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アルデンテな人生に乾杯を

世の中には難しい問題や謎がたくさん溢れていて、未だにその明確な答えが出ていないものも数多く存在すると思う。
その代表的な永遠のテーマのひとつが、「果たして男女間の友情は有り得るか否か?」という問題ではないだろうか?

それについて私ははっきりと「有る!」と言えると考えている。(もちろんあくまで個人的にではあるが)

その女性について記事にしていいのかどうかずっと迷っていたのだけれど、約三十年来の付き合いだという事、結婚した相手も私の友人だという事、そして本人にも了解を得ているという事もあり、懐旧の情と感謝の気持ちを込めつつ少しだけ書いてみようと思う。

その女性との出会いは三十年位前の春であった。
私は福岡の大学に進学が決まり、ちょうど今の季節は引っ越しなどで大忙しだった。
四月の初旬に入学式が開催され、慣れないスーツを着て新しい土地での新生活の期待に胸躍るような気持ちだった。
式が終わった後、私は校内をぶらぶら歩いていた。知り合いも一人もいないので初めのうちは少し不安であったが、逆に新鮮でもあった。

「すみません、もうサークルとか決めましたか?」

と、二人組の女性に声をかけられた。
いわゆるサークルの勧誘らしく、大学のあちこちで先輩方が大きな声を出し、新入生の興味と関心を惹こうと躍起になっている姿が多くあった。

「いや、まだ何も決めてないです。いろいろあってよくわからなくて」

と私が答えると、二人はニコニコ笑いながら手作りのチラシを渡しながら「お話だけでも聞きにきませんか?私達のサークルは人数制限があって、代々おしゃれな人とか雰囲気のある人にしか声をかけないルールがあるんですよ。おにいさんは新入生のトップバッターなんです!」

なんか怪しい誘い文句だなぁと内心疑心暗鬼であったが、まぁ悪い気もそんなにしないし、時間もあるし聞くだけならいいかな?それに二人とも美人さんだし・・と、今思えば典型的な詐欺に引っかかりやすいタイプだなぁと自分自身が少し恥ずかしくなってくる。

案内されながら構内のカフェテリアの一角へ向かうと、まだ新入生の姿はなく、確かに私が初めてのようだった。副幹事の男性の方も加わり、サークル活動についての説明があった。その男性もすごくおしゃれで、星形のピアスがキラキラ光っていた。
毎週二回、いろんなスポーツを行い、対外試合にも参加するそうだった。また釣りやキャンプ、合宿や旅行もあり、厳しくなくアットホームな雰囲気だと説明された。初めての一年生に先輩がいろんなアルバイトも紹介してくれるそうで、新生活も安心ですよと言って下さった。その間、別の新入生もやって来て、隣で説明を受けていた。私はサークルは正直なんでもいいし、特に予定も決めたなかったので、「自分でよければここでお世話になります」と伝えた。みんな大喜びでお礼を言ってくれたので、かえって恐縮してしまった。

最初私に声をかけてくれた女性のひとりが「ナミさん」という人だった。
私より一つ先輩で、外国語学部でフランス語を専攻していた。長い髪にはメッシュが入っていて、大きな瞳がとても印象的だった。サークルの説明を聞いている時何気にナミさんの顔をつい見てしまう瞬間が数回あり、「ん?どうかした?」と聞かれたので、私はハッとして、「あ、いえ、カラーコンタクトが素敵だなぁと思いまして」と慌てて答えると、「シベリアンハスキーみたいでしょ?」と顔を近づけて笑ってくれた。

ナミさんはとても面倒見の良い人で、学校付近の美味しいお店、ワンコインでお腹いっぱいになれるありがたい定食屋さん、日用品を安く買えるお店などいろいろ教えてくれた。また一緒に地下鉄で天神や博多にも連れて行ってくれた。
生まれも育ちも福岡市で、何でも知っていたので一年生は男女問わず本当にお世話になった。
私とは特にウマがあったのか、よく行きつけの居酒屋やバーにも連れて行ってくれて、そこのマスターに紹介してくれた事もあった。
初めてアルバイトを決め、面接に行く時も一緒に来てくれたし、最初の出勤の時も見送ってくれた。
また私がジャンガリアンハムスターを買いに行く時もついて来てくれて、そのハムスターが寿命で死んでしまった時は一緒にお墓を作ってくれた。

私の事を「まっつ」と呼び(松本なので)、その呼び名が広まって、なぜか同じサークル以外の人にもずっとそう呼ばれていた。

「まっつさぁ、なんか垢抜けんのよねぇ。」と言って、知り合いの美容院に連れて行ってくれた。
ナミさんのアイデアで髪を明るくしてもらい、その日にピアスを三個開けてもらった。

