イカした定理は安泰からは生まれない。



だいたい数学者というのは、他人からみると「幸せな人生」だと

言えないことがホントに多い。


数学界の2大巨匠の一人:オイラーさんは

元々片目の視力がなくてそののち全盲となった。

他人からすると「まぁ可哀想に・・・」と言われそうなところなのに

本人は「何も見えなくなったほうが数学に没頭できる」とか

巨匠らしいハードロックな発言をして一生涯大量の論文を書きまくっていた。

もうオイラーさんは超人的に色んな分野のものを発見しまくってて

超個人的にはその現象を「だいたいオイラー」と呼んでいる。

んで、ド・モアブルさんは

元々フランス人だったけどユグノーだったから1685年のナントの勅令で

ヤバくなってロンドンに亡命したりでただでさえ大変なのに

ニュートンとライプニッツが微積分の優先権争いとかで揉めるもんだから

それの委員会の一人にならなくちゃいけなかったりで

まー、ほんとド・モアブルさんは自分以外のものに振り回されまくてる。

んで、同じくフランス人のコーシーさんは

1789年のフランス革命の影響をモロにうけてパリから小さな村に移ったけど

その後病身になっちゃったりして生涯健康に配慮しないといけなくなった、

ただコーシーさんはラッキーなこともあって親父がラプラスと友達になったおかげで

数学界に進んだようなもんだからまだ恵まれてるのかもしれないけど、

他の数学者も結構波乱万丈の人生を歩んでいる人が多い。

生涯安泰だったっていう人のほうが少ないんじゃないかなー。


いや、なんでこんな話するかっていうと

「ナントカの定理」とか出てきた時に自分は

「どんな奴がこれ作ったのかなー?」っていちいち人物を調べる癖がある。

んでその人物の背景を知ったうえで改めて定理を見た時に・・・

こう、なんていうの、アツいロック魂を感じてしまう。

歴史ドラマとかはあんまり好んで見ないんだけど

数学にまつわる人物調べをしていると嫌でも世界史とマッチしてきて

「あー、コイツはこの時代に生きたんだな、だからこれを作ったんだな」

とかなんとなく分かったりもする。

学校の数学の授業ではこういうの教えてはくれないだろうから

自分でやっててこのへんも一つ面白さを感じてはいる。

んで、イカした定理つくった奴ほど

混乱の時代を生きたりだとか、困窮した生活だとかを送ってて

「もしかしたら数学は安泰の中からは生まれないのかもしれない」

ともよくよく思っている。




自分は自分にとっての正当な理由があって医者に行くことを拒否している。

前にも同じこと言ったけど、これは専門家への冒涜ではない。

「専門家をバカにしてはいけない」

それはずっと変わらず思っている。

だから他人には「医者へ行け」と言う。

医者へ行けば、カウンセリングと必要であれば薬が処方される。

万が一カウンセリングで思うようなことを伝えられなくても

薬があるので気分だけは治まるようには思う。

自分の家族には二人も精神疾患者がいるので

過去に実際どういう風にカウンセリングをしているのかを病院で自分の目で見たことがあるし

自宅でどういう風になるのかっていうのを見てきたけど

躁の時は「微分する」みたいに神経が尖っているように見え

鬱の時は「積分する」みたいに膨れ上がっているように見えた。

で、実際当人の話を聞くと

躁の時は「周りが見えないぐらいに一点に集中する」らしく

鬱の時は「何も考えられないぐらいぼーっとする」らしい。

自分は専門家じゃないから詳細は専門家に確認して欲しいとこだけど

自分の目でみた躁鬱の状態はこんな感じだった。

病院のカウンセリングの時に医者とも数回直接話をしたことがあるけど

その時に自分が医者に伝えていたのは

本人が求めているもの(聞いて欲しいこと)と専門家が聞きたいことが

思っている以上に乖離しているのでは?

という内容。

どーーも話が噛み合ってなくて、結局医者が一方的に喋るようなことが多かったので

そこは常々疑問に感じていた。

素人がうだうだ言うなということかもしれないけれど

専門家という以前にコミュニケーション能力(=質問力)のほうの問題のようにも感じていた。

一般的なコミュニケーションの話で

「他人の事を知りたければ他人から引き出さない限り分かりえない」

と自分は思っている。

「この人の事を知りたい」と言ってシャカリキに自分の話ばかりをするのは

モテないイケてない男のやりがちなことで

他人のことを知ろうとする時、やっぱりある程度は聞く。


例えば、相手が着ているお召し物について

お題『〇〇色のセーター』

「今日着てらっしゃるこの何色のセーターいいですね」からスタートして

そっから話題がどんどん広がる。

①「それいつもどういう所で買うんですか?」

とか聞くだけでだいたいの行動範囲がわかるし

(もしも通販で買うなら

「通販で他にどんなもの買うんですか?」とかも聞けたりするし)

