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初のKindleアート集「共感覚世界-キョウカンカクセカイ-」12/11出版

以前にこちらの記事で書いていた、Kindle本が無事出版されました。

Kindleunlimited購読の方は0円で読めますのでぜひ。

2021/12/11出版。綺麗な数字の日でなんだか嬉しい。

私にとって初めてのKindle出版です。
今回プロデュースしてくださったのは、TEAM KiNdol PROJECTさん

たくさんの方のKindle出版プロデュースを行っています。

私の共感覚アートを観てお声をかけてくださったことから、アート集が生まれることとなりました。Kindle出版をするなら文章、というイメージでいたため、驚きましたが絵と言葉を混ぜ、
より自分らしく、ありのままの本になるように、また、共感覚の世界に手に取った方が引き込まれていくように、と。ひとつひとつ原稿を作っていきました。

全41ページのボリュームになっております。

冒頭分は、プロフィールサイトから共感覚アートへの想いを引用させていただきました。

今まで「共感覚」という名前を知らずに幼少期から、それが当たり前の感覚だと思って生きてきて、最近になってその言葉を聞くようになり「これなのかもしれない」と感じ始めました。

 共感覚と一言で言っても、人によって本当にさまざまで、同じ感覚を持っていたとしても近いものはあれど、感じているものが完全に一致している人というものはなかなか存在しないようです。

「変わっている」や「特別」ともてはやされることもある共感覚ですが、不思議ちゃんと片づけられたり気持ち悪がられることもあり、いいことばかりではありません。

その感覚自体も私はうざったく感じることが多く、生きづらいなあと思うことのほうが多かったのです。

例えば数字すべてに性別や色、感情がついているため数字の羅列をみるだけでも人込みの中にいるように感じる、悲しい気持ちになればおどろおどろしい色に覆われてしまうなど、必要以上に感情の二日酔いになってしまう。

情報量が日々多く、脳みそが疲れてしまったと感じることがあり寝込んでしまうことも日常的です。

そんな中、共感覚について深く知る機会があり、この見えているカラフルな世界は、自分だけのものなのかと知ることができました。

共感覚による生きづらさを抱えている人もいれば、それを強みにし、仕事に活かしている人の話などを聴き、自分の共感覚と向き合いたいと考えるようになりました。

感じることを恐れず、また時にはコントロールをうまくすることで、自分のこの感覚と向き合いながら、自分らしさを出していけないものか。

そこで、自分に見えている感情の色やテクスチャを
「共感覚アート」
とし、描いてみることにしました。

このアートではたとえ私に見えている色が見えなくても見た人が共感や、何かを感じてくれることが多いです。

人を見て私が感じた感情を絵にしたところ、とても感動していただけたことや、悲しい時に描いた絵を「美しい」と言ってくださる方がいます。
自分に見えた一つの感情から生まれる絵が、人の心に同じ形で、また時には違う感情を生み出すことを私はとても興味深いと感じます。

「自分にしか観えないのならば形にして観てもらおう」

それが私のアートに対しての想いであり、挑戦です。
色々な方の手に取って、何かを感じてもらえたら幸いです。

山口葵プロフィールサイト

また、NFTにもこちらの原稿の中から出品数を増やし、同時出品しています。NFTに対してはKindle出版と同じく「新たな挑戦のひとつ」です。

Opensea出品ページへは上記クリック

世界中の人に見ていただける新しいマーケットプレイスであるNFTを通すことで共感覚アートを多くの人に観てもらい共感覚に興味を持ってくれる方を増やしていくこと、
また共感覚があることでの苦しみや悩みを抱えている方へ、何か手助けになるような道案内をできる可能性を秘めているのではないかと思い、信頼する方へ7月から出品をお願いしています。

最初の3作はすでに購入いただき、今回新たに増やし全21作品がOpenseaにて販売を開始しています。

これらは、Kindleからもリンクで飛ぶことができますので、興味のある方は是非ご覧ください。


「感情ってみんな色がついているんじゃないの?」

「これ」が当たり前に生きてきて何十年も私は、皆も同じように観えているものだと思っていた。当たり前ではないと知ったきっかけはclubhouseでのクラブサイエンス「共感覚について」取り上げた時だった。

この歳まで、悲しい時は灰色が、嬉しい時は虹色が観えるのはみな同じなのだと思っていたのだ。それが違うと知り、「共感覚」について深く理解していこうと思うこととなった。

一番初めに描いてみた絵は、今見返すととても稚拙なものだ。

アートとも言い難い、ただ観えた色を描いてみた、それだけのものだった。
でもこれを観て、驚く人がいた。興味を持ってくれる人がいた。
だから私はそれから観えるもの、感じるものに集中して毎日描いた。

描いていくうちに、色だけでなく形やテクスチャ、色々なものが細かく表現できるようになっていった。

最近描いたものは随分と表現の幅が広がり、より観えている世界の模写が最初に比べうまくできているように思う。

それからこれらは私にとって「心のデトックス」となっていることにも気づいた。以前書いたように、私は文章をデトックスとして感情を描きだすとその時の気持ちを忘れていってしまう。それは、絵も同じだった。

だからその時の感情を絵だけではなく「ことば」でも残しておかないと、この共感覚アートを描いた時の心情を全く思い出せなくなるのだ。
一言でも何か書き残してさえおけば、たちまち世界が再び広がるから、それはとても大切なことだと気付いた。

だからこのアートは、絵と、言葉が合わさってひとつの作品なのだと、私は今回原稿を作りながら感じた。その当時の日付まで遡り、言葉を拾い集め、そして1枚の絵にしながら、1ページを作っていった。

何もメモをしていなくて、日記も書いておらず思い出せない絵も2点ほどあった。どうしても思い出せなくて「くらげ」と仮タイトルを描いておいたら、そのまんまの名前でOpenseaに出品されている絵があって、笑った。

またひとつの自分の共感覚への学びにもなる、良い機会だった。

絵もまた毎日、描こう。
文章も、書かなければ。

私は私を表現することを止めない。
それがきっと自分の目指す場所への、道しるべになることだろう。


山口葵



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