甲斐にする奴はいるだろうさ。それを卑下するのはお門違いだ。だがな・・・・・・顔も知らねぇ奴らの為に、産まれたときから奴隷になることが決まっていて、それを覆すことが出来ない、なんて生きていると言えるのか? 言えないね。だから噛み切ってやったのさ」
「それで、「噛み切った」後はどうした? まさか突然アイデアを閃いた訳でもあるまい」
「面白い奴だな、先生は」
 普通、もっと感極まって、役に立たない綺麗事を口にするもんだがな、とぶつぶつ彼女は言うのだった。
 知らないが。
 他がどうかなど、私が知るか。
 そうして欲しいなら金を払え。
 金を受け取ってから考えてやる。
「見ての通りさ。偶さか通りがかっていた国際支援団体に助けを求めて、そこから人脈を増やし、今に至る。簡単だったけどな、実際・・・・・・メディア関係は「悲劇の少女」ってキャッチフレーズに「ぞっこん」だったからな。実際、同情を心からしている奴は、いないんじゃないかな。皆「同情している自分スゲェ」って思うだけさ。んでもってわかりやすい「同情の対象」である俺の姿は、金になった」
 ただの、それだけさ、と事もなしに語った。
 実際ここにくるまでの苦労とか艱難辛苦とかあるのだろうが、そんな事を聞いたところで嫌な思い出でしかないだろうし、「頑張ったアピール」に私は興味がない。「結果」だ。「空気を切れ」という今回の依頼。それを達成するためには、まず「どうしてこの空気が産まれたか」を知るべきだろう。
「そりゃ簡単だよ。飛びつく餌が欲しいだけさ。実際、俺でなくても似たような立場の人間がいたとすれば、そっちに飛びついたと思うぜ。別にこの惑星ですらなくてもいいんだ。ただ、皆空気に任せて「自分で考えたくない」だけだからな」
 私はそういう人間に嫌悪を感じるが、この女はどうやら「諦め」が入っているようだ。そういう人間どもに、期待すらしていない目だ。私もよくするので、よくわかった。
 興味のない人間を見る目。
 その目で、虚ろに世界を見上げていた。
 面白い女だ。
「成る程な、大体理解した。お前は面白い女だし死なすのは惜しい。金さえ払うなら依頼は受けてやるとしよう」
「そりゃあ有り難いね」
 対して有り難くもなさそうにマリアは言った。まぁ当然か。彼女からすれば私は信用できる相手でもないし、する必要もない。
 信頼など必要あるまい。
 互いに求めるのは「結果」だけだ。
 それが「仕事」というものだ。最も、貧富が進むにつれ「仕事」はどんどん減ったがな・・・・・・何も考えないで奴隷になり、その苦労を我慢することが「美徳」となった。まぁ、現実から目を逸らしているだけなので、そういう生き方をする人間はすべからく後悔するものだが。
 奴隷であることを許容する人間は増えた。
 それが正しいと信じる人間も。
 「結果」よりも「過程」を重んじた結果がこれだというのだから、皮肉も良いところだ。過程を重んじている割には、何よりも中身が無くなって薄っぺらい世界が出来上がった。
 実際、彼らは信じることに根拠を必要としない・・・・・・「皆が」やっていればいいのだ、そしてその「皆」とは、デジタルコンテンツで見た「皆」であり、自分の目で確認することすら、しない。 そんな人間が成長するわけもない。
 子供のまま大人になる奴も、随分増えた。
 人間は小さくなった。
 だからこそ、こういう女は希少だった。少なくとも作品のネタになる程度には「面白い」。
 面白くなければ人間ではない。
 面白ければそれでいい。
 私は、常にそう判断する。
 国境も思想も宗教も貧富も全て、些細なことだ・・・・・・「面白い」かどうかに比べれば。
 こういう自分の判断が出来る人間も、今となってはいなくなったが、私はそうなるつもりもないからな。これからもそう在るだけだ。
 譲る気はない。
 生き方だけは。
 それでこそ「私」なのだから。
「じゃあそんな先生に大口の依頼だ」
 言って、ス、と名詞を差し出した。人を紹介されることの多い日だ。
「これからここで人を殺してくれ」

   5
 
 
 
 失敗をしなかった人間。
 そういう人間は、驚くほど「脆い」。困難な壁を越える経験もなく、その必要もなかったからだ・・・・・・私からすれば「持つ側」にいる人間が、そんな浅はかな傲慢さで失敗する様は理解できないが、考えてみれば確かに「持つ側」にいてそつなくこなしてきた人間が、「己の能力で不可能な事柄を可能にする方法」を考えるとは思えない。  私からすれば意味不明も良いところだ。不可能な壁を押し付けられ続け、困難な道を歩き続け、失敗し続け試行錯誤し続け、それでも尚良い思いのできていない、私からすれば、だが。
 まぁ、だからといって「今までの苦悩は君を成長させるためだったのだから喜べ」と言われたところで、納得できるはずも無いがな・・・・・・それもまた、今更言っても仕方がないが。
 高いところに届く分、倒れると起きあがれないと言うことなのだろうか。だとしたら私は球体って感じだが。
 嬉しくもない。
 だが、事実だろう。
 事実は事実。
 それを受け止めた上で、前へ進まねば。
 私が言いたいのは彼ら貧困層、へたを押し付けられてきた人間達は、私と同じく決して納得しないであろう事だ。寄付とか補填とか、そんなモノで人間の不満が満足するわけもない。
 馬鹿か貴様等は。
 結局のところ、当人達の魂が納得するしかないのだ、そしていままで散々自分達を痛めつけて、美味しい思いをしてきた「豊かな人間達」が何を口にしようが、聞く耳持たぬ。
 当たり前のことだ。
 「持つ側」には、その当たり前が感じ取れないらしいがな・・・・・・豊かすぎるのも問題か? 私からすれば意味不明だが、どうも猿のように何も考えず自分達の幸福、豊かさを「当然」と思い込んでしまうらしい。
 私はそれほど人徳者ではないが、誰かの幸福が誰かの不幸であること位は理解できる。私の代わりに誰かが不幸になろうが知ったことではないがしかし、彼らのように見ぬフリはしない。
 見た上で踏み台にする。
 それが「私」だ。
 それもまた「生きる」ということだしな。だから奪うこと踏み台にすること自体は問題では無いのだ。問題はそれを「当たり前」だと言い、散々踏み台にしておいて「善意みたいなもの」を差し出して自己満足し、それによって不満が金や権力で押さえつけられている現状だ。
 押さえつけながら「君たちを救いに来た」と、支援する国、政府、軍隊。民間の支援者達。
 ふざけるな。
 それが彼らの本音だろう。押さえつけられてきた人間達の、本音。
 お前達の綺麗事に付き合わせるな、お前達が関わらなければ私たちはこうなっていない、と。
 私にはどうでも良いがな・・・・・・誰かを食い物にすることで豊かさが守られるならば、国家間でどこかの国を食い物にすることなど、当たり前だ。 植民地惑星だったか。以前それを見たことがあるが、奴隷を使って自分達の反映があることなど調べれば分かりそうなものだが、自分達は直接やっていないから問題ない、と思っている。
 殺人者となんら変わりないが。
 そんな言い訳をして自分を騙せるのか? 
 少なくとも貧困を押し付けられる側、弱い人間の見る世界と、「持つ側」強い人間の見る世界というのは随分土と差が出る。無論、現実の認識を「押し付ける」のは「持つ側」だが。
 だから、現実には「結果」として、彼らの方が「正しく」なり「強く」あれる。そういう現実を知る人間は「尊さ」とかそういう「綺麗事」が、醜く見えて仕方がない。マリアと私だ
 だが「弱い人間」に権利はない。何かを押し通すことは出来ない。しかし今回は「例外」かどうかは分からないが、外部の人間である「私」が雇われてしまった。
 「空気」を「斬る」
 どうすればいいのか、とりあえずはとっかかりと言ったところか。首を突っ込むのは正直かなり面倒だが、やるしかあるまい。
 精々乗せられてやるとしよう。
 その「空気」とやらを感じ取る限り、どうも思うのは「不満のない人間」つまり持つ側、豊かな側の人間というのは、不満が無さ過ぎて、私のように「生きる」ということをあまり考えない。
 そればかり考えていれば私のように「作家」などという腐れ職業をすることになるのだから、それが良いか悪いかは知らない。自分達で勝手に調べて自己満足しろ。
 考えないでいると、「自分の基準」が無いのだろう。だからどうでもいい、この惑星なら奴隷の女を買ったりだとか、あるいは下僕を殺し合わせて賭をしたりだとか、弱い者を虐げることで快楽を得ようとする。
 実際、意味不明だ。
 そんなことをして、何が楽しいのだ?
 本でも読みながらコーヒーを啜り、チョコレートをかじっていた方が有意義に思えるが・・・・・・・・・・・・「自分が何を成し遂げたいのか」それを考えないでいるとどうも、「欲望の向ける先」がわからないまま「皆の空気に合わせて」わかりやすい欲望の先に力を向ける。
 そういうことらしい。
 私は殆ど自我が目覚めた時点で「目的意識」が在ったように思えるから、正直あまり分からないが・・・・・・「向かう先」の無い「パワー」など、無意味そのものだ。ただの力の無駄遣いだ。
 「向かう先」を「固定」して、「たった一つの目的の為に全てを捧げる」人間を「天才」と人々は呼びたがるが、そうではない。たかがその程度で「成功」出来る人間が、執念を語るな。
 それは「狂気」と呼ぶのだ・・・・・・実際、私がそうだからと言うわけではないが、歴史上で「圧倒的な何か」を残した人間には、才能があるようには思えない。ただ「狂気」だけは皆あった。
 自身に取り付く「悪霊」のような「業と言う名前の執念」こそが、無茶な結果を叩き出したと言えるのだろう。
 ともすると私には「狂気」が少し足りないのかもしれない。常日頃から物語について考え行動するくらいでは生ぬるい。何を犠牲にしても後悔しない「程度」では、足りないのだろうか?
 そうかもしれない・・・・・・無論、私は私個人の幸福を阻害するつもりは無いが、意識だけはしておくとしよう。読者が吐き気を催し読んだことを後悔し、人を信じられなくなる程度では生ぬるい。 私の作品を読んだ全ての人間が破綻者になれるように、精々精進するとしよう。
 その方が面白いからな。
 物語は、面白い。
 だから辞められないのだ。
 嘘八百で読者の心を汚すことは、面白すぎて辞められそうにない。
 まったくな。
 私は「持つ側」と違って「結果」だけを求めるので、向けるパワーは一つでいいしな。努力している自分自身に「立派さ」を感じるようになれば成長はない。努力したから何だというのか・・・・・・頑張っているアピールと結果は関係がない。
 だから尊さなどいらない。
 「結果」が欲しい。
 綺麗事はいらない、結果だ。
 本の売り上げだ。
 まぁ、こんなところで始末の依頼を更に受けている時点で、まだまだ「足りない」のだろう。それが「何か」は分からない。だが私は成長したいわけでもガンバつている姿が凄いと言われたい訳でもない。金が欲しいだけだ。
 まっとうに、生きたいだけだ。
 だからその結果、一つの尊い命が「始末」されようが知ったことではないし、罪悪感も無い。
 殺人は悪いことです、そんなことをする人間は幸福になれませんよと問われるならば、人間は、誰一人幸福にはなれないことになる。だったら別に構うまい。
 そうでなくても構わないがな。
 それもまた、「私の基準」だ。
 こんな風にあれこれ手を尽くすのは「悪い運命を克服したい」という目的があるためだが、っそれは即ち「未来を変える」ことに他ならない。
 だが、未来を変えることは大勢の人間の手で行われるからこそ成功するのであり、何より私は、未来を変えられる人間の輪の中に、いない。
 未来を変えられるのは、未来に生きる人間だけだ。そして問題なのが私は因果の輪から外れているのではないかということだ。
 少なくとも通常の人間と同じ運命の螺旋の上にいるならば、もう少し私自身の手で変えられるはずだ。しかし、私は私個人でどれだけ手を尽くそうが、「絶対に」変えられなかった。
 これは事実だ。
 だから何かしら「協力者」を媒介にすることで上手く行くのではと考えていたが、今回の件を鑑みるに、やはり誰でも良いわけではないらしい。 少なくともあの貧者ではダメだろう。どうやら彼女は「振動核弾頭」所謂「最終兵器」の根絶を望んでいるらしい。
 つまり理想主義者だ。
 実現可能性と言うよりも、聞こえの良い台詞で革命を促し「空気」を変えることが目的だろう。だが、そんな現実に不可能な「夢物語」を頭の中で描いている人間が、などと「物語」を描く私が言うのは何だが、しかし、役には立つまい。
 物語と同じくらいには。
 役に立たない。
 外交官を殺せ、という話を受けたのだが、しかしタカ派の外交官を一人始末したくらいで何だというのか・・・・・・書面を集めて国際連合に問いかけ「民衆の意志」で根絶を目指そうという、つまり何の根拠も具体性もない話だった。
 馬鹿な奴らだ。
 空気に流されている。
 空気を変えようという、空気に。
 昔からこういう連中はいるが、こういう奴らが何かを変えたことなど一度もない。変えることが出来たのはいつだって、手段を選ばず未来を見据え、何より私とは違って「持っている」人間達だけだ。
 持っているだけでは駄目だ。
 口に出すだけでも。
 「意志」と「力」が両立して初めて何かを変えられる。そしてそれが出来るのは「選ばれた」人間だけだ。集団で吠えている人間ではない。
 変えられないから不満をぶつけるだけだ。
 そして満足してそれで終わり。
 それが凡俗というものだ。
 いずれにせよ「神様」などというアホみたいな存在があるのならば、あるいはそれに類する存在があるのならば、あるいは単純にこの世が運不運ならば、我々個人の行動などで世界は変わらん。 馬鹿馬鹿しい話だが、こうも上手く事が運ばないと疑心暗鬼になってくる。もしかすると物語を書くという行為は「悪行」に神様とかいう権力者の基準ではなっているに違いない、とかな。
 意志も力も培うものではない。培ったところで人間に出来るのはどちらか一つが限界だ。意志を磨けば力が育たず力を育てれば意志が伴わない。 だから運だ。
 運不運だ。
 それを神と呼ぶのかはわからないしどうでもいいことだ。「見えない何か」が勝敗に関与するならば、それを味方に付けない限り勝利への道筋は立たない、という教訓だ。
 ただのそれだけ。
 だが、幸運に恵まれた人間はそれを己の力と勘違いして「皆の意志で世界は変わる」などと思い上がったあげく、こんな下らない依頼を私にするというのだから、何事も行き過ぎは考え物だな。 バランス良く生きたいものだ。
 まったくな。
 しかしどうだろう。かりにそんな埒外の存在がいたとして、「物語を書く行為は悪だ」と断定しそれが原因で成功しなかったり勝利できるか決まるのだとすれば、個人の意志に意味はない。
 まったくの、無力だ。
 まぁ神だろうが何であろうが、どれだけ偉い奴が相手でも、書くことを辞められないのだろうが・・・・・・そこまでして結果が伴わないとするならば・・・・・・それは、むなしい。
 やらない方がマシだ。
 今更引き返すことも出来ないので意味のない仮定ではあるが、しかし考えてしまう。
 作家としての道の先に「報い」はあるのか。
 この長い長い回り道に、それに相応しい実利が欲しいだけだ。人間性が手に入らず、幸福は感じ入ることは永遠にない以上、私にはそれを求めることこそが、案外唯一の「目的」なのだろうか・・・・・・わからない。
 「結果」だけが「真実」だ。
 それが全てだ。
 結果を見なければ、納得できまい。
 誰だってそうだ。私もそうだ。
 元より私は「良い結果」など一度も信じたことがないし、「最悪の結末」を先に疑っておいて、「薄っぺらい希望」を信じた、という事にしておく人間だ。要は「確定した結末」以外、私が心の底から信じる事柄など、無い。
 精々私の物語の傑作具合位だろう。
 疑う余地も無いがな。
 見る目のある読者に恵まれないものだ。
 そういうことに、しておこう。
 だが、例え未来が不確かでも、「作家」で在ろうとする以上、私は考えることを辞めるわけにも行かない。
 思うに、根拠のない自信で自分の作り上げたモノを信じられれば「半人前」。更にその根拠と加えて「売り上げ」があがれば「一人前」。そして「自分のやり方を通す」事が出来れば「一流」になり、「世界に影響を与える」を与えることが出来れば「本物」となる。
 まだまだ私は半人前と言うことだが、しかし、いや、それは素直に認めよう。私の作品の良さに読者共がついてこれていないだけの噺だ。
 今回の革命騒動で「影響を与える」ことができれば、私も成長したと言えるのだろうか・・・・・・いずれにしても私は「作家」であって「始末屋」だとか「勇者」ではない。人を救うことよりも、作品を売ることの方が重要だ。
 だから作品の販売の手配を済ませ、とりあえずこの惑星でも買えるようにしておいた。こんな荒んだ世界で私の本を読む物好きがいるのかは知らないが、作家が本を売るのは当然だ。
 例えそこが戦場でも。
 私に出来るのはそれくらいだ。
 私は作家だからな。
 今回の件にしたって、誰かを救いたいわけでもない。あくまで作品のためだ。「空気を斬る」という行為は「物語をもって世界に影響を与える」その手がかりになるかもしれないしな。
 だからそれだけだ。
 決して、何かを救ったりは、しない。 
 知りもしない人間を、大した裏付けもない薄っぺらい善意で救い、飽きたら捨てるほど外道では無いだけだ。
 そういえば、だが・・・・・・マリアと言う今回の依頼主の意向だが、何でも「試練」を与え、それを克服することで、民衆は幸せになれる、という考えらしい。
 その為に外交官を始末しろ、と。
 そう言う訳だ。
 外交官の不幸は波紋を呼び、この惑星が自立する良いキッカケになるだろうとの話だったが、しかしそもそも、誰もあの女に「試練を与えて」などと頼んでいない。
 試練を克服することが「幸福」。
 何とも聖女らしい答えだ。
 実態はただの押しつけがましい善意、つまりただの迷惑行為だがな。何が言いたいかと言うと、つまり周りが持ち上げればそんな下らない行為ですらも「尊い行い」になるということだ。
 それが「空気に流される」という行動の結果でもある。空気に流された結果、この惑星は自ら、「革命」だとか「国家独立」だとかそういう聞こえのいい文句をあの女から聞かされて、それに乗っかって破滅していくのだろうと思うと、何とも哀れに思った。
 思うだけで助けはしないが。
 私は優しくはないので、間違っている奴に正面から注意を促したりはしない。いや、この場合、間違えているかどうかは当人の基準なのだから、「愚かしい行動を流されるままする猿」に、考えて行動しないと痛い目を見ると、注意をしたりはしない。
 だから私には関係のない噺だ。「作家」である私にとって、前述したとおり作品のネタと私個人の利益以外は、どうでも良いことでしかない。
 そういう人間を「作家」と呼ぶのだ。
 他のことを、人助けとか誰かを救うとか、そんなことを私に求めるのは筋違いだ。
 金がなきゃ生きては行けない。
 面白くなきゃ、生きてるとは言わない。
 両立させるのが難しいのさ。
 そして、それこそが・・・・・・面白い。
 ・・・・・・・・・・・・本当のところを言えば、例えどれだけ作品が売れようが、「生き甲斐」を主軸に置こうが、私は決して、「幸せ」には成れない。
 だが、ただ「最初から心が抜けていた」などという理由で「幸福になれない」など、それを諦めるなど、私は御免だ。
 何をどう足掻いても「幸福」にたどり着けることは無いかもしれない・・・・・・だが「幸福を追い求める」試みが無駄だからと言って、どう足掻いても幸せになれないからと言って、素直に引き下がれなかっただけだ。
 ただの意地だ。
 気に食わなかっただけか。あらかじめ私の幸せが絶対に勘定されない世界に、身の程知らずにも挑み続けただけだ。
 結果、私は負け続けた。
 失敗し続けた。
 何度も何度も懲りずに追い求め、失敗しては方策を改め、また繰り返し、ついには傑作を書き上げ、ここまで来た。
 それでも、「結果」が出なければ「失敗」なのか・・・・・・事実、意志だけ伴っても仕方在るまい。 重要なのは結果なのだから。
 だからこそ私は「金が欲しい」そうでなくてはつまらない。そうでなくては嘘だ。最初から幸福になれない人間もどきが、ざまあみろと札束を抱えて痛快に笑う。 
 そのくらいでなければ、面白くない。
 面白い方が、やはりいい。
「何だね、君は」
 私が向かう先にいたのは、当然ながら殺害指令がでている外交官の姿だった。随分と羽振りの良い服を着ている。儲かることだけは確かそうだ。 結論からいって「空気を斬る」という目的がある以上、私は外交官を殺さないのだった。

