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伊藤緑
2019年9月11日 15:20
一 出産というものに初めて違和感を覚えたのは、私が中学生の頃でした。あなたが産まれたときです。 風が吹けば田んぼに緑の波が立ち、昼間は蝉の声が、夜はクビキリギスの声がする、そんな夏のことです。当時二十代後半だった叔母が、元気な赤ちゃんを、あなたを産み、私の家にやってきたんです。 あなたを抱く叔母と、その隣に立つ旦那さん、叔母より一回り年上の私の父、そして母。大人たちはみんな破顔していまし
2024年6月17日 23:30
命という名の病を意図的にうつされて、いったいどれほどの時間が流れたでしょう。老いという症状は悪化する一方です。水面が鏡が、それを気まずそうに教えてくれます。ほかの命を貪りどうにかそれを遅らせようと、抑え込もうとしても、私はその病状から逃れられない。 よく熱を出します。皮膚が荒れたり赤くなったり、できものに間借りされたり。咳が止まらなくなったり目がかすんだり。お腹が暴れたり関節が喚いたり。息が
2024年6月24日 17:30
「なんで産んだの」 従妹が家でそう呟きながら泣いてしまったと、叔母が私の母に相談していたのをこの前見かけた。正確には、仕事から帰ってきたときにリビングで電話しているのを盗み聞いてしまった。 叔母とうちの母はとても仲が良くて、家も近いほうだった。そういうこともあって、従妹が幼い頃からよく遊んでいた。従妹とは結構年齢が離れていて、私は就職してそれなり、従妹のほうは高校一年生。どちらかといえば昔
2024年6月22日 22:30
今日も平気で嘘をついた。顔を覗き込まれても大丈夫だよって笑ってみせた。「平気?」って聞かれたら平気だよってやまびこになった。 にこにこ嘘をついていた。いいなって、何も感じていないのに言った。ほしいって、思ってもいないのに言った。なにあの人って、無感情で同調もした。 嘘はいけないことだってひどく怒られているところを、帰りのショッピングモールで見かけた。小さな子どもで、親らしい人に叱られてい
2024年6月15日 21:00
生まれてきてしまった。この「しまった」という隣人から決して逃れられないあなたへ、僕はこの文章を書くつもりです。 命というのは押しつけられたものです。くれと頼んだ覚えも、くださいと懇願した記憶もなければ、自らの意志でここまで歩いてきたわけでもありません。気付けばここにいた。そうして、様々な形で生の肯定を強制されている。僕たちは生きることを賛美しなければならないという現実に突き落とされてしまっ
2020年9月14日 20:03
人間は幸せになるために生まれてきたんだって、人は私に微笑みました。 でも、理解できませんでした。受け入れられませんでした。無理して、呑み込むことも。 生まれてきたことに、意味なんてないんですから。人は、気づいたらそこにいたに過ぎません。たまたま、私というものが産み落とされただけに過ぎないんです。誰も、自らの意志で卵子を目指し泳いだわけじゃない。精子をそっと抱き締めたわけじゃない。産道を下
2020年9月6日 14:40
ずっと、押し殺してきたのではありませんか。長いあいだ、必死になって隠してきたのではありませんか。ごまかしてきたのでしょう。たとえば、笑顔を作ったりなんかして。 けれどもう、よいのです。 生まれてきたくなかったと、そう叫んでもよいのです。 それは真実の叫びです。あなたの悲鳴です。悲鳴を呑み込んではなりません。悲鳴とは、上げてよいものなのです。上げるべきものなのです。 あなたは親とは
2020年8月27日 18:45
誰もが教え、諭し、叱り続けてきました。人の気持ちを考えろと。相手の立場に立って物事を考えろと。 ですから、私は考えたんです。仮に私が出産を望んだとして、子どもを産んだとして、その子がいったい、どんな気持ちになるか。その子が、どういった人生を送ることになるのかを。 その子はきっと、病気になるでしょう。人間ですから。常に健康なんてことは、およそありえない。そのとき、きっと苦しい思いをするはず