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どこで、「、」を打つか。あなたの呼吸を感じる時。

文章には「、」と「。」があるわけで。

文章を終わらせるには「。」を打てばいい。

でもこの「、」って、時折どこで打つかで

迷ってしまう。

小さい頃はじめて作文を書いた時、あのちいさな

「、」でさえ1マスにひとつ入るのと聞いて、

やたらめったら「、」を打っていた。

文字数を稼ぐために。

意味の切れ目とかじゃない所でも

打つので、先生に「、」で遊ばない‼って

朱を入れられていた。

「、」にちょっと憧れがあった。

あのマス目がびっしりつまっていると

息苦しくなるけれど。

「、」は1マスにひとつ。

一人貸し切り状態であのマス目を

ひとりじめできるなんて、いいなぁって

作文の時間にはいらんことばっかり

考えていた。

400文字を埋めるのが苦痛だった。

文字のカサが増すことばかり思い

めぐらしていた。

コピーライターになってからは、小学生の頃

怒られたあの点の打ち方にちかいような

「、」が若干多かった気がする。

あくまでもそれは情報だから。

情報が受け取りやすいように、差し示す

ことにだけ気持ちを注いでいた。

読点とは息継ぎだって習ったけど。

広告の場合、書き手の息継ぎではなくて、

読み手の息継ぎだと思う。

相手が呼吸しやすいように工夫するのが

広告文なのかもしれない。

あたりまえだけど広告に「わたし」は

いらんのである。

「わたし」の広告ではないから。

で、わたしは小説やエッセイで好きな

作家たちの文章を見るときには、必ず

読点「、」をみている。

気が付いたらあなたの横顔をみてる

みたいに「、」ばかりみてる。

好きな読点シリーズ。


1 江國香織


 似ている、という言葉について考え始めると、私はとても混乱する。
いつもそうだ。それは、見る、という行為について考えるときの混乱
とよく似ていて、要するに、主体と客体の区別がつかなくなるのだ。
 奇妙な話だけれど。

江國香織『絵本を抱えて 部屋のすみへ』「わたしに似た人」より。

この読点。

小刻みに打つ「、」。

あのね、って言って隣の人に話しかけている

そんな呼吸を感じる。

2 いしいしんじ


 いつものあのいやなあのばからしい高校から帰ってくると、
机の上に麻の袋が置いてあって、何百年も前から生きてるみ
たいなうちのおばあちゃんがいつのまにかうしろに来てて、
「でてきたんだよ」
といった。

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』「ひねくれ男」より。

すっごいものを発見したよって言う時、

きっとあわてて呼吸しているから、

息を継ぐひまもないぐらいに一気呵成に

喋ってる。

そんな過呼吸な息遣いが聞こえる。

3 西崎憲


 それがどれぐらい静かだったのかと尋ねられたならば、
世界が死に絶え、月が死に絶え、その後に残った一握りほどの
波も立たない海のように静かだったという形容もあるいはできた
かもしれず、いずれにせよ夏の気配をそこここに貼りつけた街の
頭上に空はそのように無音も窮まった形で広がっていた。

西崎憲『未知の鳥類がやってくるまで』「行列(プロセッション)」より。

うわ。

はじめて読んだ時なんだこの文章はって

びっくりした。

不穏なのにその不穏さに身を委ねたく

なるような。

目にした世界観に圧倒されながらも冷静に

描写する。

なにかを描写している時、それもみたことのない

世界を描くとはにそれほど「、」はいらない

のだと思い知らされた。

リアルってこういうことだよなって。

4 絲山秋子

 直感で蒲田に住むことにした。
ある日、いい加減冬に飽きた頃、山手線に乗って路線図を
見ていると「蒲田」という文字が頭のなかに飛び込んできた、
それで品川まで行って京急東北に乗り換えた、ホームに降りると
発車ベルの代わりに蒲田行進曲のオルゴールが鳴っていた。

絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク』1「トースト」より。

この冒頭もたまらなく好きです。

いつも読み返す度にこの3行目の「、」。

そして4行目の、「乗り換えた」。

ここってふつうの人ならば「。」だと思うけど

ここに「、」を打つセンスに憧れる。

思いが続いている「蒲田」が頭に飛び込んできた

その驚きが続いているから、読点なのだって、

駅の連綿とつづく人ごみのなかの途切れない

人いきれに似て、なかなかピリオドが打てない

気分を味わうように読んでいた。

番外編 町田康


 瓶の中の液体。飲んでみる。喉が焼け胃が熱くなる。
焼酎。四角な缶。黄色い粉が入っている。舐めてみると
麦こがし。大麦を炒って粉にひいたものである。次に頭を
剃ってみる。大変に痛い。ところどころに剃り残り。

町田康『壊色』「野旋行」より。

壊して、こわして。

ここのルールは読点禁止の文章の世界に

まぎれこんだのかと思うほど。

ぜんぶ、句点ばっかり。

もうそろそろ読点あるんのとちゃうんって、

読んでいたけどなかった。

徹底してなかった。

それはもう潔くて逆に好き。

ひとつひとつ確認してからじゃないと

先に進めないそんな人をみているようで

わたしの頭の中はこれに近い時が

あるなって親近感があった。


人がどこで「、」を打つのかって観ているのは

楽しい。

わたしと違う息遣い、呼吸の癖がみえて

それを知ったことがうれしくなるのだ。

呼吸が違うって、ひとりとひとりという

ことだから。

いまひとりのひとの世界に近づいている

ようで。

拒まれている時の呼吸にさえも

近づきたくなって、

時にうれしくなったりする。

君が好き その理由は 君の呼吸が好きだから
とめどなく たゆたうような 波のように

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