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現代の難題を突きつける、世界の縮図にも見えたミャンマー
過積載な人たち。
限界まで攻める。
これぞアジアの心意気。
1階が女性席、2階が男性席。
どうやって積んだんすか?
そして、ドラム缶の下に人が乗っているという事実。
日本車は天下のまわりもの。
これ全部、日本の中古自転車。
防犯登録や「~高校」などと書かれたステッカーが貼られたまま。
これを積んでるトラックも日本車。
見たこともないような古いトヨタの消防車、現役で活躍中。
何十年物!?
僕は、まだ使える物でも廃棄して新品に買い換えることが可能な環境で育った。
ここの人々は、ひとつひとつの物を長年大事に生かし続けている。
このトヨタについて説明してくれた消防隊員の表情は、誇りに満ちていた。
各種内臓。
注文したもの以外にも複数の小皿が出てきて、ご飯もおかわりできる。
店の人は常時こちらの進行具合をチェックしていて、皿が空になるとすかさずおかわりを入れてくれる。
こちらが手をつけなくなるまでおかわりを入れ続けるシステムのようだ。
味は、全体的に中辛。
やはりインドが近いせいか、カレー風味のものも増えてきた。
ごちゃまぜ系一品料理。
各種謎ジュース。
たまたま通りかかった村のお祭りに招かれ、ごちそうになった。
涅槃。
仏教は、発祥地であるインドやネパールではヒンドゥー教に敗れて普及せず、形を変えアレンジされ、東方へと広まっていった。
ミャンマーでは、人口の88%が仏教を信仰しており、13%が僧侶。
侘びた日本の寺とは対照的、東南アジアの仏教は絢爛で煌びやかな上座部仏教。
宗教もビジネス。
財を投じた美の集大成に人々は惹き寄せられる。
インドの寺院と同様、寝ようが飲食しようがカップルがイチャつこうが、自由。
最大の都市ヤンゴン。
ここまで来てようやくイギリスっぽいものが見られる。
2006年まではここが首都だった。
農村のミャンマー人と都市のミャンマー人はまるで別物だ。
以前から空路での入国はできたので、ヤンゴンやその他の観光地では外国人慣れしており、インドの都市と同じようにカモとして見られる。
ヤンゴンで声をかけられたら、まずそれは友好目的ではなく、何らかの商売、詐欺、タカリとみなしてよい。
手慣れた常習犯、巧みなグループ犯行も多いようで、かれらの言葉を真に受けてはいけない。
警戒モードに切り替える。
年端もいかぬ少女がポストカードを売りつけてきた。
丁寧で好感の持てる英語、でもあいにくポストカードはいらない。
「じゃあ、両替したい?」
「ヤンゴン川に行きたい? ガイドするわよ」
いや、どれも必要ない。
歳を聞いたら、7歳だという。
・・・冗談じゃない。
外国人の大人相手に英語でこんなやりとりをする7歳児なんて、日本には存在しない。
話を聞くと、すでに両親を亡くしており、20歳の姉と暮らしているという。
本当かどうかはわからない、同情を引くためのウソという可能性もある。
でも彼女はピッタリ僕について来て、どうにも見捨てられなくて、一食食べさせて、少しばかりこづかいを与えた。
長い人生、どんな大人になるのだろうか。
日本語で「カッコイイネ! カッコイイネ!」と言い寄ってきた少女たち。
これぐらい大きくなると貪欲で、外国人向けのちょっと高いレストランでおごらされた。
いや、こちらが自らおごるように仕向けられたと言うべきか、この子たちはおそらく常習犯。
完全にカモにされてしまっているが、いろいろ話をして、ビルマ語を教わって、楽しいひとときをすごしたのだから、まあよしとするか、と自分に言い聞かせる。
よしとしようじゃないか。
さらに「ウチに遊びに来て!」などと強引に誘ってきたので、さすがにそこで見切りをつけた。
深入りしてはいけない。
後になって冷静に思い返してみると、明らかにこの子たちは良からぬことを企んでいた。
その時は見抜けなかったが、この子たちの言葉にはいくつかのウソがあった。
世界を旅する者としては、この程度のトラップに引っかかるのは恥ずべきこと、地方農村のミャンマー人がどこまでも純朴で良心的だったので少々油断しており、危ういところだった。
都市や観光地だけを見たら、ミャンマー人もインド人やネパール人と大差ないな、という印象で終わってしまうかもしれない。
住む場所を失った少数民族の難民キャンプ。
ミャンマーは、135の民族を抱える多民族国家。
主要民族であるビルマ族は68%、他の少数民族に対する迫害や虐殺が問題になっている。
こんな眺めの宿、なかなかない。
米ソから米中へとシフトした現代。
東西冷戦はソ連の自滅で終わったが、「民主主義vs独裁政権」という対立構造そのものは今も変わっていない。
民主主義も独裁政権も、いずれも歴史上何度も現れては滅びてきた不完全な政治形態。
ただ、双方とも互いに相手の存在が脅威となる性質であるため、グローバル化した現代では必然的に対立する。
朝鮮半島やベトナムと同じく、ミャンマーもまたこの二つの勢力のはざまに位置している。
中国と接しているこの立地で軍事独裁政権はそれほど不思議ではないし、近代化が遅れている貧困社会で135の民族を統率するにも、強い権力が必要だというのもわかる。
一方で、建国の父アウンサン将軍の娘であり、イギリスでオックスフォード大学を出て、インドでガンジーの非暴力不服従を学んだアウンサンスーチーが、軍事政権に対する民主化の象徴として国民から崇拝される、というのもわかる。
しかし、バングラデシュとの国境近くで迫害され虐殺があったとされるロヒンギャ族の問題で、アウンサンスーチーはその虐殺を否定したことから、一度受賞した賞を剥奪されるなど、国際社会から批判を受けている。
ミャンマーの圧倒的大多数である仏教徒は、イスラム教徒であるロヒンギャの存在を好まない。
国民の人気によって支えられているアウンサンスーチーは、民意に反してロヒンギャを擁護することができないのだ。
多数決が民主主義の正義だとするなら、国民の大多数が少数民族の追放を望めばそれが正義なのか?
ミャンマーの軍事政権復活は過去への逆行だという声もあるが、アメリカやヨーロッパに代表される民主主義国家の失墜が目に見える中、今ミャンマーで繰り広げられている戦いは現代の世界の拮抗をそのまま反映しているようにも思える。
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