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進化論の誤解

ダーウィンの進化論をみんな誤解している。人間社会でも動物の世界と同じように、優勝劣敗で弱肉強食の世界であって当然であるとする見方は誤解。または優生学のような、人種間の優劣を生物としての進化から説明し、人種差別(レイシズム)を正当化する言説につなげることすらある。今の環境に適応しているものが生存に適すると言っており、そこに優劣があるとは全く言っていない。今の環境に適応してるだけ。次に来る時代には適応できないかも知れない。そこに優劣はない。

今は役に立たないものを持った非効率で無駄と思われるものが、常に変化する環境に適応し易い生物の性質である。

だから、どんな人も尊重して優劣をつけるべきではない。

常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、今は役に立たないものを持った非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている。

人は皆対等ということを示したい。優劣はない。努力すればできないこともできるようになる。努力してできるようになること、これもまた一つの変化する環境に適応する性質の一つ。障害者や社会的弱者から美を見出すこともできる。決して劣っていない。むしろ可愛さや優しさを見出すことができる。

 ゴリラの世界は対等。平等でなく対等。個を尊重して勝ち負けをつけない。サルは勝ち負けにこだわり相手を屈服させるまでやりあう。一度負けたものは恨みを持ちながらそのものの下に位置付けられる。優劣をつけない。順位をつけないこと、優劣をつけないこと、それが対等。人間の世界はゴリラを見習うべき。今は猿化している。

 ダーウィンもラマルクも優劣をつけない対等な社会を夢見た。進化的に見てもそうだった。今生き残ってるものは今の環境に適しているだけ。変化に対応できるかはわからない。じゃあ今障害扱いされてる人は?次の異なる環境には適応できる、いや、その人でないと無理な可能性もある。

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