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雨の朝に(中国の作文から)

しとしとと雨は降りけり。
旅番組の映し出す、いつか歩いたタイの街路の景色もまたうるわしく感じられる。

中国の学生さんから課題の作文がつぎつぎと届き、2ヶ月の閉鎖という経験をどんなふうに生き抜いたかということが、レトリックの少ない文体から(詩的ではある)伝わってきて、胸が打たれるような気分になり、書き手の許可をとって文法などを少し修正し、ちょっとずつ紹介しようかと思う。

今朝は、尚瑋さんという学生さんの作文。孤独と、そのなかで感じるひとそれ自体の優しさについて。

 はじめての「孤独な旅」 

 2020年1月、感染病が全国に蔓延していた。これは私の記憶のなかで最もひどい伝染病の災難だと思った。にぎやかなはずの春節は、この災難で本来の色を失ってしまった。夜であろうと、昼であろうと、都市は一面の霧に包まれているようで、すべてが死んでいるようだった。時間が止まったようだった。
  二月になっても、状況はまだ好転していなかった。家の食べ物はすぐに食べ終わり、スーパーに行って新鮮な食材を買うしかなかった。その日初めて出かけたので、私はとても緊張していた。マスクをして帽子もかぶっていたが、慎重だった。 
 エレベーターでは消毒水が濃くて、街には誰もいなかった。ゆっくりと歩道を歩いていると、急に悲しい気持ちになった。前回の外出を思い出すと、やはり今と違った。道端で犬の散歩したり、ベビーカーを押して散歩したりする人がたくさんいたが、みんな信号機のそばで整然と待っていた。なぜ今は私だけが残ったのかという気持ちになった。 
 スーパーに着いたら、入り口のスタッフが防護服を着てお客さんの体温を測っていた。人が少ないスーパーは静かだが、食品は十分に棚に置いてあった。生ける屍のようにあてもなく歩き回り、買うべき食材を探していた。棚のそばに行くと、スタッフが食材を包んでくれて、次の食品コーナーに案内してくれた。彼女の責任と真面目さに感動した。私はそんなに孤独ではないと思った。 
 買い物を終えて受付に行こうとしているとき、彼女も私を見ていたということに驚いた。彼女は私に向って手を振っていて、彼女のマスクを通してその笑顔を見たようで、私の心暖かくなった。「さようなら」彼女に言った。 
 家に帰る途中、来た時の気持ちとは違った。都市はまだひっそりとしていたが、私の心は孤独ではなかった。この町はきっとよくなると私は信じている。心が暖かいから、みんな一緒に頑張っている。

大学3年生のかの女の目に映る人のいなくなった都市の風景が思い浮かび、それから、そこに生きる人が見えたように感じる。

雨は降り続き、修学院はしずかに水に身を伏せるのである。

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