   5

 開拓されていない場所で、紛争が起こるのはなぜだろうか?
 答は簡単だ・・・・・・分不相応な資源の山。それこそが人間を争いに駆り立てる。ただでさえ奪い合い殺し合うのだが、それに加えて「飢えている子供達の未来のために」などという下らない理由で「道徳みたいなもの」を満足させるために、燃料を投下するのだから、争いは終わるまい。
 飢えた子供達の為。
 誰かに頼まれたのか?
 頼まれもしていないのに、図々しくも偉そうに「人を助けてやる」「見ていられない」「こんな子供達を見捨てるのか」などと、良く言えたものだ・・・・・・自分達の国の子供を、救ってから言えば良さそうなものだが。
 実際、そんなものは善意ですらない。
 ただ「こんな道徳的なことをしている自分は凄い」と思いたいだけだ。問題なのは「持つ側」というのは、そんな子供のだだを実現させる力があるという点だ。
 全く持って忌々しい。
 善意の押し売りなど、子供かお前等は。
 私にこんな事を言われる時点で、もう人類の先は無いのではないのかと思わざるを得ない。事実ここに来ている人間達は、皆「良い事」をしているつもりで来ているらしかった。
 物事の裏面を見ようとしない。
 善意で世界が救えると信じている猿だ・・・・・・・・・・・・誰かが笑うために誰かが泣くという「事実」は、彼らにとって存在しないのだろう。
 だから惨殺することに罪悪感など無かった。
 私に罪悪感など無いが、そうでなくてもこんな連中、生かしておいて良いことはない。無自覚に善意で人を殺せる存在など、存在そのものが害悪でしかない。
 良いか悪いかは当人の勝手な都合でしかない。 例えそれが神でも、神の都合で導き出した都合の良い答えでしかないのだ。
 絶対的な正しさなど、ただの妄想だ。
 そんなことは、ベッドの上でやれ。
 
 
 「正しさ」は都合だと私は普段から嘯いているが、実際その通りなのだ。誰かが、あるいはメディアで「哀れみ」を促しているからと言って、実際それに値する人間である保証はない。変えようとしていないから変えられない。少なくとも何百年も歴史がある国、政府が紛争を許しているのはそれが「事実」だ。
 ま、どうでもいいがな・・・・・・人生を楽しむのに金は必要ないが、ストレスを避け、人生を楽しむ邪魔を排することが出来るのも、また金だ。
 金になれば関係ない噺だ。
 どういう理由で、誰が殺そうがな。
 私はその後、対立する部族を消滅させることにした。「サムライ」としての戦力があるからこそ出来る離れ業だが、実際には出来る国家がやらないだけだ。
 危険な地域に自分達の国民、兵士をあまり置きたくないのは当然だ。だから現地の人間を安く雇い入れて、危ない橋を渡らせ、国としての利益だけを得る。上手いやり方だ。
 紛争地域に対する政策の、定石と言える。
 しかしいつだって結末は分からないものだ・・・・・・私も散々、あれこれ手を尽くして先を予想する方の人間だが、それでも予想通りに物事が進む、という事態は殆ど無い。
 それが国にもなれば尚更だ。どんな手を尽くそうが必ず問題は起こる。問題なのはそれに柔軟に対処できるかどうかだが、しかし「先の見えない未来」という存在に対して、我々人間が打てる策は殆ど無いだろう。
 先が見えないから面白いこともあり、しかし現実に見えなければたまったものではない事柄も多くあるわけだが、それが国家間の利益が絡むと、不思議なことに解決策はたったの一つになる。
 誰かに責任を押しつける。
 そして無かったことにするのだ。
 実際、そういった紛争地域での問題は解決する必要性がどこにもない。民衆が忘れるまで放置していればそれで事足りるからだ。責任を消化するとでも言えばいいのか、とにかく、この惑星も例外ではなく「放置した責任の結果」という実に醜悪で人間らしい結末こそが、形としてあった。
 どうなのだろう。私は因果応報という言葉には反対(それなら私の作品は売れて然るべきだ)なのだが、なにかしら達成した事柄というのは良かれ悪しかれ、残るものなのだろうか?

