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スカーレットと咲久子
いまさらながら『風と共に去りぬ』を見たりして、スカーレット・オハラのいきあたりばったりな、しかしいつのまにか道を切り開いていく様子などを見ていて、記憶の片隅にあったマンガの人物の面影が脳裏を横切る。ああ、これは市川ジュン『陽の末裔』(1987-1989)の南部咲久子なのだと、いまさらながら思いいたる。
大正中期、没落した南部家の令嬢咲久子は唯一無二の親友石上卯乃と一緒に、いつか南部家の土地を買い
雨の朝に(中国の作文から)
しとしとと雨は降りけり。
旅番組の映し出す、いつか歩いたタイの街路の景色もまたうるわしく感じられる。
中国の学生さんから課題の作文がつぎつぎと届き、2ヶ月の閉鎖という経験をどんなふうに生き抜いたかということが、レトリックの少ない文体から(詩的ではある)伝わってきて、胸が打たれるような気分になり、書き手の許可をとって文法などを少し修正し、ちょっとずつ紹介しようかと思う。
今朝は、尚瑋さんという学
ひとりっきりにならないために(土曜日の午後に思うこと)
一応の専門が歴史学ということもあって、最近のウイルスをめぐる世の中を動きを見ていて、はっと気づかされることが多い。歴史学的デジャヴというか、日本がどのようにして敗戦にいたったのか、軍事とか政治とかそういったレベル以上に、どんなメンタリティが日常にただよっていたのか、おぼろげながら見えてきた気がする。
たいへんな事態に遭遇したときに人がおこなう判断は、おおまかにいって楽観的か悲観的かにわかれる。