身近で気楽なはずの東南アジアで思いのほか悪戦苦闘、ベトナム
フェリーで川を渡っている時、突然若い青年から日本語で話しかけられたのでびっくりした。
3年前から日本語を勉強しているそうだ。
ちゃんと敬語も使いこなしている。
「日本語上手ですね」と言うと、「いえいえ、まだまだです」と謙遜する。
謙遜するのって、東洋人特有だろうか。
他の地域では、人をほめてもこういう反応ってなかった。
それとも、日本語をマスターすると中身も日本人になるのだろうか。
英語が堪能な人は、英語をしゃべっている時は中身も欧米人みたいになるものだ。
家に招かれ、ごちそうになった。
「どうぞ遠慮なく召し上がりください」
だなんて、日本人でもなかなかこんな丁寧な言い方しない。
バンカン。
これはウマイ!
麺も、この場でつくってくれた手打ち。
「遠慮なく」と言われたので、たくさんおかわりしてしまった。
東南アジアは、ライスヌードル(米粉でつくられた麺)の文化圏。
ベトナム料理の代表、フォー。
独特の歯ごたえの米粉麺。
スープはあっさり薄味。
もち米でバナナを包んで焼いたもの。
ドラゴンフルーツ。
ドギツイ色をしているが、味はあっさりしている。
白バージョンもある。
カエル。
独特の弾力。
なるほど、瞬発力あるあのジャンプを可能にしているのは、牛豚鶏にはないこの弾力ある引き締まった筋肉なのだな。
ホットドッグ。
ベトナム語。
中国の支配下にあった歴史から漢字文化圏であったが、フランス植民地時代にラテン文字ベースに変えられた。
発音は非常に難しい。
たとえば「マー」という語に、中国語なら4つの声調、タイ語は5つの声調、ベトナム語は6つの声調がある。
声調を間違えると意味がまったく違ってくるらしく、ガイドブックに載っている会話例をそのまま読み上げてもまず通じない。
走行中、バイクに乗ったオバちゃんふたりに呼び止められた。
ベトナム語でペラペラとしゃべり続けるのでわかりにくかったが、どうやらこの先の店でお茶でも飲みましょうと言っているようだったので、ついて行った。
ふたりのうちひとりは不自然に甲高い声で、もうひとりは不自然に低い声。
この時からなんだか違和感はあった。
さびれた小さな売店に着くと、ふたりはヘルメットとマスクをはずした。
・・・はい、男でした。
それも、ふたりともけっこう年がいってらっしゃる。
オッサンでした。
甲高い方が、「レッドブル3つ!」と注文した。
レッドブル3つ!?
何そのチョイス?
この時から、かすかな危険を感じてはいた。
ふたりは相変わらず僕にベトナム語でペラペラと話しかけ続け、コミュニケーションがまったく成立していないのに僕がここで時間をつぶす理由は何だろう、と思っていた矢先、かれらはジェスチャーを交えて自分たちの意志を伝えてきた。
「この店の部屋で私たちと一緒に寝ましょう」
そして、アゼルバイジャンでの強姦未遂事件の時と同様、かれらが使った唯一の英語が、
「アイラブユー♡」
ふふふ・・・
さて、どうやって逃げようかな。
逃げるにしても、こいつらはバイクだ。
怒らせて追いかけてきたりしたら、僕が痛い目にあうだけだ。
できる限り刺激しないよう、ソフトに、かつさり気なく、「NO」と言って立ち去ろうとした。
すると、ふたりのおっさんの笑顔が一瞬にして真顔に豹変した。
こえ~よ~。
僕がその場を濁すために思いついたのは、レッドブル3人分を払ってやることだけだった。
これで見逃してちょうだい。
素早く自転車に乗って逃走。
途中、何度も後ろを振り返って、追ってきやしないか、また後ろからバイクでド突かれるんじゃないかと、気が気じゃなかった。
環境はきわめて劣悪。
クラクション地獄、砂塵、ヘドロ、悪臭。
誰もが自分優先に小競り合う。
物理的に強い大型車が傍若無人に幅を利かせ、歩行者や自転車なんぞに対しては虫ケラほどにも気にかけない。
クラクション社会では無意味にやみくもに鳴らすだけの者が多いが、 ここでは「どかなきゃホントに轢き殺すよ?」という脅しとして使われ、鳴らしながらスピードを落とさずそのまま突っ込んでくる。
アフリカンスタイル。
荒れた路面で、スピードを上げて追い越しをかけたりすれば砂埃が巻き上がるのだが、車内にいるドライバーには痛くも痒くもないのだろう。
砂埃がすごいので、店の前でホースで水をまく人がいる。
通行人に水をかけてしまったりしても、謝るそぶりもない。
水をまきすぎて水たまりができるほどビチャビチャになった路面を、トラックやバスがスピードを落とさず突っ込んできて、通行人に泥水をぶっかける。
クラクションを鳴らし続けないと死んでしまう病?