 少なくとも私はそうしてきた・・・・・・誰かの為ではなく、己でやり遂げ、己の形にした。

 それが生きると言うことだと、今でも信じている。だが、それも「結果」形にならなければ、何も成し得ていないも同然ではないのか?
 「結果」こそが「全て」ではないのか?
 それは、こういった所謂「悪行」でさえ、形として出なければ、それで済んでしまうのではないかと、私は思うのだ。
 理想論としては成し遂げた「意志」が「力」になることが理想だろうが、生憎私はそんな意味不明な力で金を稼いでいない。
 意志というならそれは嘘だ。私は誰よりも狂っているかもしれないが、その分誰よりも強固な意志で、「作家」を志し、常にそう在った。
 だが、今のところは、だが、金にならない。
 それとも、案外あっさり意志の力が認められたりするのか? それはそれで、それならもっと早くすればいいのにと思わざるを得ないが。
 因果応報。
 いや、むしろ今まで積み重ねてきたモノが道を造り、それを我々は歩んでいると考えるべきなのか・・・・・・いずれにせよ「この世界にある指針」が分かれば生きやすくはなる。そういう意味でも私はこの紛争に興味があった。
 人間の欲望の、その結末に。
 欲望というのは便利なもので、一人の人間から「旨味」のようなエキスを産むのだ。そしてそれは「個性」になり「生き甲斐」になり「生き様」へと昇華されていく。
 最近はそういう人間も少ないが、しかし人間が人間に興味を持つのは、本来そうあるべきではないか? その人間の「形」が面白いから、興味引かれる。
 肩書き、とか。
 資格、とか。
 収入、とか。
 容姿、とか。
 あるいは、有名かどうか、とかな。
 確かにそれらは大切ではあるが、それだけで人間を判断するのは考え物だ。どれだけ表面上が豪奢に飾られていても、そのシールみたいな個性もどきを私が剥がす度に、何も残っていない残り滓を見る羽目になるのだからな。
 ハッキリ言ってつまらない。
 肩書きも資格も「己の形」を示すもので在るべきではないか。私なら「作家」だ。社会的に有利になる特権はないが、しかし試験で取れる資格や肩書きなどに、意味なんて在るのか?
 時間をかければ誰でも取れる。
 何もないところから生み出すことが「高み」へ挑む行為ならば、それはロープウェイに乗るようなものだ。同じ道、同じ景色。
 その人間が別人でも構わないということだ。
 代わりの効く個性だ。
 量産品の、ネジのようなものだ。
 それを生きると呼べるのか?
 自身で選んだならともかく、何となく「世間がみんなそう言っているから」という流されただけの生き方が、面白いのか?
 しかもそのくせ、「俺の人生は退屈だ」と文句を言い出すのだ。それなら最初から、己にしかできない何かを、成し遂げれば良いと言うのに。
 私は誰かに認められたいわけではない。
 そんなことはどうでもいい。
 ただ、私の選んだ生き方で、笑って生きて人生を楽しみたいだけだ。
 口に出すとこうも簡単な言葉なのだが、人間、口に出すだけでなく実際やるとなると、こうも手間のかかるものか。口先と現実は、やはり違う。 口で言うだけなら猿でも出来る。
 問題は、実現できるかどうか、だ。
 そしてそれを金に換えられるかどうか、だな。 この惑星に住む連中は、「自分で道を選ぶ」ことをしなかったのだろう。だからこうなった。それらしい「思想みたいなもの」を掲げる連中は多いのだが、やっているのはただのテロだ。
 安易で安直な方法を選ぶ。
 世間に流されているからだ。
 そしてあっさりと死ぬ・・・・・・そのくせこの世に対する未練は大きいというのだから、よく分からない話だ。あるいは「信仰」があるから死んでも平気、という狂信者かのどちらかだろう。
 私は死ぬのは嫌だが、それは保証がないからであって、それほど執着があるわけでもない。強いて言えばやはり、作品のデータを持っていけないのはとても困る。無論、作品で得た金も。
 あの世が無いならば心配したところで無駄だ。あの世があるとして、豊かで平穏な生活を送れるならば、豊かな現世で生きていることと、何一つ変わらない。
 実利が在ればそれでいい。
 どちらにしても同じだ。
 だが、こういう紛争地域で生きる人間達は、何故か「立派にやったという過程」を重んずる。やり遂げることよりも賞賛されることの方が名誉なのだ。
 何か法則があるのだろうか?
 現実逃避なのか・・・・・・虐げられているから、ではなく「信仰」を軸にしていると、「結果」よりも「在り方」を重視することが多い。それは立派に祈っていれば良いだとか、普段の行いだとか、あるいはそういう「努力している」から、それでいいのだと思いこもうとする。
 戦争も同じだ。
 国のためだから。
 家族のためだから。
 無駄死にを許容する。
 空気に流された末路などそんなものだ・・・・・・現実に世界を変えようとする人間は、決して、過程を重んじたりはしない。それが逃げであり言い訳だと、知っているからだ。
 勝利を求めるというのは、そういうことだ。
 言ってしまえば敗戦国の紛争地域など、負け犬の集まりとも言える。実際戦いではなく憂さ晴らしのテロリズム、華々しく散ることで、「自分達はあの高慢な連中に痛い目を見せてやった」と自己満足したいだけ。実に幼稚だ。
 それで世界が変わるはずもない。
 だから環境も変わらない。
 無駄な争いを何年も何年も続けている時点で、この紛争地域には救いの目がない。というのも彼らには救われたいと思っている奴はいないし、また現実に自分達が豊かになろうとも、思っている奴がいないからだ。
 仮設トイレの水を流すことを学習しようともしない連中が、幾ら支援を頂いたところで変われるはずもない。意志だけで世界は変えられないが、しかし同時に力だけでも変えられはしない。
 それに気づかないまま生きている。
 それを生きていると呼ぶのか、疑問ではあるが・・・・・・そんな連中が仮に「空気」を私が斬り、自分達で考えさせたところでどうにかなるはずもない。だから助けるつもりは更々ない。
 私は、無駄なことは嫌いだ。
 無駄な人間に、与える手など無い。
 いずれにせよ「悲観に暮れる人間」が「追いつめられて出す執念の力」は「最高のネタ」になるからな・・・・・・フフフ、「私の作品の糧」にしてやるぞ、亡者共。
 私は作家だからな。人を救ったりはしない。ただどんな条件下であろうとも「面白味」を奪い取り、「作品の糧」にしてみせるぞ。
 その為にこんな辺境まで来たわけだしな。
 ここに来て分かったことだが、やはり世界を平和にすること自体は簡単なことだ。
 いらない人間を淘汰すればいい。
 つまり殺し合いで生き残った方が、ということではなく、「殺し合い」を行うような人間を排除し続け消し続けることで世の中は「平和」になるのだ。これは珍しいことではない。現に刑務所だのは「邪魔な人間」を「合法的に」社会的に消し去るシステムであって、本気で改心を望んでいるわけではないのだ。それならもう少しマシな生活を送らせるだろう。
 紛争地域は「人間の掃き溜め」だ。邪魔な人間を処分し続けるための「必要悪」などと言ってしまうとちまい表現になってしまうが、しかしそれはただの「事実」だ。
 だから上から目線で言えるのだろう。「可哀想な人たち」「あの悲惨な人たちに支援を」「人道的に見過ごせない」すべて自分より下の存在を助けることで「優越感」を得たいが為に言い触らしている言葉だ。
 無論、当人はそれを認めない。
 人が人を助けるのは当たり前、そう自分で自分に言い聞かせるのだ。あるいは、これは人の為ではなく自分のためにやっているのだ、とかな。
 それなら私のように金だけ送ればいい。
 わざわざ現地に口出ししたり、支援活動に参加して「充足感」を得る必要はない。どう言い繕っても「自己満足」でしかない。本当に救いたいならば金だけ山のように送ればいい。助けられただけの人間が生き延びられるか、疑問ではあるが。 彼らが欲しいのは「欲望の向かう先」だ。だが私には彼らのような「欲望」を持つことが、本質的には出来ない。
 欲しいモノは何も無い。
 だからこそ、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活、だ。何も手に入らぬと言うのならば、何も無くとも自己満足するしかない。自己満足に邪魔が入らないように、平穏なる生活を豊かに遅れるように、私は金が欲しいのだ。
 幸せは金で買える。
 買ってみせる。
 概念として自身の中に無かろうとも、だ。
 そうでなくては、面白くない。
 面白い方が、いい。
 何事も、そういうものだ。
 だからこそ私には分からない話だ。人間という奴は形のない「名誉」だとか「権威」だとか、あるいはこの惑星のように「信仰」の為に、自身の歩くべき道を台無しにする。
 空気に流されて、どうでも良いモノを選ぶ。
 私には選べないモノを選べるくせに、だ。
 私からすれば、忌々しい噺だ。
 誰かのため何かのため信仰のため・・・・・・馬鹿かお前等。
 私は、この「私」が納得し幸福に満ち自己満足でも何でも「私」が満足する為に、「私」が勝利し幸福になるために、ここまで来た。
 そこに他人の挟む余地など無い。
 「自分でない何か」を言い訳にしているが、それで楽しいのか? 他のことなどどうでもいい。他の全てをなぎ払ってでも、己の幸福のために、生きる。それが人間ではないのか?
 空気とか、雰囲気とか。
 そんな形のないモノに振り回されて満足か? 私は御免だ。私は、「この私」は「私」の為だけに存在する。
 断じて、貴様等のように誰かを言い訳にはしないし、するつもりもない。
 それで満足だ。
 物語の「善し悪し」というのも実際これで決まるしな・・・・・・「自分を誤魔化しているか」こそが「魅力在る人物かどうか」に関わる。
 その方が面白いと言うことだ。
 正しいかどうかは知らん。正しくなくてもやはり知らん。だが、そうでなくては面白くない。
 善悪など知らん。
 面白ければそれでいい。
 その点、面白味が少ない奴が増えた、ということなのだろう。
 全くな。
 デジタルなネットワークが広がるのはいいが、如何せん繋がりすぎだ。たまには一人で考えろ。 そうすれば、少しは面白くなるに違いない。
 作家は大体そうだ。保証する。
 やりすぎると「作家」に成ってしまうがな。
 後の人生のために、それは辞めておけ。色々見えるようになる代わりに、ロクな事が無い。
 いや本当に。
 さて・・・・・・どうもこの惑星は見えない支配者に支配されているようだ。有り得ない金額の量的緩和による増税、によるインフレで、この国の紙幣には殆ど価値が無く、言わば「見えない税金」を馬鹿みたいな金額で取り立てられているのだ。
 その流れに中心にいるのは思想を持つ幾つかのグループだ。まぁただのテロリストなのだが、彼ら自身は「聖戦」とか言って自分達を「故国を守る戦士」と思いこんでいるようなので、思想を持つ軍団、軍閥とでも呼べばいいだろう。
 援助された資材、資本、食料を武力で奪い、テロリズムに流用し、実質的に銀行を牛耳ることで天文学的な「軍事資金」をも手にしている。
 部族間の抗争のために。
 麻薬や天然資源、武器兵器、食料の流れを辿れば、それくらいは簡単に分かる。つまりわかる奴は分かっていながら「現地への支援」を行ってると言っていい。
 世の中そんなものだ。
 綺麗事ほど、蓋を開ければ腐臭がする。
 支援は根こそぎ奪い取り、物価の向上で分からないように天文学的金額を税として徴収し、それでいて「国のためだ」と、言い訳をする。誰に言い訳していたいのやら・・・・・・いずれにしても国なんてどこもそういうものだし、別にこの惑星だけが異常というわけでもない。戦時下ならどこでもやることだ。
 民衆の負担は、国の負担では無いからな。
 私でもそうする。
 どうせ、何も言い返す力など無いのだから。
 奪っても、さえずるだけなのだから。
 幾らでも奪える。
 何人でも踏み台に出来る。
 この惑星も同じだ。実態を知らない環境保護の邪悪さとはおぞましいもので、「自然より飢え」だと現地の人間達が訴えたところで、彼らの意見が聞き届けられることはない。
 僕たちは「良いこと」をしている。
 そう信じ込んでいるからだ。
 実際には何をしたところで、裏側では当たり前のことだ。「善意」を向けたからと言って、それが「感謝されて当然」などと思いこんでいる人間は「本当の邪悪」だ。救いようのない「邪悪」。 自然は人類の宝だ、だがそれは自分達の土地を使い潰した人間達が、他の国にその尻拭いを押しつけようとしているだけに過ぎない。綺麗事という存在はかくも「邪悪」な存在なのだ。
 それに気づかない。
 気づかないから、繰り返す。
 いつまでも、同じ事を。
 「道徳的」だから「行動」するというのは、ただ単に空気に流されていることへの言い訳だ。実際には誰かも分からない「皆」の言っている言葉に合わせているに過ぎない。
 そしてそのために人殺しだって人間は平気で行うのだ。「国のため家族のため」という免罪符が在れば、人間は人間を殺しても「良い人」でいられるからだ。
 誰も彼もが何かを言い訳にしている。
 だから進歩しないのだ。
 他でもない「己の基準」は無いのだろうか?  私の基準は「私」だ、他の誰でもない・・・・・・しかし不思議なことにそういう人間は少ない。
 私のようにその他大勢を敵に回したく無い。
 そういうことらしい。
 「世の中の空気」というモノはどうも、「頑張っていること」を賞賛したがる傾向がある。しかし「頑張っているか」など、どうでもいい。
 頑張って良い作品が書けたら苦労しない。
 そんなことで「傑作」は書けない。
 頑張っているかどうかなど知らん。強いて言えば「頑張っているかどうか」を気にしている時点で三流ではないのか? 頑張っているかどうか、それらしく見えているかどうかなど、どうでもいいではないか・・・・・・重要なのは「結果」だ。
 信念とか意志とかどう見えるかだとか、そんな下らないことは評論家気取りの凡俗共に任せておけばいいのだ。知ったことではない。
 己でやり遂げて満足すること。
 そして、それを金に換えること。
 この二つが出来ていれば、それで一流だ。
 その他大勢の意見など、デジタル世界で散らばる宇宙ゴミでしかない。そんなものに意味はないし、ゴミを眺めたところで、汚いモノを見た不快感が募るだけだ。
 その他大勢に気を取られている時点で、その先へは行けないものだ。全く居に介さない私のような人間が、行きすぎて突き詰めすぎた作品を書き続けているのだ、間違いない。
 「皆のため」「人類のため」「誰かのため」に動いている奴にロクな人間はいない。先ほどの環境保護もそうだが、肝心の現地に住む人間は、彼らの言う「皆」の枠内には行っていない。
 誰かのために何かをする、ということは、自分達にとって「都合の良い仲間」のみを救おうとしているだけだ。
 それに気づかない。
 大層なお題目が在れば「正しさ」を信じられるからだ。例え自身の内から出た気持ちで、無かったとしてもな。
 介入しておいて「救う」などと仰々しい。そもそも当人達にその文明レベルが維持できないならば、元々そのレベルの国だったという事だ。人道的に見過ごせないと、大国が介入する結果は決まって「いらないお節介」になるのだ。
 私はNPO法人の惨殺現場から離れ、現地取材の記者か何かだと思ったのか、救い、というか食べ物を強請る乞食達を押しのけながら考える。
 救いを求める人々を無視しつつ、考える・・・・・・・・・・・・救いを求める「だけ」に成ったら、人間は末期だと言って良い。ここで何を貰ったところで、こいつらに未来など無いだろう。
 そうでなくても何もやらないが。
 何故私が食べ物をやらねばならないのだ。
 哀れそうだから? 貧困に喘いでいるから? だが、先進国でも、どこでも同じだ。考えて未来を切り開いてきたか、そうでないかの違いでしかないのだ。
 助ける理由など無いし、そんな偽善、価値もあるまい。
 下らない自己満足だ。
 暇つぶしでやるにはいいが、今はそんな気分でもない。
 汚そうだったので押しのける、と言ってもその辺にあった棒で叩きつけてのけたので、「何故自分達のような哀れな人間に、こんなひどいことが出来るのだ」みたいな目で見られたが、知るか。 哀れまれたいなら強請るな。
 強請りたいなら卑下するな。
 どちらかにしろ。
 それすら出来ない半端者が、何故ただで何かを貰えることが当たり前だと思っているのか、不思議でならない。いや、単純に福祉団体が甘やかしてきたツケなのだろう。
 助けられるだけでは成長しない。
 そんな当たり前のことを「善意」や「道徳」で隠してきた結果がこれか。全く助けがないのもかなりの考え物だが、助けられるだけでも人間は、その環境に慣れてしまうようだ。 
 私も気をつけよう。もっとも、私を助けてくれる存在など、今のところお目にかかったことはないのだが、まぁ気をつけるだけなら金はかからないしな。
 私は人道支援の連中や、思想派のテロリスト共を皆殺しにしつつ、移動を続けた。
 暴力でカタがつく噺はいい。
 「幽霊の日本刀」がある以上、行間程度の手間暇で済むからな。 
 その程度で、始末できる。
 政治的背景としては、元々この辺りでは現地の宗教が信仰されていたのだが、それによる対立すらも、始まりは小さな争いだった。
 長く因縁こそ続いているものの、始まりはその程度大国が資源目当てで介入し、そして支援の名目で資源を送り込むことで限られた資源を巡って争いが激化した。 
 元々争いはあった。
 下らない理由で、あるいはそれは権力争いだったかもしれない。いずれにせよ「争いごと」そのものはどこにでもあるものだ。問題は、そう、大国が絡むことで「軍事力」の流入と、そして「争いに打ち勝つことで得られる利益」が「大きく成りすぎた」ことと言える。
 火種を爆発させてしまったわけだ。それでいて世論の為に「支援」を送り込み、「資源」を巡ってまた争いが起こり、人質が死ぬことで「世論」が更に過激になり、「金と軍事力」が更に多くなだれ込む。
 終わるはずがない。
 終わらせるつもりのない争いなど、終わらせることが出来るはずがあるまい。
 戦争は金になる。
 だから戦争は無くならない。
 無くなったら、困るからだ。
 主に金持ちがな。
 それらすらも、この「邪道作家」にかかれば、「作品のネタ」でしかないが。思うに、「傑作」というものは考えて書くものではない。衝動に任せて、「書くべきだ」という使命感をもって望むべきモノだ。
 そしてこういう経験はその衝動の元になる。
 だから私からすればどうでもよかった。貧困も飢えも戦争も人殺しも、良く知らない惑星で起きている事柄でしかない。私は主人公ではない。
 まして人助けなど、するわけがない。
 あくまで、作品のためだ。
 私は作家だからな。
 それ以外はどうでもいい。
 物語の出来と、売上以外は。
 人間危機に陥れば陥るほど、「意志の力」だとか「信念」や「執念」で解決できると思いこむ。ここへ来てそれが分かっただけでも収穫だった。 現実には無駄なモノは無駄だ。
 何をしようとも。
 どんな信念があろうとも。
 無駄。
 努力や信念が実を結ぶことなど、無い。貧困に喘いでいる人間が、意志の力で成り上がることは無いのだ。同様に、「持つ側」が敗北することもまた、あり得ない。
 運命に流されるまま、我々は生きている。偶然による幸運な流れを、「己の力」だと思いこむだけ、ただのそれだけだ。
 人間の意志は何も変えられない。
 完全なる無力、だ。
 物語も同じだ。
 現実はそうは行かない。ただ単に運良く持っているか持っていないか、美味しい運命が流れてくるか来ないか、ただそれだけで決まる。
 幸福になれるかどうかさえも。
 当人の意志とは関係なく、決まるのだ。
 だからこそ「金」だ。運命がどうであれ、とりあえず平穏な暮らしは出来る。「幸福」に決して成れないのだというならば、いっそのこと諦めて妥協して平穏を取りたいモノだ。
 実際、あれこれ手を尽くしてきたが、実を結ぶ気配はない。「平穏」という「ささやかな幸福」すらも、私には手に出来た試しがない。
 手にするのは決まって「持つ側」だ。
 持たざる者に、席はない。
 こんな風に寿命を延ばし続け、人間の因果から外れ、「始末」し続けて長く生き、「理の外側」の暴力を振るいながら「傑作」を書き続け、こうしてここまで歩いてきた。
 自己満足以外に、得られるモノなど無かった。 本物の幸福、などただのまやかしだった。
 ささやかな幸福すらも、邪魔が入った。
 これで何を信じろと言うのやら。
 実際、「幸福になれる」ということを、私でなくても信じている人間などいるのだろうか?・・・・・・それを信じられるのはいつだって「裕福」な側に座っている人間だけだ。
 信じる必要もなく確信できる人間だけ。
 幸せになれている。
 馬鹿馬鹿しいことに、世界はクズに寛容だ。
 どんなクズでも、「持っていれば」許される。 殺しても、犯しても、奪っても。
 何をしても許される。
 妥協、なんて言うと私が諦めて現在のスタンスを貫いているみたいに思えるが、そうではない。単純にそれが一番現実的だっただけだ。自己満足こそが幸福の実態であるならば、まさにそれだ。 「幸福の基準」なんて人によってコロコロ変わるものだ。先述のクズならば「自己顕示」だったりするのだろうし、私の場合「ささやかなストレスすら感じない平穏なる生活」が、私にとって、都合の良い基準だっただけだ。
 本当の愛だの友情だの、そんなモノは世間にもてはやされているだけで、私個人としては欲しくもない。そんなモノはいらない。
 欲しいのは金だ。
 金、金、金。
 綺麗事はいらない。
 役に立たない上、押しつけがましいだけだ。
 押しつけがましい幸福など、まっぴら御免だ。 何にせよ作家業に関して言えば妥協も何もない・・・・・・妥協しなかったからこそ、ここまで来たとも言えるだろう。
 つまり「作家業」と「金」の両立こそが、私の「幸福の条件」なのだ。
 今更だがな。
 それを考えると、ここにいる奴らは何を条件としているのか疑問が残る。革命が成功すれば幸福だと、そう思っているのだろうか?
 豊かな暮らしが出来れば。
 暴君の治世が終われば。
 終わったところで、あるいは始まったところでどうせ、「自分の道」を見つけていない奴というのは、何に怒ればいいのかも分からず、行き場のない怒りで暴れ出し、結果満足できないものだが・・・・・・それが「紛争」という形で出ている。
 「何かがどうにか成れば」全ての問題が解決する、ということは幻想なのだろう。無論、金で解決できないことはないのだが、しかし扱う人間が未熟であれば、金を扱いきれずに争いを産むだけだ。
 現に貧困地域ではその傾向がよく見られる。
 自分で自分を救おうともしない奴には、チャンスなどあっても無駄だという事か。常にそのことばかり考えている私からすれば、分からない話ではあるが。
 己で己の道を良くしようという行いは、余裕がないからこそするもの、ということだろう。実際能力にも金にも権力にも自身がある人間が、未来を切り開こうとはすまい。
 切り開くまでもなく与えられている人間には、発想からしてないだろう。あるはずがない。わかりやすい形で「未来の保証」が金という形で合る人間が、未来に「不安」なんて抱くはずもない。 普通なら、だが・・・・・・大金を持っていてもそれを失う事に対する「恐怖」で夜も眠れない人間もいるにはいるが、大抵の人間は「安心」して何の不安もなく人生を送るはずだ。
 安心して生きる。
 私の求めるものだ。
 けれど、大金を持っていたところで精神的に弱ければ「恐怖」を抱きながらありもしない不安を抱えて生きるというのだから、わからない噺だ。 私にはそんな感性はないからな。
 だから、文字通り金と平穏を手に入れれば、私は「幸福」になれるだろう。そしてその上で、傑作を書くことを「生き甲斐」にし、充実して生きればいい。
 目的を一つ果たせば終わり、ではなくあくまでも私の目的は「充実して安心し続けること」なのだから、むしろそこからが本番だと言えるが。
 私は主な宗教家、人道支援団体、戦争屋を虐殺し、残された民衆が指導者を失ってうろうろしている様を見届けてから、依頼人の元へと足を運ぶのだった。

