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ひとりっきりにならないために(土曜日の午後に思うこと)

一応の専門が歴史学ということもあって、最近のウイルスをめぐる世の中を動きを見ていて、はっと気づかされることが多い。歴史学的デジャヴというか、日本がどのようにして敗戦にいたったのか、軍事とか政治とかそういったレベル以上に、どんなメンタリティが日常にただよっていたのか、おぼろげながら見えてきた気がする。


たいへんな事態に遭遇したときに人がおこなう判断は、おおまかにいって楽観的か悲観的かにわかれる。


極端な楽観は、生活や日常や「文化」を語る言説のなかに、事態が悪化しない要素をつぎつぎに発見する。つまり、カミカゼメンタリティとでもいうべき、なんとかなるさ感。およそマジョリティであるところの「日本人」の判断にはこちらが強い気がする(マイノリティは日常が危機であることが多いので、そこまで脳天気にはいけない)。


悲観的なほうは徹底してつきつめれば、あした死ぬかもしれん、ということで、生活の中に不安の要素を、未来の絶望を見いだす。こちらは徹底しすぎると生きていくこと自体がしんどく感じられる。


多くの人は楽観悲観どちらかにぶれたりしつつも往々にしてバランスをとって、日々を生きているわけだ。


それでまあ昨日まで必死になって原稿を書いていた新型コロナの話だが、ウイルスが話題にのぼるようになって、4月のいままでの経過をみると、どんどん疫病という天災から、政府の場当たり的な対応による人災の側面が強くなりつつあると感じる。


そもそも未知のウイルスなのだからある程度の正確な情報が伝わるまで、対応ができないのはいたしかたない。


しかし、である。湖北省で必死になって病院を建設しているニュースが流れたのはいつのことだろうか。あれは、1月末のことだった。いま、日々、残存病床数が減っていく現状をみていて、政治の無策にあきれるを通り越して、叫び出したいような気分にすらなる。


まず、その1月の時点で、危機感を持たなかったのは、情報がたりないということもあるけれど、基本的には中国への差別があったのだろう、と最近思う。情報統制や隠蔽、野生動物を食べる「野蛮さ」、そこに未知の疫病が発生、と超オリエンタリズム的視線が、湖北省で起こっている事態を正確に判断する知性をすくなくとも一般庶民からは遠ざけたのだと思う(政権レベルでもそうだったのかも)。


しかし、イタリアで急速に広がったとき(欧州もまたオリエンタリズムというフィルターが判断を遅らせた気がする)、テレビしか見ないで過ごすひまな人はともかく、ある程度情報が集まる政権中枢であれば、ウイルスの感染が一気に広がる⇨それぞれの症状は深刻でないものが多いがとにかく数が多すぎる⇨病院のベッドが埋まる⇨重症者に対応できない⇨死、という今回の事態の基本的なフレームは見えたはずである。

それなのに、どうして、いまだベッドがこんなにも少ないのか。自粛要請を出したのなら(それで事態が収まらないのはほとんど明らかだったのに)、同時にベッドの用意をすすめなかったのか。


そういえば、広島で被爆した作家の大田洋子もこんなこと書いていた。


 東大の研究班が9月2日にもなってから広島へ初めて来たのを、私は遅いと思った。なぜ8月6日の明くる日にとんで来なかったのだろう。そして研究滞在日を4、5日や1,2週間の短さですませないで、20日でも30日でも見ていてもらえなかったのだろう。心理学者も来なければならなかったのだ。立派な僧侶も来てくれなくてはならなかったし、普通の町医者も、広島県以外からたくさん動員された方が賢明であった。また良心的でかしこい食糧商人もぞくぞくと来ればよかったのである。
 これだけのことが出来ないことが日本的とも云える。日本人は敏捷でないのである。血のめぐりが悪く情熱もなかった。
 日本の物質的な貧しさはいたし方ないと思うが、ひとつの都会の人口のほとんど半分以上が、一日に死んだかと思われるほどの出来事に対し、またそれが戦争によるものだということに対して当局の頭脳はあまりに貧しすぎた。どちらを向いてもなんの救いもない死の雰囲気のなかで、なおあの日の戦災者たちは、だまりこくって愚痴も不平も云わなかった。

