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恋する家族の一員になって。

誰かと比べるものでもないし、 

比べようも

ないのだけれど。

恋愛っていうものを

遠ざけて生きてきた。

恋は、したほうがいいよと言ったのは

友達でも先輩でもない父親だったけど。

いつだったか、父と何年振りかで会った

時にホテルのレストランでバイキングを

楽しみながら、父が好きな人はいるの?

って聞いて言きた。

胸を張って「いない」という時期が

かれこれ十年も続いていた。

ずるいよなって。

手持ちのカードとしては父の方が

ずっと勝ち目がある。

そんな気がしていた。

それからお互い年を重ねて恐ろしい

ほどの時間のはざまで父と再会した時。

恋愛はしたほうがいいよという声を聴き

ながら父は今の暮らしに幸せを感じている

のだなとちょっと変な嫉妬をしたことが

ある。

あなた、そんなこと言えた義理じや

ないやんなのだが。

彼が得た新しい家庭。

それは穏やかな笑顔だったのだ。

元の私達の家庭ではみたことのない

表情。

恋といっても男女であるまえに人と人

だからね、ひとりでは成長でき

なかったりするんだよ、

ひとって弱いからって。

ひとって弱いからだなんて昔は

いちども言わなかった。

なんか違反だ、その言葉。

ふーんって思いながら、ビュッフェ

スタイルのレストランのサラダバーに

逃げるようにして父の話から逃れた。

かつて母もよく言っていたのは、

どんな辛い

ことがあったとしても。

あの一時期の時間がじぶんには

あったという証があるから

その後の無為な日々を生きて

いけるのよ。

って確かに言った。

高校生だったわたしは、おやつのサーター

アンダギーをぼろぼろテーブルにこぼし

ながらその話に聞き入っていたけど。

実感はわかなかった。

ホームドラマの台詞のように聞きながら

その台詞を一言一句聞き漏らさないように

なぜか記憶していた。

それは、母の恋の話でもあったから。

弟がちょっと明後日の方向、

グレーゾーンに曲がりそうに

なった時も同じようなことを

言った。

小さい頃、赤ちゃんの頃の可愛らしさって

後になにがあろうとあの時の可愛さだけで

生きていけると思ってた。

ママはもう先に贈り物もらってるからね。

って。

弟は贈り物だったのか。

少しわたしは弟のほうが可愛がられて

いるとすねていた時期があったので

その言葉はちょっと刺さった。

父も母もわたしにとってはとても

四角四面な人たちだと敬遠し続けて

いた時季は長かったけど。

こうして記憶をたどると人間だ。

いかにも人間だ。

父の書斎に遊びに行った時に

阿部昭の本が置いてあった。


Amazonの書影より。

この本を父が新しい暮らしをはじめた

マンションでみかけたのはずっと

前だけど2,3日前にこの書籍に

登場している言葉と出会った。

自分を暗い井戸に見立てて、そこから何かを
引っ張り上げようとするのではなく、
一本の木や一人の異性など、自分以外のもの
に自身の言葉を託すことで人は自分を表す。

鷲田清一・折々のことば『新編 散文の基本』から。

父のこと母のこと。

わたしが小さい時からあらかじめ

決められたように目の前に

いた人たちだ。

父も母も、父と母でしかなく

彼らのずっと後ろにどんな出会いが

あったかなんて考えたことも

なかったけど。

わたしはこの言葉に出会って、父や母が

いろいろな自分以外のものとの出会いに

よって今の父母になっていったと

いうことを感じていた。

それは沢山のひとが手を差し

伸べてくれた時間が今のわたしを

作ってくれている

ように。

結局、恋は遠いままだけど。

そんな話父としたことあったよなっ

てだけでわたしにはもう充分

なのかもしれない。


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