Yuhei Yambe

厦門と京都。ほとんど何のつながりもないような福建省の海沿いの町と比叡山の麓を行ったり来…

Yuhei Yambe

厦門と京都。ほとんど何のつながりもないような福建省の海沿いの町と比叡山の麓を行ったり来たりする生活をしばらく続け、ついに旅に出ることもできないまま京都居残りライフに。大学というしごとがら、文学と女性史などとのかかわりが深く、日常的には書くことと料理をすることがすき。

最近の記事

中国福州隔離日記【DAY6】夜

廊下が騒がしくなってきて、インカムからの声がけたたましいので、空港バスが着くのだろう。 23時。きょうはずいぶん遅くの到着。 窓の下を見ると白い防護服がふたり雑談をしている。バス待ち中か。 きょうの朝ははじめて体温さんが挨拶をしてくれた。はじめての男の子ふたり組で、「謝謝」といって去っていった。熱は36度5分。 何もしていないのに平熱が京都にいるときより高いかも、と思い、朝ごはんを食べ終わり、食事がいいのかも、と感じる。 7時40分に届いた朝食は、椎茸と肉片が入ったわ

    • 中国福州隔離日記【DAY5】夜

      きょうは日曜日。だからといって特にかわったこともない。 窓の外はきょうも曇り。この地方の秋は毎日が曇り空なんだろうかと思い、よくよく見てみると、窓に黒いスモークフィルムが貼ってある。窓の隙間からカメラを出して空を見ると、真っ青ではないけれど雲の隙間青い空が見えた。そんな朝。 朝食は7時40分に、体温測定は8時20分頃にくる。 体温さんがめずらしく言葉を発した。「サンスーリョウ」まできこえたのでもう1回聞き直すと、「サンスー・リョウ・ディエン・リョウ」みたいにいって、体温

      • 中国福州隔離日記【DAY4】午後と夜

        お昼ごはんは11時に、ピンポンダッシュとともに。結局配る人の趣向でその都度ノックの扱いはかわるみたい。 山川菊栄は節約を呼びかける政府の「肉なしデー」を反語的に批判して肉を食べられない階層にはいっそお肉券はどうかと(ちょっと初期コロナ対策の冗談とごっちゃになっているか)いったかいわないか、きょうはウルトラ肉ありデーのようで、お昼ですでにまいる。 見た目はいつもとかわらず献立は、ケミカルズッキーニとトマトの油煮、マナガツオの干物照り焼き(まずい)、中華風シュニッツェルオンラ

        • 中国福州隔離日記【DAY4】午前

          『1984』なのかあるいはマルケスのマジックリアリズムなのか、と考えていたが、どうも後者に近い気がする。 朝7時半、検診のチャイムで起床。やることはわかっているので挨拶もなくただ額をだすだけ。監獄的のぞき窓があれば手だけだせば、それで終わりなのだけど。 7時40分、朝食届く。 かぼちゃ粥、ゆで卵、Qちゃん、油っぽいちまき、牛乳。まあ、朝はいいね。 食べながら、昨夜書いたのはほんとうなのだろうか、と思い、通行手形に関する情報を集め始める。というのも、通行手形について聞いた

        中国福州隔離日記【DAY6】夜

          中国福州隔離日記【DAY3】深夜

          いまは集中医学観察期間というもののまっただなかにいる。これは、理解できるようで普通の感覚では理解しがたい。 たとえば、外に出れないので自分の状況について質問したり、まわりを観察したりする機会がない。中国語ができれば、一応ホテルのフロントにはつながるので質問をすることはできるだろう。 とはいえ、質問してどうするんだ、という気もする。 たとえば、このビルが全部で何階あって、どのフロアが隔離に使われているのか、一棟すべてなのか、防護服で動いているのはホテルのスタッフなのか、大

          中国福州隔離日記【DAY3】深夜

          中国福州隔離日記【DAY3】午後と夜

          きょうはしごとをわきに置きながら書いている。外に出るということも料理をつくるということもないと、なんにも変化がないのでしごともなかなかすすまない。 お昼は11時に、夕食は17時頃きた。大きな変化は夕方以外盛大なノックがなかったので、クレームでも入ったのかもしれない。あるいは、みんなお弁当の時間を把握したから不要なのかも。 滞在地点を高徳地図で確認してみる。 福州のダウンタウンから北東22キロくらいのところにある住宅地で、貴安という土地らしい。 ホテルを外から見ることはか

          中国福州隔離日記【DAY3】午後と夜

          中国福州隔離日記【DAY3】朝

          5紅茶 8コーヒー 9茶 6タオル 6ボックスティッシュ 2チキンラーメン 10西尾のごはん 9フリーズドライ味噌汁 8梅干し 26水ペットボトル これは生活メモである。とりあえず漂流小説のお約束ということで最初に装備を確認し、なにができるか、どう切り詰めるか考えるという… 今朝はガサ入れノックがなかった。 朝食遅いなとおもい、8時半、、玄関みてみるとすでに置いてある。 緑豆がゆ、茹で卵、キュウリのQちゃん系つけもの、茹でピーナッツ、クルミ牛乳、野菜入った中華パン。 朝

          中国福州隔離日記【DAY3】朝

          中国福州隔離日記【DAY2】午後と夜

          ごはんに揚げものをのせないでください、という例文が必要だと思った。そんな食事がつづく。 とはいえ、広東省創業1865年をうたうなんとか春園グループのお弁当は、すでに揚げものをのせた状態でパックされているので、どうしようもないのだけど。 きょうで一日の生活のペースはだいたい理解できた。 いまいる場所も。お風呂にはそこそこ熱い湯がジェット水流でたまりはじめているのだが、それと同じようには今夜は言葉はわいてこない。停滞している。 それもそうだ。 部屋から一歩もでていないのだから