(出典)大田洋子「屍の街」『大田洋子集 第1巻 屍の街』、三一書房、1982年、p131。


ここでは「日本人」と「当局」がごっちゃになっていて、日本人の気質うんぬんの話はさておき、この大田の叫びとも絶望ともいえる静かな怒りは、圧倒的な不安や危機のまえで、人がなにを求めるかということが端的に表現されていると思う。


つまり、事態の情報を正確に分析して提示すること、話をきいてくれるカウンセラーと医療、食料と、あとちゃんと死を悼めること。要するに不安な心を落ち着かせるためには、そういったものを迅速に用意すればよく、政府の役割は、まずそこにある。


結局、この大田の悲痛な叫びは、しかしまったく日本政府に対しても、原爆を体験しなかった「日本人」にも届かなくて、被爆者見殺しの政治と人びとの無関心の中、大田は晩年

 林芙美子ができれば地球から逃げたいと、気どったことを云っておいて間もなく急死したあと、水爆実験があって、東京に死の灰と云われるものがふって来た。(ざまを見ろ)と私は思った。死の灰にまみれて、ぞくぞくと死んで見るとよい。そうすれば人間の魂が現代の不安にたいして、どうならなければならぬかいくらか納得でき、心はゆさぶられるかも知れぬ。私はそう思っておいて、旅に出ることを考えた。

(出典)大田洋子「半放浪」『大田洋子集 第3巻 夕凪の街と人と』、三一書房、1982年、296頁。

とか書いて、栗原貞子に「義憤のような怒りと傷みを感じる」とか同情されたりもしているんだが、それはまた話がどんどんずれているので、本筋に戻すと…


非歴史的にひびくことをおそれずに書くと、危機の事態において政権の判断には一切の希望なんてもてない。そう思う。


判断が遅いのはいまにはじまったことではなく、近代以降、危機の事態において、政権が真っ先に優先したのは、国体とか、天皇とか、保身とかそういうことなわけで、その遅い判断のなかで荒波に翻弄されるように人はばたばたと死んでいきそれでも大田の書くように多くの人は「だまりこくって愚痴も不平も云わな」いのだ。その状況を下支えしているのが、カミカゼメンタリティなのだといま強く感じる。


そろそろ息切れしてきたので、ここからはいっそう荒っぽい議論になるが、カミカゼメンタリティの根底にあるのは、根拠なき楽観主義であり、日本(人)ってやっぱり特別だよね、みたいなうすらさむい余裕であり、科学的判断や論理的な説明の軽視である(昨日テレビを見ていたら「30万円という額はどうして決まったのか」というレポーターの質問に「さまざまな人のさまざまな意見をきいて判断しました」とか答えてて、こりゃだめだ、説明責任も何も論理と科学の軽視はもう天文学的レベルやなと思った。どんな意見を参考にしてどんな基準で決めたか最低限答えればいいだけなのに、こんな答弁ばかりである)。


そして、ここからが現在の一気に進行中の事態になるが、このカミカゼメンタリティは、危機の事態にはものすごく弱い。なにしろ、根拠なき楽観なんだから。いまテレビで伝えられるアメリカの悲惨な状況や政治家の大仰なパフォーマンス(それでいて具体的な数字を用いた説明は圧倒的に欠けている)を通して日々広がっている動揺は、神頼みがもはや通じないという現実のエグさが露呈し始めているから。


ほんとうは大田洋子が書いたみたいに、正確な情報が伝わり、カウンセラーもいて、食料の流通も保証されていたら、少しは不安も静まるかも知れないのだけど、それを期待するのは、ざんねんながら無理だ。歴代でとくに悲惨な政権であったことも災厄だ。ほんとうに人災だ。


