ヤングジジイにとってのマルチはベテランジジイの学生運動 2–2

 1-2からの続き〜

 その頃の私はアパレル系の商社で働いていた。
 そこでよくしてくれる先輩社員B氏がいた。当時20代後半に差し掛かろうかという男で、仕事のこと以外でも、とにかくよく相談に乗ってくれた。仕事ができて、人望があって、快活な男だった。
 ある日のこと、その先輩B氏が上司の目を盗み、会社の電話からアムウェイ製品を発注している現場を目撃した。
 実はその頃の私は、学生時代の友人E氏からアムウェイとは別の会社の「ビジネス」の勧誘を受けていたところだった。アムウェイと同じような日用製品や健康食品のメーカーで、本社もアメリカだという。アムウェイに比べれば後発になるが、その友人E氏いわく「アムウェイなんかもう遅い。これからはこっち(その後発企業)や」とのことだった。友人E氏によってもたらされた、業界最大手かつ老舗たる「アムウェイ」という会社の情報が事前にあったことで、先輩B氏がアムウェイをやっていることに気がついたのかもしれない。アムウェイというものを知らなかったら、先輩B氏が会社の電話から何やらテレホンショッピングをしている、くらいの認識だったかもしれない。ともかく、事前にアムウェイというものの情報があったため「ああ、この先輩B氏からいずれ私のところへも勧誘の手がやってくる」という覚悟をした。
 私がいたアパレル商社は大手で、今でいう「ブラック企業」の先駆けのような会社だった。旧態依然とした組織は団塊世代のジジイ、バブル世代のお兄さんたちで上が詰まっていて、ろくに出世も望めそうもなかった。それでいて組織のごく一部の役員たちを除けば、社員の給料は驚くほど安く、先述のとおりの、今でいうサービス残業、何ヶ月も休みがない、などといういう労働基準法の違法行為が罷り通っていた。
「ブラック企業」「セクハラ」「パワハラ」という概念が存在する前の時代だったから、当時の若者たちは「社会とはこのように辛辣なものか」という屈折した意識を持ちながら、先の見通せない希望のない社会という暗闇の中を泳いでいたように思う。とにかく、私にとって90年代とはひどい時代だった。
 
 我々氷河期世代が怪しい「ビジネス」に熱を上げたのはそんな時代だった。
 団塊世代における学生運動と社会世相や時代背景がまるで似通っていて今から思うと笑止としか言いようがないが、結論から言うと私は幸いにしてこれ系の「ビジネス」に身を窶すには至らなかった。
 先輩B氏に誘われ、彼のアムウェイにおける「アップライン(その先輩社員B氏を勧誘した人たち)」や、その周辺の「成功者」と会って話を聞いたりもした。同じ街にある「オフィス」と呼ばれる、そのアップラインが借りたマンションの一室や、都市部の大きな会場で行われる、さらに上の成功者によって末端のアムウェイ・ディストリビューターに精神の鼓舞とビジネス成功の極意などの薫陶を授けられる「ラリー」と呼ばれる集会に連れて行かれたこともある。
 アムウェイ以外のいわゆるネットワークビジネスについて詳しいことはよく知らないが、アムウェイの「成功者」は、今でいう「金持ちの俺」という商材を売ってあぶく銭を稼ぐ類の虚構の人間とは違い、本当の成功者であったと認めざるを得ない。アメリカにおいて老舗の類である健康食品企業である同社の高品質な製品を、自分から形成されたグループでいくら売れば何パーセントのインセンティブが半ば永続的に入るという明確なロジックが存在し、彼らディストリビューターの平均収入は日本アムウェイの公式サイトにて公開もされているとおりである。
 グループの集会用に3LDKマンションの一室を借りている先述のアップラインはアムウェイでは「ダイヤモンド」と呼ばれるハイピンのD氏であった。ダイヤモンドD氏は30代後半、年収はゆうに1千万円を超えていたようだ。国立大学を出たあと大手製薬会社に入社したD氏は在職中にアムウェイに出会う。入社何年目かで知人からやってきたアムウェイに折伏され、ダイヤモンドになったという。自宅とは別にグループ集会用に3LDKマンションを借り、車はベンツで、アムウェイの収入を元にして会社も経営していた。
 そのダイヤモンドD氏が折伏したのがその大学時代の後輩にあたるC氏であった。C氏はエメラルドと呼ばれるランクで、その数年前に勤めていた会社をやめ、アムウェイ・ディストリビューターを専業でやっていた。さらにC氏の後輩がB氏で、この彼こそが私を勧誘してきた先輩社員B氏である。
 彼らの折伏を受けて私は一度はアムウェイのサインナップをしたものの、「ビジネス」をやることはなかった。だが、彼らとの付き合いはその後数年に渡り、「ビジネス」をやらないながらも、付かず離れずの関係を続けた。
 職業もバラバラで、本来ならば何の接点も共通項もない男女が集う彼らの集会の大学のサークルのような若々しい雰囲気と、「家庭(家族)」「会社(同僚や先輩など)」以外の人間のつながりを持てていることが、当時の私には心地よかったのかもしれない。
 彼らが開陳するライフスタイルと「不条理な社会」への反抗的な思想に惹かれ、若い私はこれに感化された。私が未熟であったから「若気の至り」という言葉でこれを片付けるのは簡単である。だが、のちに「失われた20年」と呼ばれる時代に世に出て、のちに「氷河期世代」と呼ばれることになる、当時の若者が置かれた社会情勢を考えてみれば、このすべての不穏なものを払拭してくれる「ビジネス」の類に感化されるのも致し方ないだろう。はたから見れば怪しげな「ビジネス」であっても、そもそも当の若者たちは、社会や大人を信用していないのである。自分の人生を、どう切り拓くべきなのか。それは若い自分の感性を信じるほかはない。そうして導き出された答えが、これ系の「ビジネス」だったというだけの話である。

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