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最も開放的で最も成功した独裁国家、シンガポール

マレー半島の先端というチョークポイントを押さえていたのは、やはりイギリス。
領土の広大さだけでなく、地政学的に重要なポイントは決して逃さない陣取りのうまさが大英帝国の狡猾さを物語っている。

イギリス植民地時代に労働力として連れてこられた中国人やインド人と、もともとこの地に住んでいたマレー人との間に対立関係が生じて、特に中国人が集中していたマレー半島の先端が1965年に分離独立してシンガポールとなった。

現在のシンガポールの民族構成は、華人74%、マレー系14%、インド系8%。

東京23区ほどの狭小な国土で、資源も何もないにもかかわらず、世界トップクラスの優秀な国際都市国家にのし上げたのは、初代首相リー・クアンユー(李光耀)。
表向きには民主的な選挙がおこなわれているが、必ずリー・クアンユーが勝つ仕組みがつくられ、25年という長期にわたって政権の座についた。
リー・クアンユーは外国資本の導入や観光地化や人材育成など、開発独裁の手腕を奮った。

1人あたりのGDPは世界8位(アジアでは1位)。
国債格付けはアジアで唯一のAAA。
国際競争力世界1位、金融、IT、都市総合力、国際学力、などすべて世界トップクラス。
パスポートランキングは日本に次いで世界2位。
そして現在、コロナウイルス感染からの安全度が世界1位。

リーダーが優秀であれば国を成功に導けるのが独裁政権、という最たる例。
逆に国民が愚かだと滅んでいくのが民主主義。

ただし、これだけ開放的なシンガポールでも、報道規制があったり、現在の首相がリー・クアンユーの息子というところなどは、やはり自由と民意を犠牲にした成功。

同じく世襲制独裁を突っ走る北朝鮮も、やり方次第では豊かな国になれるのかもしれない。
北朝鮮が失敗国家となったのは世襲制独裁だからではない、本質的な問題は別のところにある気がする。

店にある商品の大半は輸入品と思われる。
車はやはり日本車が圧倒的に多い。
高層ビルで使われている鉄、コンクリート、ガラスなどの素材もすべて輸入物だろう。
国土も埋め立てによって拡大させてきた。
50年前のシンガポールと比べたら、今のシンガポールは質量が何割か増えているに違いない。

これがかの有名な、なんとかっていうビル。

これがかの有名な、マーなんとか。

無機質で生活感がなく、歴史も感じさせない、観光客に「見せる」街づくりに必死な感じが否めない。

整然とした街並み、きれいな道路。
家もビルも、ほとんどの建物が新しい。

例のごとく、経済水準が上がるとピタリとクラクションが鳴らなくなる。
クラクションというのは面白いほど、経済水準のバロメーターとなっている。

そして、荷物満載の自転車でこの小ぎれいな近代都市を走っていても、誰も僕のことを見ないし、話しかけてこない。
いや別に見てほしいとも見てほしくないとも思わないが、経済水準が上がるとよそ者に対する注目度が下がる、という法則もある。

人口密度はモナコに次ぐ世界2位だが、これはミニ国家だから上位にランクしているのであって、他の国の都市の息のつまるような過密さは感じない。
東京23区の人口が964万人、シンガポールの人口が570万人。
23区には近郊に住む人たちが大量に働きに来ているから、体感としての人口密度はシンガポールは23区の半分以下じゃないだろうか。

インド系も多く、それなりの存在感を放っている。
罰金国家シンガポールで、ツバ吐き民族インド人がどうやって生きていけるのだろうかと思ったが、ここにいるインド人はここで生まれ育って教育を受けているから大丈夫なのか。
インドで生まれ育ったインド人がいきなりここに来たら大変なことになると思う。

物価がとても高いので、長居はできない。
軽く街歩きだけして、すみやかに立ち去る。

複合民族国際都市だが、メインの食文化は中華。
香港や台湾と同様、中国本土とは隔絶されていても同じ漢族、メシは手放しで称賛するほどうまい。
庶民的なフードコートならそこまで高くもない。

シンガポールのチェンドル。

アイスカチャン。

自販機がもろ日本。

日本占領時期死難人民記念碑。

第二次大戦中に日本の侵略によって犠牲になった人々の慰霊碑が、街のど真ん中にそびえ立っている。

ヒトラーのパリ陥落に便乗して、日本軍はフランス植民地ベトナムから東南アジアを怒涛の勢いで南下した。
しかし、チョークポイントであるマレー半島先端部は、かのイギリス領。
難攻不落と言われたシンガポールだったが、勢いに乗った日本軍によってあっさり攻め落とされた。
イギリス首相チャーチルは後に、このシンガポールの戦いは「イギリス軍の史上最悪の惨事であり最大の降伏」と語っている。

日本の侵略は、イギリスを撃沈したことでむしろ人々から歓迎されたようだ。
リー・クアンユーの開発独裁でも日本を手本にした部分があり、日本文化や日本語の浸透度も高い。
今も、シンガポールは親日国だと言える。

とはいえ、犠牲者が出なかったわけがない。
この慰霊碑は、両国軍の兵士のためではなく、ここに住んでいた華僑の犠牲者たちのためのもの。

人間、被害意識はいつまでも持ち続けるが、加害意識はあっさり忘れてしまうものらしい。

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