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長年閉ざされてきた異端国家ミャンマーの素朴純朴な人々
長らく国境が閉ざされ、陸路旅行者にとって障壁となっていたミャンマー。
2013年より周辺国との国境が開き始め、ビザフリー化も進んだ。
数十年間閉ざされていたためか、国境を越えると雰囲気が一変。
インドと東南アジアが混じり合う。
イギリス領インドはミャンマーも含んでいた時期があり、その後もイギリス支配が続いたため、比較的英語が通じやすい。
発展は非常に遅れており、交通はメチャクチャ、クラクション激化、ところかまわずツバを吐くところなんかはインド的。
戦前!?
人はとてもフレンドリー、穏やかで笑顔があり、壁を感じさせない。
日本語で「コンニチハ」とか「アリガトウ」と言われたりする。
第二次大戦中は日本に支配され、アウンサン将軍が日本軍と結託してイギリスを追放して独立へと導いた、という背景があるためか、親日度が高い。
顔に塗っているのは、化粧でもあり日焼け止めでもある「タナカ」と呼ばれているもの。
現金調達。
ATMはあてにならないので、あらかじめ十分な額のUSドルを用意しておき、現地で両替する。
イランやトルクメニスタンなどと同様、ミャンマーも公定レートと闇レートがある。
US$300を両替したら、札束ドカッ。
27万9000チャット(1000チャット紙幣が279枚)。
財布にもポケットにも、どこにもしまえない。
これじゃATMがあってもまともに機能しないわけだ。
デノミするか、高額紙幣を普及させるか、できないもんですかね。
ビルマ文字。
視力検査じゃないですよ。
何%オフ?
アジアは文字の宝庫。
他の大半の地域は、ラテン文字圏、キリル文字圏、アラビア文字圏、と広範囲で統一的だが、アジアは国が変わるごとに固有の文字が見られる楽しみがある。
もともと紙代わりに書いていた葉が、直線で刻むと裂けやすかったため、まるっこい文字が形成されていったという。
出会った人に、ビルマ文字でメッセージを書いてもらった。
「何て書いてくれたの?」と聞いてみたら、ビルマ語で説明されたのでわからなかった。
パロールとエクリチュール。
それらは意味を伝える道具というよりは、意味そのもののように思える時がある。
1948年ビルマとして独立し、1962年クーデターによって軍事政権となった。
1989年、軍部は国名をビルマからミャンマーに変更。
ビルマもミャンマーも、いずれも古くからある正当な国名。
わざわざ改名した理由は、イギリスからの呼称であるビルマを覆したかったこと、軍事政権による新たな国であることを主張したかったこと、などが考えられる。
欧米諸国は、この改名を軍部による一方的なものとして認めていない。
今も、欧米人と話をすると「Burma」と呼んでいる人が多く、僕が「Myanmar」と言っても通じない人さえいた。
ガイドブックには「Myanmar(Burma)」と併記されている。
毎日40℃超の酷暑。
あらゆるものが手づくり。
外国人慣れしていないミャンマー人。
また閉鎖的なのかなと思いきや、純粋素朴に僕に近づいてくる。
なんて素朴な人たち。
僕に対する警戒心、敵意、悪意、そんなものはかけらもない。
ただただ、素朴、純朴。
走行していると、村人たちが笑顔で手を振ってくれる。
僕が立ち止まると、飲み物や果物を差し出してくれる。
お金を払おうとしても、受け取ってくれない。
「写真撮らせて」と頼むと、恥ずかしそうに照れ笑いをする。
ああ、素朴、純朴。
日本とは比べようもないほど未発達な社会。
できること、選択肢が、ごく限られた世界で一生をすごす。
にもかかわらず、貧しさも卑屈さも感じさせない。
その笑顔は、まっすぐで幸せそうだ。
子供たちは僕を「イングレー!」と呼ぶ。
パキスタンのフンザでは「アングレー!」と呼ばれた。
いずれもイギリス植民地だったため、「外国人=イギリス人」とみなすようだ。
いつもの、万国共通、男の子の手づくりおもちゃ。
日本の皆さん、働きすぎにご注意。
「ジャパン、ビルマ、ブラザー、カムバック、エニタイム」
と言ってくれたおじいさん。
イングレー! イングレー!
バイバーイ!
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