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自己肯定感と「削られるこころ」

皆さんの自己肯定感は高いでしょうか?
それとも低いでしょうか?

私は人よりも自己肯定感が低く、自分は「無価値」な存在だと考えていました。もちろん、自己肯定感が低いこと自体が悪いことではないのですが、自己肯定感の低さゆえに引き起こされた過去の実体験をいくつかご紹介したいと思います。


自分の「存在価値」=「お金」

私は「無価値」であるから、「価値」のある人に貢献することで生きる意味を見出したいと考えました。
そして、学生時代に仲の良かった友人や好きな異性に隙あらばプレゼントを上げていました。
とはいえ、高校生なのでお菓子など少額なものですが。

それが加速し、卒業するころには、飲食代や交通費、宿泊費を払うこともありました。
また、人が足りないから「イベントに来て」と言われればチケット代を払って東京まで足を運びました。チケット代を払ったら、その後何も連絡は来ませんでした。同行人には置き去りにされ、知らない場所に一人。
ライブハウスの真ん前で号泣しました。

「入用でお金がたりない」と言われれば会ったこともない人に融資したり、「誕プレが欲しい」と言われれば、悩む間もなくブランド品を購入しました。

当時好きだった異性に「好きなら金額で表せ」と言われたのは衝撃的でしたね(笑)ホストかよって(笑)
その時私も彼も17歳とかだったと思います。

そのあと好きになった6つ年上の異性には当日の交際費のみならず、たばこ代も渡していました。夜遅くに最寄り駅に呼び出されたかと思えば途中で返され、終電もお金もなく途方に暮れたこともありました。

ある時「携帯代が払えない」という連絡が来ました。それはさすがに断ろうと思ったのですが、「携帯が止まったら俺と会えなくなるんだよ?それでいいの?」と押し切られ、分割返済を約束に渋々承諾しました。
それも1回だけの約束が2回になり、今度はコンタクト代まで要求されるようになりました。

流石に付き合いきれないと、苦しい気持ちを押し込めて断りの連絡を入れました。

その後全然お金が返ってこないので心配になり、彼のアルバイト先に電話を入れところ大激怒でした(笑)

「お前が好きで勝手に渡してたんだろ」「たかが数万で連絡してくるな」と。



ある意味この言葉で気付きました。
人間関係において金銭が絡んだら、良いことは何もないのだと。


相手の「要求を受け入れる」こと


そのあと付き合った恋人とは、金銭の貸し借りはしないようにしようと自分の中で決めていました。その代わりに同じ部屋に住まわせてもらっていたので、家事は頑張ろうと思いました。


床中に散らばった3桁はありそうな服の山を毎日畳み、畳んで仕舞うと「どこにあるの」と聞かれるので大量の服の位置を頭の中に入れていました。
日々のファッションショーにより、畳んだ服が数秒で崩されると、またいちから畳み直しました。

深夜2時。明日のバイトに備えて就寝しようとすると、空腹の訴え。家には何もなかったのでそこから麺を茹でてパスタを作りました。
ゲームをしている画面を一緒に見ていて、と言われて朝方まで眠れないこともありました。
5分で着くコンビニへも、一緒についてきてと頼まれました。

バイト先のスタッフが腹痛を訴えているから、すぐに鎮痛剤を買ってきてと言われて買いに行ったこともありました。
雪の降った寒い夜、翌朝自分もバイトだったのですが、閉店作業が終わらないとの理由で深夜に呼び出され、ゴミ出しと洗い物だけして返されたこともありました。
遠出や旅行の際はその土地のものを楽しみたかったのですが、全て却下されました。

彼は知り合いの女性と飲みに行き、カラオケに行き、朝方まで帰ってこないこともありました。私は腕から流れる赤い血を眺めながら、一人朝までひたすらに泣きました。


そしてある日突然、一人の時間が欲しいから出ていってほしいと言われました。
その本当の理由は新しい女の子を家に上げるためでした。
何日も泣き続け、自分を責め、死を願いました。


自己満だとわかっていました。それでも、
好きな人の願いを受け入れることは尊いことだと信じていたのです。

でも違いました。

3年かかってようやく気付きました。
これまで苦しみ続けてきた時間は、私の自己肯定感の低さゆえに生み出されてしまったのだと。

自分を卑下して相手の都合に合わせる関係はフェアではありません。
若い世代の皆さんが少しでも健やかな人間関係を築けることを願っています。

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