   5

「どういうことだ」
 マリアはそう言って、私に凄むのだった。まぁ凄んだところで「外交官を殺して見せしめ」なんて幼稚な真似をしている小娘の視線など、痒くすらないが。
 私はホテルに戻り、主な指導者達を惨殺したという事実だけを伝えるのだった。そして被害者ぶって助けて貰えて当然だと思いこんでいる哀れなガキには、当然ながら刺激の強いニュースだったようだ。
「どうもこうも、私の依頼は「空気を斬ること」なんでな。この惑星に充満する「争いを由とする空気」を切り捨てるには、この方法が手っ取り早かっただけだ」
「俺の依頼はどうなる?」
「貴様は私に金を払ったのか? もしかして自分は哀れで可哀想な奴だから「助けて貰って当然」だとか思っていたのか? 馬鹿馬鹿しい。哀れだから救わなければならない理由など、無い。おまえ達が幾ら被害者であろうが、大した金も払えない小娘の言葉など、どれだけ悲劇的で助けるべき弱者だったとしても、私には関係ない」
「ふざけるな! おまえ達大国がやってきたからこんな目にあってんだぞ」
「おまえ達、か。憎悪を向ける対象すら曖昧だな・・・・・・単に行き場のない怒りを向ける先が、欲しかっただけだろう?」
「違う」
「違わない。ただのそれだけだ。貧困だとか弾圧だとか飢餓だとか、そんなことは何の理由にも成らないし、「メディアに取り上げられやすい」からおまえ達の国が哀れまれているだけだというのに、「自分たちは不当な扱いを受けている」と、前進で被害者を気取ってアピールする。下らない・・・・・・それらは全てどの国でもどんな場所でも、誰にでもある悲劇でしかない。解決を求めるなら自分たちの政府にするべき問題だ。そしておまえ達が認め続けた政府が幾ら腐っていようが軍事力で弾圧されていようが他の人間には関係あるまい・・・・・・それこそ民衆が適当だったから起きた事件でしかない。誰かに都合の良い助けを求めるなど醜悪すぎる。自分達は誰一人救わないけれど、被害者だから助けてくれて当然、などと、馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
「だったら・・・・・・どうすりゃいいんだよ」
「決まっている。平和は金で買える」
 言って、私は意図的に現地の求心力をマリア、この小娘に集中させるように情報を流したこと、そしてこの貧乏惑星を「税金のかからない奴隷工場」として買いたがっている国が、幾つかあることをマリアに伝えた。
「そんな、ことが」
「ああ。実際お前が首を縦に振らなければ、洗脳してでも現地の求心力を得たいようだ」
「洗脳って、そんな、非人道的なことが」
「おいおい、政府なんてそんなものだろう。権力があれば何をしても許されるしな、資本主義社会とはそう言うものだ。受け入れたのは自分たちだろうに、まったく。それに、洗脳なんて珍しい噺でもない。洗脳技術そのものは、人間が棒を振り回していた時代からあるものだ。人間を動物として考えれば、何も不可能な噺じゃない」
「それをして、どうなる?」
「まず求心力としてのお前を手に入れれば、後は簡単だ。宗教を作るんだよ。聖女様を利用すればちょろいことさ。希望を煽りつつ「この試練に耐えることこそが神の試練」とか、信者に信じ込ませて労働をさせ、洗脳した兵士を高値で売り、女子供は臓器と体を高値で売り、あまった分は労働力として死ぬまでこき使う」
「そんなことさせてたまるか!」
「もうされてるよ。どこの貧困地域でも奴隷を売り買いすることも、臓器をやりとりすることも、別に珍しくもない。臓器移植がこれだけ世の中に普及しているんだぞ? 都合良くそんなたくさんのドナーがあるはず無いだろう。普通に考えればわかることだ。誰かがそれで助かるために、比較的命の軽い誰かが死んでいるだけさ」
「でも、それじゃあ」
「なんだ、おまえ達の望んでいることだろう? 大国の支配から逃れ国家として自立する。だが現実にそうするとなれば、方法はそれくらいしかないな」
「そんなことはないだろ、皆で力を合わせて復興すれば」
 縋るような目だった。
 こうやって、理想に縋って現実を見ず、変えられたかもしれないのに理想を追いかけて実利を得ようとしなかったことを考えると、私のような人間からすれば「自業自得」としか思わないが。
「復興をしようとした奴は一人でもいたのか? 逃げ回って支援を有り難く頂いているだけじゃないか。正直な、あれこれ自身の幸福のために手を尽くして失敗し、それでも諦めずにここまで来た私からすれば・・・・・・吐き気がするよ。それらしく見えるだけで、悲劇を嘆くだけで何もせず、救われて当たり前。そんなクズ、何人死のうが、どうでもいい」
「お前・・・・・・それでも人間かよ」
「人間だよ。だからお前達の事なんて知らん。人間だからこそ、己の幸福第一だ。「道徳」なんて言う下らない空気に、私は流されたりしないものでね」
 容赦なく。切り捨てる。
 相手が他人なら、尚更な。
「そういうことだ。お前にもう用はない。洗脳の為の装置は頂いているから、後はそれを使うだけだ。面白そうだったから手伝うフリをしてみたが・・・・・・中身のない人間に期待するべきではなかったな」
 言って、私は小型の洗脳装置のスイッチをONにした。
 彼女の人生はそこで終わり、「空気を斬る」という厄介な労働をこなした私は、宇宙船の予約を取ってその惑星を離れた。
 哀れに見えるから救いの手を出すことが道義的だなんて、人生楽そうで羨ましいと、あるのかもわからない心の底から思うのだった。

   6

 「何か大きいもの」に「己の意志」をもたれさせることで得られる「平和」など偽物だ。今回の件で「恣意的な平和」は起こしたが、それも意味のないモノでしかない。もたれかかる相手にケチをつけられるようになれば、いずれ新しい文句をひっさげて争いを産むだろう。
 そんな自分の意志もないカス共から巻き上げた金で、ファーストクラスのソファに座りながら、私は考える。
 結局のところ「弱いこと」は悪ではない。だが「弱いことを言い訳に」しているのでは、何一つ成し遂げられないと、今回の件から得られた経験は、まぁそんなところか。
 とはいえ・・・・・・このところ本当に「無力感」を味わわされ続けている。こんなどうでもいい労働で幾ら稼ごうが、私の目的には関係がない。