気を休めるため、ややランク高めの宿に泊まってみても、この醜悪なノイズは室内にまで容赦なく入り込んでくる。
日々、自分の身体までもがノイズで汚染されていくようで吐きそう。
ランク高めにもかかわらず、従業員たちも無神経な野人みたいなのばかりで、イライラ感に追い打ちをかけてくる。
さらに、停電。
ため息ついてばかり。
もしこんなところに住んだら、心の病気になるか、でなければ犯罪者になるか。
耐えかねて、田園のローカルロードに逃げ込む。
安堵のひととき。
日本と同じく定住農村社会の閉鎖性の上に社会主義の閉鎖性が相まって、人々も閉鎖的、排他的、非社交的。
走行中も滞在中の街でも、どこでも大注目され、一挙手一投足を監視され、不審感いっぱいの目で警戒され、ある時は侮辱され、またある時は指をさされて笑われ、なにかと難儀する。
旅行中におけるこういった疎外感は決してめずらしくはないのだが、なんだかもう長居したくない、早く出国したい気分。
でもその後、屋台で食べたフォーがすごくウマかったので、「おいしかった! ありがとう!」とちょっとしつこいぐらいお礼を言ったら、クソ無愛想だった屋台のオバちゃんが、最後に一瞬、笑顔を見せてくれた。
僕はその笑顔を見て、何かを攻略した気分になった。
その後、靴屋に行って靴を買ったのだが、店員のお姉さんがとても親切にしてくれて、最後に照れ笑いをしながら英語で「サンキュー」と言ってくれた。
たったこれだけのことで、僕はもう心安らかになっていた。
こんなもんなのかもしれない。
不快な体験を、無理してポジティブに解釈して、何かを学んだ気になる必要なんてない。
世界のどこへ行ったって、イヤなことはつきまとうし、必ずいいこともある。
悪戦苦闘しながら、イヤなこともいいことも、ありのままに受け止めればいい。
こうやって言葉にしてしまうとごくありきたりの結論のようだが、僕は巡って巡って、この考えに落ち着いた。
と、もの思いにふけっていたら、宿の屋上から見えたベトナムのさえない街の風景と、店から聞こえてくる騒ぎ声が、妙に愛おしく思えてきた。
この風景も、今まで見てきた情景もすべて、一回きりなんだよな。
・・・しっかしクラクションうるっせーな、とボヤきながら。
とある小さな田舎街で、嵐のため足止め、連泊。
宿の人たちの食事にご一緒させてもらった。
停電のため、扇風機も回せない。
蒸し暑い中、皆で汗かきながら楽しくいただく。
カメラを向けるたびに、恥ずかしがってクスクス笑う。
言葉はわかりあえなくても、楽しい気分は分かちあえる。
行儀作法もきわめて奔放、食事中にスマホをいじったりフラフラと立ち歩いたり、食べ終えた者は何も言わずにいつの間にかいなくなっていたり。
気づくと僕ひとりで食べ続けていた。
ご飯何杯おかわりしただろうか、満腹。
おいしかった、ごちそうさまです。
日本人にとって身近で気楽なはずの東南アジアだが、思いのほか難易度が高くて打ちのめされる。
それでも不意に、家族のようにもてなしてくれる人がいたりする。
しんどいことが続いても、こういう人たちの厚意を忘れなければそれでいい。
ゆりかごから墓場まで。
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