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あやめ/ すこやかに咲く
2024年1月26日 22:34
アタシいじめられてんのよ、とアケミちゃんが笑う。アンパンマンのようなまん丸い顔にびっくりするくらい濃ゆいパープルのアイメイクと青みがかったピンクの口紅。昼間に顔を合わせるのはチョット時間を間違えたかな、と思わせるような気合いの入ったお化粧は、かなり時代も間違えてるかも、しかしそれがなんとも彼女には自然と馴染んでいて妙なのである。この間友達の結婚式に出るという話をしたら、アタシが
おぼえていないよおぼえていないよみかえしても、よみがえらないけれどもたしかにそのときはあった手紙にはつづられていたわすれないとおもっていたけど
2024年1月26日 22:33
波紋が広がっては消え広がっては消えその繰り返しの中につながれている安堵ちいさいけれどもそれはうねりさざなみなにかを届けるだれかにいつか
2024年1月26日 22:31
ほかにどう伝えたらいいか解らないんだつぼみが笑うみたいにきみの頬に触れるよふんわりと 溶けてその日の夕焼けはあたたかく空を包んで満ちるきのう、知ったの。ことばにできないきもちがあるんだね。唄ってないと泣いちゃうようなどんな名前をつけようかしら、呼んでくれる?暗くなったら探しにきてね。ラララハミングしながらきみの頬に触れて溶けた名前を呼んでゆうやけこやけ
ほらごらん、坊やこの雲を抜けたら青い空がどこまでも広がっているんだ七色の虹だって架かってるのさ本当とうちゃん?この雲を抜けた先に何があるかなんてどうして未来のことが解るのだろうなあかあちゃんはねえたとえばこの雲の向こうに烈しい雷雲がまたどこまでも広がっていておまえがそこへ飛び込んでいってもいつかは美しい虹と出会えることを識っているのよそうか、じゃあぼ
2024年1月26日 22:30
草いきれがむっとする息を吸い込んだ笑いが止まらなくってさ駆けていくよ手をつなごあなたの右手と私の左手海が好き?山が好き?海は詩人で山は哲学者だよさみしいときは海に行ったどうしてさみしかったか忘れちゃったけどセンチメンタルは嫌いだから黄昏れたりしなかったよ大声で泣いたかもしれないな夕日は美しかった山には行きたくないでも遠くからこうして眺めていたい春のはじめのも
2024年1月26日 22:29
その手を腰にまわすのはやめてと願うけれど彼の欲望はこれぽっちも耳を貸そうとしていない。おそらく、だ。聴こえない声は聴こえるはずなのだ。ただ手をつなぎたいと、言葉に出せばよかったのか。息を吸い込む。9月にあじさいが咲くなんて知らなかった。信号機の三色が縦に並んでいる意匠もはじめて見た。どこに行ったってあじさいは梅雨になったら当たり前に咲くんだろうという想定しかできない想像力の
2020年12月15日 00:05
といきのかすかな温度きこえたママの子守歌めをさませばあなたが眠っていてきのうとはたしかに違う夜ときどきは傍にいていつまでも傍にいてたとえばそんな日々もやがてみうしなってしまうというのに
2020年7月6日 02:39
おいでおいでと手招きしているその顔のほほえみを見てこの道を行こか戻ろか、それとも舞うか
2018年1月18日 22:21
明日どんなきもちでいるのか 想像出来ない どんなきもちでいたいのか 決めることも出来ない どんなきもちでも 生きていく あしたのあしたのあした 私が笑うために 昨日どんなきもちでいたか 思い出せない どんなきもちでいたかったのか も忘れてしまいたい だから生きていく またあしたのあしたのあした 私が笑うために
2015年7月19日 00:04
菜奈はヒネテーロの誘いを快諾した。タクシーを拾い要塞跡地のバーへと繰り出し、酒を飲みサルサのリズムに酔い、勢い男の家についていくと言い出した。いつの間にか私の傍らにもバスケットボール選手を名乗る男が恋人然と寄り添っていた。家の扉が開いて上半身裸の老人が私たちを出迎える。「パスタをゆでるわ」と台所に入ったとたん、シンクから立ちあがる悪臭に反吐が出そうになって涙がでた。リビングに戻るとすでに菜
2023年9月17日 11:32
とても神秘的な体験ができる神社がある。新潟県の弥彦山に鎮座する彌彦神社をご存知だろうか。古くは万葉集にも歌われた霊験あらたかな神社である。御神体は神仏の遣いである雨照大猪(あまてらすおおいのしし)様である。猪突猛進と言われる素早い動きや、水浴びは嫌いだがなぜか泳ぐことができるその尋常ならざる能力に、昔の人々はなにか特別なものを感じたのであろう。この神社の御神廟には、世界でたったひとつの由
2018年2月19日 00:22
鈴虫のなく、風の気配、夏の名残の風鈴の音。りんりんりんりん、となびいて響く。夜道をぽつんと歩いていると、自分の足音にしんと怯える。駅からの帰り道はいつもどこか足早になってしまう。同じ道を朝はなんだか安心感に包まれているような気分で通るのに、降り注ぐ朝陽のせいだろうか。この夜の不安げな気配とはまるで違う。今は果たして家に無事辿り着けるのかすら心もとない。ゆるやかに登る坂道の先に果てなく広がる闇夜
2018年1月3日 17:35
去年メキシコを旅したとき、シレンシオと呼ばれる場所に行った。もう長いこと、世界中の人たちから愛され続けてきたプレイスなのに、あいにくガイドブックには載っていない。そこに何があるかって、ぬくぬくとした金色の日差しやよどみなく流れる澄んだ空気。躍動するリズムと旋律で落ちる滝の音。芳しい花の香りもあったかもしれない。とにかく言葉は失われるほどに、じっと感じ入り続けたいような、沈黙をため息で破ることし