見出し画像

胸をえぐられる史上最悪の狂気、キリングフィールド

世界で最もヤバイ場所、「Killing Field」。

1975~79年、ポル・ポトを最高指導者とする共産党クメール・ルージュがカンボジアを支配した。
かれらはこの処刑場で虐殺をおこない、現在8985体の遺骨がこの慰霊塔におさめられている。
カンボジア全土でこのようなキリングフィールドが300以上確認されており、それぞれ1000~1万の遺体が発見されている。

銃弾が高額だったため銃殺されず、オノやナタなどの安価な農具で撲殺された。

19世紀にマルクスが提唱した共産主義は、資本家が労働者から搾取する資本主義社会の次の時代に来るであろう、格差のない平等な社会を理想とするものだった。
その理想社会を実現すべく20世紀にソビエト連邦を建国したのがレーニン、その後スターリンが継ぎ、スターリンに影響を受けた毛沢東が中華人民共和国を建国した。
ソ連からじわじわと広がっていった共産主義の波は、その理想とはかけ離れた惨劇を生み、カンボジアで頂点に達した。

原始共産主義。
毛沢東に影響されたポル・ポトがめざしたのは究極の共産主義、つまり原始時代へと回帰することであった。

商業、教育、宗教は禁じられ、貨幣制度も廃止された。
私有財産も禁じられ、すべてが国有化された。
すべてが国有化されるということは、国民も国家のコントロール下に置いてロボット化することを意味した。
男女は隔離され、恋愛は禁止で強制結婚、6歳以上の子供は親からも隔離された。

原始時代に帰りたいのだから、都市というものも放棄される。
人々を都市から農村に強制的に移動させて、農業経験のない者たちに農作業を強いた。
強制移動に例外はなく、老人、子供、妊婦、入院中の重病人までも有無を言わさず全員徒歩で移動させ、移動中に多くの者が死に、また移動先でも過酷な労働で多くの者が死んだ。

処刑の対象となったのは、知識人。
知識は格差をもたらす。
知識人はコントロールしづらく、反逆する可能性が高い。

この新しい理想郷には、国家の指導者以外に知識人は不要。
学者、教師、医師、技士、外国語を話す者、あるいは本を読んだりラジオを聴いたりしているというだけで、またあるいはメガネをかけてるというだけで、手が柔らかいからというだけで、処刑場に連行されてもれなく殺された。
歌手、芸術家、僧侶などもその対象となった。

「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」 ー ポル・ポト

当のポル・ポトは、裕福な育ちで、パリに留学経験のあるインテリであった。

ポル・ポトは、教育を受けていない農民、それも13歳以下の子供をクメール・ルージュの兵士として入隊させた。
知識のない子供は洗脳しやすく、また若い年代ほど残虐な行為を平気でやってのけてしまうものだ。

キリングフィールドの死刑執行人の多くは、このような子供であった。
子供が大人を殺していたのである。

子供看守と思われる写真を見ると、誇らしげで、笑顔を見せている者もいる。
ここで拷問、惨殺をおこなったのも、かれらなのか。
しかし、秘密漏洩防止のため看守も7割が殺されたという。

番号札を付けられているのは、処刑の対象となった人たちか。

ポル・ポトは、密告を奨励した。
仲間であれ家族であれ、自分を密告するおそれがある場合は、生き残るために先に自分が、仲間や家族を密告して処刑させる、ということもあった。

「罪のない人を誤って殺してしまうことは、敵を誤って殺し損ねるよりマシである」 ー ポル・ポト

今も、雨季になると地表の一部が流され、人骨や歯や衣類が地中から露出してくる。

女性処刑場のすぐ隣にある「KILLING TREE」。

クメール・ルージュの執行人は赤子の足をつかみ、頭部をこの木に打ちつけて殺した。
母親の目の前で。
後に遺族が復讐しに来るのを防ぐため、家族全員が皆殺しにされたのだ。

クメール・ルージュ追放後にこの地が発見された時、この木には子供の脳みそや頭髪がこびりついたまま、血でビッシリ染まっていたという。

「雑草を取り除くなら、根こそぎ」 ー ポル・ポト

当のポル・ポトは82歳まで生きた。

菩提樹の木にスピーカーをぶら下げ、一日中大音量で革命歌を流し続けて村全体に轟かせていたという。
断末魔が村人に聞こえないよう、かき消すためだ。
処刑される者が死の間際まで耳にしていたのは、この爆音の革命歌だった。
オーディオガイドで、革命歌のひとつを聴くことができる。
この菩提樹の前でそれを聴いた。
当時の空気がリアルにゾワッと迫ってきて、全身鳥肌が立った。

数人の西洋人もここで処刑されたことがわかっている。
かれらはジャーナリストであり、カンボジアで起きていることを世界に知らせることができずに殺されてしまった。

カンボジアは国境に地雷を敷設して閉鎖し、完全鎖国政策をとっていたため、世界は、この時ここで起きていたことを知らなかった。

1979年、ベトナム軍の進攻によって初めてカンボジアの惨状が白日の元にさらされ、ポル・ポトは追放された。
ポル・ポトが支配したこのわずか4年で、200万人の命が失われたと言われている。

