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認知症の母の様子を見に名古屋の実家へ日帰りした話

こんにちは、水無瀬あずさです。名古屋から横浜へ帰る新幹線よりnoteをお届けします。

少し前に連続投稿頑張るぞとか散々言っておきながら、ずいぶんと間が空いてしまいました。まあ私なんて所詮こんなもんです。言い訳をしておくと、少し前に書いたWebライター的「種まき期」を経て、現在「収穫期」を無事迎えたようでして、副業の納期がタイトでnoteまで手が回らなかったという次第でして。

少し前まで余裕ぶっこいていた分、締め切りが近づいてきたああどうしようと無駄にテンパってしまい、心の余裕がなくなっていたのでした。まあ今週いっぱいはちょっと頑張らなければいけない雰囲気ですが、仕事があるだけでもありがたいことなので何とか乗り切りたいと思います!

さて、そんなこんなでなぜ私が今新幹線にいるのかというと、名古屋の実家の母が認知症のためグループホームに入り、まあ何だかんだあってようやく少し落ち着いてきたということで、父から「早めに様子を見にきてあげてほしい」と言われていまして。土曜に中学校の体育祭があり、本日代休の長男を連れて、有給をとって朝から帰省していたというわけです。お見舞いも終わったので、これから横浜へとんぼ返り。ああ、このまま旅行に行きたい!

ということで今回は、強行スケジュールで帰省した今回の旅(?)についてまとめてみたいと思います。この記事は、iPadに買ったばかりのBluetoothキーボードをつないで書いているんですが、US配列だったために全然進まない件。おうちのWindowsさんが恋しいよう。

母は認知症

ここ数年で認知症が一気に進んだ感じの母。少し前の記事で触れましたが、この記事からさらに進行してしまったようです。

昨年末に子どもたちと帰省した際は、まだ一人でいろいろなことができていた様子でした。それが年明けから様子が一変したようです。家を勝手に出ていって(鍵はかけていたとのこと)そのまま行方不明になり、交番で保護されたり。「駅まで行く」といって聞かないので父が後ろからついて一緒に行ったら、そのまま駅の改札を通ろうとしたので(敬老パスで市営地下鉄は無料で乗れる)父が慌てて止めたところ、急に叫び出して大騒動になったこともあったそうです。「助けて!」って叫ぶものだから、父、変質者扱いで大変だったんだって。事情を話してことなきを得たそうですが、そういうことが増えてきて、だんだん手に負えなくなってきました。

父が夜も全然眠れなくなった(勝手に出ていくから)という話を聞いて、本格的に老人ホームに入れることを考えた方がいいんじゃない?と何度もアドバイスしたんですが、「まだ大丈夫」と取り合ってもらえませんでした。これ、リアルに老老介護で悲惨な結果になるんじゃ・・・?と心底心配していたのですが、さすがの父もギブアップと感じたらしく、あるとき神妙な声で「実は・・・」とグループホームへの入居について聞かされました。それがゴールデンウィーク前のこと。

父は、私が「もう少し家で頑張って介護せえよ」的なことを言うんじゃないかと心配していたようです。いやなんでだよ、私かなり前から入れたら?って言ってたし。決めてくれて本当に良かったと思いました。たぶんあれを過ぎたら父もやばかった。

ちなみに、今の話からおそらく多くの人は父と母の2人暮らしと思ったでしょうが、兄も一緒に住んでいたりします。お兄さん何してるの?とか聞きたくなりますよね!?仕事が忙しいからということで母のことは父が1人でやりくりしているのですが、正直兄にはもう少し頑張っていただきたいと思っている私ですよ。

難航したグループホーム探し

母は昨年から週1回のデイサービスを利用していて、そこの紹介で勧められたのが、実家から徒歩圏内にある小さなグループホームでした。連休明けからの入居が決まり、あれこれ準備は忙しかったようですが(父は基本なんでも一人でやる人なので進捗とかが全然わからない)、どうにかこうにか入居が開始。ホームからは、「慣れるまではしばらく面会に来ないでください」と言われたので、しばらく様子見だね、とりあえずよかったねと話をしていたのです。が。

入居からわずか3日後、仕事中に突然父からの電話。部屋のベッドから落ちたとかで、股関節を骨折して急遽入院することになったんだって。なぜそんなことに?って感じですが、とにかく手術とリハビリがあるので、せっかく入居したホームにはしばらく戻れないことになりました。え、それってホーム側の落ち度なのでは?と思わなくもないけど、状況がよくわからないのでハアって感じ。私としては父からの報告を聞くしかできないので、ちょっと緊張しながら経過を見守っていました。

手術の日程が決まり、それまで母は入院することになりました。徘徊する癖があるので、「最悪の場合は固定して動けなくしますよ」という承諾書にサインをしたそうです。固定されるとか気の毒に・・・とは思いつつ、病院側だってボランティアじゃないんだから、そういう患者を手厚く相手していられないよねえ。なんとも言えない気持ちになります。