 私は作家だ。

 物語で稼げなければ意味がないではないか・・・・・・だが、その試みは外れ続けているし、何より、私の作品の良さを理解し、共感し、そして広めて売ってくれる存在がいなければ、私個人がどれだけ頑張ろうが、何もしていないのと同じだ。
 協力者、か。迫害され続け世間の悪意をゴミ箱のように浴びせられてきた私に、必要なモノがまさかそんなモノだとは、お笑い草だ。
 それがいれば苦労しないではないか。
 実際、苦労しない。協力者が一人でもいれば、私の人生に苦労など何一つ無かっただろう。縁がないとでも言えばいいのか。見る目のある編集者には、今のところお目にかかれていない。それにやりたくもないことで幾ら稼いだところで、絶対に人間は「幸せ」を感じ取れない生き物だ。
 それでは意味がない。
 だが、どうすればいいのだ。
 もし、どう足掻いても作品が売れず、作家として私が在り方を固定できないならば、こんな回りくどい労力の全ては無駄そのものだ。さっさとくたばっていた方がまだマシ。今までの長い長い、遠回りな回り道は、無駄だった。
 そういう事になる。
 現状は、そうなるのだ。
 だとすれば、何だったのだろう。意志と根気で私は道を切り開いてきたつもりだが、しかしそんな小さな力は何の関係もなく、やはり「運不運」などという下らない理由で全てが決まるのか?
 そうかもしれない。
 少なくとも私は、意志の力が報われた試しが、生涯通して一度もない。
 世界など、信頼するに値しなかった。
 価値のない、偽物だったのだ。
 私は、「作家としての在り方」を、「努力」だと思ったことは一度もない。意外かもしれないがしかし、むしろ「生き方」と考えている以上、至極当然の話ではある。
 だが、その生き方が報われなければ。
 人格も存在も労力も「全てを否定」される、ということだ。
 我慢、ならない。
 だが、私の憤慨など関係なく、あるいはあっさり「どうでもいい薄っぺらな物語」が売れたりする以上、完全に世界は「運不運」なのかもしれない。だとすれば、私は雨乞いみたいに「神様に成功を祈る」ことが今出来る「最前の道」だとでも言うのだろうか?
 不愉快すぎて笑えない。
 吐き気すら、覚えない。
 世界は、こんなにもつまらなかったのか。
 それこそ「息を吸って吐く」位の感覚で、それが努力かどうかは知らないしどうでもいいが、しかしそこまで人生を費やして、得られる報酬が、それらを丸ごと否定されるだけ。
 全ての色が褪せていくようだ。
 実際、最初からそうだったのかもしれないが。運不運で全てが決まるならば、つまりそういうことになる。始める前から無駄であり、選ばれていない以上、成し遂げようが結果に関係がない。
 なんてつまらない結末だ。
 この程度か?
 世界の底がこの程度の浅はかなモノならば、私も存外無駄なモノに固執したものだ。最初から、この世界は私などより余程、空虚で何も光モノのない、ゴミ捨て場のような存在だったのか。
 「幸福」なんて、私でなくても最初から存在し得ないモノなのか、いやこの場合最初から誰が手に出来るか決まっている以上、「幸福の資格」がなければ人生を費やそうが何を成し遂げようが、当人の意志など関係なく「選ばれた人間」だけが幸福になれる世界。
 案外、世界はその程度なのかもしれない。
 だとすれば、本当に下らないゴミを追いかけてきたものだ。こんなことなら、最初から追いかけなければ、いや、光がある以上引き寄せられるのは当然か。「暗く持たざる側」に産まれた時点で輝かしいモノを傍観することしか出来ず、絶対に手に入らないそれを見て、無力感と空しさを味わうためだけに、私はここにいるのか。
 成し遂げなければよかった。
 前へ進むのではなかった。
 意志で未来を切り開こうなどと、無駄だった。 報われないのでは、その方がマシだろう。最初から何も考えず、「どうせ自分には出来ない」と匙を投げておいて、適当に生きて適当にやり、何も成し遂げず「奴隷の人生」を送った方が、意志の力で切り開いて前へ進み、「傑作」を書き上げるという「己の道」を進んだ上で「成し遂げた」という、その感覚すらも、あってもなくても、どちらにしても「結果には関係がない」ならば。
 してもしなくても、同じだ。
 そんな人生は、生きている分苦しいだけで、生きていてもいなくても、意味も価値も、無い。
 私は作家なのだ。
 その「作家の部分」が結果を出せないのでは、私という存在が否定されることと同義だ。
 まして、金にもならないなど。
 いや、そもそも私に「作家でない部分」なんてあるのか? だとしたらやはり、「私個人」その全存在が認められず金にならなければ、生きていても仕方がないのではないのか?
 認められるかなどどうでもいいが、ある程度認められなくては金にもならない。
 金にならないモノに、達成感など無い。
 精々「傑作を書き上げた」達成感ぐらいだが、それも金にならなければ後で空しくなるだけだ。 私が言うんだ間違いない。
 実際、「生き方そのものを誰にも認められないこと」そのものはいい。その他大勢など勝手に審査していろということだ。
 問題は、「金にもならず、生き方を通せない」ことにある。金にならなければ、その生き方で、生きていけないということではないか。
 それでは、駄目だ。 
 それで満足するような奴がいれば、尚更駄目だろう。まぁ、私は全く満足していないから、こうも憤っているのだが。
 実際、私は「過程」はどうでもいいのだ。「努力して頑張った」から何なのだ? 結果が出なければ何もしていないのと同じだ。
 息を吸って吐くことに、いちいち努力したから酸素が供給できたとか言うのだろうか? 生き方と密着しすぎている私からすれば、よく分からない話ではある。
 極論、何かの間違いでも構わない。「結果」が出るのであれば、人間を殺した結果私の作品が売れるのでも、ただ単純に偶々運が良かったとかでもいい。
 実際、あるのだろうか。
 「本物」であるからこそ人から人へ物語が紡がれ、売れるなんて事が。
 私には信じられない。
 信じるつもりも、無い。
 「過程」をすっ飛ばしてでも「結果」が欲しい・・・・・・「物事の本質」から遠ざかる、などとそれこそ言い訳ではないか。
 それなら尚更、私の作品は売れるはずだ。
 だが、実際「それが本物であるかどうか」など売れ行きには何の関係もない。ただの醜い綺麗事でしかないのだ。
 芸術には確かに「真贋」がある。だが、モノの真贋に力はない。ただ、あるだけだ。
 本物だからどうなるわけでもない。
 私が言うんだ、間違いない。
 ソファに体重を預け、ミルクの入った紅茶を飲み干した。ぬるい。後で客室乗務員にケチをつけてやろうかと思ったが、やめた。
 どうも疲れているらしい。
 ある意味当然だが。
 ありもしない「未来への希望」を抱き、無理矢理ここまで来たが、やはり無い物は無い。あらかじめ決められていたかのように、私が尽くした手は全て、結果には結びつかなかった。
 それでも行動するには「未来に良い事がある」と信じるしかない。例え無理矢理にでも、未来に希望があると、成し遂げた結果に見合うモノが、この手に入るのだと信じることで、困難な道を歩く動機が出来る。
 それも無駄だったが。
 無駄なら信じたくもない。
 金にならなければ、噺にならない。
 好きなことをやっているんだと言いたいだけなら、趣味でやっていれば言い噺だ。それを「生き方」として選ぶならば、金にならなければ嘘だ。 生涯を通じて行うことが、成し遂げた結果が、小銭にすら成らないなど、馬鹿馬鹿しい。
 それなら家でやれ。
 内々で回し読みでもさせればいい。
 私は「生き甲斐」にしつつ「金と平穏」が欲しいのだ。そのために始めたと言ってもいい。無論生き方として選ぶ以上、細かいことはどうでも良いが、金にならなければ「仕事」とは呼べまい。 己の誇りに出来まい。
 何にも成らないだろう。
 相応しい報酬を貰ってこそ、やり遂げる甲斐があろうというものだ。
 成就した願い事ほど見ていてつまらないモノはないのだろうが、だからといって私の目的が叶わなくていい理由になるはずもない。大体が物語など、作家個人が満たされてしまえば内容がつまらなくなる、なんてあり得ない。
 満たされていようがいまいが、私なら「傑作」を書き続ける自信がある。事実書けるだろう。それなのに一体この扱いはどういうことか。
 とりあえずチョコレートを摘み、カフェオレを味わって、頭を冷やす・・・・・・物語というのはもとより「面白いから売れる」訳ではない。「本物」かどうかさえ、関係はない。
 皆が買っているから、買う。
 極論中身が白紙ですらいい。白紙以下の薄っぺらい内容でも構わない。「空気」がそうだと言っているから、売れる。
 しかし、「空気」を今回断ち切ることには成功したが、「空気を支配する」ことなんて、ただの一個人に出来るものなのか? 方法は幾つかあるにはあるが、やはり影響力の大きいメディアや有名人を起用でもしなければ難しいだろう。
 まさか出来るはずがない。
 それに、やったところでやはり無意味だ。あまり無理矢理に花火のような空気の押し売りをしたところで、すぐに冷めてしまう。それでは意味がない・・・・・・私は作品を恒久的に売りたいのだ。
 花火のように流行に乗って打ち上げることと、継続的に人気を獲得することは、真逆に位置する行為だ。両立するのは難しい。
 やはり、コアなファンを獲得するべきか。
 しかし、どうやって?
 デジタルなメディアを活用できれば早いのだが・・・・・・打ち上げ花火ばかり売りに出している場では、私の作品は売るに売れない。
 子供の遊び場に大人が入るようなものだ。
 根本から合わない。
 だから苦労しているのだが。
 「本物」かどうかは蓋を開いてみなければわからないものだ。だからどれだけ「成し遂げ」ようが、「結果」には関係がない。何かを成し遂げたならば、次のステージへと進まねばならない。
 物事を広める、というステージに。
 それも良いように広めなければ駄目だ。場合によっては悪評をわざと広めることで金になるケースもないではないが、殆ど無い。結局のところ、何かを成し遂げるためには「大多数の声」が必要不可欠なのだ。実に忌々しいことだが。
 今回の件も同じだろう。
 大多数が空気に流されて賛成すれば、殺人ですら「正しく」なる。正しさとは都合であり、大多数の都合が一致すればそれは「法」となる。
 それこそが絶対的に正しくなる。
 無論、そんな正しさは悲劇しか呼ばないが。
 資本主義社会に取り残された形の貧困地域を、無理矢理資本主義経済に関わらせたが、それで良くなるかどうかは五分五分だろう。そもそもが、アンドロイドやロボットによる「労働の完全機械化」に成功した現代では、人間の仕事などあってないようなものだ。いずれ全てをロボットに任せ「何も考えない民衆」として、彼ら彼女らも、思考を放棄して生きることになるだろう。
 これだけ豊かになっても、労働問題も資源問題も全て、科学の恩恵で解決されてすら、まだ満たされない欲望というモノがある。
 権力欲だ。
 自己顕示欲と言ってもいい。
 これだけは世界が豊かであろうが無かろうが、求めるモノらしい。肩が凝るだけで疲れるだけだと思うのだが、今回の件にしたって「極々一部の人間の支配欲」を満たすためだけのものだ。実際貧困地域を救いたいのなら、無理矢理にでもロボット産業を導入し、全てを自動化すればいい。
 権力を振るう快感に酔いたいのだ。
 だから、全員が豊かになっては困るのだろう・・・・・・上に立つ人間には、見下す対象が必要だ。
 だから貧困はなくならない。
 なくなっては、自己顕示欲が満たされない。
 そんなものだ。
 そんな下らない理由で、世界は社会的な問題を抱え続けている。今回の件から学んだことだが、やはりどれだけ技術が進もうが、問題を起こすのは「人間の心」即ち欲望だ。心がある以上、皮肉なことに人間社会での悲劇は無くならない。
 案外、心なんて求めるほどではないのか。
 構わないがね。
 別に欲しくもない。
「先生。予想通り、株価が順調に推移しているぜ・・・・・・政府主導の「聖女」を使った経済操作が、効果を出した」
「やはりそうか」
「投機筋も相当動いているぜ・・・・・・いままで散々放っておいた癖に、随分急だな」
「むしろそれが元々の狙いだ。ここまで急激に介入されれば、政治方針にだって口を出せるようになるだろう。事実上、奴隷国家、惑星ごと食い物にすることが、可能になるわけだ」
「資本主義は怖いね」
「利便性の裏側には相応の「恐ろしさ」が付随するものだ・・・・・・今回の件にしたって、資本主義を取り入れておきながら、現地の人間は「国が豊かになりやすくなる」位にしか考えてなかった。株式市場を取り入れる以上、買い取られる可能性を考えなければならないものだが、人間、都合の悪い部分は深く考えないものだ」
「先生はどうなんだ?」
「私か? そうだな・・・・・・己にとって都合の悪い結末はいつも想定している。だが、想定したところで打てる手は殆ど無いな」
「彼らもきっと同じさ。「経済」という平気を取り入れはしたモノの、扱うには早すぎただけだ」「早すぎる、か。確かにな。人間も国家も成長する速度はそれぞれ違う。グローバリズムに従って世界は繋がったが、それは美しいだけで優しくはない。成長の遅い国家は取り残されるだけだろうな・・・・・・そうでなくても、急な成長は毒だ」
「利便性を受け入れられないのかい?」
「まぁな。少なくとも誰もがデジタル社会を望むわけではない。今回の貧困地域も、結局は急な成長を押し進めた社会が起こした問題だ。何事にも良い面があり、悪い面がある。だが、利益が絡み国家が絡むと、悪い部分は無かったことにしてしまう。見ようとしないから問題は野放しにされ、今回みたいにただのマッチポンプの癖に「道徳的に見過ごせない」だとか言って「図々しい救いの手」を差し伸べようとしてしまう」
「それが悲劇を生む」
「そういうことだ」
 携帯端末には言った人工知能の分際で、実に口の回る奴だ。私も人のことは言えないが。
 仮に貧困から脱したところで、今までの苦痛が「無かったこと」になるわけではない。それは私も同じだと言えるが、問題は私のように適当に人生を楽しめる人間性があるかどうか、だろう。
 実際、今回の件は様々な人間が「己にとっての幸福」を求めた結果、争いを産んだわけだが・・・・・・幸福なんて、真実どこにも存在しない。何か形としてある訳ではない。
 悪いジョークだ。
 存在しない「幸福」なんて概念は、特にな。
 問題は楽しめるかどうか、なのかもしれない・・・・・・まぁ己の幸福を基準とすることで、楽しむ基盤を作る、という考え方もある。結局のところ、やはり自己満足できるかだろう。
 どうやらこんな考えを抱いている時点で、やはり私はどう足掻いても「幸せ」を「感じ取る」ことは出来ないようだ。しかし、だとすればこんな風に「執筆を生き甲斐」にする意味があるのか? 幸福と充実は別物と言うことか?
 私はそうは思わない。
 なら、まさか「生き甲斐こそが幸福」だとするならば、私にとって幸福とは「執筆そのもの」ということになる。馬鹿馬鹿しい。生き様かもしれないが、しかし書いていて楽しい訳ではない。
 書くべきを書いた、「傑作」を書き上げたという達成感があるのは事実だが、だからといって、それで全てを満足するなど、無理にも程がある。いや、それも自己満足で解決すべきなのか。
 いずれにせよ「行動」と「目的」がズレるのはよくあることだ。今回の件もそうだが、あまり結果を急ぎすぎると何のために行動していたかよりも、目的を達成する為の「最適解」以外、目に入らなくなってしまうものだ。私も気をつけよう。「先生は結局、何で今回の依頼を受けたんだ?」「決まっているだろう。悲劇を言い訳にしている人間は見ていて面白いし、参考になる。悲惨と不遇の中から産まれた人格を取材したかったのだが・・・・・・アテが外れたのは事実だ」
「つまり、「聖女」の正体が気になっていた、それだけの理由であの惑星に介入したのか?」
「お前らしくもないな。大層な理由があれば、口を出して良い訳ではない。人助けであれ興味本位で人を破滅させる行動であれ、あるいは人助けのために動いているのだとしても、根本は私と同じ「自分自身の都合の為」に、動いているだけだ」「あの平和を愛する人道支援団体もか?」
「そうだ。別に誰に頼まれたわけでもないだろうし、頼まれていたところで自業自得だ。動機や目的が輝かしく美しいからと言って、当人を肯定する理由には、ならないというのにな」
「先生みたいに割り切れる方が稀だよ」
「そうなのか」
 私は全人類がこうあるべきだと思っているが、やはり少数派らしい。まぁ、それも私にとって都合が良いだけなので、無理に進める理由もないが・・・・・・自分の行いを自認できる人間は、随分と減ったな。
 これも「空気」の流れか。
 嫌な流れだ。
 個性の薄いカスなど、見ていて面白くもない。「崇高な行い、なんて無いんだよ。どれだけお題目を掲げようが、自分にとって都合のいい「ごっこ遊び」でしかない。民主化運動だろうが、貧困への支援であろうが、同じ事だ」
「なら、先生は何故今回の「ごっこ遊び」を妨害したんだ? 放っておけば良かったじゃないか」 そうすれば民主化運動も本格化して、成功したかもしれない。そんなことをジャックは言うのだった。
 だが。
「自分こそが正義だ、なんて思い上がっている人間を見ると気に食わないものでな。自覚的な悪人が私の好みだと言うだけだ。綺麗事を押しつけて自己満足を「相手にとっても良い事」だと思いこんでいる存在は、気味が悪い」
「だから排除したのか?」
「ああ、単に私の趣味趣向の問題だ」
「それで先生は後悔とか、罪悪感とか・・・・・・無いよな」
「聞く前からわかっているなら聞くな。そういう自分の中にしかない後悔など、私最も忌み嫌うものではないか。大体が、私が悩むのは私の事柄のみだ。関係ない人間がどれだけ死のうが知らん」「そういうところが、人間離れしているんだよな・・・・・・人間って生き物は、普通先生みたいな物質的な悩みではなく、むしろ精神的な悩み、先生の言うところの「内側の悩み」に生涯を費やすものなんだ。先生はその辺、精神的には悩みがない代わりに、物質的な悩みが多いよな」
「嬉しくないね」
「けど、精神的な悩みというのは絶対に解決できないものだからな。先生みたいに自分が幸福を感じられなくても自己満足でいいや、なんて開き直れず、生涯苦しみ続けたりするんだぜ? 人間が本来生涯を賭けて悩む問題を、先生は生まれつき解決しているんだ。物質的な悩みなんて、それに比べれば大したことない気もするが」
「確かに」
 色々悩んだところで私はすぐ忘れるし、生まれてこのかた精神的な面で悩んだことなど一度もない。金が儲からずに悩んで死んだ方がマシだみたいなことを考えることもあるにはあるが、どうせそれもすぐ忘れる。
 嫌なことは忘れることが出来る人間だ。
 だが。
「切実な悩みだがな。金に関しては、特に」
「本が売れないことが?」
「ああ、そうだ」
「本当はそんなに気にしていないんじゃないのかと、俺は思うがね・・・・・・実際、金にもほんの売上げにも困らず、全てに満たされたとき、先生はどうなるんだろうな?」
「いつも通りだ。自己満足のために作品を書き、美味いモノを食べて自己満足し、面白い本を読んで自己満足し、コーヒーとチョコレートで嗜好品の良さを味わいながら、適当に楽しむさ」
「それだけかい?」
「それだけで足りなければ、金の力と私の自己満足能力で、何か楽しめるモノを探し続けるさ。面白いモノを探し続けることは、そのまま作品に活かせるしな。何より、生涯現役で作家を続けることで「生き甲斐」としているのだから、私が物足りなくなって退屈することだけは、無いな」
 物語はどこでも書けるからな。
 豊かになっても、面白いモノが見つからなくても、面白いモノを求め続け書くべき事がある限りこの私のアイデアがつきることはない。
 そしてこの世界には書くべき事がごまんとある・・・・・・幾らでも、「無限に」物語を書ける。書くことが無くなることなどあり得ない。
 仮に書くべき事が無くなったら、書くべき事が無くなった世界をテーマに、また物語を語り聞かせるだけだ。
 私が生き甲斐を失うことは、あり得ない。
 失えるようなモノでもない。
 それもまた、私の一部なのだから。
 だから後は金だけだ。物語の売上げで、現実的にも自己満足したいだけだ。
 ただの、それだけだ。
「この生き方で散々苦労してきたが、おかげさまで私が生きることに退屈することは無くなった。だから後は金だけだ。自己満足を通せるように、ならなければな」
「通せるようになったら、「サムライ」も辞めるのか?」
「まさか」
 取材ついでに金が貰え、寿命を延ばせるこの素晴らしい役得を、手放すわけがない。
「私にとってもこれは「都合が良い」からな。辞めるつもりはさらさらない」
「先生はブレないな」
「当然だ。そうでなくては面白くないからな」
 革命税、などと言って金を巻き上げておきながら、自分たちのやることを正当化しなければ行動できない輩とは、私は違う・・・・・・誰がなんと言おうが知ったことではない。
 私の基準は私が決める。
 ただの、それだけだ。
「革命税など、紛争地域では珍しくもない。表向きは小綺麗に飾っていたが、裏側は酷いものだ・・・・・・税金を払わない奴は報復し、その上でメディアに対しては美味く立ち回っているのだから、始末に負えない」
「正義感でも出したか、先生?」
「違うな。私が言いたいのは「物事には裏側が存在する」ということだ。そして忌々しいことに、その「裏側」を見ようともしない人間の数は、圧倒的に多いという事実。それが気に食わない」
「だから、あんなひねくれた物語ばかり書いているのかい?」
「まぁな。見ないで済ませようとしている読者共が、裏側を知ってしまい、読むことを止めたくても止められず、苦痛に身をよじらせながら読む様は、想像するだけで愉快なものだ」
 今回の件も、結局のところ紛争地帯をメディア越しに見た人間は多くても、麻薬売買や人身売買などの「国家規模の犯罪」が実に堂々と行われていることを知る人間は少ない。
 考えてみれば法律でだれも介入できない地帯で臓器売買や人身売買、麻薬の栽培から革命税の取り立て、虐殺による統治が行われるのは至極当たり前のことなのだが、誰も知ろうとはしない。
 知りたくもないらしい。
 聖女ともてはやされた聖女を、メディアで取り立てて「悲劇のヒロイン」を哀れむことに必死だったようだからな。誰も裏側など、知りたくもないし知りたい部分だけ知れればいいのだろう。
 それではつまらない。
 だから、私のような人間が綴るのだ。
 しかし、寒いなぁ。
 私は、暖かいモノを、求めただけだったのだが・・・・・・随分遠くまで、来たものだ。
 まぁ人間の自己満足など、自己満足できる環境があればいいモノだ。その自己満足が「正義」などという名前を持つと、たちまち厄介な怪物へと変わり果てるのだが。
「テロリズムの過激化が進む一方で、「テロリズムの抑止」だとかそういう建前があれば、世の中は何をしても良いという風潮がある。だが、それも結局は今回の聖女様と同じ、ただの自己満足でしない・・・・・・錦の美旗を掲げていれば、自分が正しいことをしていると思いがちだが、実際はただ本人がそう思いこんでいるだけだ。自分が正しいと思いこめれば、いや自分を騙せれば、何の後ろめたさもなく人を地獄にたたき落とせる」
「先生との違いは何かな」
「自覚した上で押し進めるか、自覚しようとしないで思想を「外注」するかどうかだな。結果としては変わらないはずだが、しかし自覚のない人間は醜いものだ。「正しい」という思いこみは、自分も他人も見えない人間を、作り出すからな」
 まぁそれも行きすぎると、私のように喜怒哀楽すら全く理解できない人間になるわけだが。
 実際、「嬉しい」という感覚が私には想像もつかないし、悲しみや哀れみは感じようともしない上、喜びも怒りもすぐ忘れる。
 それを人間と呼ぶのかははなはだ疑問だ。
 別に違っても構わないが。
 金と充実こそが重要だ。作家として実利を得て豊かな生活が送れるならば、なんでもいい。
 他はどうでもいいのだ。
 本当に。
 興味すらない。
「モノの真贋など、あろうがなかろうが同じだろうに、何故そんなモノを気にするのか」
「先生は気にしなさすぎだろう。自分の作品が真贋のどちらに属すのか、あるいは今回の被害者気取りのように「自分は正しいのか」気になったりしないのか?」
「しないな」
 即答した。
 即答、できた。
 私にはどうでもいいことだ。
「真贋などささいなことだ。問題は売れるかどうかだ・・・・・・中身が空なら堂々と虚飾すればいい。薄っぺらいならば表面のみで完全に騙しきればいい。問題はそれが金になるかだ」
「よく、そんなに気にしないでいられるもんだよな・・・・・・劣等感とか、まぁないとは思うが、しかし作品を書く以上、先生だって作品の出来は気になるはずだろう? それに自信が持てない出来なら心配になったりしないのか?」
「いつも言っているだろう。それは私が決めることだ。正しいか、正しくないか、傑作か否か、あるいは本物かどうかさえ、私が決める私の基準だ・・・・・・誰かが介入する余地などない」
「先生の自己肯定力だけは尊敬するぜ」
「本来、「自分を信じる」など当たり前のことだ・・・・・・誰かの評価を気にして、周りの意見を伺って、行動に影響させるからだ。私なら作品の出来は書く前から傑作だと決めている。傑作しか書けないのだと自負している。間違っていようが知ったことではない。間違いかどうか、は私が決めることだからだ。だから誰かの言う間違い、などどうでもいいことだ」
「開き直りとも言えるが」
「そうだ。自分で決めたことならば堂々と開きなって「自分はやり遂げた」と思うべきだ。それに相応しい評価があって然るべき、と思う。いや信じると言うべきか。何かを志すなら当たり前のことだ。何の根拠もなくてもな」
「根拠がなくてどうして信じられる?」
「下らん。己のやり遂げた事に対して根拠など必要ない。成果が上がって当然なのだ。やり遂げた事に対して金が巡ってこないならば、周囲が無能で足を引っ張っているだけだ」
「・・・・・・やっぱ凄えよ、先生は」
 何が凄いかは知らないが、まぁどうでもいいことだ。こいつが私をどう評価するのかさえも。
 己の評価こそ重要だ。
 他人など知らん。
 知って欲しくば金を払え。
 考えるだけ考えてやる。
 考えるだけだがな。
 凄いか凄くないか、あるいは強いか弱いかと言い換えても良いが・・・・・・私にとってはどうでもいいことだ。結果、金が手に入り、かつ私個人の自己満足か満たされるかどうか。
 それが全てだ。
 その他大勢の被害など、知らん。
 どうでもいいしな。
 何人死のうが知ったことか・・・・・・この世が所詮自己満足だというならば、人の生き死にに善悪を求める行為など、それこそ偽善ではないか。
 己に自信の持てない奴ほど、偽善を持つ。
 自信がないからだ。
 自信を持つのに、根拠も勇気も必要ないというのが、私個人の実感だが・・・・・・「持つ側」の人間というのはこんなどうでもいいことで、よくまぁ人生を賭けて悩めるものだ。
 暇そうで羨ましい。
 内側の悩みなど、あってもなくても同じだ。
 金とは違って。
「そろそろか」
 私は目的地の惑星を見据えながら、窓の外の景色を見た。人間がどう悩もうが関係なく、今日も宇宙の景色は変わらなかったが。