トゥール・スレン強制収容所。

ポル・ポト政権時の政治犯収容所。

革命が成功したのに飢餓が進むのは反革命分子がいるからに違いないという被害妄想がクメール・ルージュに広まり、さらに1976年の毛沢東の死によって中国からの援助が止まるかもしれないという危機感から、反革命分子の詮索に躍起になっていた。

反革命分子とみなされた者はここに収容されて拷問を受け、その後キリングフィールドに連行されて殺された。
計2万人が収容され、生還者はわずか8人。

顔にバツ印を書かれたポル・ポト像。

常軌を逸した独裁者も、敵国や異民族へのジェノサイドも、歴史上めずらしくはない。
ここでは、ただここで生活していただけの人たちが、同じ言葉を話す同じ民族の自国国家に虐殺された。
史上類を見ない狂気が、ほんの40数年前に、日本からそう遠くない国であった。

生まれた場所や時代が違っていたら、自分がどんな人間になっていたかなんて、わからない。
育った環境によっては、テロリストになっていたかもしれないし、大人に洗脳されて子供看守として死刑執行人になっていたかもしれない。
自分は違う、そんなことはありえない、と言い切れるだろうか。
歴史の中で、ここで起きたことからどんな意味が読み取れるのか、考えてみる必要がある。

クメール・ルージュの裁判が本格的に始められたのは2008年、最近のこと。
ポル・ポトはとっくに死んでいて(他殺か自殺かは不明だが服毒死した)、幹部たちも高齢で、ある者は寿命をまっとうし、ある者は認知症と診断されて釈放されるなど、グダグダな状態。
裁判は長期化して3億ドルもの費用がかかり、2018年までに有罪判決が下されたのはわずか3人。

殺戮に直接手を下した子供兵士たちは、当時13歳だとすると現在50代後半、どこかで生きているのか。

一般に、経済水準と仕事のクオリティは比例する。
後進国では、接客・サービス業のあまりのいいかげんさ、無責任さ、態度の悪さ、礼儀やマナーの欠如に憤慨する旅行者も多いと思う。
特に、客が神扱いされるのが当たり前の日本人にとっては、耐え難い屈辱を味わうこともあるだろう。
物価が安い分、こういった粗悪なサービスに対する忍耐も必要になる。

ここカンボジアもそうなのだが、他国にはない異様な感触がある。
ホテルやスーパーの従業員などは外国人を接客することが多いのでまだまともかと思いきや、目を疑うような無礼な対応をされることもめずらしくない。
注意すると、目をそらして「英語わからない」みたいなそぶりで逃げて行ってしまう。
さっきまで英語で対応してたのに。

プノンペンで宿泊していた部屋で、エアコンを新しいものに交換するというので、部屋に数人の若い従業員が入ってきて交換作業をしたのだが、入るなり下っ端っぽい従業員が何の躊躇もなくベッドに座ってしゃべりだしたり、工具やネジをベッドの上に置いたり、自転車に寄りかかったりなど、無礼な行為の連続だった。
そのたびに僕は注意するのだが、するとかれらは決まって、仲間と目を合わせてクスリと笑う。
厳しい口調で注意して睨むと、目をそらしてうつむいてしまう。
謝罪などない。
作業のリーダーらしき者も、一切注意しようとしない。

反応が完全に、小学生。
子供は、親や先生に怒られそうになった時、怒られるという現実を直視したくないので、笑ったり目をそらしたり話題を変えようとしたりして、逃避を試みるものだ。
「ごめんなさい」と観念して謝るのは、さんざんしぼられて泣かされた最後のことだ。
かれらの反応が、まさにこれなのだ。
こちらが怒ると、それに向き合おうとはせず、話を聞こうともせず、とりあえず逃げてみる。
精神年齢が小学生のまま、大人になってしまっている。

ポル・ポト政権崩壊後、この国には大人がいなかった。
人口の85%が14歳以下。
こんな異常事態、他に例があるだろうか。
今いる大人は親から適正にしつけられることなく大人になり、自分の子供を適正にしつけることなく子供は大きくなり、そしてかれらの子供もまた・・・
一度の「大人の不在」がこういった連鎖を引き起こし、まだ糸を引いている。

むしろ当時は、子供の方が立場が上だった。
子供が大人を監視し、疑わしきことがあれば密告し、処刑した。
その認識も継承されているとしたら、恐ろしいことだ。

経済援助や技術支援は他国がしてくれてきている。
市場が大きくなって外国からの投資も増大し、今後も経済発展していくだろう。
その時もまだ、中身は子供のままなのだろうか。
アフリカを旅した時に感じたのとはまた違う、このスッキリしないモヤモヤ感・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?