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絶対的透明性を持つー共感覚アートを描く心の在り方ー

天気のせいか、気分が晴れず体調も良くないので薬を飲んで寝ているが、気がつけばもう3日も経っていた。

そういえば、3日前は晴れていた気がするな。ということはこの憂鬱は、天気のせいでもなく私の中にある「何か」が原因なのだろう。

今日は描ける気がする!と意気揚々と言った日ですら、私は筆を持てなかった。こんな憂鬱があると絵に「憂鬱」の陰りを入れてしまう。それが共感覚アートだ。人の印象より何より先に今の感情が見えているものだから、それがそこにつられて描かれてしまう。

なので非常にフラットな状態で、条件がバチンと合わさらないと描くことは難しい。と、思っているうちにどんどんと季節がすぎているわけで、どうにかこうにか下書きまで描き進めたものも仕上げの絵にするまでが時間がかかる。

スラスラと、描けるならどんなに効率がいいだろうと思う。

眠っている間の私はまるで深海にぶくぶくと沈められているようで、周りは深い群青色に染められ、空を探す。しかし夜空だと深海から空はなかなか見つけられないままで、私の心は残念ながら夜空が続いている、そんな状態だ。

海は何色だろうと、この間考える機会があった。

海は青、というのは一般的にパッと思い浮かぶものだが、本当に青いのは数時間の話で、夜になれば黒になるし、夕方には少しずつ紺色に染まり、朝日が昇るととても濃いだいだい色となる。

つまり、太陽の光に反射して海の色は変化していて、日中に青く見えるのは深海の奥底まで見えるその色だろうか。それに反射して空は青いんだったかな、前にそんな話をああでもないこうでもないと、言っている物語にハマったことがあったなぁ。

結局のところ、海は色を持たない透明なのだろうか。海に詳しい研究者に聞いたわけでも聞くつもりもないが私の感覚では透明かなぁと、思った。

私も常に透明でいないといけない。

今の私には白すら邪魔で、白には白の感情の色があるから、それがあると絵を描く時に鬱陶しい。

透明になって、受け止める。自分の感情の色を描き出すのは容易だが、人の印象の色には集中力がいる。

よく、「その人と話している間も色が見えるか」という質問を貰うが私の場合はNOだ。沢山会話を重ねた人でもそのあと思い出す場面にならないと基本的に色は出ない。ただ感情はその場その場で現れる。

人への色はその場で会話をすることに集中するため、無意識に色が発生することを抑えているのかもしれない。

これは、私が嗅覚を無意識に抑えることと似ているから、きっとそうなんだろう。

頭がぐちゃぐちゃな中でここに色んな色を書いたがこれを読む人は、読みながらカラフルな情景が浮かぶのだろうか。

そうだとちょっと、なんだか嬉しい。
早く抜け出さないといけないな。

山口葵

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