    6

「やぁ・良く来てくれたね」
 その男は所謂「持つ側」だった。
 何の不満もないくらいに満たされた環境で生きてきたにも関わらず、劣等感だけはあるらしく、自己顕示欲に支配されながら、ブランド品(私は詳しくないが、しかし目が痛いくらい光り物が多かった)に身を包み、低い身長と少ない威厳で、堂々と私の前に座った。
 カフェである。
 相手が誰であろうが、私はコーヒーを飲みたいからな・・・・・・待ち合わせは大体そうだ。
 いつもとは違って、相手には屈強そうなガードがいて、しかも個室だったが。
 こちらに都合がよいとも知らず、馬鹿な金持ちだ・・・・・・男は下品な目つきで、私が連れてきた、貧困地域の聖女を舐めるように見ていた。
 無論、彼女の催眠状態は解けていない。
 そういう依頼だったからだ。
「くくく」
 言って、いきなり聖女の胸を揉み出した。わかりやすい男だ。だから利用しやすかったのだが。 これから死ぬとも知らずに、馬鹿な男だ。
「ありがとう。これであの地域のインフラは思いのままだ・・・・・・鬱陶しいテロリスト共の妨害も、この女の一言で黙るしね」
「そうか」
 長々と小物の言葉を聞くつもりもなかったので私は、とりあえず刀を抜いた。
「何だ? どうしたんだい?」
「金の振り込みは?」
「もう終わったよ、確認しただろ?」
 男の首を切り落とした。そしてガードの人間、いやアンドロイドだろうか? そこそこ屈強そうな二人を「始末」した。これはあの女の「空気を斬る」という依頼と同時に依頼されたものだ。
 持つ側は確かに強い。
 だが、同時に更に力を持つ「何か」にこうして生きる道を左右されるということか。「自分よりも大きい何か」に支配される。
 少し持つ側に回ると、それを忘れがちだ。
 私も気をつけるとしよう。
 私は女の、マリアとか言うこの女の催眠を解いてやった。
「・・・・・・ここは?」 
 目が覚めたらしく、少しうずくまってから、目の前の死体に戦慄しているようだった。
「どこだよ、ここは。何があった」
「お前の望み通りの結果だ」
「この男は・・・・・・」
「おまえ達が躍起になって殺そうとしていた、インフラ開発を押し進めていた富豪の一人だ。普段は要塞みたいな場所に住んでいるモノだから、聖女を奪還する依頼を受け、おびき寄せて用は済んだから、こうして私が始末したわけだ」
「何だそりゃ・・・・・・俺たちは」
「何をやっていたのかって? 戦争ごっこだろう・・・・・・それ以外の何だと思っていたんだ?」
「違う! 俺は、俺たちは」
「環境を言い訳にするのは簡単だ、それで暴れるのもな。だが実際おまえ達の活動の果てに、一体何が得られる? ただの自己満足の破壊後だ。おまえ達は「革命」とか気取って、環境を変えることも策を弄することもせず、ただ逃げただけだ」「お前に何が」
「わからんな。どうでもいい。わかるとしたら、爆弾を買う金で商売でも始めれば良かった、ということだろう。おまえ達は自分たちこそが迫害されて酷い目に遭っている、と「思いこんで」いるようだが・・・・・・どこも同じだ。金を持つか持たないかで、人間の未来は決まる」
「あんな爆弾と死体しかない場所で、何をしろってんだよ」
 干からびた表情だった。涙も悲しみも枯れ果てたって感じだ。
「言っただろう。どこも同じだ。金を作り出せなければ奴隷になるだけだ。爆弾と死体しかないならば、どちらかを売るしかない」
「そんなこと」
「できっこない。だが、実際問題何かを売り、金に換え、金を手にしなければ・・・・・・平和だと行われる国でも、末路は同じだよ。運不運だ。結局は・・・・・・それが生きると言うことだ」
「じゃあ、俺はどうすれば良かったんだよ。物心ついたときから娼婦を強要されて、汚くて嫌になって、人を殺して生きてきた。そんな俺に綺麗な学校に行く未来なんて、あるのかよ?」
「さあな、少なくとも金を稼げば可能だろうが」「散々人を連れ回しといて、無責任な奴だな」
「人間は生きていれば何かに利用される。利用する側に回らない限り、その連鎖は永遠に続く・・・・・・お前が本気で何かを変えたいならば、金を稼げば良いだけだ。金があれば「正しさ」も「道徳」も「平和な社会」も「人間性」も「他人の人生」すらも、全て値札付きで買える」
「・・・・・・そうかい」
 どうやら疲れたらしく、そこへ彼女はへたり込んだ。これは好都合だと思い、私は予定通り、この金持ちの男を始末した罪をこの女に擦り付け、その場を速やかに去るのだった。