結局のところ、母は手術前も手術後も暴れて仕方なかったようでして、なかなかけっこう固定されたらしく。病院からは、「なるべく早く退院してほしい」と言われる始末。母的には看護師さんから「いじめられた」という意識がやたら強いらしくて、退院の時まで看護師さんに対してすごく怒っていて、叩くフリまでしたんだそうです。固定とか嫌なことばっかりされて悪い人!って思ったんだろうなあ。いやもう病院には本当にすみませんって感じです。

で、怪我の原因になったグループホーム側からも、母が夜寝れないためにスタッフがつきっきりになっていてこのままでは困るので、別のホームへ移って欲しい的なことを言われたから大変です。今の母ってかなり手がかかる状態なので、受け入れてくれるところはあるのかと心配でした。病院からは「精神科に数か月入院したら?」とも勧められたそうですが、初めのホームの系列施設で医師が常駐しているところが見つかったとかで、急遽そこに決定。ここの展開はすごく早かったので、父としても藁をも縋る気持ちだったんだろうなと想像します。

とりあえず元気そうで良かった

ということで、お医者さんもいるという新しいグループホームへお見舞いに行きました。

土曜日が体育祭で本日代休だった長男と二人、雨の中新横浜から新幹線に乗り込みます。ちょっと憂鬱だけど、なんとなく、早く顔を見せに行かなきゃいけない気がしたんです。この先どうなるか分からないから。

長男の手
朝食@新幹線

父とは実家の最寄駅で待ち合わせて、車で母のいるグループホームへ連れて行ってもらいました。長男・次男を里帰り出産した病院からほど近いところにある、こぢんまりとしたホームでした。出入り口が三重ぐらいにロックされていてすごい。これなら外に出れないから安心。。

半年ぶりに会った母は、なんだか一気に年が進んだような、小さくなったような印象でした。私のことがわかるか不安だったけど、「娘が来た」って言ってもらえたのでホッとしました。まあ、名前は出てこなかったようだが。「あんた、なんで?なんで?」と不思議そうに聞かれました。長男のことは覚えているか尋ねたところ、私を指をさしながら「・・・息子やん」と言っていたので、なんとなく分かった・・・のかな?

母のお部屋

会話をしようにも、もごもごと言葉がなかなか出てこないらしい母とは、コミュニケーションが難しかったです。そう考えるとホームのスタッフさんは本当にすごい。いつもありがとうございますと何度も言いたくなりました。

母とは30分くらい話したんですが、5分ごとくらいに「はい、終わり」「じゃあね、またね」「もういいの?」とか言われて、早く帰れの圧がすごい。たぶん話していて疲れちゃうんでしょうね。何となく申し訳なく思ったらしい父がしきりに「あずさと長男くんは、わざわざあなたのために横浜から来てくれたんだよ」と何度も教えるんだけど、「そんなことわかってるし!」と怒り出す始末で。子どもたちが小さい頃のことをなんか思い出しました。

終始どうしたもんかって感じでしたが、長男も必死に話しかけてくれたりして、なんとなく話ができたかなって感じでした。優しい長男で良かった。

お昼ごはんは高級ひつまぶし

いつもは帰省のたびに実家から旅費をもらっていたんですが、これからどれだけ出費があるかも読めない父からお金をもらうのは憚られたので、今回は辞退。いちおうダブルワークで収入もそれなりにあるしね!そのかわり、豪華なお昼をご馳走してもらえると言うことになり、名古屋名物ひつまぶしを食べに行きました。実はうなぎって好きじゃない私ですけどね。

見るからに高そう
メニュー

一人3600円とか何ですかそれは。家族四人分の昼食代ですね。サイゼリヤばっかり行っている我が家では異次元の世界であります。メニュー見るなり「高っ!」と思わず言ってしまったのはここだけの話。

すごい量のうなぎだった。

結構時間がかかったけど、ひつまぶし登場。好きじゃないうなぎだけど、なんだろう超絶うまい。業務スーパーの冷凍うなぎとはわけが違う(ごめんなさい)。幸せに浸りながらいただきました。美味しかったけど量が多くてお腹がパンパンです。前にホテルに泊まった時に長男は初めてひつまぶしを食べたのですが、「全然違う」と感動していました。

食事が済んで、駅まで送ってもらって父とはバイバイ。母と同じく、早く帰れの圧がすごい。我が父ながら実にあっさりしたものです。こういうところ、私完全に遺伝したよなと思いました。

嗚呼、思い出の名古屋駅

名古屋といえば、昨年末に帰省した際には大変なことがありまして。

あんまりいい思い出がないんですよね。豊橋駅の停電が原因だったので、長男は豊橋をなぜか敵認定しています。豊橋には全然罪がないんだが・・・。

ということで、帰りの新幹線に乗る前は少し緊張しました。ちゃんと走ってる?動いてる?てのを何度も確認しながら乗りましたね。無事帰ってこれて良かった。でも新幹線はまたしばらく乗らなくていいや。

結び

強行軍で行って帰ってきた名古屋帰省についてのお話でした。母の様子は心配ながら、少し前まで悲壮感に満ちていた父の表情が明るかったことに安心しました。この先どうなるか分からないけど、家を出てしまった身としては見守るしかできないのかなとも思うので、様子を見ながらたまにお見舞いに行くってことを繰り返していくのかなと感じています。しかし介護の問題は闇が深いですね。明日からはまた仕事頑張るぞ!!

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