②「そこに行くまでどうやっていくんですか?」

とか聞くだけで車の運転をするかしないか分かるし

(※抗うつ剤を飲んでいる時の運転は危ないから)

③「そのセーターどこのメーカーなんですか?」だとか

 「その色お好きなんですか?」

とか聞くだけでその人の趣味や好みがわかるし

④「セーター手洗いするの大変じゃないですか?」

 「冬物はクリーニング高いですよねー。」

とか聞くだけで自分で家事をするのかしないのかもわかる。



自分はプライベートでひとつもモテはしないけど七面倒な性格なので

たったひとつのお題だけで死ぬほど質問出来ちゃったりする。

まだまだイケる。

「質問力」決定戦があれば優勝できる、たぶん。

でも、こんな風に聞いていると自然と相手も聞いてくるようになる。

「先生は普段どういう洋服着るんですか?」とか、例えば。

そうすると、ちょこっとだけ距離が縮まる。

はじめて「対話」が出来る状態になる。

ここからが本当のコミュニケーションになる。

鬱の時は、本当に喋ること自体が億劫になるらしい。言ってた。

躁の時はこっちが聞く間もなく相手がひたすら喋るからずっと聞いてるほうが多いけど

鬱の時はホント、引きだすのが大変。

でも聞かないと「何がしたいのか」がさっぱり分からないから聞く。

基本的に自分だけかもしれないけど

「たとえ家族であっても自分以外の人間を知るには言葉を使うしかない」

と思っている。

自分の家族がこんなんだから余計にそう思っている。

だからどんな人間でもコミュニケーション出来るように

わかりやすい言葉を選ぶようにしている。

あまりにも言語化しまくるもんだからウザがられる時もあるけど

それぐらいしてないと絶対にわからないとも思っている。

そして、会話が噛み合わないまま進むと

どんどんズレていくだけで理解からは遠ざかるとも思っている。

専門家はなにかしらの手法に沿ってやるんだろうから

そのへんのやり方的な話もあるんだろうけど

手法の話ではなく単純にコミュニケーションの能力というか

「どこを聞くか(質問力)」という話においては

今まで直接医者と話しててイマイチ納得のいく回答がもらえることがなかったので

素人の自分が考えることを少し書いてみた。





で、ちょっと話が反れたので自分の話に戻して

自分の場合、全く医者に頼らないわけではなく

緊急事態の時はもちろん医者に行くように考えている。

そのときはきっと投薬治療も必要になるだろうからそれも想定して。

それで、こうして自己研究している理由として

「当事者の自分を中から見たい」というのがひとつあるし

「人から強制されるなんてゴメンだ」というのもひとつある。

今現在障害となりうる部分というのは自分で把握はしているので

その対策として

「過度な興奮状態を続けないこと」をやっている。

どうやら興奮状態→怒りに繋がりやすいようなのでそれを避けるため。

あと

「自分がめんどくさいものであればあるほど好む」というのもある。

多分、精神科の医者に行くというのは一般的に

「理解することを必要とせず、やればいいモノを与えてもらえるから」

ということなんだと思う。

あれやこれや考えられない人間が精神科に行くんだからその傾向はあるんじゃないかと。

ところが自分はそういうのを一切求めていない。

理解を必要としないものを無理やり与えられる意味がわからないとか思ってしまう。

自分の場合

『パーソナリティ障害』なので精神疾患ではない。

『多重人格』も精神疾患ではない。

それもあるんだろうし、自分が「めんどくさいものを好む」から

一般的な患者が求めるものではない、

それとは真逆のところに重きを置くんだと思う。

めんどくさければめんどくさいほど、いい。

これが自分の場合の「自己愛」なんだと思う。

だからそのめんどくさい自分を自分で中から見たいと。

めんどくさい、ありのままの自分を変えたくはないと。

それを自分で証明したいと。

正直

自分は独身なので遺書を書いて公証役場に持って行ったところで

自分の家族がないのでやるだけ無駄というところがある。

公証役場の遺書は資産関係の処分についてのことしか書かないだろうから

それだったら、

「かつてこんな女が生きていた」という証を本にでもして世間にレぺゼンしたほうがいいと思っている。

この時代、こんな精神障害の女性が、こんなやり方で自分を証明した

芸術家が絵だの作品だの作るのと同じ。

いや、ほんと独身者にとって遺書って無意味なんだよなー。

独身じゃん?いる?ってカンジで。

かつての数学者が混乱の時代を生きたように

めんどくさく複雑な自分を持ってしまった自分のありのままを受け入れ

それをそのまま定理にし、一般化する

最高にイカした定理を作るというのが

人生の終わりに向けてのライフワークになりそうだ。



拙い文章お読みいただきありがとうございました。





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