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頑張って頑張って自分をすり減らすものは自分にとって苦手なもの。すり減って自分を見失う。その全く逆の何もやらなかったものの良さに気づく時もある。努力せず何もしなかったからこそ自然体で生き生きとした魅力がある。頑張りすぎるとそれに気づかず倒れてしまう。
人は与えられた遺伝子という器と、運命という環境要因に決定された機械だとしても、その器に愛という栄養が注がれ性能が高まれぼ、運命すら変えることができるとも考えられる。貧しさに苦しんでる人、寂しい人、理不尽な境遇に苦しんでる全ての人を救うことはできる。
人間は機械である、を否定できない世の中で
マーク・トゥエインの「人間は機械である」は100年経った今も衝撃作だ。
これまでの作者(老人)の弱者や寂しい人への優しさや善行は大事にしてきたなものだけど、自ら考えた人間は機械である論の枠で説明できちゃうな。名誉や地位を求めて不幸になる奴らと同じ構造じゃないか。でも違うと言ってくれる人いるよな。あれ?いない?論破できてまう。100年経った今もAIが人間に近い問答ができるまでになったし。みたいな感
発展や進歩と同じに、維持存続も難しくて大切なこと。社会でも学問でも軽くみられるけど、人類は1000年前からのこの課題を克服していない。今こそ、レビィ=ストロースの野生の思考を読み返すとき。