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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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#生活

財布に小銭

財布に小銭

 お札ばかりの財布とは限らない。小銭がいっぱい入って、膨らんでいることもある。うまいこと、たくさんになってしまった小銭を積極的につかっていったら、だいぶスリムになって気持ちよさを感じるなんてことはある。なかなか、財布の小銭が完璧に0枚になった、という経験は私にはあまりないのだが、果たしてどうだろうか。

 望む条件を満たすこと。その実現はむずかしい。そこにある条件、出会ったものや人たちが持って

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10分間でペペロンチーノ

10分間でペペロンチーノ

こどもの遊びに、「課せられるもの」はない。「30分遊べ」と言われて30分遊ばなくてもいいし、「おもちゃの線路のパーツを30個使い切って、1平方メートルを満たせ」と言われても30個のパーツを使い切る必要も1平方メートルをそれで満たす必要もない。そもそも、そんな「30分」とか「30個」とか「1平方メートル」とか課されることがない。それはそもそも、遊びではない。

いや、本人が遊びだと思えば、遊びか

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まわり終えた日常のかたわらで

まわり終えた日常のかたわらで

よく、手が滑って茶わんの類いを割る。

 ばんばん、壊れている、人々のなかにあって。

壊そうなんて意思はないのに

 毎日、だいたい決まったところに出て行って、仕事をする。

そのつもりはないのに、自分のからだの一部がぶつかったり、はたき落としてしまうなんてこともある。

 仕事が終わったら、毎日決まった建物に帰ってくる。

割れてしまう。割ってしまう。

 おおむね

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Stay or Go

Stay or Go

こどもって、ほんとうに思い通りになりません。うちには、1歳と3歳のこども(♂、♂)がいます。で、上の子の主張が強く、大人は困ってしまうことが多いのです。彼の主張に、叶えてあげられない要求が含まれているからです。いえ、その主張や要求を叶えてあげるのが必ずしも不可能というわけではないのですが、叶えてあげづらいものが多いのです。叶えてあげてしまうと、取り返しのつかないことになるものだったり、あるいは、復

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破られた夢想カレンダー

破られた夢想カレンダー

12月の中頃に私は言ってました。今年も終わりかけかもしれないけれど、まだやれることもあるはずだし、やりたいこともある。ぜんぶはできないかもしれないけれど、まだまだ変われるぜ! みたいなことを…。 そのほとんどを、見事に年明けに持ち込んだ私です。年明けどころか、未だにそのあたりのことをやっている。未だにといいますか、ようやく、が正しいでしょうかね。はい、1か月遅れです。いや、1か月以上か? 

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もっと、喜観を。

もっと、喜観を。

子どもができると、子どもを連れて行きやすそうなところに出かけていったりします。そうすると、やっぱりそこには、「あそこなら子どもを連れて行きやすそうだ」と同じように考えた人たちが集まります。で、そういう親たちを目にすることになるし、その親たちが連れてきた子どもたちのことも当然目にすることになります。子育てしている人って、いるもんだなぁなんてしみじみ感じますが、「子育てしている人」なんてものは、大昔か

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生産と消費の距離

生産と消費の距離

私の住んでいる地域に、私のことを知っている人はどれくらいいるでしょうか。もっといえば、私の得意なことや好きなこと、これまでにやってきたことを知っている人がどれだけいるでしょうか。ほとんどいないと言っていいでしょう。その数、その比率は、圧倒的に「知らない」で占められていると思います。で、それは私に限ったことじゃない。ほとんどの人が、お互いのことをよく知らないで、ある地域にまとまって住んでいたりします

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本があると、まっさきに奥付を見ちゃう。

本があると、まっさきに奥付を見ちゃう。

本が好きです。いえ、好きだという言葉で片付けてしまっているのかもしれません。ほんとうは、そんなに単純じゃない理由から私は、本を手に取っているのかもしれません。

本を手に取ると、私はまっさきに、いちばん後ろのページにある「奥付」を見てしまいます。いつ頃、誰が(なんという出版社が)発行したものなのかが気になるのです。また、さらにその前のページあたりに、何々という雑誌にいつからいつ頃まで掲載した内

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ヤドカリ

ヤドカリ

家というのは、外の世界と、「自分のための場所」を隔てる仕切りの役目を有していると思います。これがないと、いったいどこからどこまでが「自分(のスペース)」なのかがだいぶわかりにくくなります。「いれもの」として、自分の体を「家」に見立てることもできそうですし、本当にありのままの意味での「家」もあります。床が、壁が、屋根が、私を守り、保つための役割を全うしてくれます。

年をとると、いろんなことが受

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人生をそれなりに素敵なパーティにする有効な手法

人生をそれなりに素敵なパーティにする有効な手法

私は好きで音楽活動をしています。自主的なものですので、ビジネス的にどうかというところでいえばまるでなっていません。じぶんのための活動ですので、それを社会のために活かせているかと言われれば疑問に思えるふしばかり。自分がやらないと誰もやってくれないような「自分のための音楽」をただやっています。どうやら私の考えだとか嗜好だとか価値観は、あんまり大勢の人と一致するものでない場合が多いので、だれかが鳴らして

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青沼詩郎は、詩になりたい。

青沼詩郎は、詩になりたい。

「●●になりたい」は、いろんなことを思い出しますね。

私は音楽をやっているので、「ミュージシャンになりたい」「シンガーソングライターになりたい」みたいなことをさんざん考えてきました。いえ、考えようによってはすぐにでもなれる、あるいはもうなっているというのに、まるで遠くを見て言うみたいに「なりたい」を言っているばかりで、本当に今すぐにそれになろうというのからは逃げてばかり来たんじゃないかとも思

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豊かな選択

豊かな選択

古い絵画があったとします。私が生まれるよりも前に亡くなった人が描いたものだとします。違った時代に、同じ絵の前に、少なくとも二人以上の人間が立ったことになります。私が眺めているその絵が未完成だった頃に、その画家の握る絵筆なんかが、カンバスの上を滑り動いたのです。その証が、その痕跡が、現代の私の目の前にある絵画なのだということになります。

私は、大量生産品の恩恵を受けて暮らしてもいます。値段が安

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お手餅、よろしおす。

お手餅、よろしおす。

時間が経つのを、こわいと思う私がいます。どんどん「経過」してしまって、あれもこれも味わっていないのに、こなせていないのに、「期日」ばかりが来てしまって、でもそれに何も間に合わせられていない自分がいる。その状況をおそれる気持ちが私にはあるのかもしれません。

いっぽうで、より遠くまで行きたいという気持ちがあります。ならば、早く、どんどん経過してくれた方が、私はより遠くまで行けるのではないでしょう

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旅立ちの日

旅立ちの日

私は東京出身、東京在住です。西東京市という、23区の西にある街に住んでいます。毎年そこで、お正月を家族で過ごしています。もう、生まれてずっと。その過ごし方をしなかった年は、33年ちょっとの私の人生で、一度もありません。例年、元日は、都内の高齢者施設で暮らしている二組の老夫婦、つまり私の祖父母たちですが、かれらの元を巡って、夕方までには西東京市内の実家に落ち着いて親族みんなであつまって食事をするとい

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