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世界一のバイク大国ベトナムで入国早々バイクに追突される

ベトナム。

入国早々、いきなり背後からバイクに追突された。
事故など起きそうもない状況で唐突な衝撃、何が起きたのかもわからず転倒。
怪我はなかったが、バッグが吹っ飛び、ハンドルとブレーキがひん曲がった。

追突したバイクは僕をチラ見して、そのまま逃走。
周囲の無数のバイクも誰一人として意に介さず、倒れた僕と自転車を避けながら流れ続けた。

通報?
するわけない、ここは日本じゃない。

現場は、見通しの良い広い直線道路。
この状況で追突って、よほどの間抜けか、でなきゃ故意。
推測だが、中国人だと思われて故意に攻撃されたか。

最大の都市ホーチミン。

世界がまっぷたつに割れた20世紀後半。
戦争は、対立する勢力の境界上で起きる。
アメリカ率いる資本主義陣営と、ソ連率いる社会主義陣営が接する前線となったのが、ドイツであり、朝鮮半島であり、ベトナムであった。
朝鮮半島と同じくベトナムも南北に分断され、米ソの代理戦争の凄惨な舞台となった。

アメリカに乗っ取られた南ベトナムを奪還したベトナムは、それまでサイゴンと呼ばれていたこの都市を、建国の父であるホー・チ・ミンにちなんで改名した。

渋滞知らずのバイク大国。

一見すさまじい交通量だが、四輪より二輪を普及させることで、とどまることなく流れ続け、渋滞問題が解消されている。

追突されといてこう言うのもなんだが、危険ではない。
流れに身をまかせて走れば、皆うまいこと避けてくれる。
歩きスマホならぬバイクスマホのベトナム人も多いけど。

赤信号は30秒。
1回の赤信号、たった30秒でこれだけたまる。

青信号も同じく30秒。
つまり、1分ごとにこの大群がまるまる入れ替わっている。

日本車は天下のまわりもの。
ベトナムでは、バイクは「ホンダ」と呼ばれる。

ホンダホンダホンダ・・・

これでもなお、日本の方が過密だというのは信じたくない事実だ。
ベトナムの人口密度が290人/k㎡に対して、日本の人口密度は334人/k㎡。

家族でドライブ。

買い物するにも、バイクから降りず乗ったまま。

バイクが視界に入らない風景はありますか?

ありません。

地平線の彼方まで。

ベトナムは19世紀よりフランスの植民地となり、第二次大戦中は日本とフランスの二重支配であった。

カトリックな街並み。

冷戦は、アメリカ率いる資本主義の勝利で終わった。
しかし、ベトナムは今もガッツリ一党独裁社会主義を貫いている。

だって敗けてないから。

ソ連の衛星国であった旧共産圏の国々では、今も裕福とはいいがたい荒んだ情景が見られたが、不敗のベトナムは1980年代の市場経済導入以来、順調な発展を見せている。

ベトナムの国際的イメージは悪くないかもしれない。
最強の戦争屋アメリカに勝利したこと、枯葉剤の影響が今なお残ることへの同情、現在世界の嫌われ者である中国の脅威にも屈することのない小国家ベトナム。

しかし、メディアは国営で政府によって情報操作と言論統制がなされており、民主化運動や反政府運動は弾圧される。

一党独裁といえば中国や北朝鮮ばかりが話題になるが、世界的には決してめずらしくはない。
ベトナムも、国家の基本スタイルは中国と変わりない。

1960年代、世界の泥沼化を象徴したかのようなベトナム戦争。
300万人のベトナム人と6万人のアメリカ人が死んだ。
アメリカはこの戦争で785万トンの爆弾を落とし、7500万リットルの枯葉剤(ダイオキシン)をばらまき、ベトナムの国土を破壊し尽くした。
森林と土壌の再生には100年かかるといわれている。

日本でも有名になった結合双生児、ベトちゃんドクちゃんも枯葉剤の犠牲者。

アメリカの敗戦は、民主主義の敗北だったともいえる。
テレビが普及したこと、報道の自由も相まって、アメリカの暴挙が世界中に伝わり、次第に世論は反戦に傾いていった。
国民の多くが反戦となれば、大統領としては戦争続行すると次の選挙で勝てない、結果として撤退を余儀なくされた。

ベトナムが勝ったのは、もちろん自力だけではなくソ連のバックアップがあったからこそで、ジャングルのゲリラ戦という地の利もあり、そして世論に左右されることもなかった。

はたして、300万人の死者と枯葉剤による壊滅的汚染という犠牲を払ってでも、徹底抗戦して戦争に勝利したことが正義といえるのか、、、

英語でおK。

首都ハノイ。

日が沈んでも、バイクの勢いはとどまるところを知らない。

バイクに座って、スマホを見つめている人。
バイクに座って、おしゃべりしている人。
バイクに座って、何をするでもなくボーっとしている人。

ベトナム人とバイクは、切っても切れないようだ。

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