ナミさんの顔の左半分には、生まれつき大きなアザがある。
そのことで小学生の時クラスでいじめにあい、お母さんと大げんかをしたんだと、ある時バーでジンバックを飲みながら話してくれた。
私もナミさんの顔のアザについてはそれまで一度も尋ねた事はなかったので、その話を聞いた時は少し緊張してしまった記憶がある。
なんでこんな顔に生まれたのか?どうしてこんなアザがある子供に産んだのかを、お母さんに泣きながら問い詰めたそうだ。

お母さんはナミさんに、「あんたはアザがあるかも知れんけど、誰よりも可愛いじゃないの?なんね、アザくらい。心に大きな汚れがある人よりよっぽど立派やないね。そんなん気にして隠そうとせんで、最初から顔覚えてもらうくらいの気持ちで強くならんね!その顔でいじめられる?あんた何言いようとね?そんないじいじした性格でいじめられとうとよ。」

と突っぱねたそうだ。

私はナミさんの家に遊びに行った時何度もお母さんにお会いしていたが、そんな事があったなんてもちろん知らず、すごい人だなぁと、感心と感動で、酔いが覚めてしまった。
ナミさんもそれ以来、自分の顔にプライドと自信を持ち、強く明るくなろうと決心したらしい。
だからこんなにいつも強くて明るくて、誰より優しく前向きなんだなぁと思った。

学生時代のナミさんとの楽しかった思い出はたくさんあってその全部は書ききれないが、どうしても忘れられない出来事がひとつある。

私は生まれつきくせっ毛で、思うような髪型が出来ずに思春期の頃からそれが悩みでコンプレックスだった。ある時ナミさんにその事を話し、ストレートパーマをかける決心がついたと打ち明けた。
するとナミさんは「は?あんたバカじゃないと?なんで伸ばそうとするんね?逆にさ、もっとクシュクシュにしてそのクセを活かせばいいじゃん?」と言った。
そして私の髪にスタイリング剤で水分を与え、ハードムースでクセを作って固め、ドライヤーで乾かしてくれた。

「ほら見てん?ソバージュみたいでカッコいいやんね?ストパーなんてかけてもまっつの髪質なら意味ないけん、クセを逆手にとって強調する方が楽やしこっちの方がカッコいいけん!間違いない!」

鏡を見て私もまんざらではなく、なるほどこの手があったんかと、目の覚める思いがした。

ナミさんは得意気に笑い、今度女の子と飲み会ある時、髪を触りながら自分のひいおじいちゃんがイタリア人で、その遺伝でくせっ毛なんだと試しに言ってみたら?と、訳のわからぬアドバイスをしてくれた事がある。

後日アルバイト先の友達が企画した、他の大学との飲み会があったので、私はナミさんに言われた通りの事を言ってみた。多分からかわれて、笑われて終わりだろうと思っていたが、なんと女の子がみんな信じてしまい、今までコンプレックスの塊だったこのくせっ毛をみんなが褒めてくれたのだ。

冗談だとは言い出せず、結局そのまま話が広まってしまい、
「イタリア人のおじいちゃんがいる人と一緒に飲んだ」
「イタリアに実家がある人と友達になった」
「私の友達に、イタリア人のハーフがいる」
「元彼の友人はイタリア人だった」
「友達の友達がイタリア人の血が入っていてすごく人気者」

などととんでもない尾ヒレがついてしまい、今でもそれを信じている人がいるらしく、申し訳ない気持ちでいっぱいだけれど、もう時効だと思ってどうか許していただきたい。

ナミさんにその話をすると大笑いし、
「al dente mattu」に改名するたい?」
とまるで他人事だ。

「そんくらい適当でいいとよ。人生もパスタも煮詰まったらダメやけん。アルデンテくらいがちょうどいいわ」と。

ナミさんは大学を卒業してしばらくして、私と同じ日にサークルに入った後輩と結婚をした。
子供はいないらしく、私と妻の結婚式にも夫婦ではるばる来てくれた。妻のお葬式にも参列してくれて、毎日のように電話で励ましてくれた。

私が前向きに、上を向いて生きていけるのは、あの日ナミさんと出会ったおかげだと思っている。

鏡の前に立ち、髭を剃って髪を整える時、私は毎日、もう三十年、ナミさんの言葉を思い出す。

今度、息子が友達と福岡にライブを観に行く予定があるらしいので途中まで一緒に向かい、状況がもし落ち着いているなら私も久しぶりにナミさん夫婦に会いに行ってみようと思っている。二人とも学生の頃からお酒が大好きなので、熊本の地酒と焼酎を何本か買って行き、久しぶりに一緒に飲めたらいいなと思う。

その時もし出来るなら、私が父子家庭になってから覚えた自慢のペペロンチーノを作って振る舞ってあげれたらいいなと思っている。

「自分の弱点を武器にせんと!!」

そう言って私の髪をいじっていたナミさんに、きちんとお礼の言葉を伝えたいと思っている。

ナミさんは私の大切な友人だ。

きっとまた、
アルデンテ!と言って、笑うだろう。

仕事も恋も人生も、それくらいが味があって
ちょうどいい。





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