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人間は機械である、を否定できない世の中で

マーク・トゥエインの「人間は機械である」は100年経った今も衝撃作だ。
 これまでの作者(老人)の弱者や寂しい人への優しさや善行は大事にしてきたなものだけど、自ら考えた人間は機械である論の枠で説明できちゃうな。名誉や地位を求めて不幸になる奴らと同じ構造じゃないか。でも違うと言ってくれる人いるよな。あれ?いない?論破できてまう。100年経った今もAIが人間に近い問答ができるまでになったし。みたいな感じか。
 説明できない何かをプラトンはイデアと呼び、老子は道と呼び、宗教は神と呼んだ。その何かはなく機械と言ったら今のところそれを論破できるものがいなくて作者自身も戸惑っているのかもしれない。
 あらゆる面が人が機械であることを証明したとしても、人はそうでないと信じたいもの。家族愛、友愛、弱者への愛を否定できない。いや考える必要があるのか。証明する必要があるのか。神、仏的なものとしてひっそり祀ることでいい。長い間そうしてきた。答えを出さないのが答え。哲学は答えを出さないための知的問答。

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