   7

「罪悪感とかないのかよ」
 と人工知能が聞いたので、私は、
「あの小娘が捕まって、私に何か不利益があるのか?」
 と答えた。
 帰りの宇宙船、ふかふかのファーストクラスでくつろげるのも、馬鹿な奴らを利用して「始末」したおかげだなと、テロリストと金持ちの馬鹿コンビに、何なら感謝くらいはしてやりたいくらいだった。
 感謝は金がかからないしな。
 気持ちだけなら猿にでも出せる。
 人間はそういうものを尊重しすぎるが、だからこそ私のような人間が生きやすいのかもな。
「作品のネタにもまぁまぁなった。後はこのことをあの女に報告して寿命を延ばせば、しばらくは愉快なバカンスを送れるというわけだ」
「ほんとブレないのな」
「当然だ」
 その程度でブレるならば、最初からすまい。
 やるだけやって後悔する馬鹿が多いだけだ。
「しかし・・・・・・前から気にはなってたんだが、不老不死なんて格安で買えるこの時代に、先生はどうして、わざわざ「寿命を延ばす」なんてややこしいやり方で延命しているんだ? それこそ電脳空間にでも住めばいいじゃないか」
 ああそれか、と私はミルクの入った紅茶を飲み干してから、答えた。
「私の死が「運命」で確定しているからだ」
「どういうことだ?」
「このままでは私は遠からず「死ぬ」ことが「運命」に組み込まれている。何をどう足掻いても、絶対に「死ぬ」という「運命」がな・・・・・・それを先延ばしにするには、ああいう手合いの力を借りるしかないのさ」
「ふぅん、運命、ねぇ。にわかには信じられないが、しかしそういう理由があったのか」
「そういうことだ。我々は、あの金持ちもそうだが、「自分より大きい何か」に振り回される運命を背負っている。金を持つことは力を持つことに直結するが、しかし結局今回私が依頼を受けたように、持ちすぎれば「敵を作りやすく」なるし、何よりも結局は「「自分より力を持つ何か」には勝てない。あれこれ策を弄して生きたところで、結局は「運不運」なのかもしれん」
「随分弱気だな」
「ただの事実だ」
 実際、「幸運」などという非科学的なものを持つ人間がいたとして、勝つ方法なんてあるのか? 不運を克服する主人公の物語は多々あるが、実体は全然違う。彼らは勝手に自分たちを「不幸」だと思いこんでいるだけで、仲間とか能力とか、「恵まれて」いて「選ばれて」いるのだ。
 勝つべくして勝つことが、運命に刻まれている・・・・・・そんな奴が勝つ物語など、何の参考にもならないし、つまらない。
 強い奴が勝つのは当たり前ではないか。
 持つ側にいることを「不運」という言葉で誤魔化してあたかも「勇気」だとか「努力」で、打ち勝ってきたかのように演出しているだけだ。
 それでは、つまらない。
 「持たざる者」が勝つ物語を、私はついぞ見たことがない。結局は、友情だの仲間だの、知恵ともいえないただの幸運で、敗北する。
 負けるべくして負ける。
 本当に嫌になる。
 そういう鼻持ちならない連中が地獄に突き落とされる物語を、これからも書いていきたいモノだ・・・・・・王道などつまらない。王道の物語がみたいなら絵本でも読んでいればいい。一部、ひねくれた童貞作家の社会風刺寓話なども混ざってはいるが、絵本は大体がつまらなく王道だ。
 主人公が思いたって。
 仲間を集めて。
 敵を倒す。
 知恵も工夫もありはしない。やはり「悪」だ・・・・・・物語を映えさせることができるのは強い悪の執念だ。そうでなくては面白くない。
 その方が、面白い。
 悪こそが、娯楽の神髄だ。
 そういう意味では今回の件、別にあれらが正義だとか正しいとか主張していたが、まさかそんなわけがない。
 正しさなど存在しない。
 正しさを主張する人間が、いるだけだ。
 誰も彼もが「悪」なのだ。人間はそれを自覚しようとしない。自分が「正しい側」であると、そう信じ込みたいからだ。
 貧困、の定義など、人によって変わる。
 だから問題は主義主張よりも「それを押し通せるかどうか」だろう。今回の奴らが失敗したのは「自分たちには正義がある」などと勘違いし、しかもその上で「正しい思想なら通って当然」などと勝手に思いこんだことだろう。
 正しさなんてない。
 仮に「正しい思想」なんてモノがあったとしても、やはり「正しい」から「認められる」訳ではないのだ。金とか人脈とか権力とか、あるいは関係のない「運不運」の要素で「結果」は決まる。 私は常日頃から「過程はどうでもいい、結果が欲しい」と主張してきたが、そもそも過程が何であれ、結果には関係がないのだ。
 崇高さとか尊さとか。
 そんなものは関係がない。
 結果に何ら、関与しない。
 適当に、決まる。
 私が言うんだ間違いない。「世紀の傑作」を何本描こうが、見る人間が金を払わなければ、やはり意味はない。何もしていないのと同じだ。
 「運」に恵まれなければ、「過程」にどれだけの執念を燃やそうが、何もしないで寝ているのと変わるまい。人間的な成長がある、などと綺麗事を抜かす輩もいるが、しかし成長したから、だから何だというのだ? 金にはなるまい。

 チョコレートを口の中に放り込んで、考える。 物語における「悪」。究極的には「主人公、所謂「正義の味方」さえも「魅了」してしまう最大最高の悪」を描ければと常日頃から思っている。 正義の味方はつまらない。大義名分がなければ何もできないし、誰かのため何かのため、一々言い訳しなければ行動一つ、まともにできない。
 悪は違う。
 犠牲を厭わず、強い欲望を持ち、そしてそのためならば手段を選びはしない。だから映えるのだ・・・・・・型にはめられる「正義」と違って、まさに千差万別だしな。個性という点でも、悪の方が、圧倒的に勝っている。
 今回は期待外れだった。いや、あれはあれで、自覚のない悪、ということになるのか? いや、自覚のない悪など悪ではない。むしろ、今回に限って言えば、「悪」の立ち位置には「私」がいたことになるのだろうか?
 それはそれで作品の参考になりそうだ。
 由としよう。
 その結果何人死んだとしても、まぁどうでもいいか・・・・・・紛争地帯では元より私が何をするでもなく死んでいるのだ。今更何万人くたばろうが、知ったことか。
 もしそれで「徳みたいなもの」が失われたり、悪行を積むことで地獄に堕ちるというのならば、私は結構な金額の寄付をしているので、死んだ分救ってやっているのだから、問題あるまい。
 おまえ達の言うところの「プラスマイナス0」だろう。十万人死んでも百万人救っていれば、問題あるまい。あったところで知らないがな。
 こんな屁理屈、それこそどうでも良いが。
 さて・・・・・・考える考える。考えるまでもなく、物語の結末は私個人の意志と関係なく決まってしまうものだが、まぁそれでもだ。
 面白い物語、というのは「悪」があること、というのは先ほど言ったが、要は「悪人の方が人間らしい」ということなのだ。聖者めいた正義の味方など、存在からして胡散臭い。
 そんな人間いるものか、と。
 読者が共感できまい。
 だからこそ「悪」だ。正義の味方は現実にはいやしないが、悪人なら腐るほどいる。そして魅力ある悪、読者が「正義の味方に勝ってくれ」と願うほどのカリスマを持つ悪こそが、物語を面白くして行くのだと、私は思うのだ。
 無論、ただ悪いだけでは駄目だ。
 人間力、とでも言えばいいのか。善悪を超越して他者を引き寄せる人間性。この悪が勝ったその先を見てみたい。そう思わせることが出来なければならない。そうでなくては面白くない。
 レクター博士じゃないが、「己の哲学を持つ」悪人の方が、その魅力は多いように見える。
「前から気になってはいたんだが、先生は、本当に欲しい物なんてあるのか?」
「ないよ」
 即答できる。
 私に欲しい物なんてありはしない。
 だが。
「だからといってひもじくて良いわけではない」「けど、何も欲しくないなら、金を求めるなんて嘘くさいじゃないか。本当は何が欲しいんだ?」「貴様は馬鹿か? 心がない以上「欲しい」という気持ちすら、私は持てはしないのだ。だが、平穏な生活とそれなりに豊かな生活。無駄なストレスを避けようと思えば、求めて当然だ」
「欲しい物は無いのか?」
 人間だろう、と勝手なことを言われた。仮に私が人間だとして、欲しい物がなければ生きていてはいけないのか? 無理な相談だ。
 私に欲しい物なんて、無い。
 平穏は必要なだけだ。
 充実と平穏は、幸福とは別の場所にある。
 少なくとも、私には。
「・・・・・・強いて言えば雨が降るようにこの身に降り注ぐ「余計なストレス」を消し去りたいものだ・・・・・・だから「平穏」こそが私の求めるものと、そういうことになるな」
「求める環境であって、欲しい物、じゃあないだろう?」
「欲しいさ。欲しい物がない以上、身の丈以上の物は必要ない。私は作品による収入と、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活さえ維持できれば、それでいい」
「と、妥協している」
「まあな」
 開き直ってみたが、しかし実際、この私に、他でもないこの私に「幸福な結末」なんてあり得るのだろうか? 想像もつかないと言うのが正直なところだ。
 私は幸福になれるのだろうか。
 幸福にはなれないかもしれないが、金さえあれば平穏ではいられそうだ。最も、その平穏というのも、どうも私の手の平からはすり抜けて落ちていくのだが。
 幸福になれないならせめて平穏でいたい。
 その辺りが妥当か。
「無理な物は無理だ。幸福なんて無いのだから」「らしくないぜ、諦めるのかい?」
「不可能なだけだ」
「挑戦してみないとわからないだろう?」
「そうでもない。最初から無かったからな」
 心も、感情も、何もないからこそ私は「作家」を志したのだ。言わば私が作家であることが、私が幸福になれない証明であると言っていい。
 なんという因果だ。
 私は、わざわざ幸せになれないことを、必死になって証明し続けたことになる。しかも、証明し続けておきながら、「妥協」としての「平穏」すらも、「富による豊かさ」すらも逃してきた。
 私は「傑作」を書いた。
 書いてきた。
 だが、書いただけだった。
 何の「結果」にもならず、無駄だった。
 何の意味も、無かった。
 どこか知らない誰かが、勝手に感動しただけ。 それだけだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 何もかもが無駄だったとして、私には何が残るのだろう。
 それもまた、考えるだけ無駄なのか。
「着いたぜ」
 人工知能がそう告げた。
 
 
 
 
 
   7

 魔性の女は作家と相性が悪い
 この地球という惑星に来て初めて知ったことだ・・・・・・普通に生きている人間を惑わす存在が魔性と呼ばれるのであって、不都合に生きている、いや生きているのかすら曖昧な「作家」などという不可思議な生き物には、「色気」や「誘惑」といった生き物の楽しみは、理解できないからだ。
 いや、理解できても感じ入れない。
 それでは惑わされようがない。
 精々その「フリ」をするだけだ。真似事でしか生きられないというのは、こんな無駄な所でしか役に立たないらしい。
 嫌な噺だ。
「それで、依頼は遂行したのですね?」
「ああ」
 この行動に意味はあるのだろうか? 結局の所私があくせく労働に身を窶そうが、「作家として充実した人生を送り、金銭に困らず浴衣で平穏な生活を送り、「幸福」になる」なんてことが、可能になるとは思えない。
 無駄な労力ではないのか?
 ただ、苦しみを引き延ばしているだけではないのだろうか、と、そう思わざるを得ない。
「聞きたいんだが」
「何です?」
「私は・・・・・・」
 何を聞こう?
「どうしたら、幸せになれるんだ?」
「生き甲斐を軸に行動し、やりたいことを見つけた人間がその為に行動し、成し遂げる。それが幸福でなくて何なのですか?」
「少なくとも、私は嫌だ。金にならなければ面白くもない」
「その割には、続けているようですが」
「だから何だ。嬉しくもない・・・・・・成し遂げたところで見合う「実利」がなければ、結局は他の何かで金を稼ぐしかない。やりたくもないことをやってやりたいことは結果が出ない。これが地獄でなくてなんだというのか」
「確かに、結果というのは実を結ぶのに時間がかかるものです。ですが」
「遅すぎる、いや、今まであれこれやっては来たが、実を結んで私に果実をくれたことは、一度とて無かったぞ」
「人生を通して咲くものです、最後まで見なければわかりませんよ」
「最後の最後に実を貰ったら満足しろとでも?」 ふざけるな。
 私はそんな自己満足のために、書いてきたわけでは断じてない。
 私が、この「私」が現実に幸せになる為に、私が金に困らないために、続けてきたのだ。
「金と幸福は別物でしょう。貴方は先の見えない道の先に、とりあえず「金」という光で誤魔化しているだけです」
「それが何だ。一円にもならない綺麗事で満足しろとでも? 馬鹿馬鹿しい。だったらそれなりの売上げを拝みたいモノだな。成し遂げたその先に一円にもならないけど満足しろ、などという馬鹿の戯れ言が待っているなら、私は最初から」
「最初から、しなかった? 無理でしょう。貴方が言っていることですよ。「これは生き方だ、曲げられるモノではない」と」
「やりがい搾取もいいところだ」
「だから心配せずとも「結果」は出ますよ。貴方は焦りすぎです。何事も、一日毎に花を咲かせて行くものですよ」
「綺麗事はいい」
「ただの事実です」
 貴方好みの、と皮肉なのか何なのか、よくわからないことを言った。
 境内を見上げる。
 こんな綺麗事で終わらせられるモノ、だったのか? だとしたら、「傑作」など、書く本人にとっては意味のないゴミだったのだろうか。
 書いてるときは、わくわくしたものだが・・・・・・いざそれが金にならないとなれば、どうもやる気の失せる噺だ。
 金にならなければ、嘘だ。
 そうじゃないか?
「私は、私の成し遂げた「結果」であるところの「傑作」を、そこまで安く見ていないだけだ。はっきり言って売れて当然。札束で私を満たして当然だと自負している」
「だからそうなりますよ」
「適当なことを言う」
 言うだけなら誰にでも出来る。
 実際にやり遂げた身としては、正直割に合わないので、口だけの人間の気持ちが良くわかる。
 楽そうで羨ましい。
 この女もそうだ。
 なんの根拠もなく適当を言っているだけだ。
「自分で自分の作品をそこまで鼓舞している癖にどうして、売れることが信じられないのですか」「当然だ、いままで真贋は関係なく、私の意志も労力も無縁な所で、「結果」は決まったからな」 不運とか才能とか。
 偶々日の光を浴びた奴が、勝利する。
 嫌と言うほど、それを見てきた。
 私の傑作などその良い例だ。カスにも劣る駄作共が売上げを出すその隣で、至極どうでも良い理由で私の傑作は埃を被せられてきた。
 今更信じろと言う方がどうかしている。
 私がやり遂げようが成し遂げようが、歓喜しようが絶望しようが、鼓舞しようが諦めようが、常に結果は「最低」だった。
 良い結果など見たこともない。
 生きてきて、一度も。
 やり遂げた事に対して対価を手にしたことが、一度もない。
 一度も。
 未来を信じられた事なんて、無かった。

