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自転車旅:アジア

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2021年4月の記事一覧

世界一のバイク大国ベトナムで入国早々バイクに追突される

世界一のバイク大国ベトナムで入国早々バイクに追突される

ベトナム。

入国早々、いきなり背後からバイクに追突された。
事故など起きそうもない状況で唐突な衝撃、何が起きたのかもわからず転倒。
怪我はなかったが、バッグが吹っ飛び、ハンドルとブレーキがひん曲がった。

追突したバイクは僕をチラ見して、そのまま逃走。
周囲の無数のバイクも誰一人として意に介さず、倒れた僕と自転車を避けながら流れ続けた。

通報?
するわけない、ここは日本じゃない。

現場は、見

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身近で気楽なはずの東南アジアで思いのほか悪戦苦闘、ベトナム

身近で気楽なはずの東南アジアで思いのほか悪戦苦闘、ベトナム

フェリーで川を渡っている時、突然若い青年から日本語で話しかけられたのでびっくりした。

3年前から日本語を勉強しているそうだ。
ちゃんと敬語も使いこなしている。
「日本語上手ですね」と言うと、「いえいえ、まだまだです」と謙遜する。

謙遜するのって、東洋人特有だろうか。
他の地域では、人をほめてもこういう反応ってなかった。
それとも、日本語をマスターすると中身も日本人になるのだろうか。
英語が堪能

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一度地獄を見て崩壊したカンボジアの現在

一度地獄を見て崩壊したカンボジアの現在

クメール人の国、カンボジア。

9~15世紀のアンコール王朝で全盛期を迎え、現在のタイ、ベトナム、ラオスにまで支配領域がおよぶ強大な王国であった。

19世紀よりフランスの植民地となり、1975年ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる民主カンプチアが建国された。
このわずか4年のポル・ポト政権時に、カンボジアは人口の4分の1を失ったと言われている。

1978~91年に内戦が続き、1993年カン

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胸をえぐられる史上最悪の狂気、キリングフィールド

胸をえぐられる史上最悪の狂気、キリングフィールド

世界で最もヤバイ場所、「Killing Field」。

1975~79年、ポル・ポトを最高指導者とする共産党クメール・ルージュがカンボジアを支配した。
かれらはこの処刑場で虐殺をおこない、現在8985体の遺骨がこの慰霊塔におさめられている。
カンボジア全土でこのようなキリングフィールドが300以上確認されており、それぞれ1000~1万の遺体が発見されている。

銃弾が高額だったため銃殺されず、オ

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ラオスで食った禍々しき肉

ラオスで食った禍々しき肉

東南アジアで最も人口希薄な国、ラオス。

人口密度は隣国ベトナムの10分の1以下。
何よりも、交通量が激減してくれてホッとする。
時々通る車はきっちりクラクションを鳴らしてくるので依然としてクラクション文化圏ではあるが、それでもだいぶストレス軽減。

高床式。

あちこちから、
「サバーイディ!」
「ハロー!」
「バイバーイ!」
と聞こえてくる。

発展が遅れている国ほど子供たちがあいさつしてくれ

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長年閉ざされてきた異端国家ミャンマーの素朴純朴な人々

長年閉ざされてきた異端国家ミャンマーの素朴純朴な人々

長らく国境が閉ざされ、陸路旅行者にとって障壁となっていたミャンマー。
2013年より周辺国との国境が開き始め、ビザフリー化も進んだ。

数十年間閉ざされていたためか、国境を越えると雰囲気が一変。

インドと東南アジアが混じり合う。
イギリス領インドはミャンマーも含んでいた時期があり、その後もイギリス支配が続いたため、比較的英語が通じやすい。

発展は非常に遅れており、交通はメチャクチャ、クラクショ

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現代の難題を突きつける、世界の縮図にも見えたミャンマー

現代の難題を突きつける、世界の縮図にも見えたミャンマー



過積載な人たち。

限界まで攻める。
これぞアジアの心意気。

1階が女性席、2階が男性席。

どうやって積んだんすか?

そして、ドラム缶の下に人が乗っているという事実。

日本車は天下のまわりもの。

これ全部、日本の中古自転車。

防犯登録や「~高校」などと書かれたステッカーが貼られたまま。

これを積んでるトラックも日本車。

見たこともないような古いトヨタの消防車、現役で活躍中。

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仏教とドラえもん教の国、タイ

仏教とドラえもん教の国、タイ

東南アジアツーリズムの代表とも言えるタイだが、田舎の方は旅行者もおらず、静かなもの。

東南アジアで唯一植民支配を免れて独立を保った国。
イギリス領とフランス領の衝突を避ける緩衝地帯となり、狡猾な外交戦略もあって、第二次大戦中は日本の侵略も受けず同盟を結んだ。

戦争の憂き目にあうことなく切り抜けてきたタイだが、国内の政情は安定しない。
反政府デモと、幾度となく繰り返されるクーデター。
2014年

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アジアンフィーバー、熱狂の水かけ祭り

アジアンフィーバー、熱狂の水かけ祭り

首都バンコク。

タイもそこそこ日本。

街は日本語であふれている。

和食屋もそこらじゅうにある。

鳥居?

日本人の多さは言うまでもないが、欧米人の多さも際立っている。
ベトナム戦争中にアメリカ兵が保養としてタイに訪れていたのがきっかけらしい。
有名なカオサンロードなんかは完全に外国人仕様になっており、夜は頭おかしいんじゃないのってぐらいの爆音BGMが耳をつんざく。

サソリは、殻だけを食べ

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マレーシアで至高のかき氷に溺れる日々

マレーシアで至高のかき氷に溺れる日々

徐々に、モンゴロイド圏からオーストラロイド圏へ。
黄色いアジアから褐色のアジアへ。
仏教圏からイスラム圏へ。

マレー半島は古来より海上交易の中継地として栄え、アラビア半島から海を越えてやって来た商人たちによってイスラム教が伝わり、大航海時代にはポルトガルやオランダに支配された。
19世紀からイギリスに支配され、労働力として中国人やインド人が連れてこられて、多民族社会が形成されていった。
第二次大

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最も開放的で最も成功した独裁国家、シンガポール

最も開放的で最も成功した独裁国家、シンガポール



マレー半島の先端というチョークポイントを押さえていたのは、やはりイギリス。
領土の広大さだけでなく、地政学的に重要なポイントは決して逃さない陣取りのうまさが大英帝国の狡猾さを物語っている。

イギリス植民地時代に労働力として連れてこられた中国人やインド人と、もともとこの地に住んでいたマレー人との間に対立関係が生じて、特に中国人が集中していたマレー半島の先端が1965年に分離独立してシンガポール

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