それじゃあイッタイドウスリャイインダアと高野悦子のように書いてみるが、いまいえることは、こんな感じにまとめられる。


・テレビのバラエティ化されたニュースでなくて、世界の他地域の統計や残存病床数など具体的なデータを見て自分で判断すること。つまり、比較的条件が似ていそうな国、地域の感染者が何人以降どれくらいのペースで増えたか、最悪の事態を一応想定してみること(ただしそうなるとはもちろんかぎらない。季節の問題や、社会的な距離感とか、変数が多すぎるから。それであっても楽観的なほうに飛びつかないのが「科学的な態度」?とでもいうべきものである)。

判断の際に参考になりそうなサイトはみんな知ってる↓である。

・地域ごとの感染状況はいまのところ数字ではかなり違いがあるので(検査数自体が極端に少ないので正確な蔓延具合はまったくわからないが)、あまり東京中心の報道にふりまわされない。関東の友だちとかにひさしぶりに電話してみてもいい。お互い不安なら少し気が休まる。

・生活の中でできる判断は1か0かではなく、つねに両方を揺れ動くものなので安易な正解を求めない。特に人類史上100年ぶりくらいの疫病という未知の経験を生きているので、固定的な正解はなく、状況の変化にあわせて、判断をどんどんかえていく必要がある。

・日常レベルでできる消毒は徹底して、自分の中での活動OK範囲を具体的に定める。その判断は、家族に重症化しやすそうな人がいるかいないかとか外に働きにでないとどうしようもないとか個々人の状況によって当然かわってくる。活動範囲の決定に当たってはなるべく、医学的な説明を参考にする。「STAY HOME」は確かにそのほうがいい。しかし、日本伝統の補給なき長期戦が続くと「STAY HOME」はそのまま玉砕になってしまうので、生き延びるために、コミュニティの文化をつぶさないためにもたすけあう必要がある。ときに外出をともなっても。

・自粛自粛言って生活が苦しい人や、家にいることのできない人を追い詰めない。これはカミカゼメンタリティの裏返しみたいなもので、身近な他者を攻撃することで、不安を鎮めようとする隣組スピリットとでもいうべきものである。

・そのかわりに判断の遅い政府への批判、ぐちはあらゆるレベルでおこなう。風刺カルチャーは攻撃が身近な他者にむくことを予防する効果もある(たぶん)。ただしマスクしかくれない政府をばかにするときには、朝鮮学校にはマスクすら届けなかった文化に生きていることを忘れないように(とくに日本のマジョリティであれば)。 

・排外主義が広がりそうになったら、個人レベルで「それちがうよ」ということ。

・自らの命がおびやかされているということを意識するのと同時に、身近なコミュニティのなかでもつねに命がおびやかされている(きた)ひとがいるということを考える。
 

ひとは自分(たち)だけがたすかろうと思わなければ、すこし強くなれる感じがする。


これは圧倒的な理想主義だし、それだけではウイルスの猛威にはなんの影響もないのだけど、同調圧力を強める意見に賛同したり、排外主義的な攻撃にのっかったりしてもやっぱり不安はまったく静まらないし(なにしろ、不安の原因はそこにないのだから)、どんどんみんな不幸せになるので、それならたすけたり、たすけられたりして、小さな安心感を広げていく方がましな気がするのだ。 


これだけ書いてみても、なんだまったく科学的でもなく、ようは気の持ちようの話だからこれもまた文系理想主義的メンタリティじゃないかともいわれそうでもあり、書きながらつくづくそう思うのだが、結局、人は文学とか音楽とか実際には役に立ちそうにもないもので楽しくなったり悲しくなったり安心したりするわけで、カミカゼメンタリティとは違った気の持ちようを提示できるだけでも、まあ文系の研究者としてはとりあえずいいんじゃないかなと自分には甘い判断をするのだった。


以上、土曜日午後の修学院からでした。 



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