          中国福州隔離日記【DAY2】午後と夜

          中国福州隔離日記【DAY2】午前

          朝8時に健康測定にくると赤い説明書きには書いてあった。赤紙に黒字は読みにくいがおかまいなし。 実際には7時半のピンポン連打があり、ドアを開けるとだれもおらずおかゆのようなタッパーと、茹で卵、中華パンなどがある。朝から元気ね、と部屋に朝食を取り込むと、3分後、またピンポン連打がある。なにかいなとドアを開けるとまた朝食が。 少し考える。 そして思い出す。この社会においては、速度がだいじなのでたぶん配るスタッフが担当エリアをざっくりとしか決めていないのだ。 つぎつぎに思い出

          中国福州隔離日記【DAY2】午前

          中国福州隔離日記【DAY1】

          名も知らぬまちの、名も知らぬ宿にいる。 フレンチウィンドウでないのがおしいものの、一面ガラス張りの豪奢なツインルーム。 一年前に中国についたばかりのころにダウンロードした地図アプリをつかえば、どんな町のどんな宿にいるか、すぐにわかるだろう。 でもまあ今夜はわからないままでもいい。どっちにしても、2週間はでられないのだから。 気乗りする旅ではないと、今朝、日暮里駅で23キロぎりぎりまでつめたスーツケースを押しながら、いまさらのように思う。ただ眼前には予測不能なできごととお仕

          中国福州隔離日記【DAY1】

          凛とした

          長雨が続いたあとの森に分け入っていく。歩きなれた左京区の小高い山とも小さな森ともいえる木々の間を歩く。木漏れ日はきもちよく蒸気がしゅわしゅわと空に昇っていく様子をながめる。 ごつごつとしたメロンパンのようなキクバナイグチが斜面から顔を出し、テングタケが景気よく傘を広げる。アリの巣になってしまったヤマドリタケモドキ、名も知れぬ紫のイグチ、やはり大きなパンみたいなニセアシベニイグチ。 それだけ名前がついて分類されているということに素朴に驚きつつ、それ以上に、ただ雨がふるだけで

          凛とした

          スカーレットと咲久子

          いまさらながら『風と共に去りぬ』を見たりして、スカーレット・オハラのいきあたりばったりな、しかしいつのまにか道を切り開いていく様子などを見ていて、記憶の片隅にあったマンガの人物の面影が脳裏を横切る。ああ、これは市川ジュン『陽の末裔』(1987-1989)の南部咲久子なのだと、いまさらながら思いいたる。 大正中期、没落した南部家の令嬢咲久子は唯一無二の親友石上卯乃と一緒に、いつか南部家の土地を買い戻してやるという野望をいだいて東京の紡績工場にほとんど身売り同然で働きに出る。美

          スカーレットと咲久子

          雨の朝に(中国の作文から)

          しとしとと雨は降りけり。 旅番組の映し出す、いつか歩いたタイの街路の景色もまたうるわしく感じられる。 中国の学生さんから課題の作文がつぎつぎと届き、2ヶ月の閉鎖という経験をどんなふうに生き抜いたかということが、レトリックの少ない文体から(詩的ではある)伝わってきて、胸が打たれるような気分になり、書き手の許可をとって文法などを少し修正し、ちょっとずつ紹介しようかと思う。 今朝は、尚瑋さんという学生さんの作文。孤独と、そのなかで感じるひとそれ自体の優しさについて。  はじめ

          雨の朝に(中国の作文から)

          ループする

          冬に入りはじめの12月の厦門を離れて、いつのまにか4ヶ月。あっというまに半年すぎてしまうだろう。 冷蔵庫のなかには、冷凍粽と特売餃子などがあり、みんな電気代が切れた時点で冷蔵庫が止まり、カオスな状態になっているにちがいない(大学寮の部屋のなかに冷蔵庫はあり、その冷蔵庫を動かす電気代は、大学の食堂前の黒いボックスで課金しないといけないという複雑な入れ子構造)。 記憶や感覚を冷凍したり解凍したり、じぶんの意思でできればいいのに、と思う。実際には、意思と離れたところで急速冷凍さ

          ループする

          リガの夢

          いっこ700円もするという高級チョコレートを同居人がもらってきて、軽く口にふくんだ瞬間、どこか遠くの町の記憶がふいに浮かび上がったように感じた。 記憶の道をたどる。 巨大な卸売市場のようなバスターミナル、やっぱり倉庫群みたいな青果市場、とその外側でカゴいっぱいの苺を売る、まるまるとしたおばあさん、苺を巨大なブリキのちりとりのようなもので無造作にざくざくすくい、レジ袋にどさどさと入れてくれる。3分の1はジャムになりかけている。つまむと指先が甘い匂いにつつまれる。 ああ、こ

          リガの夢

          ひとりっきりにならないために(土曜日の午後に思うこと)

          一応の専門が歴史学ということもあって、最近のウイルスをめぐる世の中を動きを見ていて、はっと気づかされることが多い。歴史学的デジャヴというか、日本がどのようにして敗戦にいたったのか、軍事とか政治とかそういったレベル以上に、どんなメンタリティが日常にただよっていたのか、おぼろげながら見えてきた気がする。 たいへんな事態に遭遇したときに人がおこなう判断は、おおまかにいって楽観的か悲観的かにわかれる。 極端な楽観は、生活や日常や「文化」を語る言説のなかに、事態が悪化しない要素をつ

          ひとりっきりにならないために(土曜日の午後に思うこと)