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中国福州隔離日記【DAY1】

名も知らぬまちの、名も知らぬ宿にいる。

フレンチウィンドウでないのがおしいものの、一面ガラス張りの豪奢なツインルーム。
一年前に中国についたばかりのころにダウンロードした地図アプリをつかえば、どんな町のどんな宿にいるか、すぐにわかるだろう。
でもまあ今夜はわからないままでもいい。どっちにしても、2週間はでられないのだから。

気乗りする旅ではないと、今朝、日暮里駅で23キロぎりぎりまでつめたスーツケースを押しながら、いまさらのように思う。ただ眼前には予測不能なできごととお仕着せの食事だけがあり、ソフト軟禁ツアーにでかけるのである。

海外旅行にいくとき、重たい荷物を押すことがさほど苦ではないのは、少なくとも飛行機を降りたら自由が、街路が、食事が待っているからなのだと、時間を巻き戻しつつ考えたりしていたら、京成スカイライナーも間引き運転、がらがらの京成特急で、やはりシャッター街のような成田空港にすべりこむ。

人がいない空港。しかし深夜ではない。
そういえば、最終便でギリシャのアテネ空港に降り立ったときも、こんながらがらだったと思い出す。その晩は、ほとんど人のいない空港の出発カウンターの前で航空会社の毛布をひろげて眠ったのだった。
翌朝、太陽もでていないなか動き出した路線バスにのってピレウスをめざす。灯りもない、それでもかわいた海のそばの土地をバスは疾走して縦横無尽に曲がってくねって、やがて真っ暗な夜明けの港町につく。

そのときにくらべたら、心躍るということを知らないまま、成田空港をさまよう。成田の電光掲示板、壊れたのではと感じるくらい短いリストだった。福州行きは、16時。

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チェックインの長い行列を抜け(途中で係員のひとがウィーチャットのミニアプリをダウンロードして健康状態を入力してQRコードを取得するのが福建省にむかうひとの義務なのだとおもに中国語で教えてくれる。入力した、がスクリーンショットを忘れ、あとで電波がなくなった機内でうろたえることになる)、いまから中国にむかうのに、香味ネギラーメンなどを食べた。味の素がおいしい。

飛行機の中では『特捜部Q』を一気読みする。同じ登場人物、同じようなテーマ設定でも、だんだん書き手はあきるんだろうなと感じる、粗いプロットだった。

機内では中国語しかきこえない。隣に座った人がゆいいつの日本のひとのようで、少し、どんなところに滞在するんでしょうねえ、と世間話などする。アメニティなどはあまり期待できず、スタンダードな中華弁当が出続けるというような情報を教えてもらった。

このあたりで長い一日になる予感が十分すぎるほどしている。記述までその長い一日を辿る必要はないので、プロットのみで省略しよう。
福州空港着18時18分。飛行機後方の席だったので、降りていいという許可がでるまで40分くらい。空港直結の通路ではなくタラップから地面に降りて、外から防護服の人々にむかって歩く。そこからずっと写真禁止エリア。まずウィーチャットのアプリから健康情報スキャン、それから問診。日本の人ふたりということで一緒に翻訳ソフトでご質問。質問するひとが防護服マスクごしにでもときどきわらっていて、それはよかった。次にPCR検査。
これ、ちゃんと書くと、唾液式ではなくて鼻つっこみ式だった。テレビとかで見るたびにあれ痛くないんかな、と思っていたのだけど、じっさい体験すると、結構な苦痛だった。

耳鼻科でやさしく薬を塗ってもらうのもそれなりに苦痛だが、あの細い綿棒がやさしく感じるくらい、鼻の奥にはちゃんと脳というデリケートな領域があるんだと感じるくらい、不意を突かれて涙がでそうになるくらい、空港でのPCRはいたい。しかも両鼻である。
もういやだな、と思いつつも、また数日後にはホテルで同じ経験が待っているはず。

PCRを終えるとやっと入管。これは最後で列が短くなっていたこともあり短時間で通り抜ける。荷物ピックアップして、次はカスタムの行列。こちらは200メートルくらいあり、やっとホテルに向かうバスに割り振られる頃には飛行機を降りてから2時間ほど経過している。

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バスの窓の外は、荒野のようでも海のようでもあり、ところどころにポツンと高層マンションが建ち、ひとつふたつだけ灯りがともる。不思議だなと思ってみていたら、日本のひとが資産として購入するが住まないのだろうと教えてくれた。

ゴーストタウンのなかをいく。そう思うと妙に朝から感じ続けていた気だるさが腑に落ちてきた。
わたし、がたどってきたのは、廃墟の道だったのだ。かつて、資本制の世界に生きるひとびとが、空気のように呼吸していた、思ったときに、思うままに、どこにでも行ける自由が、一瞬のうちに凍結して、そのシステムの残骸だけがゴーストのように残っている。

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それでも、窓の外をながれていく、人も住まないマンションだとか、暗闇にうかんだガソリンスタンドだとかを見ていたら、妙に気持ちが落ち着いてきた。夜はほんとうに流体のようだ。一瞬の孤独であること、行き先もまったくわからないバスで駆け抜けること(まあどこかのホテルにつくんですけどね)、不安であることよりも、生がむきだしの生そのものであるようなさみしさは、ずいぶん忘れていたけれど、やっぱりここちよいものだ。

ピレウスの、まだ明けていない夜の中を疾走する、路線バスの窓から見ていた景色を、また福州で見る。過ぎた数年の時間も、こんなふうにまた窓の外のゴーストたちのように、ふいに戻ってくるのだろう。
カビキラーの原液のようなものをしこたまかけられ、びしょびしょになった、あわれなスーツケースをひいて裏口からホテルのエレベーターになんとか乗り込んだとき、時計は10時半をまわっている。

夕ご飯は、コーラと洋梨、トマトと卵炒め、どこたべるんだスペアリブ(福州名物)、苦い菜の炒めもの、大量のごはん、味のない白身フライ、というもの。2週間もこれだと体重が10キロはふえるだろう。
明日は朝8時と14時に医学スタッフが訪問して、医療質問体温測定等、とのこと。

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食事の時間も、ホテルの所在地も、なにもかもわからないまま、きょうは眠るのである。

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