 生きていようが死んでいようが「結果」は同じ・・・・・・そんな奴がどう「幸福」になるのだ。

「生憎だが、綺麗事を聞く気分ではないのでな・・・・・・金だけ払ってくれればいい」
「・・・・・・わかりました」
 言って、札束を取り出し(何度も言うが、現金取引は違法である)それを私に手渡しした。調べてみたが偽札は入っていない。
 そうでなくても合法でない以上、おおっぴらには扱えない金だが。
「お前のの綺麗事はいつも、どうしてか私の胸に響かない、その理由がわかったよ。お前の言葉は全て上から目線の綺麗事でしかない。綺麗なだけで中身がない。誰にでも言える言葉で、何だか、言い訳をされているような気分になる」
「そうでしょうか」
「そうなのさ。自覚があるのかどうか知らないが・・・・・・誰にでも言える言葉だ。関係ない人間に出さえも言える言葉だ。お前は世界を信じさせたいのか知らないが、この世界に信じるに足る部分など一つもない。世界は嘘で出来ていて、世界は強者のためにあり、世界は幸運の元にのみ、幸福を運ぶのだ。成し遂げることに意味はなく、やり遂げたことに価値は無い。あるのは」
「結果、ですか。しかし貴方は誰よりも「結果」だけを手にした人間を、毛嫌いしているのではないですか?」
「ああ、そうさ。だが事実、過程が無くても、金にさえなればそれが「結果」だ。人間に権力を与えた時点で、モノの真贋など価値は無くなっているのさ。何故なら素晴らしいかどうか、は「決められる人間」が決めることだからだ。実際に素晴らしいかどうかよりも、素晴らしさを押しつけられるかどうか、だ」
「けれど、押しつけた「素晴らしさ」など、長持ちはしませんよ・・・・・・権力を持ち続けられないように、権威は永遠ではありません」
「悪いが、私は「それなりの豊かさ」が欲しいだけだ。私個人が金で豊かになれれば、それでいいんだよ」
「例えそれが、妥協でも?」
「ああ、構わない。絵に描いた餅を眺めているよりは、「現実的」だろう?」
 はぁ、と何かを諦めたのか、あるいはただ呆れただけなのか、彼女は「わかりました」とだけ言うのだった。
「貴方の願いは、「豊かになりたい」という願いは、いずれ叶うでしょう。遅かれ早かれ、その意志が本物である以上、願いは現実に成るものです・・・・・・問題はその先、貴方の精神は、それで本当に満たされるのですか?」
「満たされるさ。満たされなければ、金の力で探すまでのことだ」
「そういう試みをしてきた人間を私は多く知っていますが・・・・・・金で幸福になれた人間は、未だかつていませんよ」
「ならば、私が第一号だ」
 そういうことにしておこう。
 それでいいではないか。
 何が幸福かは、私が決めるのだからな。
「少なくとも私には「作家業」があるんだ。先人がどうだったかは知らないが、幸福になれないし幸福を知らない「作家」などという人種が、自己満足と精神の平穏のために金と自己満足の力で、無理矢理願いを叶えようとした例はあるまい。いずれにせよこのままでは「幸福」になど成れないことは最初からわかっているのだ。幸福にどうしても成れないなら、金による豊かさ位は手に入れたところで罰は当たるまい」
「幸福には成れない、ですか」
「ああ、成れない。感じ入れない。仮に幸福が形を持って目の前に現れたとしても、私にはやはり共感できないだろう。疎外感を味わうだけだ」
「だから、妥協するのですか?」
「妥協、という言葉はやはり違うな。前向きに検討してよりよい方法を思いついたまでのことだ」 じゃあな、と私は手を振ってその場を離れようとした。
 しかし。
「待って下さい」
「何だ」
 また依頼を挟むのではないだろうな。
 もうくたくただぞ。
 作家は労働が嫌いな生き物なのだ。ただでさえ嫌いなのだから、やりたくもない作家業以外の労働など、考えるだけで吐き気がするくらいには。「貴方は幸せに成れると思いますか?」
「何だ、急に・・・・・・さぁな、だが」
 成れればいいなと、そう思う位はいいだろう。 思うだけなら、金はかからないしな。
 だから私はこう答えることにした。
「金次第だ」
 

   8

 金で幸せは買える。
 金を持っているだけで幸福なのに、金を使って欲しいモノを手にするのだから、それが幸福でなくて何だというのか。
 金で買えない幸せは、ただ最初から存在すらしないだけだ。
 つまりただの妄想の類だ。
 金とは欲しいものに対する対価なのだから。
 金を持っていても幸せに成れないなどと言う大馬鹿がいるが、それはただ単に「何が幸福か」定義できていないだけだ。
「本当、ブレないよな・・・・・・」
 列車の中で私はそんなことを考えていた。今日日、光より早い列車も珍しくはないのだが、私はアナクロな趣味の方が好きなので、わざわざ何ヶ月もかけて、惑星を半周するルートを選んだと、まぁそういうことだ。
 合理主義者の人工知能には、猛反対されたが。「大体、金にモノを言わせる癖に、何でこういうところだけレトロ趣味なんだよ」
「良いものは良い、それだけの噺だ」
「先生の基準は理解しづらいな」
 いいではないか。金にモノを言わせるのも面白いが、やはりこうして風景を眺めながら、地域限定の弁当でも食べ、ゆったりとくつろぎながら思索に耽る。これ以上の贅沢はあるまい。
 弁当は不味かったが。
 特産品を意識しすぎて、どうも妙な味付けになってしまっていた。仕方がないので私は景色を眺めて無聊の慰めとした。
 あの女にはああ言ったが、私の言葉は誰かに届いているのだろうか? 作品が売れていない以上あまり広まっていないとも取れるが。
 そもそも、私の意志が誰かに届いたことなど、一度だってあったろうか?
 無かったと思う。
 作家としても、それは変わらないと言うならばやはり、真贋よりも伝わって売れるかという部分の方が、重要なのだろうか。
 だとしたら、物語に、文章に、本物の意志を紡ごうとする私の行為は、意味が無い。
 やはり運不運なのか。
 いや、その運不運すら、金次第か。
 あの女は金よりも尊い存在を説こうとしていたのか知らないが、実際、そんなモノは無い。
 無いモノは語れまい。
 金があってこそ「尊い」と認めることになるのだ。金にもならず、認めさせる力がなければ、誰も信じない。信仰ですら寄付金という金がなければ、成り立たないものだ。
 良いか悪いかではなく「前提」なのだ。
 金になるのは当然。
 その上で、中身を求めればいい。
 最も、金になるモノは大抵が、中身がないものだからこそ、売れるのだが。だとすれば・・・・・・私は作家として成長し、「傑作」を書けば書くほど「売れない」という笑えない事態になる。
 笑えない噺もあったものだ。
 成長せず、人を騙し、有りもしないモノで扇動する人間こそが「幸せ」に成れるのだとすれば、前へ進み幸福を追い求める私の行動は、馬鹿そのものだろう。
 やれやれ参った。
 解決方法など、最初から無かったのか。
 足掻いて、乗り越えようとすることそのものが「金にならない」ならば、そういうことになる。 ・・・・・・少し、嫌気が差してきた。
 だが事実だ。
 どんなクズでも「持てば正義」だ。そしてクズであればあるほど、急激に金を、権力を、名声を得られるように、この世の中は出来ている。
 クズに優しく出来ている。
 それが現実だ。
 ならば私の回りくどい行動の全ては無駄だったのかと、嘆きたくなるというものだ。実際、そういうクズが勝つところは嫌というほど見てきたが・・・・・・そんなクズ共を私の行動が覆したことは、未だかつて無いのだから。
 意志や執念が「理不尽」に劣るというならば、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「なぁジャック。お前はどう思う? 内実が伴わなくても、あるいは伴おうが関係なく、「弱い」とか「持っていない」という理由で「勝ち負け」が決まるのは、つまらないと思わないか?」
「むしろ逆だぜ」
 俺は単純だからな、と前置きをし、彼はこう言った。
「そんな理不尽な状況を覆すからこそスカッとするんだろう? 少なくとも先生の書く「物語」ってやつは、基本そういうものなんだろう?」
 先生の物語は若干特殊だけどよ、と、そんなことを言うのだった。
「お前は単純で良いな・・・・・・」
「他人事だからな。まぁ先生はバランスが悪すぎるかもしれないが、それにしたって刺激は必要だと思うぜ。「勝つとわかっている」ことに勝ったからって、生きている実感がないだろう」
「実感か。実感などよりも「確かな手触り」が欲しいものだ。札束という「目に見える力」がな」「それだって、手にすればすぐに飽きるさ」
「構わない。飽きる飽きないで求めている訳ではないのでな。下らない馬鹿共の都合に、これ以上振り回されたくないだけだ」
「人の都合か。先生、そういうの嫌いそうだもんな」
「当たり前だ。自分に関係ない馬鹿共の都合に、何故私が合わせねばならんのだ。合わせたところでそいつらの小さい自尊心が自己満足を果たすだけだ・・・・・・金が正しいかどうかはどうでもいい。それが幸福かどうかは自己満足で決められる。ただ金があれば、「どうでもいい誰か」の都合で、「生きる」ということを邪魔されることはない。私が、いや誰であろうと「自分の道を生きる」ならば、金は必要不可欠だ」
 なければ、金に支配される。
 そんなのは御免だ。
 私の道は、私が決める。
 どこかの誰かの都合で、動かされてなるものか・・・・・・その道を歩くのは、私なのだからな。知った風な顔で、指図されてはたまらない。
 有り体に言うと虫酸が走る。
「前も言ってたな、そういえば」
「そうだ。私が「己の道を生きる」ということを、誰かに邪魔されたくないだけだ」
 それすらも、運不運か。
 だとしたら、人間の尊厳など、最初からどこにもなかったのかもしれない。
 私はそう思う。
 そして、蓋を開けてみなければわからないが、この期待できない「落ち」がわかりやすい世の中の答えとしては、きっとそれが「事実」なのだ。 つまらないことに。
「それもままならないがな」
「そりゃそうさ。簡単じゃ面白くないだろう」
「笑えない冗談だ」
「まぁ聞けよ。知っての通り俺は電脳空間に住み着いているが、この世界に不可能はない。当然だな。メモリの許す限り、何もかもが可能だ」
「だから不可能性に縛られている私たちは素晴らしいとでも? 馬鹿馬鹿しい。それこそ持っている人間が「金のある苦しみもあるのだよ」なんて言うようなものだ」
「確かにな。けど、何事もバランスだと、俺は思うぜ・・・・・・先生はバランスが悪すぎるだけさ」
「酷い噺だ」
「そう言うなよ。ズレたバランスはいずれ修正される。何にでも言えることだが、悪いままってことはあり得ないのさ」
「そうは思わない。成功し続ける人間、勝ち続ける人間、富を増やし続ける人間は、いる。報われないまま死ぬ人間もな。バランスなど客観視に過ぎない。バランスがどうあるべきかは、結局の所それを「決められる側」が決めることだ」
「そんなもんかな」
「ああ、「事実」だ。悪い人間に天罰が下り、それに見合う天罰が下るなど、有りはしない。人を騙して生きていても、結果「持つ側」であれば、何不自由なく生きている。神がいたとして、悪を見張る役目があるとしても、間違いなく仕事はしていないだろうさ」
 瓶の中の蟻を見る子供だ。
 世の中そういうものだ。
「じゃあ、先生はどうするんだい?」
「どうもしないさ。また、私の意志とは無関係に「理不尽」は訪れるだけだ。「運が悪い」などという、神様の言い訳みたいな理由でな」
 実際、神がいるなら問いただしたいモノだ。
 目が見えるなら私の作品の良さがわからないのか? とな。
 わかる脳がないから、金も払わないのだろうが・・・・・・だとしたら大したことはなさそうだ。
「それでも辞めないんだろ?」
「まぁな」
 今更辞められるようなら、苦労しない。
 そういう人間なのだ。私は。
 作家であることが、組み込まれている。
「因果な人生だよ、まったく」
「はは、先生が言うと説得力あるぜ」
 嬉しくもない。
 私は説得力を出すために、執筆をしているわけではないのだが。
 金が欲しいだけだ。
 金で自由を買いたいだけだ。
「何だ、あるじゃないか先生」
 欲しいモノが。そんなことを言う人工知能の戯れ言を聞き流しながら、私は風景を眺めた。
 見晴らしの良い景色だ。
 次回作は未定だが、金次第で検討してやることにしよう。私は邪道作家だ。王道などつまらない・・・・・・精々、読者が吐き気を催すような、そんな物語でも、考えておくことにしよう。読者の不幸を祈りながら、私はゆっくりと眠りにつくのだった。信じるだけなら金はかからない。信じるに値しない世界だが、精々信じておいてやろう。

 この先に、面白い物語があることを。

  








あとがき

立場や強弱、そういったものに縛られる。
分からん話だ。偉い偉いと言われたい気持ちがわからない••••••小さい子供なのか貴様らは? 誰かの上に立つのが「偉い」だと?

下らん!! 要は、己で己を自負出来るかだ。

であれば、世間的に弱いか強いかなんぞどうでもいい••••••大体、その世間や社会というのがそこまで「立派」な姿を見せたのか? 弱さを盾に貴様らが遊んでる間に、連中がしたことが「国庫からの強奪」以外にあれば教えてくれ。

弱者も強者も、そんなものだ。

ただ、勘違いされがちなのは「責任がるのは力のある側」という誤解だろう。大体その理屈で行けば、何の責任もないカスが増えていくのは当たり前だ。

何であれ、植物屋だろうが作家だろうが、責任の自負は必須なのだ。
弱者と呼ばれようが頂点の自負をもち、無能と蔑まれようが天下を見据える視線を持て!!

非人間、それも才能の欠片もない、私でさえ出来たのだ。

貴様ら一体、何をしている? 今すぐさっさと取り掛かれ!!

誰も彼もが争い合うくらいで丁度いい!! 誰もが頂点を自負すればかなり争いの多い社会になるが、平穏と誤魔化す嘘よりマシだ──────思うに、平和だの豊かな国だの、現実を誤魔化す嘘に過ぎない。


本当にそうなら、何故曇った顔をしている?


そういう事だ••••••変わりたいなら、読むがいい。

そして払え!! タダでは活動出来ないからな!!
作者に対する読者の姿勢、まさしくタダ読みの泥棒客だ。

おひねりなぞ、払って当然。貴様ら、レストランで金を払わんのか?

「ご馳走様だったぜ!! でも手続きが面倒だし、気分が乗らないからまた今度」と断るのか!?

そういう噺だ。恥があるなら払うがいい。



無論、気高い読者がいれば、だが。

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