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一度地獄を見て崩壊したカンボジアの現在

クメール人の国、カンボジア。

9~15世紀のアンコール王朝で全盛期を迎え、現在のタイ、ベトナム、ラオスにまで支配領域がおよぶ強大な王国であった。

19世紀よりフランスの植民地となり、1975年ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる民主カンプチアが建国された。
このわずか4年のポル・ポト政権時に、カンボジアは人口の4分の1を失ったと言われている。

1978~91年に内戦が続き、1993年カンボジア王国として再建。

国の再建が困難であったろうことは想像に難くない。
ポル・ポト政権による非効率的な農業で土地は荒廃し、長期にわたる内戦で無数の地雷が埋まったまま。
知識人や技術者たちは皆殺しにされた。
インフラを整備するには外国からの援助に大きく依存せざるをえなかったはず。
まだまだ発展途上だが、一度ドン底まで堕ちて、よくここまで築いてこれたなと感心する。

外国人が立ち寄ることなどない農村の売店に、荷物満載の自転車に乗った外国人がいきなり現れると店の人は驚いて最初は警戒するが、こちらが合掌して会釈すると、同じように合掌してくれて、イスを差し出してくれたりする。
やさしいな。

子供たちの「ハロー! ハロー!」がかわいい。
和む。
あらゆる言語の中で、「ハロー」という言葉は世界で最も広く伝わる言葉かな。

でも、僕が自転車を止めて近づこうとすると、一目散に逃げていくか、あるいは警戒モードになって硬直してしまう。

高床式住居。

パジャマみたいな服を着た女性が多い。

見た目はパッとしないカンボジア料理。

でも・・・

・・・ウマイな。

今までカンボジア料理については何のイメージも持っていなかったのだが、意表を突いてすごくいい。
暑くても食欲が湧く。

全体的に濃い味設定。
米はパサパサではなく、多少粘り気がある。
僕はもともと濃い味が好きで、粘り気のある日本の米をこよなく愛しているので、これはイケる。

クメール文字。

インドから伝わった文字を独自にアレンジし、サンスクリット語やフランス語からの借用語も多い。

なんだかもう、すっかり未舗装ね。

たしか東南アジアを走っていたはずなんだけど。
ここは砂漠か!?
首都まであとわずか20kmの都市圏だというのに、えんえん未舗装、全身砂まみれ。

帽子とサングラスとマスクで完全防備していたのだが、眉間の部分が隙間になっていて、眉間だけ砂埃をかぶってドス黒くなり、眉毛がつながってる人みたいになってた。

洗車したい。

メコン川。

首都プノンペン。

経済成長が著しい東南アジア。
少し前まで最貧国であったカンボジアも、首都中心部には近代的なショッピングモールもある。
とてつもなく暑いので、特に用はなくてもエアコンの効いたショッピングモールの中で涼む。

フランス植民地時代の影響で、バゲットを使ったサンドウィッチ屋さんがたくさんある。

本場フランスでバゲットを食べまくった僕としては、こんなところにおいしいバゲットなんかあるわけないでしょ、とタカをくくっていたが、ためしに買ってみる。

・・・こ、これは!!!

衝撃的にウマイ!!!

バゲットは程良いサクサク感。
酢漬けのサラダ、キュウリ、ネギ、パクチー、ミンチ肉、加工肉、などたっぷり具だくさん。

ユーロピアンとアジアンの融合!!!
歴史を感じた!!!

いや本当に、誇張なしでこんなおいしいサンドウィッチは食べたことがない。
これが決め手となり、僕の中で東南アジアのベストフードはカンボジアとなった。

ちなみに、ベトナムにもバインミーと呼ばれる似たようなサンドウィッチがあるが、味も質もまったく違う。
比べるまでもなく僕はカンボジアを推す。
ただ、これがカンボジアでは何と呼ばれているのか、何度聞いても聞き取れなかったので、いまだ名称不明。

カンボジアでは、高齢者をあまり見ない。
ポルポト政権崩壊後の1980年代、人口の85%が14歳以下だったという異常な統計がある。
その後も厳しい内戦が続き、さらに内戦終結後も放置された地雷によって多くの命が失われた。

つらい時代を乗り越えて、生き残られた方が見せてくれた表情。

そして、マンゴーが激ウマな季節。

焼きそばも感動的なウマさで、最初から二人前注文する。

店を移動して、もう一人前。

この後スコールが降ったけど、服は大丈夫だったのかな。

道路の排水がまるでなってない。

短時間のスコールでも、あっという間に洪水になる。

カンボジアは、今のところ停電もないし、水も出るし、Wi-Fiも好調だ。
道路整備だけが異常に遅れているのは、やはり地雷撤去が妨げとなっているからだろうか。

貧しい国でも、高級住宅地はある。

スラムもある。

エリートタウン。

スラム。

「富人区」って、露骨なネーミングだな。

ショッピングモール、エリートタウン、スラム。
毛沢東に心酔したポル・ポトは、共産主義を極限まで徹底した原始共産主義を強行した。
最初は、格差のない理想社会を純粋に夢見ていたのだろう。
しかし現実には、史上類を見ない最悪の惨事となり、壊滅した。
そんな国に限って、今や露骨な格差を生み出すバリバリの資本主義社会となっているのは、なんとも皮肉なものだ。

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